秋も深まり、寒風が身を刺すように吹き付けるある日の事。結ヶ丘高等学校、旧校舎最上階の一室にて、三人の少女が集まっていた。それぞれを結ぶと、三角形になるように身を寄せ合っている少女達。
「かのん先輩、すみれ先輩。今日は私の呼びかけに応じてくれてありがとうございます」
その頂点の一角、
彼女達3人は皆、この結ヶ丘が誇るスクールアイドル『
「今日は、お二人に見せたいものがあって」
そんな密会の発起人である四季は、そう続けて自身のスクールバックの中をまさぐり始める。その“見せたいもの”やらがこの密会が開かれるに至った原因であろう。一体どんな代物が出てくるのやら、とかのんはゴクリとツバを飲む。すみれも表向きは飄々とした姿勢を崩さなかったが、内心では緊張を抱えていた。
「あった……これです」
鬼が出るか蛇が出るかと身構えていたが果たして、出てきたのは手の平に収まる程度の小瓶であった。その中には桃色の液体が揺らめいており、わずかに光を放っている。この若菜四季という少女、趣味で理化学に精通しており、時折電子機器や薬品等を自作していた。
「ふぅん……で、なんなのよそれ」
これまでも何度か四季が自身の“作品”を見せてくる事はあったので、すみれはさして驚くわけでもなく、淡々と尋ねる。その言葉を待ってましたと言わんばかりに、四季はその程良く艶の乗った唇から、自分の掌に乗った液体の正体を告げる。
「ケモ耳が生えてくる薬です」
「またとんでもないもんを……」
四季の“作品”は、大抵が趣味どころか常識の範疇を超えたものであった。すみれも最初は「そんなのありえないでしょ!?」と驚愕を露わにしていたが、いつの間にか驚く事はなくなっていた。慣れとは恐ろしい物である。
「しかも、飲んだ人の記憶や性格を自動で解析して“その人に1番似合うケモ耳”が生えてきます」
「す、凄いねぇ……」
かのんの口から感嘆が漏れる。かのんもまた、彼女が作成した数多の発明・薬品によって驚くという感覚が麻痺している一員であった。2人の反応がお気に召したのか、四季の表情は先程より幾分か誇らしげであった。四季は、先が細くなっている小瓶の口の方を持ち、ゆらゆらと中の液体を揺らしながら続けた。
「ただ、少し気をつけなきゃいけない点があって。希釈して飲まないと……身も心も獣になってしまいます」
「劇薬じゃないの」
「大丈夫、約4、5時間で元に戻ります」
「そんな事、どうやってわかったの?」
「
「あぁ……」
その名前を耳にして、妙に納得した表情を見せるかのんとすみれ。今し方四季の口から名前が出た夏美……
「でも、大丈夫だったの? あんまり夏美を弄ってたら、
「大丈夫。冬毬ちゃんが正確なデータを送ってくれたお陰で実験も早く進んだ」
「共犯者だった」
四季が薬品の持っていない、もう片方の手でスマホを操作してとあるファイルを開く。そこには、被験者……夏美の状態について子細に書かれたレポートが表示されており、きっかり1時間毎に提出されているそれら全てに、同じ人物のサインが書かれていた。鬼塚冬毬……夏美の妹にして同じくLiella!の一員。彼女はどうやら、正しい意味で四季の共同研究者だったらしい。
四季が1枚のレポートを拡大する。そのレポートには写真も添えられており、そこには兎の垂れ耳をぶら下げた夏美が映っていた。四季がスマホを操作してレポートをめくる度に、段々不機嫌だった夏美の顔は自然といつもの調子を取り戻しており、仕舞いにはいつも通り自撮り棒片手にカメラを回していた。
「ここまでが、5倍ぐらいに希釈した薬を飲んだ状態。そしてこっちが、ストレートで飲んだ状態」
四季がスマホを操作し、再びかのんとすみれに画面を向ける。そこに表示されていたのは、30cm程度の大きさの兎の写真だった。毛並みは金から徐々に桃色へとグラデーションがかかっており、よく見慣れた夏美の髪の毛を想起させるものだった。
「この状態になってから4、5時間後ぐらいに、夏美ちゃんは元の姿に戻った」
四季がスマホを操作すると、冬毬にニンジンを与えられている夏美の写真が表示される。普通の兎のように四足歩行ではなく、ペタンと床に座りながら両手でニンジンを頬張っていた。
「こんな感じで、この薬の効果については充分に分かってくれましたか」
「うん。まぁ、四季ちゃんが凄いのはわかったし、その薬も本当なんだろうけど……」
「それをわざわざ私達に見せびらかして、一体何のつもりかしら?」
すみれがそう尋ねると、四季の表情が変わる。その質問の答えこそが、今回四季がこの二人を集めた理由であった。
「……
『音ちゃん』。その単語が四季の口から紡がれた瞬間、2人の身体がピクリと跳ねる。先程まで恐る恐る四季の話を聞いていた2人のオーラが、明らかに変わった気配が感じ取れた。
たった今名前が出てきた音ちゃん……
以前、音羽と同じクラスの友人が「どうして音羽は“サポーター”を名乗っているのか?」と問いかけた事がある。それに対して音羽は「”サポーター”の方が、一言聞いただけでみんなを助ける存在だってわかるから」と応えていた。もう一人のLiella!のメンバーでありつつ、音羽が”サポーター”を自称し続ける理由。それは、主役はステージに立つ彼女達であり、自分は裏からLiella!を支える存在でありたいからという、音羽なりの矜持であった。もっとも、その場にいた別の友人が「サポーターもマネージャーも同じ意味だ」と指摘した所、音羽は少し困った顔をして「サポーターの方が響きが可愛いよね」と返していた。音羽にとって呼称はさして執着するべきものではなく、大事なのは自らの行動そのものである。どう呼ぶにせよ、音羽は最早Liella!にとっては欠かせない、縁の下の大黒柱だ。そして、そんな”彼”に並々なる想いを寄せる人間は、少なくなかった。
そう。今この部室に集まっている三人は、Liella!の黒一点である音羽に対して恋心を抱いているという共通点があった。最も、その事実はお互い認知しており、Liella!の女子面子にも公表している。彼女達も一介の女子高生。ステージを降りれば想い人の為に奔走し、ライバルと互いにしのぎを削り合う。立派な恋する乙女達なのだ。
「まぁ、この面子だしおとちゃん絡みの話だよね」
「そうね。薬が出てきた時点で音羽か私達が飲むって察しがついたし……勿体ぶらなくても、早く言えばよかったのに」
かのんもすみれも、このメンバーで集まった時点で大方音羽絡みの話である事は察しがついていたらしい。事実、この三人は日頃から集まって一緒にいる事が多く、大抵は音羽絡みの話題が展開されていた。ライバルと言えども同じ”好き”を共有する同士、ある種の友情が生まれていたのだ。
