異世界に行きなさい。己の全てを犠牲に。 作:唯一神
洞窟の空気は、もはや空気と呼べるものではなかった。
膨大な数の生命が吐き出す熱気、重なり合う荒い呼吸、そして岩を削る際に舞い上がる細かな粉塵。
それらが混ざり合い、視界を白く濁らせるほどに濃密な命の澱が地下の空間を支配していた。
三千の個体。
彼らは三百の掘削隊に分かたれ、地下という広大な暗闇の盤面の上で、たった一つの意志に従う駒として配置されている。
カツン、カツン、カツン、カツン。
槍の穂先を強引に外して作られた鑿が岩肌を叩き、指先ほどの穴がまず作られていく。
その音は、個々の個体が鳴らす打撃音ではもはやなく、三千の腕が、三千の重力が、一定の周期で岩盤を叩きつける地下の心音なのだ。
この振動は岩を伝わり、地層を揺らし、地上の人間が気づかぬほどの微細な地鳴りとなって、静かに世界の土台を削り取っていく。
三千という数は、絶対的な暴力である。
一人が一歩掘れば、そこには三千歩分の道が開通する。
一人が石を一個運べば、一瞬にして巨大な山が消え去る。
その圧倒的な量こそが、彼らの唯一にして最強の武器であり、同時に彼らを縛り付ける呪いでもあった。
統率者は、作業の最前線に立っていた。
彼の背後には、闇の奥まで果てしなく続く灰色の肌の列がある。肩を寄せ合い、隙間なく並んだ三千の個体が、一糸乱れぬ規律を持って沈黙を守っている。
彼らの間に言葉はなく、静寂だけがその場を包み、作業音のみが鳴り響いている。
言葉を持つことを許されているのは、この三千の中でただ一人、統率者だけだからだ。
部下たちは、隣り合う者の筋肉の動き、鑿を振るう風圧、視線の微かな揺らぎだけで、主の意志を末端まで共有していた。
「止まれ、呼吸を整えよ」
統率者が短く命じた。
その瞬間、地下の世界が凍りついた。
三千の腕が同時に動きを止め、三千の鑿が宙で静止する。
つい先ほどまで耳を弄していた打撃音が、まるでギロチンで切り落とされたかのように消滅し、
代わりに三千の待ちの沈黙が空間を埋め尽くした。
三千の視線が一箇所に集まるその圧力は、物理的な質量となって統率者の肌を刺す。
統率者は、正面に立ちふさがる、人の背丈の数倍はある巨大な岩壁を見上げた。
通常の人間による掘削であれば、この岩盤に突き当たれば迂回するか、あるいは数ヶ月をかけて掘り崩す道を選ぶだろう。
だが、今の彼らにそんな時間の余剰はない。各地の畑から奪い取ってきた糧食は、三千の飢えた胃袋を前にして、すでに底をつきかけている。
物資に余剰などない。あるのは、今日を生き延び、住処を広げるための三千の労働力だけだ。
「ここだ。掘れ」
統率者の指先が、岩盤のわずかな亀裂を示した。
その瞬間、三千の静寂が爆発し、最前線の小隊が、狂ったように鑿を打ち込む。
次々と押し寄せる灰色の群れが削り、運び、全てが働いている。
砕け散った岩の破片が地面に落ちる暇すら与えない。
後ろに控える小隊が、その破片を空中で掴み取り、さらに後ろへと手渡しで送り出す。
バケツも、荷車もない。ましてやドリルやダイナマイトなどの文明の利器もない。
三千の腕が肉体によるベルトコンベアとなり、時間をかけて削り取られた握り拳ほどの岩塊が、生きた鎖の中を濁流のような速度で後方へと流されていく。
人海戦術とはそれは個を消し去り、三千人を一機の「巨大な穿孔機」へと作り変える戦略だ。
彼らの連携には一分の迷いもない。
