異世界に行きなさい。己の全てを犠牲に。 作:唯一神
「逃げろ! 勝てる相手じゃない!」
春の柔らかな日差しを切り裂くように、悲鳴に近い絶叫が平原に木霊した。
空はどこまでも高く、透き通った青が地平線の彼方まで吸い込まれるように続いている。
本来、この三百人の軍勢にとって、この戦は危なげのない「外交的な示威行為」の一翼を担うはずだった。
緩やかな傾斜を持つ丘に本陣を構え、そのふもとには、冬の間に手入れされた頑丈なオークの槍を揃えた農民兵が厚い壁を作る。
この「三百」という数字は、今回の大動員において、前線の要所を任された一個の大隊であった。
装備を整え、冬の間も訓練を怠らなかった彼らは、軍全体の士気を左右する重要な支柱だ。
昨秋の豊かな実りを蓄えた穀物倉に補給を支えられ、十分に体力を蓄えたこの地の精鋭。
彼らが崩れることは、軍全体の戦力の一部が消失し、戦略そのものに多大な影響を受けることを意味していた。
平原を吹き抜ける風は、冬の名残を含みながらも、芽吹いたばかりの若草の瑞々しい香りを運んでいた。
戦列の中央には、この軍の誇りである重装騎兵たちが、その出番を今か今かと待ちわびていた。
彼らは軍の切り札だ。歩兵が敵を釘付けにし、クロスボウが敵陣を揺さぶった後、最後の一撃として平原を駆け抜け、すべてを蹂躙する。
それが、文明化された騎士たちが重んじる戦争の作法であり、勝利への確実な道筋であった。
だが今、その盤石な矜持も、計算し尽くされた戦術も、たった一人の悪魔によって無惨に粉砕されていた。
「撃て! 撃てッ! 構わず撃ち続けろ!」
後方のクロスボウ兵たちが、狂ったように叫びながらレバーを引いた。 背負っている矢筒は3本ほど、そして羽のついた矢がバラツキはあれど標的に落下していく。
外交の道具としてではなく、訓練の成果を発揮するためにボルトを番えた。
教皇権の尊重などの理由で、あえて外すことが多かったクロスボウ兵。
狙いも最低限、そして放たれる鉄の礫は、しかし春の空に極めて正確な無数の黒い線の軌道を引く。
滑車とレバー、そしてクランク。牛の腱などではなく、鋼の糸によって作られた『張力』。
しかし、その文明的な死の雨を嘲笑うかのように、悪魔は襲い来る矢を盾で弾いて見せた。
「なっ……何だと!」
悪魔は鏃の突き刺さった腹から、矢を引き抜いて見せた。
滑車の着いたクロスボウから放たれた矢は、悪魔に触れ、刺さりこそすれど次々と地に突き刺さる。
外交のテーブルをひっくり返し、作法の外側からやってきた圧倒的な暴力を前に、クロスボウという洗練された兵器はただの『劣った武器』へと成り下がった。
「嘘だろ……当たってるはずだろ……!」
次の一矢を装填しようとした男の首が、言葉と共に宙を舞った。 中央と両翼、そして部隊の隙間に待機していた騎兵の隊は、突撃の合図を待つことさえ許されなかった。
両翼から悪魔を包むように動き、中央の精強な軍馬が前進する。
猛烈な勢いで後退してくる農民兵を前に馬は驚き、百戦錬磨の軍馬たちがパニックを起こした。
主は振り落とされたが……落馬した騎士たちは、本来なら身代金を得るための貴重な捕虜として大切に扱われるべき高貴な身分だ。
だが、この悪魔に交渉の余地はない。
重い鎧が、今は脱ぐことのできない鉄の棺桶となり、彼らは微風の踊る草原の中でただの肉塊へと変えられていった。
綿の服と鎖帷子、そして外側の鎧……斬撃や衝撃は逃され、突きも逸れるようになっているプレートアーマーは騎士の象徴であり、権威的な武力の象徴でもあった。しかし、そのどれもが役には立たなかった。
「ヒャハハハハ!」
悪魔は笑った。
「毎回思ってるんだけどねえ、やっぱり中世ヨーロッパ風味の異世界って、サイッコーに都合が良いよね?」
「神が間違って殺して、お詫びにチート能力あげて異世界転移とかさあ、ヤハウェの名が泣いてるねこれ」
「キリスト系の宗教とかでも神の無謬性とかさあ、そういう神聖不可侵な人には理解できない過分が存在することで神秘性が保たれてるはずなのにね。ギリシャ神話みたいなタイプの神だとは思わなかった」
「や〜い!お前のとこの唯一神、実在しない上にただの妄想〜!」
