別冊星達のミュージアム 第4号   作:苗根杏

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4作目は、度近亭心恋さんの作品です。
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春の匂い、彼の匂い。

 解かれることを望まない秘密だってあるさ。

 エドガー・アラン・ポー(1809~1849)

 

 ☆ ☆ ☆

 

 よりよい人生を送るために必要なのは、強い衝撃だ。

 

 平穏で変わり映えしない毎日は安定ではあるが、そこに怠惰を生む。

 

 そういう意味では澁谷かのんの人生は他の誰にも増して、〝よりよい人生〟であると言えた。

 歌が好きでそれを褒め称えられていた日々。そして、結ヶ丘の音楽科の受験での挫折。

 スクールアイドルとの出会い。Liella! の仲間達との出会い。

 

 そして何より、東音羽との出会いという、数々の〝強い衝撃〟が、毎日のようにかのんの人生には降りかかってきているのだから。

 

 しかしながら。

 

「最近は落ち着いてるよねえ。こう、安定感がある」

 

 いつもと変わらず透き通った春先の空を見上げながら、かのんはそう呟いていた。

 

「もうすぐ春休みで1年生としてはあとちょっと、だからなのかもだけど」

 

 ほぼほぼ消化試合のような3学期の残り数日のことを思いつつ、特に事件も驚きもないここのところの日々をかのんは噛みしめる。

 

 優勝できなかった悔しさは、勿論ある。その為に努力を重ねることも怠らない。

 

 だがそれはそれとして、だんだんと増してくる陽気にも似た穏やかな日々が続いているのは事実だった。

 

 月曜の今日の朝も、そんなつもりで今週一週間を過ごそうと……

 

「あっ……! その……! か、かのんちゃん。お、おはよう」

「え゛」

 

 ばったりと出くわした東音羽の姿を見て、かのんの口からそんな驚きの一文字が出たのも無理はなかった。なぜなら。

 

 音羽は……大きなマスクを着けていたのだ。

 

 まるで、一年前出会ったあの時のように。

 

「おとちゃん、それ」

「じゃ、じゃあ! 僕先に行くね!!」

 

 音羽は明らかにかのんを避けるようにしながら、焦って慣れていないダッシュをしながら学校へと向かっていった。

 

 急なことではあったが、かのんにはその背中が……物理的な距離よりも、ずっと遠くに感じられていた。

  

 ☆ ☆ ☆

  

「というわけで、昼休みだというのにみんなに急遽集まってもらったわけです。これはくさいよ。何かある」

 

 Sunny Passionに負けて二位になった時と同じくらい深刻な表情をしながら、かのんは集まったLiella! の四人を見回していた。

 

「大げさね」

 

 すみれは頬のあたりでくるくるとした自分の髪をいじりながら、呆れた調子でかのんを見る。

 

「アナタは音羽が心配ではナイのデスか!?」

 

 いつものごとく可可が食ってかかるが、すみれは少し視線をやった後すぐにそっぽを向く。

 

「よほどのこと、だよね……。また、昔みたいにマスクって。トラブルの匂いがする」

 

 千砂都は深刻な調子で、かのんに同調するように手短に現状を再確認して表情を固くした。

 

「音羽くん、もう吹っ切れたと思っていたのですが……また何かあったのでしょうか」

 

 年末の一件もそうだったが、幼馴染に何かが起こっているかもしれない。その事実と何もできていないし相談もない現状に、恋は自分の無力さを感じていた。

 

「ちぃちゃんの言う通り、『よほどのこと』だと思う。あの頃みたいに、マスクを着けてるってのは。授業中も何だか落ち着かない感じだったし」

 

 音羽が世間からの逃避として、壁として、その姿を選んだことをかのんはよく知っている。

 そしてまた〝それ〟を選んだというなら、何が何でもその原因を知りたいし取り除きたい、ちからになりたいというのがかのんの、いや、Liella! 全員の想いであった。

 

 何より、かのんは知っているのだ。

 逃げて自分の世界を閉ざすより、美しい世界に飛び込んでいく方が、きっと人生は楽しいと。

 

「というか」

 

 髪を弄るのをやめると、すみれは改めて全員を見た。

 

「音羽に聞けばいいじゃない。直接」

 

 すっとそのポケットから、スマホが取り出される。

 

「ってか私が聞くわよ、聞くったら聞く」

 

 LINEが開かれたところで、すみれの視界はぐわっと暗くなった。

 

「あ゛──っ待って待って待って!! ステイ!! ステ──イッ!!」

 