誰一人として声を上げず、ただ、前の者から受け取った岩を、後ろの者へと機械的に渡す。
その動作が三千回繰り返されることで、数トンの岩盤が一分足らずで消滅していく。
だが、この効率的な暴力を維持するためには、莫大なエネルギーが必要だった。
分配の時間は、残酷なほどに短く、事務的だ。
日が沈むころには狩猟隊が帰ってきており、門出を祝った統率者は歓喜した。
傷だらけだったが、怪我をしている個体はいない。ならば、まだ使える。怪我がないならまだこの部下は、狩猟や採集に出かけられる。
「食え」
統率者が短く命じると、狩りをしていた120の個体が、まるで一つの巨大な肺が息を吸い込むように、運んできた食糧へと向かった。
その後に分配されるが、3000のゴブリン一人が口にできるのは、ほんの一握りの生の穀物と、痩せ細った山羊の肉片、指先ほどのわずかな量に過ぎない。
しかし、三千人がそれを同時に咀嚼するガリガリという音は、まるで地上の全てを食い尽くそうとする巨大な害虫の群れが、土を噛み砕く音のように洞窟内に反響した。
彼らは味わうこともしない。喜びも、不満も、沈黙の中に埋没させている。ただ、次の掘削に耐えるための燃料を、三千の胃袋に流し込む。一滴の血、一粒の殻すら無駄にすることは死を意味する。余剰がないからこそ、彼らの規律は神聖なまでに研ぎ澄まされていた。
全体としてはおよそ洞窟にいる個体は3000ほど。そして300がこの洞窟内に常駐し、各地に渡っては前哨基地を地下に作る掘削隊が同じように、9つの拠点を作っており、連携して村を壊滅させた。
火を放ち、燃え盛る家屋から逃げ出す人々を包囲して大胆に破壊する。
外縁部から縦深浸透作戦をすることで、村程度なら完全に包囲することができる。
村に騎兵やガードなど、いないのだから都市と比べたら非常に楽だ。
その周辺で食料や縄となる葛などを集める720の狩猟隊と520の採集隊。
山羊を複数人で持ち上げて、主の元へと運ぶその者たちは皆
身長がおよそ1.5mほどの、灰色の肌を持つ種族。
彼らはゴブリン、またはノーム、またはドワーフと呼ばれる種族だ。
穴掘りの達人と良く人間の間では噂されるが、それは目撃できる構造物が、空の住処か放棄した地下通路だけだからだ。
人間がいない場所ならば地上にも居る。地下に追いやられただけなのだ。
ならば莫大に数を増やし、地上では正面で戦うことはできないが森林などの奥の岩肌に拠点を作り、人を地上から追い出せば良い。
「休憩せよ」
指導者として、統率する者として。
1日の大半を掘削作業に身を置く者たちのことは多少でも気遣っている。
最も多く独占するのは統率者、次いで狩猟・採集を担うゴブリンたち、そして最後に掘削隊たちだ。
全員を略奪隊として地上に出すこともできるが、一斉に行動を起こすのは非常に難しい。
よって中規模な包囲と招集をかけて襲撃をするのだ。
その力をつけるための掘削。基礎体力は養われ、食料が尽きかけようとも他の『ネストホーム』から譲ってもらえば良い。
コマンダーだけで成り立つ部隊がないように、実働部隊が最も多いのがこの最初のネストホームだ。
種の統率者たる者が住まう場所足る環境にすべく、移転が進められており。3000人の掘削隊が全員住めるほどの居住地としての想定はされていない。
何よりそこまでして地下に住む理由がないし、3000人をまとめるよりも300人ほどにして均等に拡張を進めた方が良いからだ。