「こっちは本当の神と遭遇してるからお前らの神はルサンチマンの妄想だぜぇ?」
「残念だったなあ!」
「イギリスがいないくせに英語を、日本がいないのに日本語を喋る異世界人たちは何がどうなってるんだ〜い!バベルの塔崩れろ〜!」
「アハハハハ!」
「スイスも神聖ローマ帝国もねえのに、武器の名前にランツクネヒトなんてついてるのはちゃんちゃらおかしい話だぜ!ランスとかパイクとかもさあ!創造神はヨーロッパに影響受けすぎなんだよ!」
「キリスト教風味の謎の宗教って厄介だよねえ!創造神とやらは地球を再現しようとする神なのかなあ!」
「テキトーなミスをする神ってさあ、舞台装置の解決法なんだよねえ!デウス・エクス・マキナすぎてついつい俺は神を試しちまうぜ!」
逃げ惑う兵も、突撃する兵も。全てが凶弾の前に崩れ落ちる。軽機関銃の反動は肩を壊すようだが、常時発動している回復効果によって事実上の無視が出来ている。
矢が突き刺さっていても、顔色ひとつ変えない。
歴戦のスイーパーとして、その悪魔は戦場に降り立った。
「安易にガトリングガンを俺に与えるんじゃなかったなあ!毎回思うんだ。銃火器がプレートアーマーを廃れさせたという地球の歴史ってこの異世界でも本当なんだなってさ!」
「そういうテンプレ的な異世界でさあ……わざわざヨーロッパ風味にする意味ってのがぜーんぶまるっとチート能力で粉砕されてるのってどうかしてるとしか思えないけどなあ!」
ガカガガガガガカと鳴る砲身は、音速の弾を吐き出して中世の騎士たちと農民兵を殺していく。
ただ無情に、地位や名誉に関係なく銃火器は蹂躙を続ける。
悪魔と恐れられたその男は、本来なら勇者として育つはずだったもの。
しかし今は……敵対国に恐怖を与える道具から、自我を持ち、優れた武力によって御すことができないと判断され、暗殺の憂い目に有った。そして返り討ちにし、その男は悪魔と呼ばれるようになった。そして、仲間と共に転移者のグループを立ち上げた。
そうしてグループを結成してからわずか3年で、数千数万の敵を蹴散らした。
民衆からは千の屍を生む勇者と慕われ、教皇から聖人にまで認められた。万人が認める、そんな者が、殺戮者として全人類の敵となった。
しかし世俗権力の国王にとって、そういった存在を認めることはとてもではないができない。
定期的な異世界召喚の儀に合わせて、勇者の元種となる転移者たちを決めて広報をした。
しかし、顔面の良さ、大衆受けの良さなどの観点で篩に分けた時、残ったものは少数。彼のように、大半の異世界転移者は勇者候補として前線や民間に送り、国王による権威的な支援を象徴する存在として運用されて"いた"。
「しっかしチート能力ってのはショボくても組み合わせると強いんだなあこれが。一人で無双なんて出来ないけどさ、まあ単体より複数人だよね!」
創造チートやら鑑定チートやら……単体では扱いづらいギフトを持った存在を協力させ、武力を手にする。
これによって軍事力は大いに向上した。諸侯の機嫌を伺う必要がなくなり、中央集権化を一気に進めようと絶対王政に移行する最中。
しかし公爵などが秘密裏に異世界転移者を集めた部隊を作り、一気に政権を転覆する動きを強めた。
「弾切れ無しの銃火器って歩兵に配れば当然、最強だよねえ?まあ、君たちには関係ないけどさ。」
農民兵もクロスボウ兵も、そして分厚い鎧を着込んだ騎乗兵でさえも……
全ては銃火器の前に倒れた。
「はあ、32もこっちの残機が削られた。こんなつまらん所で消費したし最悪だなあ」
「100人殺すと、1回だけ死を免れる……この世界って本当におかしいなあ」
「おかげで不死身なやつらが権力者に多すぎる」
「ま、こっちも同じだけどさ。それにしたって、ザコ相手だと思って戦っても油断出来ないね」
瞬間、後方から襲い来る矢。頭蓋を貫き、額にまで貫通した鏃は血を流す悪魔と共に、ぽとりと地面に落下した。
「仕留めた!今だ、俺ごとやれ〜!」
クロスボウ兵の執念が悪魔を物理的に捕えた。
頭蓋骨骨折、脳の損傷……通常なら助からない。
しかし、まだその悪魔は生きていた。
「ア゛」
背中に矢が刺さり続け、自らの盾を奪って全速力で逃走するクロスボウ兵の姿を見るも……残機が超高速で削れ続ける。