 かのんを筆頭に他の四人が、飛びかかってでもそれを止めようとしていたからだ。

 

「ちょっ……!! 離しなさいったら離しなさいよ!!」

「スマホをその手から離さないウチは離しまセン~~!! 離されたいなら離すことデス!!」

 

 ほぼ抱き着くような形で組みついた可可に、すみれはタップを繰り返している。

 

「はい取った!! すみれちゃんごめんスマホ取ったよ!!」

「ナイスちぃちゃん!!」

 

 その隙に手元の注意がおろそかになったのを確認した千砂都がすみれの手からスマホをひったくり、かのんは仮面ライダークウガもかくやのサムズアップをキメていた。

 

「……で、あんたはなにしてんの」

「可可さんでいっぱいになっているので後ろから失礼しています……」

 

 組みつこうとしたが可可に機先を制されて所在なげに後ろからちょっとすみれの脇腹に手を添えている恋の姿を見て、すみれはタップしながら呆れていた。

 

 一分後、やっと可可が離れて解放されたところですみれは吠えた。

 

「いきなり何すんのよあんたらは!」

「何すんのはこっちの台詞でしょ! いや聞く!? この状況で!? おとちゃんに、直で!? ダイレクト!? ストレート!? 直球!?」

「後半から野球!! だったらどうしろってのよ! 強引にでも聞かないと状況は変わんないでしょうが!」

 

 かのんの抗弁ももっともだがすみれの言うことも事実ではあった。いくら深刻とはいえ、まずは聞き出すこと、話すことから始めなければ現状は何も変わらない。

 

「今は……音羽くんが話してくれるのを待つべきなのではないでしょうか……!」

 

 恋が必死に絞り出すように声をあげた。その調子に、一同は深く押し黙ってしまう。

 

「おとちゃん……」

 

 かのんの発した声は、虚空にむなしく溶けていった。

  

 ☆ ☆ ☆

  

 同時刻、昼休み。

 

「どうする? どうする? どうする? 美麗さんならどうする?」

「デンジマンね」

「じゃなくて」

「わかってるわよ。ごめんなさいね、音羽ちゃんがそんなに悩むことになるとは思わなくて」

 

 マスク姿でうなだれて教室の机で頭を抱える音羽を美麗は振り返って見ながら、改めて現状にどうするべきかと考えていた。

 

「美麗さんのせいじゃないよ……。僕個人の問題だから。美味しかったのは事実だし」

「嬉しいこと言ってくれるじゃないの」

 

 美麗は微笑んだ後で、改めて昨日の日曜日の夜のことを思い出していた。

  

 ☆ ☆ ☆

  

「美味しいっ! 初めて食べるけど……もつ鍋ってこんなに美味しいんだ……!」

「期間限定の出店だけど来てよかったでしょ? 博多の『おおやま』はやっぱり本場の味!」

「すごいよ! キャベツってこんなに甘みが出るんだ!」

 

 音羽は美麗に誘われ、二人で都内に出店した博多もつ鍋を食べに来ていたのだ。

 

「というか、……はふっ、お店の違いがわかるぐらい詳しいんだ」

 

「もつ鍋はもつのコラーゲンたっぷり、キャベツでビタミンたっぷり、ニンニクでスタミナも満点! まさに美容食! 極めようと思うと奥が深いのよ。『楽天地』さんや『笑楽』さんもいいし、みそもつ鍋を根づかせた『やま中』さんもいいわね」

「確かに、これはコラーゲンがすごそう……!」

 

 濃い目の醤油だしでしっかりと煮込まれたもつや野菜は、信じられないほどの旨味を口の中で醸し出す。つまんだ箸の先で脂をてかてかと光らせたぷりっぷりの肉厚のもつに目を輝かせながら、音羽はまたそれを口に運んでいった。

 

 なんだかんだ言って、二人も男子高校生だ。空腹でエネルギーを求めた身体はもつを、キャベツを、ニラを、唐辛子を、次々とその身体に取り込んでいった。

 

 そして、〆のちゃんぽん麵まですっかりたいらげた後で……二人は、ふうっと息をついた。

 

「エネルギーが満ちてる、って感じがするよ」

「わかるわあ。脂って普段は避けがちだけど、やっぱり本能的にというか抗いがたい美味しさ、エネルギーがあるのよね」

「ありがとう、今日は誘ってくれて」

「いいのよ。……元気、出た?」

 

 えっ、と音羽は美麗を見たが、美麗の目は真剣だった。

 

「年末から、その……ね。色々あったし、アタシに何かできることないかなって思ってて……。こんなことぐらいしか、できないけど」

 