安全のためにとてつもない数のゴブリンを纏めているが、襲撃されるかもしれない地上よりマシになるかもしれないという理由だ。
ゴブリンは、この付近に存在する異種族としては最大を占めているがその理由は集落の拡張にある。
人間の家に住めば良いし、避難場所になっているであろう村長の家を大人数で囲って燃やすだけで基本的に居住空間をまるごと破壊するようなことはしない。
『より優れた道具や家屋がほしい』ということは切実に誰もが思っている。だからこそ破壊は集団的に行われ、散発的ながらも非常に大きな結果を齎すことになる。
■
ある街の中心部。真新しい石畳と古い石畳が目立つ放射状の道の中心の建物にて、その者は話し合っていた。
「村が壊滅した?」
エラスムス公は、ニール伯爵の封地で発生した魔物による被害を聞いていた。
(ニール伯爵の治めている土地は魔物が生息する地ではあるが、村が壊滅するなんて事になるわけがない。)
(何が起きているのかひとまず聞いてみよう)
原因解明は出来ているのか、と落ち着いた雰囲気で公爵は話した。すると、残念ながらという枕詞をつけて言葉が帰ってきた。
「完全には分かっていません」
「しかし、おおよそ……ゴブリンの脱走でしょう。危機と思いまして、現場の駐留していた兵士が建物を包囲して大多数は殲滅致しました。しかし、魔物の養殖が今後は我が領では厳しいかと。火が放たれ、資料は部屋の中で炭になっていまして……」
「その、申し訳ないのですが……昨年から続いている水道橋の新設のためと、今回の騒乱の復旧のため、260ゴールドほど援助をお願いします。」
260ゴールドとは大金だ。
真鍮製の悪貨が良く詐欺に使われるが、それとは文字通りに比べ物にならない価値を持つ。
およそ22ゴールドほどもあれば、私の交易都市の月間輸入額に相当する。
つまり、都市の経営に使われるほどの価値を持ち、一般的に流通しない貨幣だ。
商取引用の一般的に流通する貨幣などとは全く違う、行政用の『信用』を測るための貨幣。
その領土がどれほど豊かなのかなどの指標として使われることもある通貨だ。
換算するのが極めて難しいが……まあ、領主に匹敵するほどの大商人でなければ一生涯で都市の自由市民が稼げる額は0.45ゴールドが限界だろう。
伯爵に対して、公爵は疑念を抱いた。
何故そこまで莫大な信用の源を必要とするのか、と。
「ニール伯、今回は測量の不備か?それとも、労働者の給料未払いか、それとも反乱か?」
水道橋事業はエラスムス公爵が支援している都市化の肝だ。
大量の市民を働かせると、その周辺での商取引なども活発になる。
エラスムスの大河の治水や暗渠の網などを参考に、ニール伯爵は水道橋を作ったが……地形が困難を極める。
山を弧を描くようにして迂回して作られた既存の水道橋から3方向に伸ばさなければならず、これが水道橋事業の失敗の原因だと公爵は考えた。
「それが……カール子爵の領の農民が働きに出て、カール子爵から抗議されてしまい、事業が遅遅として進まないのです」
エラスムス公は度肝を抜かれた表情をして驚いた。
「カール子爵だと?なぜだ。お前と、アーリ侯爵に挟まれた立地なはずだ。」
「アーリ侯の便宜をお前は無駄にしたのか。代替単純労働者の5年契約をカール子爵はアーリ侯と結んでいたはずだ」
「なぜ農民が流れる?カール子爵は私の河川の中継地を握っている。政は私の耳に届くはずだ」
「今まで、私の妹の子だからとお前には多分な融資をしていた。だが、お前には統治能力に不足があり、重大な事業を任せることはできない。」