だからこそ残機を持つ者に対して足止めをするにはこうするしかない。
数十人の重装クロスボウ兵が潜伏していたようで、悪魔に向かって継続的に撃ち続ける。
それと同時に銃火器を持っている腕を狙い、穴を空けていく。
そして、悪魔は捕らえられた。金属の刃がついた網は、かつて勇者が考案した『魔王の軍隊』と戦うための遅滞戦術に使われたが、惜しみなく有刺鉄線は使われた。
有刺鉄線というもので人が捕獲され、引き摺られるとどのようなことになるかは想像が容易く……
悪魔は滅された。残機が無くなった者は死後に肉体が灰となり消滅するのだ。
塵となった悪魔を前に、生き残った歓喜の声を上げる兵士たち。機関銃を手に入れた兵士は持ち上げ、その重さに驚く。
国に従順でない勇者はもう要らない。横暴な勇者は、悪魔として駆逐される番が来たのだ。
それは法治の目覚めであり、武力によって守られる法から、法の名のもとに武力が行使される社会となるだろう。
■
『針』の能力玉が世界に出現した。
勇者……否、悪魔の灰があった場所から、ボウリングの玉ほどの宝石が出現した。期待感から人々は殺し合い、勝ち残った者が能力玉を即座に使用した。
しかし特別な効果は1つしかなく、至って標準的な針が一本だけ出るだけだ。
刺した物体の位置を常時把握するという極めて地味なもの。
落胆した勝者は絶望した。仲間や友すら殺して勝ち取った能力玉に込められていたチート能力はひどく『ハズレ』な能力だった。何にも使えない。
ああ、なんということだろう。こんなハズレな能力なら殺さなければ良かった。
こんな能力のせいで、俺は誅殺されないように警戒しないといけないのか?
ああ、なぜこんなことになってしまったのだろう。全員撲殺したから仲間が見るも無惨な姿に……クソ、あの悪魔め。
絶対に許さん。
(あのさあ、こっちは頑張って降りかかる火の粉を払って毎日を生きてたのにさあ、何でこうなるかなぁ?ふざけないでほしいよねえ……)
「あーもう悪魔め、死後もウザイしマジでどうなってるんだよこれ!本当にこっちにメリットがないじゃないか!」
勝者は絶望した。クロスボウを戦友から奪って友を撃ち、槍を弟に突き刺し、仲間を石で撲殺した。その代償とでも言うべきか、頭の中につい先程殺した悪魔の声が聞こえてくる。
(ああ悪魔め、取り憑くなんて酷いじゃないか。神よどうか助けて欲しい……)
(取り憑く?やだなあ、お前がこっちのプライベートな心という領域に入ってきてるんじゃないか。お前のような、木っ端のクズがね)
(鋸屑よりもお前の価値は低い!)
(銃の撃ち方もお前は知らんだろう。軽機関銃というのは大きな棍棒じゃない、トリガーを引いて撃つものだ)
(だから振り回すなお前!それ10kgあるから!)
「あーもううるさいなぁ、悪魔の分際で勝手に喋らないでくれよ本当にさあ」
敗者は怒り、もしくは呆れのような感情を抱き……勝者は何も感じてはいなかった。能力を得たという結果ではなく、そこまでの間に生まれた犠牲に悲しみを覚えた。
「うん、ピッタリだ……これはずいぶんと良い武器だな!」
軽機関銃を振り回し、『スカ』になった能力玉をゴルフのボールのように吹き飛ばす。
ミニと名前に着いているが全く小さくないその重量とサイズは、当然ながらゴルフクラブより圧倒的に大きい。
しかし軽機関銃は大きな棍棒のように扱われ、ついさっきまでの戦友を撲殺していく。
異世界でも機関銃は強いと豪語した悪魔は……しかし、このような扱われ方をしているのが我慢ならなかった。
(やめろー!ボルトが衝撃で曲がるだろ!)
(それホントに困る!こんな力を持ったやつが跋扈してるんだから中世ナーロッパ系のテンプレ野蛮人のバカばかりになる)
(世界の知能が下がってる要因の一人だよお前!マジでやめろその運用方法さあ!)
「んん、幽霊がうるさいなあ」
「俺はこんなハズレくじを引かされたし最悪だ」
(ハズレくじ……?どんなに離れていようとも、どれほど刺そうとも把握出来る数も無制限だぞ!それをハズレだと?これだから異世界人は頭が悪くて困るな!)
(有効活用できる方法が幾らでもあるというのに!)