「ごめんなさい。一研究者として、自分の成果はキチンと発表したかった」
「真面目ったら真面目か」
「それでそれで、おとちゃんにそのお薬を飲ませるんだよね? お願いしたら飲んでくれるかな?」
かのんは、自然と芽生えていた疑問を四季に投げかけていた。音羽は良心の擬人化のような人物だ。他者の為に自らの能力を奮う事を至上とし、それに対する見返りも殆ど求めた事はない。頼まれごとは二つ返事で引き受けるので、むしろ断らせる事の方が難しい。さらにはメンバーの困りごとや悩みごと、欲しいものを察知し、頼まれる前に解決策をお出しする事もあった。
以前メンバーの一人が練習終わりに「クッキー食べたいっす」と不意に漏らした事がある。Liella!のおやつがクッキーになったのは、その発言があった次の日の出来事であった。それを聞いた音羽の同級生は「パシリみたいだ」と指摘したが、音羽は「みんなと一緒に食べられる事が嬉しいから、そう思った事はないかな」と返していた。指摘した本人、並びにその場にいた数名の男子生徒は悔し涙に溺れたらしい。
閑話休題。このように、音羽の善良エピソードは枚挙に暇がない。そんな音羽であっても、ケモ耳などという得体の知れないモノが自身に生えてくる薬を飲めと言われたら、流石に断るのではないか。そう心配しての、かのんの質問であった。しかし、四季はその質問を予期していたのか、かのんの言葉に対して首を横に振り、その後言葉を詰まらせる様子もなく応えた。
「音ちゃんの飲み物に盛ります」
概ね心を許している人物、ましてや想いを寄せているその人に対する手段とは思えなかった。その返答に、思わずかのんとすみれが眉をひそめる。
「四季ちゃん? 流石にそれはちょっと……」
「そうよ。倫理的にヤバいでしょ」
「でも、これが一番確実ですし……お二人も、気になりますよね? 音ちゃんにどんなケモ耳が生えるのか」
その言葉に、かのんとすみれはゴクリ、と唾を飲む。
「きっ……気になる……よ? 気になる、けど……」
唾と一緒に、四季に対する忠言まで飲み込んでしまったのか、かのんの言葉はしどろもどろであった。
「きっと……否。絶対可愛い。嗚呼、音ちゃん。どんなケモ耳が生えてくるのでしょう。猫耳? いや、どちらかと言うと犬耳でしょうか。犬種は何でしょうか? 柴犬? パピヨン?」
「わっ……私は、ゴールデンレトリバーだと思う。おとちゃんにピッタリだと思わない?」
「なるほど……流石かのん先輩。そんな音ちゃんの犬耳……”絶対”見たいですよね?」
かのんの心の揺らぎに、四季はすかさず甘言を注ぎ込む。
「でも、お願いして断られたら、犬耳音ちゃんが見られないかもしれないんですよ?」
「そっ、そんなぁ……」
「そんなのイヤですよね? ピーマンを食べたくない子供にピーマンを食べさせるには、何も言わずにハンバーグに混ぜ込む。定石ですよね? 原理はそれと一緒です」
「たっ、確かに! じゃ、じゃあ……」
天使の福音に見せかけた、悪魔の誘惑。かのんはあっさりと四季の言葉に籠絡され、悪魔が差し出した契約書に印を押そうと──ー。
「いやいやいや! ダメでしょ、ダメったらダメ! かのん、戻ってきなさい!」
その時、冷静な判断で
「どうしてですか……すみれ先輩も賛成してくれると思ってたのに」
「ダメよ! 音羽に許可なく薬なんて飲ませられないわ」
「でも、すみれ先輩も犬耳音ちゃん……」
「ぐぬっ……で、でも……事後報告するカップルは長続きしないって……」
「すみれちゃん、まだ付き合ってるわけじゃないでしょ」
一瞬揺らぎを見せるすみれ。先日ファッション雑誌で囓った情報を碇にして留まろうとするが、かのんからごもっともな指摘が入る。そんなかのんのツッコミは、すみれの怒りを点火させるのに充分であった。
「それはお互い様でしょうがー!? ああ、もう! こうなったら力尽くでも回収してやるわ!」
そう言うが否や、すみれは四季の手に握られた小瓶に向かって手を伸ばす。四季は不意の攻撃に目を見開くが、咄嗟に上体を捻ってすみれの攻撃を躱す。薬品の小瓶も上に掲げて、簡単には取られないようにしていた。
「ちょっと、すみれ先輩。薬の近くで暴れないで……」
「渡しなさいったら渡しなさい! 音羽には私から頼んでやるんだからっ!」
一度避けられてしまったすみれだが、返す刀で再び四季に向かって突撃する。迎撃態勢を取る四季。すみれが手を伸ばしたタイミングで、四季は再びヒラリと攻撃をかわし、体勢を立て直そうとするが……次の瞬間。勢い余って小瓶が四季の手からすっぽ抜けてしまった。
「あ」
三人の拍子抜けた声が重なるその時には、小瓶は放物線のその頂点をとっくに通過しており、そのまま下降した末に床に激突した。固い床、脆いガラスの小瓶の2つがぶつかればどうなるかは明らかであった。小瓶は粉々に砕け散り、次の瞬間。内部の薬品がカッと光ったかと思うと小爆発を起こしたのだ。
「なんでそうなるのよー!?」
すみれの悲痛な叫びが響くと同時に、部室内に薬品と同じピンクの煙が充満する。煙が晴れたその時には、三人の少女の姿は見えなくなっていた……
***
「はよーっす」
午前8時、15分前。結ヶ丘高等学校スクールアイドル部の部室のドアが開く。部室の中に放たれた挨拶は、しかし誰にも返される事なく霧散した。
「あれ、私が一番最初か……」
側頭部のお団子から伸びた触覚を揺らしながら、その人物……
「ったくよ、今日は四季も先に行っちゃうし……」
ブツブツと独りごちながら、部室の奥へ奥へと歩みを進める。その時だった。ふと目線の先に、3つ固まった椅子……そして、その側で重なっている布の塊があった。
「……? 制服、だよな」
紺と灰、その奥に微かに見える白のブラウスは、今しがた自分が纏っているモノと全く同色。それが結ヶ丘の制服である事はすぐに察しが付いた。しかしメイの知る限り、部にはこのように脱いだ服を乱雑に……ましてや床に散らかしてそのまま放置するような人物は存在しない。メイは、その違和感の根源へと誘われるかのように一歩、一歩と歩みを進める。近づくと、布の山が何やらもぞもぞと動いているのがわかるようになった。
「ひっ……な、何かいるのか?」
そして、メイとその布の山との距離が、1mを切った時。
「フシャーッ!」
「うわああああああ!?!?!?」
そこから、青色の”何か”が射出された。メイは自らに向かって飛んできたそれを避けようと仰け反り、尻餅をついてしまう。
「っづ!? いって~……」