「我らが貿易で栄えた理由は何か知っているか?」
公爵は怒りを湛えながら伯爵に対して問いただす。どのような返答をしても破滅が待っていると悟った伯爵は言い淀み、最も避けなければならない悪手をしたとようやく自覚した。
「か、関税です。高利貸したちを追い出し、教会を建てて民心を安定させました」
だがその回答も極めて浅かった。当主でありながらここまで理解の及んでいない伯爵に対して、心底落胆したような表情を浮かべながら、つらつらと言っていく。
「まず1に婚姻。」
「まず2に便宜」
「そして3に教会だ。」
「どういう意味かわかるか?諸侯を身内に引き入れて、関税を下げ、神の教えを守ったということだ。」
「身内に金を貸すなど浅ましいことはしない。それが神の作りたもうたこの世に生きる者の、もっとも尊ぶべき姿ではないか。それを貴様は踏みにじった。」
伯爵は血の気が引いた。『破門』の2文字が現実として突きつけられることを理解したからだ。
通商用の河川沿いに教皇領として一部の土地を献上し、教会を建てる……神父や修道士、そして巡礼者に対しての特別な便宜……その意味が、ようやく理解できた。
「そ、その……このお詫びは必ず、必ず私めがやり遂げます。ですので一度、一度だけどうか慈悲を!」
伯爵は、公爵に対して涙を流して見せた。
だがそれが逆鱗に触れることであるとも知らずに、弁明を重ねる。
あまりにも自分本位な言葉に、わなわなと怒りが龍のように登る。
「お前を、一族から追放する。」
「お前の領土は今後、侯爵に渡し、お前は全員に対して謝罪をする。」
「血族の名誉を回復させるための禊としてお前は礎となれ。」
さっと青ざめた顔を公爵は見るが、感慨も何も湧かなかった。
あるのはただの空虚感だけだったのだ。
14の伯爵。それはエラスムス公の同盟者などに分類される、傘下の家門たち。
その下には子爵などがいるが、エラスムス公は新参者にも相互扶助をし、寛大な処置をした。
家門たちから集めた資金から、家門の援助金に回したり、または富を高めるためにインフラストラクチャーを整備させる。
整備団は熟練しており、公爵が雇っている専門家たちは他領にレンタルされる。
そのような寛大な処置にも関わらず、大変な無礼を働いた伯爵は、当主の座から追放されようとしていた。
■
ゴォォォン……ゴォォォン……ゴォォォン……
銅鑼の音が鳴り響き、部隊は停止した。指揮官スーザンの名の下に、浄化作戦が開始された。
太鼓が半刻程前に鳴り響いて、行進が続けられた。
騎兵長弓射手が30騎、騎兵クロスボウ射手が10騎。
馬上攻撃は常に40騎による掃射であり、機動力は十分に確保されている。
無論、これが全軍ではない。輜重隊に軽歩兵などが随伴し、騎兵の移動速度を生かした構成となっている。
今回の掃討に協力している侯爵はデストリエの産地であり、数多くの城塞を作って西の異民族の侵攻を防いでいた。
そんな実績ある名誉高き馬を借り、騎士たちの士気は最高潮。
ゴブリン狩りなど今の時代に珍しい。絵本になるほど昔のころは地上にもいたが、一般市民などが目にすることはもう無くなった。
しかし外敵がいるのならば排除しなければならない。徴募兵などでは無い、『常備軍』である彼らの仕事は戦うことだからだ。
公爵の騎馬兵は練度が足りない。なぜなら、直接的に交戦をすることなどなく、戦う相手がいないからだ。
侯爵の騎馬兵は対照的に、練度が極めて高い。なぜなら、直接的に交戦し、異民族と日々戦い抜いているからだ。
