カスレアクロニクル   作:すばみずる

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99 私の愛だ

 その一瞬、VMコロッセオの光が消えた。

 

 備え付けの照明、パーティションの投影映像、客席のスマホのバックライトすら。施設内の全ての光源が、瞬きひとつの間だけ完全に沈黙した。

 

 停電ではない。空調の音は途切れていないし、スピーカーから音楽は鳴り続けている。電力の供給は正常だ。にもかかわらず、光だけが一瞬、夜の帷でも降ろしたかのように呑まれていた。

 

 客席にざわめきが走る。思い違いかと思うものがいる一方、ビデオを回していたものは本当に漆黒が訪れていたのだと理解していた。

 

 それは各種映像を確認しているスタッフも気付く。ヒナタのインカムに、スタッフの声が飛び交っていた。

 

『今のブラックアウトはなんだ? 映像が残ってるくせにログには何もない』

 

『映像システム再起動は必要ですか?』

 

『フィールド内の機材に異常は無し。原因は調査中』

 

 ヒナタは一時、盤面から意識を引き剥がし、インカムの報告を聞く。機材の故障にしては平然と進みすぎている。

 

 相手方の精霊、ノルとやらが動いた可能性をヒナタは考える。だが彼女も周囲をキョロキョロと見回しており、なにか惚けている様子ではない。

 

「月山社長、今の何かの仕込みですか? ……月山社長?」

 

 唯一、原因の可能性がある相手にヒナタは連絡を図る。だが月山はその通信に応じようとしない。それは犯人ゆえなのか、彼も何かに巻き込まれているのか。

 

 この場での見極めは出来ない。故にヒナタは備えをする。

 

「ゲーム処理を一時停止。館内設備に異常がないか確認し、最低限安全の確認が出来次第、再開とする。」

 

 指示を出し、ヒナタはVRグラスを額に上げた。フィールドの照明がメンテナンス中を示す予備電源に切り替わり、薄暗い非常灯の光だけがステージを照らしている。

 

 パーティションの投影は行われているものの、しばらくお待ちくださいという文字表記が流れてきた。

 

 その背中。レヴェローズはヒナタの横に立ったまま、じっと前を見ていた。

 

 腕を組み、微動だにしない。コスプレイヤーとして雇われであり、ヒナタの協力者として、レヴェローズは彼女の隣にいる。

 

 だがこの対戦において、彼女は何もしていない。サポート役として操作マニュアルを示す役目もヒナタには必要なく、ただ隣に立ち、戦いの行方を見守っている。

 

 ふと。白い影が、レヴェローズの真横に現れた。

 

「ね」

 

 ノルちゃんと自称した少女だ。音もなく、気配もなく、非常灯の薄明かりの中にひょいと姿を出している。先ほどまでクモンの傍にいたはずの白髪の少女が、いつの間にかフィールドを横断してレヴェローズの横に立っていた。

 

「キミも精霊だよね。さっき誰かが出した結界、見たかい? 縮めてくれたから良かったけど、施設ごと落とされるのかと思ったよ」

 

 世間話のようなものをしようとするノルに対して、レヴェローズは動かない。横を向きもせず、グラス越しの紫の瞳はフィールドの正面を見据えたまま、少女の存在を認識しつつも反応を返さない。

 

 ノルは面白そうに首を傾げた。

 

「私と違って実体化できる精霊なんだ。キミはこの世界で出番があるみたいだね」

 

 ノルの言葉の意味を、レヴェローズは理解出来ないのではなく、理解するつもりがなかった。これは敵だ。それ以上の情報は要らない。戦場において、敵の雑談に付き合う必要はない。

 

 その態度に、ノルは如何にもつまらなそうな顔をする。

 

「彼女、このまま負けちゃうね」

 

 レヴェローズの唇が動いた。

 

「それは無い」

 

 断言だった。一拍の迷いもない。

 

 ノルの口元に、笑みが浮かんだ。ようやく引き出せた反応を、少女は楽しんでいるようだった。

 

「決着の折り返しまで来たのに、随分彼女を買ってるんだね?」

 

 ノルの杖がヒナタの方を示した。ライフ10対20。盤面もクモンが優勢。数字の上ではヒナタの敗北が近い。

 

 だがレヴェローズは首を横に振った。

 

「確かにヒナタは強い。だがそれは必勝を意味しない」

 

