カスレアクロニクル   作:すばみずる

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第六部
85 ぜひ良い舞台にしましょう


 夜景が一面のガラス越しに広がっている、赤坂に建つ高層ビルの最上階。プライベートラウンジと銘打たれたその空間は、一般の来客が通されることのない、ビルのオーナー企業の関係者だけが利用できる密室だった。

 

 亜修利ヒナタは革張りのソファに深く腰を下ろし、テーブルの向こうに座る人物を観察している。

 

 相手の名は、月山シジマ。総合不動産会社『エデンパクト』の代表取締役。整った顔立ちに、手入れの行き届いた黒髪を後ろに流している。三十代というヒナタとそう変わらない若さと、その地位に見合う野心が絶妙に調和した外見は、メディア露出を強く意識しているタイプの経営者によく見られる風格があった。

 

「わざわざ足を運んでいただき恐縮です、亜修利社長」

 

「こちらこそ。この場を設けていただいたことに感謝します、月山社長」

 

 二人が挟むテーブルの上には二人分のコーヒーと、ヒナタが持参したクリアファイルに挟まれた書類が置かれている。

 

 この会談に至るまでの経緯を、ヒナタは頭の中で反芻した。

 

 

 *

 

 

 発端は、デヴァローカコーポレーションのオフィスでミトラとシラベをヒアリングした日に遡る。

 

 打ち合わせを終えた後。社長室のソファでぐったりとしているミトラに、ヒナタは一つの質問を投げかけた。もし仮に、今の店から別の場所に移すとしたらどうするのか。

 

 ミトラは疲労の残る顔で、しかし一切の迷いなく答えた。

 

『あの店があの場所から無くなったら。そのまま畳んで、終わりね』

 

 あの狭い店舗。色褪せた看板。軋むガラス戸。先代から受け継いだ、古びた商店街の片隅にある小さなおもちゃ屋。ミトラにとってボトムレスピットとは、あの土地そのものだった。移転も、建て替えも、彼女には存在しない。

 

 その言葉を聞いた時、ヒナタの胸に走ったのは恐怖だった。

 

 ボトムレスピットが無くなれば、ミトラに会う口実が消える。いや、口実などという打算的な言葉では足りない。あの店はミトラの居場所であり、ミトラがミトラであるための土台だ。それが崩れれば、ヒナタが愛してやまないあの気怠げで、毒舌で、不器用に優しい女はどうなってしまうのか。

 

 だからヒナタは動いた。ボトムレスピットが面する商店街一帯の再開発計画に対して。

 

 ヒナタは以前から、その存在を知っていた。デヴァローカコーポレーションの事業領域には商業施設やエンターテインメント施設の開発支援も含まれており、都内の再開発案件の動向は常に監視している。

 

 あの商店街を含む区画が再開発の対象になっていることは、計画の初期段階から把握していた。主導しているエデンパクトは近年急速に存在感を増している新興のデベロッパーで、都心近郊の老朽化した商業エリアを複合施設に転換するプロジェクトを次々と手掛けている。

 

 再開発の手順は、まず対象区域の都市計画決定。次に地権者への説明会と合意形成。権利変換計画の策定。そして既存建物の解体と新規建設。

 

 現時点ではまだ初期段階で、地権者への個別交渉が始まったばかりだった。とはいえ商店街の店舗の多くは老朽化が進み、後継者がいないものもある。好条件を提示されれば応じるものは多いだろう。

 

 滞りなく動くのであれば、そこに介入は難しい。他者の人生を動かすことは、如何なる人間であっても限度がある。反対意見を募るのだって、ヒナタの立場は町内会の後援をやっただけのほぼ外様だ。働きかけを行う道理はない。

 

 ならば、計画そのものを変えるしかない。

 

 ヒナタは慎重に代替案を練り上げた。自社内のチームに内密でシミュレーションを依頼し、弁護士と都市計画コンサルタントの意見を仰ぎ、再開発の枠組みを維持しつつも既存店舗の一部を残すリノベーション型の計画修正案を作成した。

 

 商店街近隣を含めた一角をレトロな商業ゾーンとして保存し、新規の複合施設と共存させる。地域の歴史性を活かしたブランディングは、再開発後のテナント誘致にもプラスに働く。数字の上でも、全面更地化と比較して中長期的な収益性に大きな差は出ない。

 

 既存店舗を残す区画にボトムレスピットを含める。それがヒナタの描いた絵図の核心だった。

 

 

 *

 

 

「拝見しました」

 

 月山はクリアファイルの書類を丁寧にテーブルに戻し、コーヒーカップを手に取った。一口飲んでからカップを置き、ヒナタを真っ直ぐに見る。

 