常備軍を侯爵はそれゆえ多く持ち、工学的知識を教育された兵士は城塞を築き、谷に橋を架け、山に伏せることができる技能を持つ。
渡河し、登山し、あらゆる地形も走破する。
職業軍人の彼らは訓練をしっかりと受け、30kmの徒歩行軍にも耐えうるとされた者だけが今ここに残っている。
そんな彼らは鎧という極めて重量の重い装備を着ており、全身の総重量38kgは超えようかという代物。
鎖帷子と綿の分厚い服のおかげで熱が内部に籠りやすいが、そのお陰で鉄壁の防御力を獲得している。
これぞ軍事力の化身たる、騎馬兵。
防御力と機動力の両立とは、ただの強者にあらず。武力の象徴として、権力の象徴たる無敵さと無謬性を演出し、実現出来ることだ。
騎士とは農民を兵士にするような、各地から徴募する兵ではなく日頃から訓練を積んだプロの兵士。
騎兵と歩兵は訓練過程が別だが、訓練用の馬とはデストリエだけではなく移動用の馬とも信頼関係を築くことが大切である。
騎士学校に入って、順風満帆に騎士になれるものはいない。
騎士に仕え、補助をしてから本格的に主君を見つけて騎士となる。
騎士学校とは学びの場ではなく鎧というコレクションと、血筋というコネクションの確認の場。
パルフリー、ランシー……そしてデストリエ。騎士が乗るのはこの3種類の馬。
突撃のみにデストリエが使われるが、大柄で勇猛な軍馬であるデストリエは騎士を乗せて走り、突撃による攻撃で敵を蹴散らす。
パルフリーに乗る射手は、どの馬とも違う歩み方のおかげで平衡状態を保ち、非常に安定した射撃を実現する。
曲がりながら、もしくは走りながらの射撃で、10発の矢のみを持ち、3発ほど的に射てることができる者のみが騎兵射手となれる。
ゴブリン相手にこのような精鋭を使うのはさまざまな理由がある。
メンツを傷だらけにされた侯爵は、伯爵の不備である魔物の脱走という点に対して、『殲滅以外の結果を私に伝えるな』ということを公爵に念押しした。
いくら戦略的にパートナーであろうとも自らの信頼、ひいては名誉の源である信用というものをぶち壊した伯爵の責任は、その越権行為を見過ごし、止められなかった公爵にある。
これらは当然の結果であるが……伯爵が、侯爵によって公然の前で罵声を浴びせられるほど激怒されるに足るものだ。
自らの家門を汚す者は当主としてもあまりに不適格であり、この後に病による静養として塔の上で過ごす事になるだろう。
さて、そんなことはさておき、前方の森からは……灰色の肉体を持つ、不気味な存在が見え始めていた。
スーザンが馬に乗った伝令からその報告を聞くと、太鼓を2度鳴らした。すると、即座にバグパイプの音が鳴り響いた。
それに呼応するようにデストリエに乗り換え終わっていた兵士たちは、突撃を開始した。
敵は装備もなく、ただのぼろきれのような有様。
武器もなく、石ころを投げてくるだけでは騎馬突撃を防ぐことなどできはしなかった。
ポカポカと照らす春の太陽は、この駆除を見届けた。
森林の奥深くに歩兵部隊が走り出し、鎧を着込んで、『剣』を取り出した。
打撃用の、四角錐の形状の剣。
元は治安維持のために平時の騎馬兵が装備していたものだが、この真の用途は敵の排除にあらず。
鉄の装備を歪ませ、衝撃を伝えるものだ。
これが標準化されてから衝撃吸収という観点が鎧に生まれたという古代の武器は、しかし鎧を着ていない者にも極めて有効打となる。
「これで、11匹目!」
