少しの待機時間の後。VRグラスの向こう側に、世界が生まれた。
ステージの景色が消え、代わりに現れたのは広大な荒野だった。ひび割れた大地が地平線の彼方まで続き、灰色の空からは腐り落ちた巨木の幹が天を衝いて聳えている。
エインヘリヤル・クロニクルの世界は既に終わった世界での魔術師同士の戦いだ。荒廃している世界こそ相応しいのだと誇示するような光景。
パーティションの外側では、この光景がリアルタイムで投影されている。観客席からは、フィールドの上に異世界が出現しているかのように見えているはずだ。
「あーあ、まったく。嫌になるね。こんな世界を作っちゃって」
周囲の景色に呑まれ、対戦フィールドを前にして再び緊張に襲われているクモンの背後で、ノルはぼそりと呟いた。
紙のカードとは全く違う。手札はクモンの目の前に半透明のホログラムとして展開され、デッキは宙に浮く光の束として傍に控えている。触れるべき場所に手を伸ばせば、カードが応えると聞いている。
そこにあるのは借り物のデッキだ。リストは事前に見せてもらったが、自分の手で組んだものではない。カード一枚一枚の役割は頭に入っているつもりでも、手に馴染んでいない不安が指先に滲む。
「大丈夫だよ。ボクが教えてあげるから」
クモンの背中に、細く硬い感触があった。ノルの杖がクモンの背骨に沿うように当てがわれいるらしい。彼女の囁き声が耳元に落ちてくる。VR空間の見ているクモンにとっても、何故だか彼女は溶け込んで感じる。
途端。クモンの根本から何かが抜け落ちるような虚脱感と、それを補填するかのように明晰な知覚が流れ込む。馴染みのない筈のカードたちの知識が注ぎ込まれ、血肉となるような感覚にクモンは瞠目する。
対面のヒナタは、VR空間の向こう側で既に準備を終えているようだった。レヴェローズを侍らせたヴェルガラの衣装を着た美女はVRの荒野の中においても一切劣らず、戦姫そのものの佇まいを見せている。
MCの声がVR空間にいる二人へ響く。
「それでは──対戦、開始!」
第一ターン。先攻はクモン。
未だ震えが残る指で、最初のカードをフィールドに置いた。
「『風のルーン』をセット」
VR空間の地面に、翡翠色の紋章が刻まれた石板が浮かび上がる。風の属性を示すルーンだ。紙のカードでは単なるイラストだったものが、三次元の質感を伴って目の前に実体化している。
続けて、手札から一枚を選ぶ。ノルの杖が背骨を軽く叩き、『それでいい』と合図するように温もりが伝わった。
「『森ゴキブリ』を召喚します」
『森ゴキブリ』
コスト:〈風〉
タイプ:生命体
・〈T〉:風属性マナを1点生み出す。
[1/1]
風のルーンからマナが立ち昇り、フィールドの上に光の渦が生まれる。渦の中から姿を現したのは巨大な甲虫だった。
体長およそ二メートル。油を塗ったような光沢のある黒褐色の甲殻。触角が不気味にうねり、六本の脚が地面を掻く音までVRで再現されている。
パーティションに投影されたその姿を見た観客席の一角から、悲鳴が上がった。 虫が駄目な人間にとっては地獄絵図だろう。
だがカードプレイヤーの多くからは、むしろ感嘆の声が湧いていた。紙の上では二センチ四方のイラストでしかなかった生命体が、実物大で動いている。その迫力と技術に対する純粋な驚嘆だ。
関係者席ではキリメが顔をしかめていた。
「うげぇ。クモンのやつ、なんてもん出しやがる」
その隣で、ワンピースに顔を半分埋めていた小さな人影が鼻で笑った。
「風のルーンからの森ゴキブリなんて昔からの定型なんだから。むしろこういうお披露目の場でやるには最高じゃない」