「率直に言って、よくできた提案だと思います。昔ながらの商業区画の導入は近年のトレンドとも合致しますし、ご用意されていたシミュレーションも精緻だ。既存店舗との共存による付加価値の創出という観点は、私どもとしても検討に値する」

 

 ヒナタは表情を変えなかった。褒められている時こそ警戒すべきだ。経営者同士の会話で肯定から入るのは、その後の否定を和らげるための常套手段である。

 

「しかしながら」

 

 来た。ヒナタは内心で構えた。

 

「現時点で弊社の計画を修正するのは難しい。地権者との交渉はすでに進行中ですし、投資家への説明責任もある。外部からの提案で変更を行うというのは……ご理解いただけると思いますが」

 

 想定通りの回答だった。再開発を主導する側が、競合他社の提案をそのまま受け入れることはあり得ない。これは交渉の入り口に過ぎない。

 

「もちろん理解しています。だからこそ、こうして非公式の場を設けさせてもらったのです。正式な提案として持ち込むつもりはありません」

 

 ヒナタは足を組み替え、ソファの背に腕を掛けた。

 

「エデンパクトの計画が成功することを妨害したいわけではない。ただ、あの商店街の一角には、残すに足る歴史的価値を私は見出しているのです。古きものは失う時は一瞬だが、得る事は叶わない。それを残す形での計画修正が、双方にとって利益になるという提案です」

 

「私としても、亜修利社長たっての希望とあれば無碍にしたくはありません。しかし物事には道理がある。そこから外れることは容易ではない」

 

 こんこんと理屈を説く月山の笑みが、不意に変わる。柔らかさは維持しているが、その奥に別の色が混じり始めていた。ヒナタの目はそれを見逃さない。

 

「しかし。こちらからの要望を聞いていただけるのであれば、計画の見直しを検討する余地はあります」

 

「ほう。聞かせてください」

 

 虎口を覗き込む気持ちを抱きつつ、ヒナタは話を促した。

 

「デヴァローカコーポレーションさんが近日オープンされるアミューズメント施設──『ディーヴァ・アリーナ』でしたか。期間限定で構いませんので、あちらのVR施設に、エインヘリヤル・クロニクルの対戦ステージを設置していただきたい」

 

 ヒナタの眉がわずかに動いた。

 

 ディーヴァ・アリーナ。ヒナタの会社が数年単位の準備期間を経て完成させた、VR技術を中核に据えた体験型アミューズメント施設だ。複数のVRコンテンツを周期的に展開し、eスポーツイベントやライブエンターテインメントとの融合を図る。来月のグランドオープンに向けて、現在は最終調整の段階にある。

 

「VR施設自体は様々なコンテンツを展開する予定で、箱としてのキャパシティに問題はないでしょう」

 

 ヒナタは慎重に言葉を選んだ。

 

「だが、エインヘリヤル・クロニクルを公式コンテンツとして扱うには、版元の認可が必要になる。デヴァローカは現時点でエインヘリヤル・クロニクルの公式と業務提携の関係にはありません」

 

「その点についてはご心配なく」

 

 月山はアタッシュケースからファイルを取り出し、テーブルの上に広げた。中にはコンテンツの技術仕様書と、3Dモデルのレンダリング画像が並んでいる。カードゲームの盤面をVR空間に再現した映像は、現場観の無い目にも相当な完成度だった。

 

「VRデータについては、弊社の方で全て用意してあります。エインヘリヤル・クロニクルの開発元とは弊社が独自にライセンス交渉を進めておりまして、すでに大筋での合意を得ています」

 

 ヒナタの目が細まった。

 

 新興のデベロッパーが、カードゲームのVRコンテンツを独自に用意し、版元とのライセンス交渉まで済ませている。不動産開発の範疇を明らかに超えた動きだ。それは、この流れをかなり前から仕込んでいたことを意味する。

 

「形式としては、アリーナの特設展示として期間限定で設置してくれればいい、と」

 

「そうですね。常設ではなく、特別ステージとして。そして」

 

 月山はコーヒーカップをゆっくりと回した。指先の動きには余裕があり、交渉の主導権が自分にあることを自覚している人間の所作だった。

 

「アリーナのこけら落としイベントとして、エインヘリヤル・クロニクルVRステージの特別対戦を希望します」

 

 月山の目がヒナタの顔を、それから鎖骨の辺りへ、さらにその下へとゆっくりと降りていった。

 