1人の騎馬兵が鎖で繋がった、延長された持ち手を持って振り回す。
片手でも遠心力で破壊力を齎し、非殺傷武器から一変して頭蓋を砕けるほどの威力を発揮するようになる。
四角錐という角の多い形状ゆえ、一点に集中した応力は大腿骨をも容易く骨折へと導ける。
対人戦において禁止されたその武器こそが魔物においては最もよく使われる武器へとなった。
あまりの衝撃で骨が動くことで頭が変形し、頭に強く打ち付けられた武器によって即死させられるゴブリンたち。
これこそが常備軍の武力。
これこそが公爵の兵と、侯爵の武器が結びついた最も恐ろしい結実である。
そんな風景も周囲に広がり、濃密な血の香りが辺りに満ちる。だから禁止された武器であるのだ。
死後の名誉を傷だらけにする、人が天の国に帰ることのできなくなる武器とされた理由はここにある。
「はあ、つまらない。もう戦いは終わりかあ」
騎士が独り言を言うが、このような不満は公爵の兵によくあった。
常備軍が治安維持の用途以外にほとんどないが故に、騎士は公爵の下で動く以上、対人戦などしかやったことがない。魔物など、とうの昔に駆除されている。
しかし、対魔物戦、対人戦において極めて優れる侯爵の常備軍を混ぜるとどうなるか。
結果としては公爵の常備軍が経験を積むまでもなく、侯爵の軍がとてつもない速度でゴブリンを殲滅した。
誤射の危険により結局、撃つことは無かったが……撃たないに越したことはない。
至近距離でクロスボウ兵が撃つなんてことがあるのは総崩れのような敗北の時のみ。
侯爵や公爵は、農民兵を主体にした騎士の給金維持の費用が払えないほどケチな領主でもなければ、無策で突撃させるような司令官ではない。
クロスボウの端には大きな滑車が2つ、その滑車の斜め方向に小さな滑車を2つ。
この新型クロスボウは、異民族や異種族との戦争において革命的なものだ。
ボルトを簡単に保持し、クランクを回し、レバーを引いて人間では引けないような張力でボルトを放てる。
こうした最新兵器、クロスボウの改良や組織的な運用が戦場での勝敗を決定付けるのだ。
「暇で暇で仕方がない。馬より早いとかどうなってるんだ侯爵の兵は」
入り組んだ林は、伐採がごく稀にしか行われない。
コルクの木は樹皮を剥がすと半永久的に再利用できるからであり、1本の木でも失うと損失は著しく大きい。
だからこそ徐行運転をしなければならないが……せっかく、デストリエに乗ったのに、突撃ができないと公爵の兵は不満を漏らした。
(御前試合や大会では勝率は50:50といったところだが、実戦となると侯爵の兵はこうも強い。)
(それはそれとして暇すぎる。西方からの異民族とか来ないかな?立地的に来ないだろうけど。)
(それにしても早過ぎないか?本当に馬より早い。)
はるか遠くにいるのだろうが、視認ができない。
本当にいるのかどうかわからないが、死体が転がっているので居るのだろう。
■
「火を放ちなさい。さすれば、即座に死ぬでしょう」
洞窟内のゴブリンは窮地に陥った。外縁部のゴブリンは敵襲に会い、即死した。
その光景を見たゴブリンはとっさに走り出したが、逃げても逃げても足音がして、完全に包囲されている。
そのゴブリンはネストホームに命からがら辿り着いたが、それのせいで仲間は窮地に陥った。
窮地。それは完全包囲のことだ。
もはや出入口は全て封鎖されており、戦々恐々としながら震える。
しかし冷酷。冷酷な侯爵の兵は、火を放った───────!