キリメが思ってもいなかったところから語られ、目を丸くした。先ほどまでシラベに抱っこされて甘やかされていた子供が、突然流暢にカードの話をし始めている。しかもその口ぶりは生半可な風格ではない。昔からの定型、という言い回しには、長年ECに触れてきた人間特有の重みがある。
「そ、そうなんだ……? つーか、やっぱり店にいっつもいるだけあってカード詳しいんだな」
ミトラの身体が僅かに強張った。
しまった。思わず反応してしまった。シラベの知り合いの子供という体で通しているのに、初心者丸出しのキリメの反応に我慢が出来なかったのだ。
ミトラはなんとか顔を逸らし、再びワンピースの中に縮こまろうとする。だが、パーティションに映し出されているフィールドの光景が、ミトラの意識を引き戻した。
ヒナタの第一ターン。
「『夜風の血印』をセット。ライフを2点支払い、スタンド状態で出す」
『夜風の血印』
コスト:-
タイプ:ルーン
・(〈T〉:闇属性マナか風属性マナを1点生み出す。)
・このルーンがフィールドに出るに際し、2点のライフを支払ってもよい。そうしないなら、これはステイ状態でフィールドに出る。
ヒナタの足元に、闇と風の二色を孕んだルーンが刻まれる。その紋章が完成した瞬間、ヒナタの腕から赤い光の粒子が散った。ライフの支払いを演出している。
ライフカウンターがパーティションの隅に表示される。
ヒナタ:20→18。
「戦略カード、『矮小潰し』」
『矮小潰し』
コスト:〈闇〉
タイプ:戦略
・生命体1体を対象とし、それのマナ総量が2以下であるなら、それを破壊する。
ヒナタの手から闇色の光が走った。VR空間の中で、それは黒い鎖となってフィールドを横断する。
鎖の先端がクモンの森ゴキブリに巻きつき、締め上げ甲殻が軋む音と共に巨大な虫が砕け散った。
破片が光の粒子となって散華していく演出に、観客席から安堵の溜め息が聞こえた気がした。
「伝統のカードとはいえ、それはあまり長居させたくないな」
一マナの除去呪文で一マナの生命体を落とす。等価交換だが、相手のマナ加速手段を序盤で潰した意味は大きい。
クモンの表情に悔しさが滲んだ。だが背後のノルが大丈夫だよ、と穏やかに囁く。
第二ターン。クモンの手が、二枚目のルーンを置いた。
「『生命孕みの颶風印』をセット」
『生命孕みの颶風印』
コスト:-
タイプ:ルーン
・あなたが基本ルーンをコントロールしていないかぎり、このルーンはステイ状態でフィールドに出る。
・〈T〉:風属性マナを1点生み出す。
・〈2〉〈風〉,〈T〉:あなたがコントロールしているルーン1つを対象とする。それは即時行動を持つ0/0の生命体になり、ルーンでもある。それの上にCCを2個置く。それが死亡したか追放されたとき、それをステイ状態でフィールドに戻す。この能力の起動はあなたのメイン位相としてのみ行う。
嵐を内包したような深緑の紋章がフィールドに刻まれる。基本ルーンである風のルーンをコントロールしているため、ステイ状態にならずそのまま使用可能になった。
「『野生化した晶隊長』を召喚します」
風が渦巻き、光の結晶が宙に凝集していく。現れたのは、全身を半透明の水晶で覆われた獣の姿だった。四足歩行の体躯は狼に似ているが、背中から伸びる結晶の角が異形の存在であることを示している。
『野生化した晶隊長』
コスト:〈1〉〈風〉
タイプ:生命体
・印装填 ― ルーン1つがあなたのコントロール下でフィールドに出るたび、生命体1体を対象とする。それの上にCCを1個置く。
・〈3〉〈風〉〈風〉:あなたがコントロールしている各生命体の上にあるCCの個数をそれぞれ2倍にする。
[2/2]
まだ小粒だが、印装填の能力を持つ。ルーンがフィールドに出るたびにクリスタル・カウンターが積まれていき、放置すれば雪だるま式に膨れ上がる脅威だ。