幸い大きな怪我はなかったものの、床と激突した臀部がジリジリと痛んだ。メイがその部分をさすっていると、室内を飛び回っていた青い跳弾が、シュタッと自分のすぐ側に降り立った。
「にゃふ」
「なんだお前……?」
メイは、その声の出所……青い塊を凝視する。ネコだ。しかし、その毛並みは白でも黒でも、三毛でもない。青いネコ。体躯は30cm程度だろうか。そして、その特徴的な青い毛並みは真っ白な白衣に覆われていた。その特徴的な青い毛並み、そしてヒラヒラとはためく白衣……やけに見覚えがあった。いつも、隣で見ていたような……
「ホーッ!」
「今度はなんだ!?」
あと一歩、喉元まで答えが出てきたが、それを唐突にかき消す声が。声の出所は、今目の前に座っている青ネコと一緒、布の山からだった。続いて射出されたオレンジの塊は、その高度を保ったまま、空中でグルグルと旋回し始めた。
「フクロウ、か……?」
丸々とふっくらしたフォルムに、丸々とした頭。翼をはためかせ、部室の真ん中にあった机にゆっくりと着地する。そして、これまた丸々としたお目々をパチパチ瞬いたかと思うと、「ホッ?」と首を傾げた。その出で立ちは、どこからどう見ても立派なフクロウだ。その艶やかなマリーゴールド色の羽毛も、また見覚えのあるものだった。しかし、彼女の中に生まれたその結論は、あまりにも突拍子がなさすぎて。とても現実として受け入れ難いモノだった。
「おはようございますのー!」
「おはようございます。おや、メイ先輩。と……」
メイが不可解な現実から目を背けようとしていると、新たな来客が。夏美と冬毬……鬼塚姉妹だった。姉妹もまた、机の上のフクロウ、メイの側に座っているネコの姿に気づく。その二匹を見て、一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに何事もないかのような表情に戻って口を開いた。
「大方かのん先輩と四季先輩ですか。先日の薬が誤爆でもしたのでしょうか」
「薬って……あ! この前私に飲ませたやつですの!?」
「えぇ。姉者は後半部分を覚えていないでしょうが」
当然のように、目の前の謎生物達をかのんと四季だと断定し、どうしてこうなったかまでをスラスラと教えてくれた。
「……まぁ、そうだよな」
そう。メイの知る限り、Liella!の人間でこんな奇怪な出来事を起こせるのは、いつも隣にいる相棒だけであった。これまでも何度大変な目に付き合わされてきた事か。実のところ、”また四季が何かやらかしたんじゃないか”と思っていたが、今回もそれが当たっていたらしい。
「こっちは一応、毎回心配してやってるんだから。あんまり変な事すんなよ」
青ネコ……改め四季ネコを抱きかかえながら、メイは優しい口調で語りかける。そんなメイの言葉に、四季ネコはゴロゴロと喉を鳴らした。それがメイの言葉に対する返答なのかはわからなかったが、四季ネコのあまりにお気楽な様子に、思わずメイは笑みを浮かべたのであった。
***
しばらくして、部室に大体の『Liella』メンバーが揃った。いつもであれば、このまま制服から運動着に着替えて練習開始……となるが、メンバーの内約2名も動物になっているというこの状況で、いつも通りというわけにはいかなかった。
「それで、冬毬ちゃん。かのんちゃんと四季ちゃんが動物になったって言ってたけど……」
部長である
「最近、四季先輩はケモ耳が生えてくる薬を研究していたのですが、どうやらそれが暴発してしまったみたいです。近くに砕けたガラス瓶があったので、何かの拍子に落としてしまった薬が気化して、それを吸ってしまったのでしょう」
「……まぁ、四季ちゃんだよね。こんな事ができるの」
四季の名前が出てきた途端、納得した表情を見せる一同。これぞ、四季のブランド力であった。
「以前、四季先輩に頼まれて姉者で治験を行ったのですが……」
「私は同意していませんでしたの」
「どうやら、薬の希釈度によってケモ度合いが変わるようです。このケースですと、かのん先輩と四季先輩は完全にケモ化してますし……ほぼ原液を摂取したと見て間違いないでしょう。幸い、4,5時間程度立てば元に戻るので、然程問題ではありませんが」
「問題ない事はないだろ」
「うーん……今日は一日全体練習の予定だったけど、午前中は個人練にするしかないかな?」
机の上で寝転がる四季ネコと、毛繕いをしているかのんフクロウを見て千砂都がそう呟く。そんな時、部室のドアの開く音が、新たな来客の存在を告げた。
「失礼するっす~」
「申し訳ありません、生徒会室に用事があったもので……」
きな
「ごめんね、みんな。すぐに練習の準備するからちょっとだけ待ってて」
恋の後に続いて、ドアの隙間から出てきた人物。夕凪色の髪に、同じ夕凪色の瞳。その顔立ちと可憐な声は、一見すると女子と見紛ってしまうだろう。だがしかし、長い丈の制服のズボンと、胸元で結ばれた赤いネクタイが、その人物の性別を主張していた。そう、彼こそがLiella!のスーパーサポーター、東音羽である。そして、そんな音羽が眉を下げて謝罪を述べながら部室に入ってきた瞬間。
「……ニャ!」
「ホーッ!」
それまで気ままな姿勢を見せていた二匹の獣が、突然音羽に向かってそれぞれ疾走・飛翔し始めた。一方、狙いを定められた音羽はたまったものではない。
「うわあああぁぁぁ!?」
突如自分に向かって飛んできた謎物体から逃げようと、悲鳴を上げながら後ずさる。だがしかし、部室に入ってきてすぐの音羽の後ろには、扉。ゴチンと背中のぶつかる音が、音羽に退路のない事を残酷に告げる。反射的に目を瞑る音羽。しかし、二つの弾丸は音羽に激突する事はなく……。
「……えっ?」
青い弾丸は自分の足元にシュタッと着地したかと思うと、その場に丸まってゴロゴロと喉を鳴らし始めた。そしてもう一体、橙の方は自分の頭の上で減速したかと思うと、ゆっくりと頭の上に着地し、満足気に「ホッ」と鳴いた。当の音羽は困惑するばかり。
「え、えぇと……うん?」
「……流石と言ったところでしょうか。もはや、本能レベルに音羽さんへの好意が刻まれてるなんて」
「冬毬ちゃん?」
「音羽さん、驚かずに聞いてください。その子達は四季先輩とかのん先輩です」
「えぇ!?」
「実は……」
と、冬毬は音羽に向かって再三この状況を説明をした。四季の薬だと冬毬から聞いた瞬間、やはり音羽は納得したような表情を見せていた。
「そっかぁ、そんな事が……」
「なんでここの人達はサラッと受け入れられるのかしら」
「うーん、四季ちゃんなら有り得るし?