特別な油を染み込ませた草束を、洞窟内に大量に投げ入れる。
辺りは即座に煙で満たされ、燻される。
逃亡しようとしたところで槍が突きつけられ、そのまま刺さって死亡。
逃亡しようとしたところでクロスボウのボルトが突き刺さり、背後の仲間を2人ほどまとめて仕留められて死亡、
クロスボウのボルトは事実上の直線貫通攻撃だ。
弾道落下が150mからという驚異的な記録は、何を意味するのか。
中距離から洞窟の入口に向かって次々と、油の入ったガラスの容器が投げ入れられる。
くすんだ白っぽいガラス瓶。
それは失敗作であり、経済的な価値はとても少ない。
製法が広まりさえすれば日用品も粗悪品と見なされ、鮮やかな釉薬など一切使わず、色の入っていないガラス瓶は無価値。
それを買取り、火炎瓶として……ガラス瓶を携えた兵士が洞窟内に向かい、現在は使われている。
その時、銅鑼の音と、それに続いてバグパイプの音が鳴った。
一定距離まで後退せよ。槍を構えよ。
という意味であり、楽器という音の情報優位性を完全に握っている軍隊は統一された動きを見せている。
ゴブリンは、この地からあと数刻ほどで完全に消えることとなるだろう。
削り出された金属のクロスボウは、弦までもが金属。人間では引っ張ることのできない弦だが、張力を生み出すためにクランクが付いている。
そして、威力の源たる滑車が2重になっているということはどういう事かと言うと、クロスボウの倍以上の火力を生み出すことができるということだ。
長弓よりコストは非常に重く、また人に使うにはあまりに名誉が無く、教会から名指しでクロスボウが規制されることになった原因でもある。
しかし7mmにも及ぶ板金鎧を、正面から貫通した威力。
7mmというのは重装歩兵の中でも非常に分厚く、動くのがやっとな鎧だ。もはや装着したら、2m上から着地しただけで重みで骨折し、そのまま死んでしまうだろう。
古代の貴族の金の消費先は鎧だったが、その当時の最も分厚い鎧でさえ貫通した。
天秤で同じ重さと確かめ、その矢を使って長弓で撃てども、それほどの火力は人力には出せない。
なぜなら長距離用と近距離用で矢が別であり、比較することが出来なかったからだ。
矢も金属、的も金属。そんな状況で、長弓を至近距離で撃つなどということは非常に危険であり、熟練した弓使いを失いたくないため、鋼鉄のボルトで撃ったのはたった1度だけだった。
しかしクロスボウはどうか。
誰でも回転という動作はできる。つまり、武勇や名誉に関係なく破壊力を出力することができた。
試しに鮭を木の板に釘で磔にし、撃ったところ……
なんと木の板までも容易く貫通して地面にめり込み、魚は盛大に爆発するようにして破裂した。
クランクは5つのギアに接続されており、比率によって回転力を倍増させた。
625回のクランクの回転を必要とするが、連射が効かなくとも一撃の威力においては最強だ。
そして、レバーを取り付ければ、装填中でもレバーに触れなければ撃つことがないという究極の安全を実現でき、力を込めなくとも保持することができる。
この戦術的優位は非常に大きく、ゴブリンを壊滅させた。
槍よりも弓、弓よりもクロスボウと、武器の進化は鎧を貫通する方向性に進化し続けてきた。
しかしこの滑車式クロスボウの登場でどんな鎧も貫けてしまうようになってしまった。
当然ながら……そんなものを、人に使うとおぞましい結果となる。
しかし魔物ならどうか。
魔物は、人に似せて神の使徒を僭称する悪魔が作ったおぞましき生命。
この世を冒涜する、人間の敵だ。
魔物相手ならば教会も満足して許可を出す。
こうした経緯で禁止武器、クロスボウを持ち込んだ。
長弓を横に倒したようなそのクロスボウは、全くもって小型ではない。
反った金属板で弓となり、鋼の縄は螺旋の形で弦となる。
滑車は位置を延長線上ではなく斜めにずらし、弦の引き切り距離を延長する。
これでも小型になった方だ。そもそもとしてこのクロスボウは城を守る兵器を歩兵に持たせるため、小型化したもの。
相当なサイズダウンで威力も大幅に減少しているが、それでもかなり強い威力を発揮する。
本家のバリスタは櫓を破壊できる威力を発揮していて、あまりの衝撃力ゆえにバリスタの攻撃を前提とした城内における高所建造物の禁止など、近代の城ではこのようなことが起こっている。
現代における戦争とは名誉ある者同士が戦う外交の手段ではなく、戦争を目的とした戦争が行われている。
悲しいことだが、教会も魔物を倒し、人類種を守るために武器を必要としている。
戦争というものは神の代理人たる教皇が承認したり、その地を治めている領主が認めて行われる正々堂々としたものだったが、
騒乱が安定し、武器が進化するにつれて人々は種族を同じとしていながらも争うようになってしまった。