 レヴェローズの声は普段と変わらず、無駄に尊大で自信を持ち、確信して憚らない力強さがあった。

 

「あのデッキはシラベ──我が愛しの契約者が手ずから組み上げたものだ」

 

 紫の瞳が、フィールドの向こう側を見つめている。シラベの姿をレヴェローズは見つけていない。だがレヴェローズの視線は、壁の向こうにいるはずの男の存在を射抜くかのように迷いがなかった。

 

「それを、契約者の幸運の女神である私が見守っているのだ。万に一つに負けるなどありえん」

 

 根拠はない。論理もない。ただ信じているだけだ。シラベが組んだデッキと、自分がここにいるという事実。その二つだけを根拠に、レヴェローズは勝利を断言していた。

 

「幸運の女神、か」

 

 ノルの表情が変わる。冷ややかな視線がレヴェローズに注がれる。

 

「ボクが嫌いな言葉だ」

 

 金の瞳が一瞬だけ冷たい光を帯びた。だがそれは次の瞬間には、先ほどまでの軽薄な笑みに塗り潰され、ノルはひらりと身を翻してクモンの方へと戻っていった。

 

 レヴェローズはその背中を見送らなかった。最初から最後まで、正面だけを見つめ続けていた。

 

 

 *

 

 

 ヒナタはVRグラスの通信機能を操作し、クモンのグラスに個別チャンネルを開いた。対戦中のプレイヤー同士が私的に会話できる機能は、本来はティーチングや実況解説用に設計されたものだ。

 

「強くなったね、クモン君」

 

 クモンは、びくりと肩を跳ねさせた。

 

 VRグラスのスピーカーから直接届く声。耳のすぐ傍で、ヒナタの声が鳴っている。

 

 心臓が一度、強く打った。

 

 だが──それだけだった。

 

 以前のクモンなら、ヒナタの声が耳元で響いただけで頬が燃え、胸が掻き乱され、思考が泡立ったはずだ。レヴェローズの胸を見つめている時の情動。おつかいを遂行した時にカルメリエルから与えられるご褒美。ヒナタの向かいの席に座った時の、あの心臓が焼けるような高揚。

 

 それらが、来ない。

 

 どんどんと、思考がクリアになっていく。ノルの杖が首筋に触れたあの瞬間から、クモンの頭の中は妙に澄み渡っていた。冷静だった。冷静すぎた。

 

「僕は、強くなんかなってないです」

 

 冷え切った頭で、クモンは答えた。

 

「このデッキは借り物です。ノルちゃんが何かしてくれたおまじないで頭は冴えてる。でも、それだけです」

 

 グラス越しのVR盤面を見下ろす。結晶の獣と機械兵。自分が並べた盤面だが、自分の力で勝ち取ったものではない。強いカードがたまたま引けたから、出せるタイミングで動かしているだけだ。

 

「僕の強さなんか、カードに関係ありません」

 

「おや。そうなのかい?」

 

 ヒナタの声には、否定の気配があった。

 

「私は、カードでの強さにプレイヤーの強さは関係すると思っているよ」

 

「でも──」

 

「強いカードを、強く動かす。それが迷いなく出来るということがどれほど強いか。君は理解したほうがいい」

 

 強い効果を持つカードがあったとしても、それを握る者の判断がお粗末ならば腐ってしまう。ただひたすら、手に来た強いカードを並べるという動きであっても、賢しげに『もっと温存した方がいいのではないか』などと迷ってしまうと機を逸することもある。

 

 これまでのクモンにはそれがあった。無用の心配をして足元を確認してしまう悪癖。慎重さを履き違えた展開の遅さ。それが今に至って、強く動かすことに迷っていない。ヒナタはそれを称賛していた。

 

 クモンは唇を噛んだ。言いたいことが、胸の底からせり上がってくる。冷静な頭が、それを止めなかった。

 

「でも──ヒナタさんだって」

 

 言葉が溢れた。

 

「いつも自信たっぷりな素振りで、簡単に好きとかなんとか、強い気持ちをあの女の子にぶつけてるじゃないですか」

 

 ボトムレスピットでのヒナタの姿が、クモンの脳裏を駆け巡った。

 

 小さい女の子、ミトラに向けて投げつけられる愛の言葉。全力のアタック。そして毎回のように鬱陶しがられ、冷たくあしらわれ、何の成果も得られないまま笑って帰っていくヒナタの背中。

