カスレアクロニクル   作:すばみずる

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93 よりによってこれかい

 関係者専用エリアの廊下は、表のフロアの喧噪とは別世界のように静かだった。

 

 コンクリート打ちっぱなしの壁面に等間隔で並ぶ蛍光灯が、無機質な白い光を落としている。施設のバックヤード特有の、空調のダクトが剥き出しになった天井。華やかな表舞台の裏側とは、いつだってこういうものだ。

 

 亜修利ヒナタは廊下の突き当たりにある小会議室のドアを開けた。

 

 そこには、月山シジマが先に到着していた。

 

 パイプ椅子に腰掛け、スマートフォンを操作していた月山は、ヒナタの姿を認めると画面から目を上げ、整った笑みを浮かべた。手入れの行き届いた黒髪を後ろに流したその顔は、あの高層ビルの夜と変わらない。

 

「お忙しいところ恐れ入ります、亜修利社長。本日はよろしくお願いします」

 

「こちらこそ。段取りの最終確認をしておきたいと思いまして」

 

 ヒナタは向かいのパイプ椅子に腰を下ろした。テーブルの上にはスケジュール表のコピーが置かれている。

 

「夜のステージについてです。十九時開始で、()()()の紹介映像が十五分、その後にスペシャルマッチを一戦。基本は一時間、対戦内容によっての伸縮には対応出来るようコンテンツの枠は用意があります」

 

 ヒナタの説明を聞きながら、月山の指がスケジュール表の該当箇所をなぞっていく。ヒナタも確認しつつ、認識に齟齬がない事を認める。

 

 そして、今になってもまだ確認が必要な点について触れる。

 

「対戦相手は予定通り、会場のお客様から――正確には、関係者チケットで入場されたお客様の中から選出する形で」

 

「ええ」

 

 ヒナタは足を組み替えた。この条件は以前から聞かされていたものだ。だが改めて、目の前の男に指摘しておく必要があった。

 

「本当によろしいんですか。素人が相手では、ECeの宣伝としてのショーマッチには見栄えしないものになるかもしれません」

 

 ヒナタの懸念は賭けの内容とは異なる、企業人としての視点だった。ECe。エインヘリヤル・クロニクルのスマートフォン向けゲームアプリ。ティザー情報は出ていたものの、今夜のステージは配信前の大きな宣伝舞台となる。

 

 施設オープンの舞台に急遽捻じ込まれるお題目としては、集客が十分に出来ていないのが惜しいものの格落ちはしていない。ライセンス取得はしたもののイベント運営のノウハウの無いエデンパクトからの委託という体裁が一応取られていた。

 

 その大事なお披露目の場で、メインイベントとして行われる対戦のクオリティが低ければ宣伝効果は半減する。何より、月山とはこの戦いに大きなものを賭けていた。それを軽んじるかのようなぞんざいな選定を希望するとなると、ヒナタも意図を探りたくもなる。

 

 ヒナタの訝しむ目を受けて尚、月山は余裕の表情を崩さなかった。

 

「ご心配なく。万一に備えてこちら側のスタッフの用意はありますし、ちゃんとした対戦になりますよ」

 

 その言い方が引っかかった。ちゃんとした対戦になる。リストの中からとはいえ、選定するのは運営するヒナタ側になる。誰が戦うか分からないはずなのに、結果の質を保証できるかのような自信が見える。

 

「このような形式を選んだ理由をお聞きしても?」

 

「アミューズメント施設で行うイベントであれば、お客様に体験してもらう形式が一番『らしい』と言えるでしょう? まぁ、完全にランダムで選ぶのはリスキーのため、チケットで分けさせては貰いましたが」

 

「それにしても、です。私としては月山社長ご自身が出ると思っていたのですが」

 

「今日は私ではない方がいいんです。勘、とでも言いましょうか」

 

 月山が微笑んだ。あののラウンジで見せた時と同じく、余裕を湛えた笑み。少し前にシラベから聞いたものとは異なる響きをヒナタは覚える。

 

「私にはそういうものに恵まれる運がありましてね。物事が丁度よく噛み合う瞬間を、引き当てるのが得意なんです」

 

 勘。運。ビジネスの場でそんな曖昧な言葉を使う経営者を、ヒナタは信用しない。だが追及したところでこの男から本音が出てくるとは思えなかった。

 

「……では、段取りについてこれ以上は特にありません。会場設営と機材の動作確認は弊社のチームが引き続き対応します」

 

「ありがとうございます。では、よろしくお願いします」

 

 月山が立ち上がり、スーツの皺を払って会議室のドアに向かう。ヒナタも椅子から腰を上げた。

 

 廊下に出た月山の背中を見送ろうとしたヒナタの視界の端に、何かが映った。

 

 廊下の奥。月山が歩いていく方向の、蛍光灯の明かりが届かない薄暗い一角。

 

 白い髪が揺れた。

 