 Liella! の2位という結果と敗退、そしてそれに伴う音羽自身の自己対話。それを傍らで目の当たりにしていた美麗にとって、ここのところの日々は何かできることがないかという懊悩の連続だったのだ。

 

「こんなこと、だなんてとんでもないよ。美味しいし、何より……こうして、時間を作ってくれるのが一番嬉しい。ありがとう、美麗さん」

「うん。よかったわ、喜んでもらえて」

 

 ふふっと微笑んだ後で、美麗は音羽に指を向けた。

 

「あ! それから……ニオイケア、気をつけてね」

「え?」

「ニンニク」

 

 言われて、音羽ははっと気がついた。

 

 そう、多量に摂取したのはもつやキャベツ、ニラ、唐辛子だけではない。

 

 多量のニンニクを、彼らは鍋と一緒にその身体に取り込んでいたのだ。

 

 それはつまり─────

  

 ☆ ☆ ☆

  

「昨日は家に帰ったら開口一番、『ニンニク食べてきた?』って聞かれちゃってさ」

「やっぱりわかるものねえ」

 

 そこで、音羽はがばっと顔を上げる。

 

「というか! 何で美麗さんは一晩でニオイ消えてるの!?」

「あー……。アタシはね、ほら、モーニングルーティーンでデトックスしたりもしてるし。汗をかくのって大事よ?」

「帰り道にブレスケア買ったけどあまり効いてないんだよ~~……」

 

 苦しげに声をあげた後で、音羽は窓の向こうへと視線を投げた。

 

「絶対嫌がられるもん、こんなの」

「うーん……。でも、澁谷ちゃんたちなら笑って流して終わりじゃない?」

「そうじゃなかったら?」

 

 音羽の眼には、憂いが湛えられている。

 

「嫌なんだ。かのんちゃん達に、ほんの少しでも『嫌だな』って思われるのが、たぶん……ううん、すっごく嫌だ」

 

 どうしようもない音羽自身の苦しさに向き合い、寄り添ってくれたからこそ。

 

 それを自分で壊してしまうようなことは、したくないのだと。

 

「あ、東君だ」

 

 その一言で、音羽ははっと我に返った。教室に戻ってきたナナミ、ヤエ、ココノの三人が、音羽を見るなり寄ってきたのだ。

 

「ど、どうしたの?」

 

 匂いが漏れたら、という焦りが、音羽を動揺させる。

 

「かのんちゃん達部室でなにか話してたみたいだけど、なにかあった?」

 

 その一言に、音羽の鼓動が早まる。

 

「何の……話をしてたの?」

「さあ? 部室の前まで来たけどなんかすごい話し込んでてさあ。……あっ!」

「な、なに?」

「『くさいよ、何かある』とか、『においがする』とかそういう話をしてた!」

 

 ガン、と頭を殴られたかのような衝撃が音羽の頭に走った。

 

「くさい……!? においがする……!?」

「音羽ちゃん! それ何かの間違いだとアタシは……」

 

 美麗が言い切る前に、音羽は立ち上がって教室から飛び出していってしまっていた。

 

 どこか行くあてがあるわけでもないが、居ても立っても居られなかったのだ。

 

「はあっ、はあっ、はあっ……!」

 

 マスクをつけたまま走るのは、息苦しかった。

 

 外そうと思うが、におい、の単語が頭の中でフラッシュバックし、それが躊躇われる。

 

 そうして、廊下を走っていた時。

 

「おとちゃん!?」

 

 かのん筆頭にLiella! の五人が、部室から教室に戻ってくるところに出くわしてしまっていた。

 

「み、皆……!」

 

 音羽は、自らの背中に冷たいものが走るのがわかった。

 

「……ねえ、おとちゃん」

 

 かのんの声が、今だけはまるで処刑人の死刑宣告のように聞こえてくる。

 

「何か、隠してるよね」

「な、なにも……」

「水臭いよ! 私達の仲じゃん!」

「くさい!?」

「そうですよ、音羽くん」

「言ってほしいかな……!」

「ニオいマス! ナニを隠してるんデスかぁ~~?」

「におう!?」

 

 純粋に善意を向けられているのに、その言葉選びが悉く最悪だ。音羽は思わず、荒い息でマスクのゴムをぎゅっと掴んでいた。

 だが。

 

「だめっ!」

 

 かのんの両手が、音羽の両手に添えられる。

 

「だめだよ……! ねえ……!」

 

 その絞り出すような声の勢いのままマスクを外そうとする勢いのかのんの手に、音羽もまた手の力が強まる。

 

「だっ……だめってそれがだめだよかのんちゃん! ねえ!」

「悩みがあるなら相談してよ!! こんなものでまた、自分を抑え込まないでよ!!」

「抑えないと逆にまずいんだよかのんちゃん!!」

「おとちゃん! 閉ざしちゃったら何にもならないじゃん!!」

「閉ざさないと……抑えないといけないんだってば!!」

「なんで!! だったら話してよ!! 