 視線の質が変わった。経営者のそれとは異なる値踏みをする目だ。商品ではなく、夕食の品定めするかのように、ヒナタの身体の輪郭をなぞっている。

 

「その対戦に、亜修利社長自身に出ていただきたい」

 

「私が?」

 

「ええ。注目度を考えれば、デヴァローカの社長自らがVR対戦のステージに立つというのは、この上ない話題性でしょう。対戦相手は弊社が用意します」

 

 ヒナタは黙って続きを待った。ここで終わる話ではないことは、月山の目を見れば分かる。

 

「亜修利社長が勝てば、再開発計画の見直しを約束します。あの商店街の一角を保存する形での計画修正を、正式に検討のテーブルに乗せる」

 

「負ければ?」

 

 月山の唇が、薄く弧を描いた。

 

「再開発は予定通り実施します。そして──」

 

 一拍の間。

 

「亜修利社長には、個人的にお時間をいただきたい」

 

 言葉を選んでいるようでいて、その意味するところを隠す気は微塵もない。月山の視線は再びヒナタの胸元に落ち、それから脚へ、そしてゆっくりと顔に戻った。

 

「ビジネスの席ではなく。プライベートな場所で、ゆっくりと」

 

 空気が変わる。

 

 ヒナタは無表情のまま、月山の顔を見つめ返した。内側で煮えたぎるものを、表情筋の一つも動かさずに押し殺す。

 

 この手の人間をヒナタは知っている。金と権力を手に入れた若い男が、手に入らないものに対して示す執着。ビジネスの体裁を纏いながら、最終的に求めているのは支配と所有だ。提案の中身がどれほど合理的であっても、この男にとってはそれすら目的のための道具に過ぎない。

 

 ヒナタの喉に力が籠もる。私にカードゲームの趣味など無い、と惚けるのは悪手だ。それが通じる相手なら、この様な場を設けるわけがない。

 

 彼女がある時期を境にカードへ傾倒し始めたのも、それが何の影響なのかも、おそらくは知っているはずだ。

 

 嫌悪で焼けた喉を潤すために、カップを手に取る。

 

「カードが」

 

 カフェインで滑らかになったヒナタの舌が、ようやく言葉を発した。

 

「エインヘリヤルクロニクルが、お好きなんですか?」

 

 その問い掛けが時間稼ぎであることは明白だったが、月山は鷹揚に応じる。

 

「ええ、はい。腕前は自慢出来るものではないですが、自社内にクラブチームを作る程度には」

 

「なるほど。ライセンス交渉やVR関係のデータもそれが高じて、というところで?」

 

「そうなりますね。トントン拍子で進んでしまい、さて肝心の箱をどうするかと選定しているところでしたが、もしデヴァローカさんに任せられるなら心強い」

 

 ヒナタは本筋に関わらない話を口先だけで回し、思考時間という名の冷却を図る。

 

 断ることはできた。席を立って、この場を去ることもできた。

 

 だが、それは商店街の再開発を容認することを意味する。ボトムレスピットが更地になることを意味する。ミトラが店を畳むことを意味する。

 

 ミトラの顔が浮かんだ。気怠げな目。毒舌の奥に隠れた不器用な強がり。

 

 ヒナタは息を吐いた。深く、静かに。

 

「条件を。確認させてもらいます」

 

 声に震えはなかった。

 

「私が勝てば、再開発計画を修正していただく」

 

「ええ」

 

「私が負ければ、再開発は予定通り。加えて、私個人が――プライベートの時間を、提供する」

 

「そういうことです」

 

 月山の笑みには勝利の確信が滲んでいた。ヒナタがここまで話を聞いている時点で、断る選択肢がないことを見抜いているのだろう。

 

「分かりました」

 

 声は静かだった。怒りも恐怖もない。あるのは、決断を下した人間だけが持つ凪いだ覚悟だ。

 

「ただし、対戦プロトコルとルールについては、事前に書面での合意の上としましょう。ステージ関係の技術仕様の共有もお願いします」

 

「ええ、すぐにでも」

 

 月山は頷きながらも、ヒナタから視線を切らさない。

 

「ぜひ良い舞台にしましょう」

 

 この男の口から出てくる言葉の薄ら寒さに対する嫌悪を、ヒナタは顔に出さなかった。

 

 細々とした擦り合わせを簡単にまとめた後、ヒナタは早々に席を立った。月山は夕食への誘いを袖にされても気を悪くする様子はなく、ラウンジの扉を開き、見送る余裕まで見せていた。

 

 厚い扉が閉まる。廊下に出たヒナタの足取りに乱れはなかったが、エレベーターのボタンを押す指先だけが、微かに震えていた。

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