 小柄な人影が、月山の後ろについて歩いている。白い髪を無造作に垂らした少女だ。白いワンピースのような衣装を纏い、通り過ぎた月山に付き従うよう、斜め後ろを音もなく歩いている。

 

 ヒナタは目を凝らした。少女の存在に、廊下を行き交うスタッフの誰一人として反応していなかった。すれ違う人間がいても、白髪の少女に視線を向ける者はいない。

 

 月山の姿が角を曲がって消えた。白髪の少女も、それに続くように視界から消えた。

 

 ヒナタはしばし、その暗がりを見つめていた。

 

 見覚えのない少女だった。施設のスタッフでもなければ、コスプレイヤーでもないはずだ。直前に捻じ込んだボトムレスピット組以外に、少女姿の者はいなかったはず。

 

 脳裏に、一つの記憶が浮かんだ。レディ・ローマと、大穴。かつてヒナタと一週間だけだが共に過ごした精霊。

 

 確信はない。だが、あの少女の佇まいには、人間とは異なる密度のようなものがあった。空気の中に溶け込みながらも、確かにそこに在るという存在感。

 

 レヴェローズやカルメリエルとはまた違う。毛色で言うなら、黒白の精霊が近いはずだ。

 

 月山シジマの傍に、精霊がいる。それに伴い想定される事態を頭の中で転がしたが、今は確かめる手段がなかった。思考を保留し、ヒナタは会議室のドアを閉めた。

 

 今はそれよりも先に、やるべきことがある。

 

 

 *

 

 

 VMコロシアム内に設けられた準備室。パイプで組まれた簡易的な衣装掛けと、鏡付きのメイクテーブルが並んでいる。コスプレイヤーたちも使用していた空間だが、夜の部に向けて今は限られた人間しか出入りしていない。

 

「お待ちしておりましたわ、ヒナタ様」

 

 カルメリエルが、衣装掛けの横に立っていた。シスター服から伸びるケーブルや背後の後光の円環はすでに外している。その手には大きな紙袋が抱えられていた。

 

「遅かったではないか。待ちくたびれたぞ」

 

 レヴェローズが隅のパイプ椅子に腰掛けていた。軍服姿のまま足を組み、腕を組んでいる。赤い装束に灰色の軍服という出で立ちは、先ほどフロアで見かけた時と変わらない。

 

「二人とも、もう来ていたのか。まだ遊んでいるかと思っていたよ」

 

「勿論、職務は全ういたしますわ。ヒナタ様のお着替えをお手伝いする約束でしたでしょう?」

 

 カルメリエルは紙袋をメイクテーブルの上に置き、中身を取り出し始めた。

 

 衣装。ヒナタはカルメリエルからコスプレイヤーとして働くと言う提案の中に、「ステージ用の衣装を用意しておく」と言うものがあった。エインヘリヤル・クロニクルのVRイベントに登壇するにあたり、それらしい格好をした方が見栄えがいいだろうという話だった。

 

 ヒナタとしてはあまり考えている部分では無かったものの、カルメリエルの口から聞かされるとそれが妥当のようにも感じ取れた。それが危険だと思えるほど、ヒナタとカルメリエルとの関係は深くない。

 

 カルメリエルが紙袋から取り出したものを、ヒナタは見た。

 

 金属の装飾パーツ。紅色の結晶を模したアクセサリー。そして、明らかに布面積の少ない、ビキニ型の胸当て。

 

 ドゥブランコ王家の第一王女。ヴェルガラ・ドゥブランコのコスチューム。三姉妹の中で最も豊かな胸部を持つ戦闘狂。そのカードイラストに忠実な衣装が、メイクテーブルの上に広げられている。

 

「……よりによってこれかい」

 

 胸部を覆うのはビキニアーマーの名に相応しい最低限の金属板で、腹部は完全に露出する。腰回りは腰布とベルトで構成され、脚は太腿の大部分が見える。肩と腕にはガントレット型の装甲が巻かれるが、それ以外の防御は皆無に等しかった。

 

 ヒナタは衣装を手に取り、カルメリエルの顔を見た。

 

「あら。こういった衣装を一から作るのは大変なのだと伺いましたよ? 通常の工程であればこのような短期間では難しいところを、いまこの時に用意出来たことを感謝していただきたいくらいです」

 

 カルメリエルはにこやかに言った。提案してきた側の筈なのに、恩着せがましく言われると何故かヒナタの胸中に申し訳なさが生じてくる。

 

 確かに、衣装の作りは見事だった。金属板に見えるパーツは軽量の樹脂を加工したものらしく、塗装の質感は本物の金属と見紛うほどだ。結晶のアクセサリーは宝石と見紛うばかりに磨き上げたもので、光を受けると焔色に輝く。武装であるパイルバンカーの作りも精緻だ。

 

 あるいは盗聴機器の電波を傍受するかのように、何か理外の力を使って縫製したのかもしれない。

 

「それに、露出度の高い服装がお好みでしょう?」

 

「私の趣味と着るものは別問題だよ」

 