対するヒナタの第二ターンは静かだった。
「『順風の輪転機』をセット。ステイ状態だ」
『順風の輪転機』
コスト:-
タイプ:ルーン
・(〈T〉:風属性マナか光属性マナか水属性マナを1点生み出す。)
・順風の輪転機はステイ状態でフィールドに出る。
・輪転〈3〉(〈3〉,このカードを捨てる:カードを1枚引く。)
三色のマナを生む多色ルーンだが、ステイ状態で出るためこのターンは使えない。ヒナタの盤面に攻防の動きはなく、ターンを返す。
第三ターン。勝負の天秤が傾き始めた。
「『万力腕の印兵』を召喚。さらに──『製図台帳』をセットします」
クモンの声に力が入っていた。先ほどまでの震えが薄れている。
『万力腕の印兵』
コスト:〈1〉〈風〉
タイプ:生命体
・貫通
・印装填 ― あなたがコントロールしているルーン1つがフィールドに出るたび、ターン終了時まで、万力腕の印兵のパワーを2倍にする。
[1/2]
『製図台帳』
コスト:-
タイプ:ルーン
・〈T〉,製図台帳を生け贄に捧げる:あなたの山札から基本ルーンカード1枚を探し、ステイ状態でフィールドに出す。その後、山札を切り直す。その後、あなたが4つ以上のルーンをコントロールしているなら、そのルーンのステイ状態を解除する。
機械仕掛けの腕を持つ兵士がフィールドに実体化する。ステータスは1/2と貧弱だが、このカードの真価はそこではない。
ルーンがフィールドに出るたびに、パワーが倍になる。出たばかりで動けはしないが、その能力は致命になる可能性が十分高いカードだ。
製図台帳のルーンが置かれた瞬間、万力腕の印兵の機械腕が軋みを上げて膨張した。同時に、並び立っている晶隊長の背中でクリスタルが一つ増殖する。
さらにクモンは製図台帳を生け贄に捧げ、デッキから風のルーンを引き出した。二度目のルーン着地。万力腕のパワーが再び倍の4に。
晶隊長の肉がボコリと盛り上がり、クリスタルがもう一つ増える。そのステータスは合計4/4に成長していた。
「動けないのは少しもったいないが、気にせずやってしまおう。」
「うん――戦闘。晶隊長で攻撃します!」
ノルに囁かれながらもクモンが指示を出し、水晶の獣が咆哮した。重低音が轟き、結晶に覆われた巨体がフィールドを駆ける。ヒナタの場に生命体はいない。
晶隊長の突撃がヒナタに直撃した。VRの演出がヒナタの周囲に水晶の破片を散らし、ライフカウンターが回る。
ヒナタ:18→14。
観客席がざわついた。開始僅か数ターンで主催者側のヒナタのライフが六割近くにまで削られている。キリメが身を乗り降り出した。
「やるじゃん、クモン」
毎日のように対戦を重ねてきたクモンは、こんな舞台であってもきちんと動けている。
キリメはクモンの実力を知っている。気持ちを浮つかせずにいれば、このままの調子を保てるはず。
だがミトラの目は別のところを見ていた。ヒナタの盤面。ルーンは事故の兆候なく二枚出せているし、顔に焦りはない。
この程度のライフ差は承知の上だろう。ミトラも含め、観客のカードプレイヤーは腕を組んで状況の推移をまだ見定める。
ヒナタの第三ターン。
「『ひりつく輪転機』をセット。ステイ状態だ」
『ひりつく輪転機』
コスト:-
タイプ:ルーン
・(〈T〉:闇属性マナか風属性マナか水属性マナを1点生み出す。)
・ひりつく輪転機はステイ状態でフィールドに出る。
・輪転〈3〉(〈3〉,このカードを捨てる:カードを1枚引く。)
またしてもステイ状態のルーン。だが前のターンに置いた順風の輪転機が、このターンからスタンド状態になっていた。ルーンの印刷を行う輪転機はようやく駆動を開始する。
「『遅効性呪縛法』を唱える」
『遅効性呪縛法』
コスト:〈5〉〈光〉
タイプ:呪法