 

「何度もアタックして、でも鬱陶しがられて。強い言葉を強い気持ちで動かしても、全然意味が無くて。結局、何をしても決まりきった動きに流されていくしか無いんですよ」

 

 クモンの冷えた声には、少年なりの痛みが沈んでいた。

 

 レベを好きになった。年上の美人で、胸が大きくて、ちょっとドジで。でも彼女はいつもシラベの傍にいて、シラベの名前ばかり呼んでいた。

 

 カルメリエルを好きになった。優しくて、聞き上手で、抱きしめてくれて。でも彼女もまた、シラベと楽しげに過ごしており、クモンの入る隙間はどこにもなかった。

 

「気持ちなんて関係ない。そういう風に、なるようにしかならないように運命は流れていくものなんだ」

 

 クモンの嘆きを受けて、ヒナタは目を閉じた。悲観的な言葉を、ヒナタは笑わなかった。その諦観には覚えがあったからだ。

 

「そうだね」

 

 静かな声がグラスを通じてクモンの耳朶を撫でる。

 

「運命というものがあるのなら。いくらジタバタしたところでどうにもならないと考えるのは、仕方が無い」

 

 ヒナタの脳裏に、ミトラの顔が浮かんでいた。

 

 気怠げな目。毒舌。不器用な優しさ。そして──シラベに寄りかかり、安心しきった顔をする、最愛の姫君。

 

「想い人の隣には、私ではないものがいた方がいいのかもしれない。私が隣にいようとするのは無駄な努力かもしれない。私の気持ちは関係なく、そう決まっているのかもしれない」

 

 言葉にすれば、それは諦めに聞こえるだろう。だがヒナタの声には諦念の色はなかった。

 

 ヒナタは目を開いた。

 

「だが私は、私の強い気持ちをぶつけ続けることで、想い人ではなく──私自身を、変えることが出来たよ」

 

 胸中に、気怠げな店員の顔があった。

 

 ミトラの為に接触しただけの男だった。初めて顔を合わせた時は憎みすらしたのだ、利用するだけしたら、またミトラから遠ざけないととすら思っていた。

 

 それなのに、今では自分の純潔を賭けた戦いにおいてデッキの構築を任せる、全幅の信頼を置く関係になってしまっていた。

 

 愛のために起こした行動が、ヒナタを変えた。ミトラに会うためにカードを学び、ミトラの店を守るために動き、その過程で得たものが、ヒナタの人生を書き換えた。

 

「私が愛のために起こした行動が、私を変えた。変わったことで、新しい愛に気付くことも出来た」

 

 それをすら運命と言われてもいい。

 

「私は自分の意思で愛し続けた結果、たどり着いた境地がある。それは流されるだけの運命では得られない、私の愛だ」

 

 そこまで言って、ヒナタは息を整えた。演説の後のような高揚が胸を満たしている。顔が赤らみ、額に薄く汗が滲んでいることを自覚したが、隠すつもりはなかった。

 

「さて、クモン君」

 

 ヒナタの声が、笑みを帯びた。

 

「君の(おもい)を、私にぶつけてくれるんだろう?」

 

 クモンの胸が、高鳴った。

 

 何かに吸われていたはずの激情が、心臓の鼓動に合わせて急速に湧き上がってくる。冷静だったはずの頭に血が通う。思考のクリアさは残ったまま、その底から沸騰するような熱が這い上がっていた。

 

 脊骨の根元にとぐろを巻く蛇を、クモンは幻視した。ノルの杖が鎮めていたはずのそれが、ヒナタの言葉によって解き放たれた。

 

 冷静さと激情が同居している。矛盾しているはずなのに、両方が同時に脈打っている。

 

「――」

 

 クモンの戦慄く喉が声を出す前に、ヒナタのインカムへスタッフの声が届いた。

 

『設備に異常は確認されませんでした。対戦の再開、可能です』

 

 ヒナタはインカムに頷き、グラスを装着し直した。同時に、ノルがクモンの傍に戻り、杖を手に少年の横に立つ。

 

 MCの声が、コロッセオに響いた。

 

「お待たせいたしました。対戦を再開いたします!」

 

 照明が蘇り、パーティションの待機表示が消える。途切れていた観客の歓声が、二人へと一気に押し寄せた。

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