 カルメリエルの面白がるような言葉にヒナタは言い返しながら、脳裏にかつてのバニースーツ姿の記憶がほのかに蘇った。あれはあれで相当の羞恥心を伴う代物だったが、今回のヴェルガラのものはそれに輪をかけて布面積が少ない。

 

「これならまだ、スーツのままの方が……」

 

「さ、ここでお召し物をお脱ぎになってください。それともレヴェローズに手伝わせましょうか?」

 

 笑みのまま詰め寄るカルメリエルの圧は強い。

 

 カルメリエルが如何なる考えでこれを選んだのかは分からない。面白がっているのか。まさかとは思うが本当に相応しいと思って用意しているのだろうか。自分をどういう目で見ているのか問い詰めてやりたいが、そんな時間の余裕は無い。

 

 月山との賭け。ミトラの店。商店街の未来。そしてヒナタ自身の尊厳。全てがこの一戦に懸かっている。衣装がどうであろうと、やることは変わらない。

 

「ええい、着ればいいんだろう、着れば」

 

 ヒナタはスーツのジャケットを放り、ワイシャツのボタンを外した。瞬く間に衣服と羞恥心を脱ぎ捨てて、目の前の難関に立ち向かう。

 

「おっ、潔いではないか」

 

 レヴェローズが椅子から立ち上がり、衣装のパーツを手に取った。

 

「留め具はこちら側ですわ。腕を上げてくださいませ」

 

 カルメリエルが胸当てのパーツを持ち、ヒナタの背後に回る。二人の精霊の手が、手慣れた動きでヒナタの身体に衣装を纏わせていく。

 

 金属板を模した胸当てが、ヒナタの胸部にぴたりと収まった。おそらくは視覚だけで割り出したのだろうに、サイズは完璧に合わせてある。

 

「余裕を持って作ったつもりでしたが、ピッタリですわね」

 

「これ、凄く蒸れそうなんだが……大丈夫なんだろうね?」

 

「ええ。多分」

 

 腰布が巻かれ、ガントレットが腕に嵌められ、首元にチョーカーが装着される。最後にレヴェローズがブーツを差し出し、ヒナタは足を通した。

 

 鏡の前に立つ。

 

 アッシュグレーのショートヘアはそのままだ。露出した腹部と腕は、日常的な鍛錬によって引き締まった線を描いている。ビキニアーマーに覆われた胸部の存在感は、カードイラストの戦姫にも劣らない迫力だった。

 

 戦姫の長身には届かないが、ヒールの高いブーツが身長を底上げし、鏡の中の姿は紛れもなくドゥブランコの長女を思わせた。

 

「うむ、似合うではないか」

 

 レヴェローズの声が、背後から静かに響いた。ヒナタが振り返ると、レヴェローズは腕を組んだまま、複雑な表情でヒナタを見つめていた。

 

 姉の名を冠した装いを、他人が纏っている。レヴェローズにとってそれは、単なるコスプレ以上の意味を持つのかもしれない。

 

「すまないね。姉君の装いを借りることになって」

 

「謝ることではない」

 

 レヴェローズは首を横に振った。軍服の肩章が揺れる。

 

「ヴェルガラ姉様は、必要な時に必要な力を振るう人だった。戦場でしか真価を発揮しないが、その戦場においては誰よりも強かった」

 

 レヴェローズの紫の瞳が、ヒナタの目を真っ直ぐに射抜く。普段のポンコツぶりからは想像もつかない、凛とした眼差しだった。

 

「お前も今夜は戦場に立つんだろう。なら──」

 

 レヴェローズは一歩近づき、ヒナタのガントレットに覆われた腕を片手で掴んだ。

 

「姉様の名に恥じぬ戦いをしろよ」

 

 静かな声だった。いつもの世迷言も大言壮語も含まれていない。姉の名を背負って戦いに臨む者に向けた、切実な言葉だった。

 

 ヒナタは掴まれた腕を見下ろし、それからレヴェローズの顔を見た。

 

「ああ。約束するよ」

 

 虚勢ではない。そうヒナタは信じて答えた。

 

「最後の仕上げですわ」

 

 カルメリエルが声を掛ける。糸目を細めて微笑むその手には、もう一つのアクセサリーが残っていた。紅色の六角形の結晶を模した腰飾り。レヴェローズの装束にも付いている、伝結晶のパーツ。

 

 カルメリエルがヒナタの腰にそれを取り付け、留め具がかちりと鳴った。

 

 ヒナタはもう一度鏡に映る自分を見つめる。鏡の中では、戦姫の装いが完成していた。ビキニアーマーの露出は確かに凄まじい。普段スーツで全身を覆っている人間がこの格好をするのは、正直なところ気恥ずかしさが無いと言えば嘘になる。

 

 だが、客の前では社長といえども演目の一要素に過ぎない。それならいっそ、徹底的に道化を演じてしまおう。

 

 深呼吸を一つして、ヒナタは時を待った。

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