・豊刻印 ― このカードを唱えるためのコストは、あなたがコントロールしているルーンの中の基本ルーンタイプ1種類につき〈1〉少なくなる。
・遅効性呪縛法がフィールドに出たとき、対戦相手がコントロールしていてルーンでないカード1つを対象とする。それを、遅効性呪縛法がフィールドを離れるまで追放する。
VR空間の中で、輪転機から吐き出されたルーン文字の用紙が蛇のようにうねりながらフィールドを横断した。先端がクモンの晶隊長に巻きつき、水晶の獣の全身を黄金の光で覆っていく。
拘束。そして、消滅。
光に包まれた晶隊長の姿が、フィールドから掻き消えた。破壊ではない。追放。盤面から完全に取り除かれ、呪縛法が存在する限り戻ってこない。
コストは本来六マナだが、豊刻印の効果により、ヒナタがコントロールするルーンの基本タイプの種類数だけコストが軽減される。輪転機が並んだヒナタの盤面なら低マナで唱えられる。
クモンの盤面から、成長の核が消える。パーティションの映像を見ていた観客席の空気が変わった。さっきまで小学生の善戦に湧いていた歓声が、ヒナタの的確な一手によって引き締まる。
クモンの顔に動揺が走った。だがノルの手が少年の肩に触れ、何かを囁いている。クモンは唇を結び、手札に目を落とした。
第四ターン。クモンの反撃。
「『新たなる結晶国獣』を召喚します」
フィールドに、新たな結晶の獣が降り立った。晶隊長とは異なりより大型で、全身が結晶で構成されている。
『新たなる結晶国獣』
コスト:〈2〉〈風〉
タイプ:生命体
・貫通(攻撃しているこの生命体は余剰の戦闘ダメージをそれが攻撃しているプレイヤーに与えることができる)
・この生命体はCCが1個置かれた状態でフィールドに出る。
・印装填 ― あなたがコントロールしているルーン1つがフィールドに出るたび、この生命体の上にあるCCの個数を2倍にする。
[0/0]
0/0のステータスだが、出た時点でクリスタル・カウンターが一つ。実質1/1だ。
だがこの獣もまた、印装填を持っている。その効果はカウンターの倍加。
ヒナタの表情が険しくなる中、クモンの行動は続く。
「『儚い透過印』をセット」
『儚い透過印』
コスト:-
タイプ:ルーン
・〈T〉,このルーンを生け贄に捧げる:あなたの山札から基本ルーンカード1枚を探し、ステイ状態でフィールドに出す。その後、山札を切り直す。
・〈T〉,このルーンを生け贄に捧げる:パワーが2以下である生命体1体を対象とする。このターン、それはブロックされない。
ガラスのようなルーンが着地する。万力腕の印兵のパワーが倍加し2に。結晶国獣のカウンターが倍加し、2個になる。
さらに透過印を生け贄に捧げ、デッキから風のルーンを引き出される。二度目の着地。万力腕のパワーがさらに倍の4。結晶国獣のカウンターが再び倍の4個。
たった一ターンの間に、3マナ相応の性能である4/4にまで膨れ上がった。
「万力腕の印兵で攻撃します!」
機械仕掛けの腕が唸りを上げる。VR空間の中で、鉄の拳がフィールドを駆け抜け、ヒナタに叩きつけられた。
ヒナタ:14→10。
ライフは半分を切った。観客席の熱量が上がっていく。カードゲームに詳しくない来場者にとっても、数字が減っていくことの意味は直感的に理解できる。
美人社長が小学生に追い詰められている。その構図だけで、エンターテインメントとして成立していた。
だが戦いを知るカードゲーマーたちの見解は違う。ヒナタの手札。ヒナタの盤面。ヒナタの墓地。そしてヒナタの表情。
追い詰められている人間の顔ではない。なにより、四属性を擁するデッキの立ち上がりの遅さは、そのまま高い爆発力を意味する。
ミトラはじっと、ヒナタを見つめていた。