「話せるわけないじゃん!!」

 

 いよいよヒートアップして廊下に声が響き始めたところで、

 

「ねえ」

 

 すみれが二人の間に割って入りながら、マスクのゴムをつまむとぴっ、とすばやくむしり取った。

 

「あっ……!」

 

 驚きの声をあげた音羽と呆気に取られているかのんを見比べた後で、

 

「……あんた、ニンニクでも食べた?」

 

 あっさりとそう言ってのけた。

 

 

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

「みんな、本当にごめん」

 

 放課後の部室で、音羽は苦笑しながら座っているLiella! の五人に頭を下げていた。

 

「いやーなるほどね、もつ鍋をね」

 

 蓋を開けてみれば何ということはなかったと、千砂都はくすくす笑っている。

 

「でも、今朝からそんなに匂いがしていたわけではないのですから……気にしなくてもよかったのに」

 

 恋はフォローを入れるかのように、優しい目を向けていた。

 

「かのんと言い合いになってる時にちょっとそれっぽい感じがしたからもしかして、って思ったんだけどね。お互い騒ぎを大きくし過ぎよ」

 

 結局この時間は何だったんだと、すみれは呆れている。

 

「だって……皆に嫌われたくないし……」

 

 音羽は自分の根底にあった素直な気持ちを吐露するが、すぐさま可可が反応する。

 

「ナニを言っているのデス! 可可達がそのぐらいのコトで音羽を嫌いになるなど……見くびらないで欲しいデス!」

「くぅちゃん……!」

「可可ちゃんの言う通りだよ。ちょっと昨日食べ過ぎちゃってニンニクの匂いがするなー、とか、ただの笑い話。……そんなことで嫌いになるって思うぐらい、私達の一年間って中身が無いものだった?」

「いやっ! それは……そうじゃなくて……!」

 

 音羽は言葉を次ごうとするが、かのんはすぐにふふっと笑ってみせた。

 

「……わかってる。大事に思ってたからこそ、壊したくなかったんだもんね」

 

 そこで、かのんは立ち上がり音羽に駆け寄ると、その手を取った。

 

「でもさ。何でも話してよ。マスクで、閉ざしちゃう前にさ」

「うん……。うん……!」

 

 音羽の表情には力がこもってきていた。ばかばかしい一日だったけれども、ここには信頼がある。友情がある。それを、はっきりと感じることができたからだ。

 

「というか、本当ににおい抜けてたんじゃない?」

 

 かのんはふとした疑問を口にする。

 

「汗かいたからじゃないかな? ニンニクの匂いって成分が血液に取り込まれて汗から匂いになるから、汗をかくと抜けるって言うからね」

「美麗さんが言ってたデトックスってそういうことか……!」

 

 千砂都の言葉に、音羽は合点がいったという顔をする。確かに朝から緊張のし通しで汗をかいていたし、それに加えて走ったのがよかったらしい。

 

「まあ、真相もわかったところでさ」

 かのんは全員を見回す。

 

「折角だから……食べに行こうよ! もつ鍋!」

 

 そうして次の日曜日には、彼女らは美麗に色々聞いた後、揃って限定出店の店へともつ鍋を食べに足を運んでいた。

 

「おいしい~~!」

「コラーゲン……コラーゲン……。匂いが気になるけど……ギャラクシー!」

 

 寒さと温かさが同居する三月の風の中で、彼らは季節の巡りと新しいステージの訪れを感じていた。

 

「二年生だよ、僕達」

「だね。そろそろ春休みだし」

 

 一人言ちる音羽に対し、かのんも感慨深げに虚空を見上げる。

 

「これから先のことは、気になるといったら気になるけど……まずは!」

「まずは?」

「久々の練習! 待ってるから!」

 春休みに入れば、いよいよ二か月ぶりに音羽を加えての練習なのだ。

「……うん!」

 

 その返事にはもう、迷いも、憂いもなかった。

 店の中に漂う濃い醬油だしとニンニクの匂い、そして甘いキャベツの匂いのほかに……

  

 希望に満ちた、やさしい、春の匂いが、確かに漂っていた。

  

(了)

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