「ふふっ、そんな事もあったなぁ」
「久しぶりに昔の音羽くんと話せて嬉しかったですね」
「えぇ……」
感慨に浸り微笑んでいる千砂都と恋を見て、困惑するマルガレーテであった。
「それで……えっと、かのんちゃんと四季ちゃんがこんなだし、午前中は個人練に……」
四季ネコとかのんフクロウを見て、音羽は先の千砂都と同じ判断を下す。が、しかし。
「待つデス」
「くぅちゃん?」
そんな音羽に、待ったをかける存在が。
「皆サン、誰か忘れてないデスか」
「ん?誰かって……そういや、1、2……」
メイがひぃふぅみぃと、数を数え始める。今、部室にいるのは可可、千砂都、恋、きな子、メイ、夏美、マルガレーテ、冬毬、音羽の9人。それに加えてかのんフクロウと四季ネコの2匹。
「……あれ、すみれ先輩がいないじゃん。まだ来てないのか?」
「と、思ったのデスが。メッセージを送っても既読がつかなくて」
「そういえば。最近すみれ先輩も、かのんと四季先輩と一緒にいる事が多かったわよね」
マルガレーテの言葉に、一同の視線がが布の山の方に移動する。現場検証の為とノータッチで残されていた、制服の塊。その一角が、微かにモソモソと動いていた。一同が見守る中、それはようやっと姿を表した。
「す?」
ひょっこりと出てきたそれは、周りの様子を窺うように辺りをキョロキョロ見回したかと思うと、次の瞬間バランスを崩してすってんころりん。コロリコロリと布の山を転がり落ちていった。
「すー!?」
山の麓で仰向けになったかと思うと、脚をパタパタとさせる。どうやら、自力で起き上がれないらしい。その様相は、何かとすみれに因果として付きまとう”アレ”だった。
「すみれ先輩……っすよね?」
「……グソクムシじゃねぇか」
そう。日の光を受けて煌めく金と、特徴的な触覚。そして頭の天辺に据えられた赤いカチューシャはそのままに。丸っこい甲殻と短い脚。すみれは正真正銘、グソクムシになってしまっていた。
「いや、違うデス」
だがしかし。メイの言葉に、可可が待ったをかける。可可はグソクムシと化したすみれに歩み寄り、パタパタしていた彼女をそっと抱き上げた。
「くぅちゃん?」
「この子は言うなれば……グソすムシデス!」
可可は皆の方に向き直った後、声高らかに、抱きかかえたグソクムシを命名する。当の本グソクムシは、そんな可可の言葉に「す?」と首を傾げているように見えた。
「うぅ~、しゅみれ~。ようやく過去を受け入れられたのデスね~」
「す、す~!」
可可がすみれグソクムシ……改め、グソすムシに頬ずりする。抵抗する術のないグソすムシは、せめてもの抗議として脚をパタパタさせていたが、焼け石に水。やがて彼女は抵抗をやめ、脚を下ろしてしまった。
「よしっ! すみれちゃんの所在もわかった事だし……これから練習! ただ、最初のランニング以外は個人練習かな。おとくん、いいよね?」
「うん。この子達の面倒は僕が見てるね。部室にいるから、何かあったらいつでも声をかけに来て」
「音羽! グソすムシをよろしくお願いするデス」
可可はそう言って、音羽にグソすムシを託す。音羽の手の平の上に移動した瞬間、グソすムシはパタパタと触覚を揺らす。
「現金なヤツデス」
「ふふ。よろしくね、すみれちゃん」
「す!」
音羽の呼びかけに。グソすムシが元気に声を上げた。そんなグソすムシを見て、ふとメイが呟く。
「……いや、グソクムシって鳴かなくないか?」
しかしその呟きは誰に拾われる事もなく、ただ静かに霧散したのだった。
***
その後、Liella!のメンバー……人間面子は、校外でのランニングへと出掛けていった。平時であれば、音羽も皆の背中を見守りながらそれに追従する、所であるが……
「さて、と……面倒を見るとは言ったものの」
音羽は宣言通り、ケモ’s三人(匹)の面倒を見る為、彼女達と共に部室に残っていた。だがしかし、音羽……もとい東家は、ペットを飼った事がない。一応、幼馴染である恋の家でチビの面倒を一緒に見た事がある……ぐらいの経験はあったが、なけなしの経験則で動物と向き合うのは難しいだろう。2年、3年と彼女達と向き合ってきた音羽であったが、そんな音羽であっても、支えるべきメンバーが動物になってしまった時の対応策は想定していなかった。
机の上に整列した、かのんフクロウ、四季ネコ、そしてグソすムシ。いずれも何を考えているかわからない顔で音羽の事を見上げている。普段であれば、「どうしたの?」と尋ねて相手の話を聞きながら、表情の機微を観察して相手が何を求めているか……それが言葉であっても物的欲求であっても、音羽はそれを予測し、与える事が出来た。しかし、今の彼女達は物言わぬ獣。簡単な鳴き声を上げる事があっても、それを聞いただけで彼女達の一も十も理解するというのは難題であろう。
「はぁ、こんな時にきなちゃんが居てくれればなぁ」
動物の言葉がわかると自負しているきな子であれば、この状況を打開出来ただろうか、と考える音羽。しかし、そのきな子はランニングの為に別行動。練習の邪魔にならない為にも、頼る選択肢は考えられなかった。
「うーん……取り敢えず、撫でてみようかな」
一頻り悩んだ後、音羽は取り敢えず彼女達を撫でてみる事にした。これと言った理由はなく、ふと恋がチビの事をワシャワシャとしてやっている光景を思い出したから……その情景の中で、チビは大層嬉しそうな表情をしていたからであった。早速、かのんフクロウの頭に手を伸ばす。モフモフの羽毛が、音羽の右手を出迎えた。
「わ、ふわふわだ……」
「ホッホー」
「……! 喜んでる、のかな?」
ここで、意外な収穫があった。かのんフクロウが発した鳴き声。鳴き声そのものからはやはり彼女の真意は見えないが、それに乗って”視える”色には、見覚えがあった。音羽が持つ共感覚……音の中に色を知覚する力は、彼女の鳴き声に乗った喜びの色を、確かに感じ取っていた。先程までは意識を傾けていなかったが、いざ集中して聞いてみれば、その鳴き声の中に人が発する色と何ら変わらないモノを視る事が出来たのだ。
音羽はもう一度、今度は首の辺りを撫でてみる。「ホーッ」と鳴いた声には、やはり喜びが色として現れていた。かのんフクロウの目を細めた表情は、心なしか満足気に感じる。自分の共感覚が、まさかこんな所でも役に立つとは。
「やっぱり! よしよ〜し、かのんちゃん。ここがいいんだね」
「ホッホー!」
その場で翼をパタパタとするかのんフクロウ。動物の姿になっているとはいえ、想い人から積極的にスキンシップを取られている。先程冬毬も言っていたが、本能に刻まれた想い人への好意はどうやら消えなかったらしい。かのんはこう見えて、狂喜乱舞しているのだ。
「にゃふ」
「わわ。四季ちゃんも撫でて欲しいのかな? ふふっ、よしよ~し」
「んなぁ~お」
音羽がかのんフクロウを撫でていると、四季ネコが間に割り込んできた。音羽はそんな四季のアゴの下を、もう片方の手でカリカリと掻いてやる。満足げに鳴く四季ネコの声に、音羽はまた喜びの色を感じ取ったのだった。
「すー! すー!」
そんな2匹を見て、間に挟まれたグソすムシは声を上げながらぽいんぽいんと飛び跳ねる。実はグソすムシ、体長がかのんフクロウや四季ネコよりも一回りも二回りも小さかった。僅か10cm程の全身を使って、自分も撫でて欲しいと主張する。彼女からすれば3倍近くあるかのんフクロウと四季ネコの体躯に阻まれ、すみれの願いは叶わず……と思いきや、そこは流石の音羽。かのんフクロウと四季ネコの頭から手を離し、その手を2体の間にズボッと突っ込み、彼女の望み通りその身体を掬い上げた。
「ふふっ。すみれちゃんかわいー」
「す!? すっ、す〜……」
音羽は指の腹で、グソすムシの頭を優しく撫でる。甲殻類の姿で果たして大丈夫なのかは不明だが、その頬がポッと赤く染まったような気がした。そう。先程から音羽はナチュラルに彼女達に「可愛い」と言葉をかけ、その頭を撫でてやっている。これを人間の姿に置き換えてみれば、どんな女子であっても一瞬で籠絡されてしまうのではないだろうか。最も、相手が人間の形をしていた場合、音羽にそんな大層な事が出来る胆力などない。そもそも、ここにいる三匹(人)は既に音羽にメロメロである。
「ホッホー!」
「ンナー!」
手の平に収まり、一心に音羽のナデナデを受け止めるグソすムシを見て、机の上から抗議の鳴き声が上がる。言わずもがな、かのんフクロウと四季ネコだ。
「も~……もっと広いスペースに行こっか。2人ともこっちおいで」
音羽はその手にグソすムシを抱え、ソファがあるスペースへと移動し、備え付けられていたソファに腰掛けた。かのんフクロウと四季ネコもそれに追従し、かのんフクロウはソファの背もたれ……丁度、音羽と視線が合う場所に。四季ネコは音羽の膝の上で丸くなる。
「ふふ、あったか〜い」
音羽は膝から来る四季ネコの温もりに、顔を綻ばせる。音羽はどちらかと言うと犬派であった。だがしかし、こうして膝で丸まる四季ネコを見てその温もりを感じていると、たまにはネコも良い物だと思うのであった。
***
「ただいま~!」
「ホッ!」
暫く音羽が三匹と戯れていると、千砂都達ランニング組が帰ってきた。千砂都の挨拶に、かのんフクロウが翼を上げて返す。
「あ、お帰り~」
「うわ、音羽の顔が蕩けてマス」
音羽もかのんフクロウに続いて皆を出迎えるが、膝で丸まっている四季ネコを撫でながらふにゃふにゃとした声で出迎えた彼の姿は、まるで実家からそのまま担いで運ばれてきたのではないか、というぐらいのリラックス度合いであった。
「久しぶりに見たなぁ、リラックスおとくん」
「ここの所、音羽くんはずっと忙しそうでしたもんね……」
そう。恋の言う通り、つい先日行われた地区予選までの過程で、音羽は膨大な作業をこなしていたのだった。さらに、音羽は今年3年生。1期生が卒業した後の『Liella!』の方針についてはまだ未定であったが、いずれにせよ自分が教えられるだけのノウハウは伝授しておく必要がある。そう考えた音羽は、空いた時間を見つけては、これまで自分がやってきた作業について後輩面子に教えを説いていたのだ。だからこそ、こうして心も体も弛緩しきった音羽が見られるのは、実に久々だった。モフモフを堪能しながら、不意に音羽がこぼす。
「えへへ、みんな可愛いなぁ」
「ホッ!?」
「ンニャ!?」
「す!?」
音羽の呟きを聞いた瞬間、たちまち赤面する三匹。
「……音羽がナチュラルに女子に可愛いって言ってマス」
「普段人間のみんなにも言えてたら、もっと”まる”だったけどなあ……」
そんな音羽を見て、彼に聞こえないようにボヤく
***
時は少し進んで、お昼前。自主練をしているメンバーが時々尋ねてくる意外は、相も変わらず音羽は三匹にナデナデを繰り返しており、そして三匹も心ゆくまで音羽の手の感触と温もりを堪能していた。しかし、突然四季ネコの様子がおかしくなってしまった。
「うにゃー……」
「あれ? どうしたの、四季ちゃん」
先程まで元気な声を上げていた四季ネコであったが、今しがた上げた鳴き声には、先程よりも芯が通っていなかった。音の変化に機敏な音羽は、すぐさま彼女の異変に気づいた。その声が少量孕む、悲哀の色。それが何か聞いただけでは見当も付かなかったが、すぐに答えがわかった。直後、音羽自身のお腹からグゥ、と気の抜けた音が鳴ったのだ。
「あ……そっか。四季ちゃん達もお腹空いちゃったのか。えっと……みんな、お弁当食べても平気なのかな?」
今日は1日練習。元々、3人も弁当を持参してきただろう。だがしかし、獣の身では口に入れられないメニューがあるのではないか。音羽は手元にあるスマホで検索を開始する。
「ネコちゃん……は、ネギ類がダメ。フクロウさんは……人間が食べるようなお肉がダメなんだ。グソクムシ……グソクムシって、逆に何食べてるの?」
音羽が手元のスマホと睨めっこをしていると、今しがた午前の練習を終えたメンバーが部室へと入ってきた。
「おすー……オトちゃん先輩、何調べてるんだ?」
「あ、みんな。んとね、グソクムシって何食べてるのかなって……」
「確かに。考えた事ねぇな……魚だよな?」
「クジラとか、生物の死骸を食べてるらしいっす。お刺身とかでいいんすかね?」
「す!」
そこで、本人(本グソクムシ)から返答があった。どうやら、いいらしい。
「えっと、じゃあ僕買ってこようかな……」
「す! すすすす!」
音羽がお使いを申し出たら、グソすムシから声が上がった。首(?)をブンブンと横に振っている。どうやらダメらしい。
「す、すみれちゃん。僕お買い物に……」
「す~……」
眉尻を下げる音羽に、グソすムシはスリスリと頬(?)ずりをする。行って欲しくない、とねだっているのだろうか。音羽は、まだ無い筈の父性が、トキメキで逆撫でされるのを感じていた。
「ん、んぅ……」
口元をもにょもにょとさせ、困ったような声を漏らす音羽。そんな音羽を見かねてか、可可が「ダハァ……」と盛大に溜息を漏らしながら、部室の出入り口に向かう。
「音羽! 可可がみんなのご飯を買ってくるデスから、面倒を見といてやってクダサイ!」
「え!? あ、うん!」
「全く、手のかかるグソクムシデス……」
「可可先輩、きな子もお供するっす。動物さんの餌の事なら、お任せっすよ!」
「お! 流石きなきな、頼りになるデスね~♡」
と、そんなやり取りもあり。頼れるきな子を引き連れ、可可はお使いへと出掛けていったのであった。
「すす~」
「ふふ、すみれさんは甘えん坊さんですね」
音羽の制服の胸ポケットに潜り込み、誇らしげに触覚をピョコピョコさせているグソすムシに、恋が微笑みかける。そして、その指をそっとグソすムシに伸ばして……
「す! すすすーっす!」
「がびーん! ど、どうしてですかぁ……?」
その直後、その指はグソすムシご自慢の金色ツヤツヤの触覚で思いっきり、ぺちりと叩かれた。
「こら、すみれちゃん?」
「す!? すすす……」
「えっと……冬毬ちゃん、何かわかる?」
一連の流れを見ていた千砂都が、冬毬に尋ねる。獣になった身内と共に過ごした事のある冬毬なら、何かわかるのではないだろうか。そう期待しての問いかけだった。冬毬はサッサとレポートを捲りながら、該当しそうなページを探し当てる。数瞬後、お目当てのページが見つかったのか、冬毬は指の動きを止めて画面に表示された文字列を読み上げる。
「ふんむ……そういえば、獣の姿になると本能に基づく行動が増えると、データにありますね。事実、姉者は兎の姿になった時、自分の部屋にあった500円玉貯金箱に飛びついていました」
「ぬわぁーんですと!?」
「夏美先輩……」
「せめてニンジンとかさぁ……そういうのであれよ……」
冬毬の口から述べられた事実に、夏美驚愕。そんな夏美を、冷ややかな視線で見つめるマルガレーテとメイであった。冬毬は咳払いをし、話を続ける。
「さて、すみれさんの場合ですが。自分をつが……両親から引き離そうとする存在から、身を護ろうとしたのです。早い話、恋先輩を天敵と見なしているのでしょう」
「天敵!? す、すみれさん、私をそのように……」
恋は冬毬が導き出した結論に、しょぼしょぼとその黒く棚引くポニーテールと一緒に萎れていた。
「ま、まぁまぁ恋ちゃん! すみれちゃんも、ちょっとビックリしちゃっただけだもんね」
「す!? す、すぅ……」
「ほら、すみれちゃん。恋ちゃんにごめんなさいして?」
「すすす……」
音羽はかかんで、恋の目線の先にグソすムシが来るような姿勢を取る。グソすムシは、申し訳なさげに触覚を揺らしながら、恋のおでこに触覚を伸ばす。
「う、うぅ。すみれさん、許してくださるのですかぁ」
許すも何も、恋は何も悪い事をしていない。むしろ謝っているのはグソすムシである。
「すす」
「うぅ、ありがとうございますぅ……」
グソすムシが恋のおでこを撫ではじめる。細かい所に整合性が取れていないような気がするが、これで乗り切れるのであればよいかとグソすムシ……すみれは割り切っていた。そうして、しばらく恋のおでこをなでりなでりとしていると、可可ときな子の二人がその手にランチをぶら下げて帰ってきた。
***
午前の練習を終了し、各々が部室で弁当をつつき始めた。そして、弁当を食べている音羽の側でも、可可から受け取ったランチに、三匹がそれぞれ口を突っ込んでいた。四季ネコは、紙皿に乗ったキャットフード。かのんフクロウは、カットされたウズラ。そしてグソすムシはマグロの刺身を、それぞれ口に運んでいる。
「くぅちゃん、きなちゃん、ありがとうね」
「いえいえ~。きなきなの知識がとっても助かったデス! んぅ~、きなきな偉いデスよ~」
「えへへ。可可先輩くすぐったいっすよ~」
「んなーご」
「ホッ、ホッホ!」
「す!」
三匹とも、どうやらきな子チョイスのランチはお気に召したらしい。満足そうな鳴き声に、音羽も顔を綻ばせる。そうして、三匹はあっという間に自分達のランチを平らげたのであった。平らげるや否や、四季ネコは音羽の膝の上で丸くなり、静かに寝息を立て始める。同様に、かのんフクロウも音羽の肩に止まったかと思うと、その目を閉じ、その身体を上下に揺らし始める。そして、グソすムシも。
「すー、すー!」
「ふふっ。すみれちゃんはここがいいんだよね」
音羽はグソすムシを持ち上げ、自分の胸ポケットに入れてやる。グソすムシは「す!」と満足げに鳴いた後、その目を閉じ、小さな体躯を音羽の身体に寄りかからせた。
「あはは……こんな調子じゃ、午後練もおとくんは三人が貸し切りかな?」
「ごめんね、みんな。練習出られなくて」
音羽が眉根を下げて、千砂都に詫びる。
「気にしないでっ! 最近、おとくんずっと頑張ってたでしょ? 少しぐらいはお休みしなきゃ!」
「千砂都ちゃん……」
「音羽くんは。私達の"サポーター"ですから。かのんさん達の事をずっと見守ってくださったのも、立派なお仕事ですよ?」
「恋ちゃん……えへへ、ありがとう」
千砂都、恋。二人のフォローに、音羽は顔を綻ばせ、礼を述べるのだった。
「ま、明日からおとくんだけじゃなくって、そこの三人にも練習の遅れを取り戻して貰うからね!」
「うんっ。勿論だよ」
「それじゃ、私達は午後練始めますか! みんな、行くよー!」
千砂都の号令に、後の面々も続く。音羽はそんな頼もしい部長の背中を見ながら、次第に瞼が重くなっていくのを感じていた。
「ふあ……お昼寝なんて、久し……ぶり……」
微睡みの中、音羽は三匹達を起こさないように、毛布をたぐり寄せる。毛布を被った音羽は、そのまま夢の世界へと旅立っていた。後僅かの時間で、三匹が元の姿に戻るという事を忘れたまま……。
***
「ん……」
かのんは、地肌を擦る柔らかな感触に目を覚ます。寝ぼけ眼を擦ろうと腕を上げようとするが、すぐ隣で座っていた人物の存在に、それを阻まれる。
「あれ……? かのん先輩……?」
かのんの隣にいた人物……四季もパチパチと目を瞬かせ、かのんの存在を認めた。
「なんで私、眠ってて……」
「確か、私の薬が暴発して……そこから記憶が……」
四季もかのんも、とても幸せな夢を見ていたような感覚だけが残っていて。それ以外を丸ごと夢の中に置いてきてしまったような。どうやら、ここ数時間の記憶が抜け落ちているようだ。
「ん……ふわぁ……」
そして、もう一人。未だ白昼夢の中にいる人物を挟んで、かのんの反対側にいる少女の口から欠伸が漏れる。
「すみれちゃん?」
「かのん? 私達、今まで何して……」
すみれが目をくしくしと擦り、かのんの方を見る。それと同時に、かのんと四季も欠伸がした方……すみれの方を見る。そして、気が付いた。かのんとすみれの間に挟まれたまま。未だに寝息を立てている自分達の想い人に。それから、もう一つ。自分達が一糸纏わぬ姿である事に。ごそり、と三人の身動ぎで毛布が剥がれると同時に、三人の裸体が晒された。
「ん……さむ……」
毛布が剥がれて外気に晒された所為か、音羽も目を覚ました。焦点の合わない瞳で、辺りを見回す。次第に開ける視界の中にあるのは、肌色の山。そして、その頂点にある桜色の……
「「「……いやあああああぁぁぁぁ──っ!!!」」」
音羽が"それ"の正体を認識するよりも早く。三つの悲鳴が結ヶ丘に響き渡った。耳元で放たれた大音量の絶叫と、それが持った混沌とうねる色の数々に、音羽は白昼夢から叩き落とされた。
「うわ!? あ、あれ? みんな、戻って……」
「おとちゃん、見ちゃだめぇーっ!!!」
「ぶぇ!?」
音羽の顔いっぱいに、クッションが叩きつけられる。
「かのんちゃん!?」
その騒ぎに、屋上で練習をしていた千砂都達もドタバタと部室に戻ってきた。そこで一同が目にしたのは。
「ダメっ! おとちゃん、ダメだからね! 絶対クッション外そうとしちゃダメだからね!」
「むぐ! うぐぐ~!!」
毛布を身体に巻き付けながら寄り集まるかのん、すみれ、四季。そのかのんの腕から伸びたクッションで顔面を押さえつけられたまま、ソファに磔になっている音羽の姿であった。
***
音羽は部室のど真ん中に正座させられていた。それを取り囲むのは、結ヶ丘の制服に身を包んだ三人の少女。言わずもがな、かのん、すみれ、四季の三人だ。かのんは未だ目尻に涙を浮かべており、すみれもその頬を朱に染めながらも、キッと睨んでいる。普段あまり表情を表に出さない四季ですら、その顔面が真っ赤に染まっていた。そうして、尋問が始まる。
「おとちゃん」
「はい」
「……見た?」
問答は、ただそれだけ。確かに見てしまった。はいと唱えれば、もう三人には二度と口を効いて貰えないかもしれない。しかし、音羽は嘘をつける性格ではなかった。どう答えても、詰み。
「……す」
「す!?」
その一文字に、すみれが反応する。音羽はびくり、と肩をふるわせながらも、その後に続く言葉を述べた。
「少し、だけ……ぼんやり……ホントに、偶然……でも、ごめん……」
嘘はつけないが、言い訳は出来てしまう自分が情けなかった。音羽は千砂都や可可、恋に助けを求める視線を送るが、今回ばかりは首を横に振られるのだった。
「……別に。おとちゃんがわざと見るような人じゃないってのはわかってるし」
「音ちゃん以外だったら、絶対に許してなかったけど」
「音羽だからまあ、ギリギリセーフ……」
三人が口をもごもごと動かす。許してくれるのか。こんな罪を被ってしまった自分を。
「でも、やっぱりダメなモノはダメったらダメ!」
一瞬芽生えた期待は、容赦無く摘み取られてしまった。
「ごめんなさいっ! 僕に出来る事だったら、なんだってするから!」
音羽は頭を地に伏せ、許しを請う。自分の行動で、犯した罪が赦されるとは思っていないが。それでも、自分ができる限りの贖罪を背負う覚悟であった。そんな音羽を見て、四季が口を開く。
「……元はと言えば、私の薬が暴発したのが原因。そもそも、あれは音ちゃんに飲ませるつもりだったし」
「え」
四季の口から飛び出た意外すぎる事実に、音羽は思わず顔を上げる。
「ちょ、四季!? あんた、それ言って」
「ううん。言うべき」
すみれの言葉を制し、四季は続ける。
「音ちゃんには、薬を薄めてケモ耳程度の効果が現われるようにするつもりだった。でも、その……音ちゃんには黙って、飲ませるつもりだったから。そのバチが、当たったんだと思う」
「あんた、それ言うんだったら……薬を落っことしちゃう原因になったのは、私だし……」
「そうなの?」
音羽の問いかけに、すみれは申し訳なさ気に口をつぐむ。沈黙は肯定、先程まで纏っていた許すまじ、のオーラはなりを潜めていた。四季の言葉を聞いて、考えを改めたのであろう。
「そ、それ言うんだったら! 私も、もっと先輩として四季ちゃんの事をちゃんと止めるべきだった」
三人の間にどのようなやり取りがあったか音羽は知る由もないが、それぞれ禍根が残るような何かがあったのだろう。
「だから、その……今回の事は、辿っていけば私達にも非がある。ごめんなさい」
そう言って、四季は音羽に頭を下げた。音羽は、予想外の展開に困ってしまう。
「で、でも……直接み、見ちゃったのは僕、なんだし……」
これでは、いつまで経っても押し問答であった。その気配を察知した千砂都が、パンと手を叩く。
「ほい! じゃあ今回はイーブンって事で。みんなそれでいい?」
「でも、やっぱり僕が……」
しかし、千砂都の提案に音羽は納得いかないようであった。
「うぅ~ん、ダメか……じゃあ、おとくんがかのんちゃん達のお願い事を、何でも一つ聞く。それでこの件は本当にチャラ! それならいい?」
「も、勿論!」
千砂都の言葉に、音羽は二つ返事で了承した。そのまま、かのん達へと視線を送って指示を待つ。困ったのはかのん達の方だ。いきなり、想い人が何でも言う事を聞いてくれるという垂涎のシチュエーションが降ってきても、いざとなると何もアイデアが出てこない。うんうんと一頻り唸った後、手を叩く音が。しかし、その音がしたのは可可の方からであった。
「そうダ! 音羽、さっきまで動物になったすみれ達の事、『かわいい~』って撫でてたじゃないデスか。あれをやるのはどうデスか!?」
「「「「え!?」」」」
可可の提案に驚きの声を上げたのは、音羽だけではなかった。獣だった頃の記憶がないすみれ達。まさか、その最中音羽が、自分達に「可愛い」と言い。あまつさえ撫でていたとは。それを覚えていないというのが、非常に残念だった。だがしかし、覚えていないのであれば、新たに記憶に刻み込めば良い。
「お、おとちゃん!」
「はいっ!?」
「是非……是非、お願いします!!」
「なっ、抜け駆けしてるんじゃないわよ! 音羽、私にも!」
「私も……」
先程まで平身低頭だった音羽の前に、今度はかのん達が正座し、頭を差し出す。その全身が「撫でろ」と音羽に向けて訴えかけていた。
「と、取り敢えずみんな。床からソファの方に移動しよっか。痛いだろうし……」
音羽が促し、皆でソファに移動する。音羽を挟んで、かのんとすみれ。そして、かのんの横に、少し不服そうな四季が腰掛ける。
「じゃ、おとちゃん。私の事撫でて?」
「う、うん」
音羽の手が、かのんの柔らかな頬に触れる。「んっ」と、一瞬甘い声を漏らし、かのんは音羽に頬ずりを始めた。
「か、かのんちゃん……」
「……言って」
「へっ?」
「……私の事、可愛いって言って」
その手に寄せた頬を朱に染め、上目遣いで音羽を見るかのん。そんなかのんの様相に、音羽の心拍数は加速する一方だ。
「っ……可愛いよ。かのんちゃんの事、いつも可愛いって思ってる」
「ふぁ……えへへ、おとちゃん……♡」
音羽は、気取った物言いなどというモノは出来なかった。だからこそ、ありのまま感じた言葉をかのんに伝える。しかし、そのありのまま、着飾らない言葉を伝えてくれる音羽こそが、かのんの愛してやまない、東音羽という男であった。
「お、と、は! かのんばっかり見てんじゃないわよ」
「う、うん。ほら、すみれちゃんも」
音羽はもう片方の手で、すみれの頭に手を添える。伝わってくる音羽の熱が、すみれの思考を歓喜で満たした。
「っ……足りない、わよ。音羽、もっと……」
普段から常に凜々しい表情を浮かべているすみれ。そんなすみれの、あどけない表情。音羽は、ギャップ萌えという言葉を知らない。だがしかし、今後ギャップ萌えという言葉の意味を知った時、真っ先に今の光景を思い出すだろう。
「可愛い。すみれちゃん、可愛い。綺麗なすみれちゃんも……その、素敵、だけど。可愛いすみれちゃんも……凄く、魅力的」
「……ふふ、合格ね♡」
そのまま、すみれは全身を音羽に預ける。かのんもそれを見るや否や、すみれに習って音羽の全身に身体をすり寄せた。
「音ちゃん……私の事も、忘れないで」
そのかのんのすぐそばでは、四季が頬を膨らませながら、音羽ににじり寄っていた。
「……大丈夫。四季ちゃんの事、片時も忘れた事なんてないよ」
音羽は、かのんの頭に置いてあった手を四季の頬に添える。
「音ちゃん……」
四季はその色艶の乗った唇で、蠱惑的な声で音羽の名を呼ぶ。
「可愛い。四季ちゃんも、可愛い。僕の……可愛い、後輩だよ」
音羽は、最早オーバーヒート寸前の思考を巡らせ、何とか言葉を紡ぎ出す。
「音ちゃん。私も……私にとっても、音ちゃんは凄く、素敵な先輩。出会えて、本当に幸せ」
音羽の言葉に、四季はそう返して身をすり寄せる。三人の少女に言い寄られ、すり寄られる音羽。本当は恥ずかしさで今にでも爆発してしまいそうだが、お願いを聞くと言った手前、彼女達を撫でる手を止められなかった。
「……なんか胸焼けしそうデス」
「提案したのは可可ちゃんでしょ」
そんな彼女達を見物している、残りのメンバー。予想以上の甘ったるさに、思わず顔が険しくなってしまうのだった。
「……これ、落ちないっすよね?」
「ええ。オチないわね」
「……練習、再開しますか」
恋の一声で、全員屋上に戻り始める。
「あ、夏美。お前オチ付けといてくれ」
「ぬわぁーんで!?」
「頼んだぞ、オチナッツ」
「しかもオチナッツが封じられましたの!!」
バタン、と屋上の扉が閉じる。部室に残されたのは、音羽と彼に甘える三人の少女。そして夏美と、
「姉者。しっかりビデオは回しています。決めてしまってください」
「ハードル上げないでくださいのー!」
夏美に向かってカメラを構える、冬毬だけであった。
「えぇー、それじゃ……コホン。えー、千砂都センパイのタコ焼きとかけまして、文の終わりと解きます」
「ずばり、その心は?」
「どちらも、まる(丸/。)が肝心ですのっ!」
「……」
「……」
「……音羽さんが主役ですから。音羽さんで締められたら満点だったかもしれません」
「あーん! 思いつかなかったんですのー!!!」
~おしまい~