自分はいなくてもよかったんじゃないか。
東音羽は、ふと、そう思う時がある。
東音羽が澁谷かのんと出会ってから、時間が動き出した。
そして『Liella!』が始まり、1年が経った。
新入生が4人も加わって、今年こそ『ラブライブ!』決勝への出場を───いや、優勝を目指せる。そうやって大きくなっていく『Liella!』を見ていると、自分を空から俯瞰するような感覚に襲われる。
自分は彼女たちに救われたが、逆はどうだろうか。
きっと自分がいなくたって、彼女たちは輝けていたはずだ。
東音羽という存在は余計なのかもしれない。
それは多分事実だし、音羽はそれでも構わない。
寂しくて、不安になるが、これは悪夢じゃない。
でも、心や考えなんて移ろうものだ。些細なことで皆と目が合った時に、そうじゃないんだと思うことだってあるのだ。
「音羽センパイの胃袋を掴むのは誰だ!!」
「『Liella!』対抗、お料理バトル大会〜〜!!!」
そう、例えば練習後に何も聞かされず目隠しされ、家庭科室に連れてこられたと思ったら自分を中心に皆が何か始めた時とか。
「実況解説はこの私、あなたの心にオニサプリ、オニナッツこと鬼塚夏美とぉ〜」
「スクールアイドル部1年、米女メイが……ってなんだこれ!?」
全員が所定の位置につき、カメラが回ったところでようやくメイが声を荒げてツッコんだ。どうやら事情を知らないのは音羽だけじゃなかったらしい。
一拍置き、かのんが宥めるように説明する。
「冬になってここ最近寒いでしょ? それで寒い日は何食べたいかで、ちょっとバトルになっちゃって……」
「だからってこうはならねぇだろ」
「ね〜、なんでこうなったんだろうね……」
「料理系は数字が取れますの〜〜!」
「お前の仕業か! で、オトちゃん先輩も何か言えよ!」
「いやぁ、拉致されるのなんか久しぶりだなぁって」
それは深く聞いていいのか? と表情を強張らせる新入生に、口を固く閉ざしてそっぽを向く調理台のすみれ。
冷静になって見回すと、どうやら音羽は審査員として連行───もとい招待されたようだ。
「ではでは、まず審査員のご紹介ですの! 『Liella!』の黒一点、その絶対感覚で味の世界も斬り進む! 東音羽センパイ!」
「が、頑張ります!」
「で、審査員一人だけってのも偏るかなということで、あと2人いますの。まず喫茶店の娘、澁谷かのんセンパイ!」
「どうも、喫茶店の娘です……ってカメラこっち!?」
「あと鍋好きの北海道生まれ、きな子ですの」
「美味しいお鍋が食べたいっす」
そして、エプロンを着て立っているのが、ここで名前が出なかった残り5人。可可、恋、四季、千砂都、そしてすみれだ。
「いいデスかレンレン。この勝負で大事なことが何か、わかりマスか?」
「音羽くんの好みに合わせ、どれだけ美味しいものを作れるか……でしょうか?」
「違う。この勝負のPointは、いかにすみれ先輩を攻略するか」
「そう、私たちはワンチームなんだよ! 打倒すみれちゃん! 勝つぞー!」
「趣旨変わってるでしょ!!?」
すみれ以外の4人が円陣まで組んで、固い結託を誓っていた。
「確かにオニナッツリサーチでは、すみれ先輩はすごく料理上手らしいですの」
「前にオムライスごちそうしてもらったけど、本当に美味しかったよ!」
「まだおとちゃんがいなかった頃だけど、可可ちゃんの代わりに中華料理を作ってくれたこともあったんだよね」
「だからクゥクゥ先輩があんなメラメラしてんのか」
音羽も話だけは聞いたことがある、『Sunny Passion』と合同ライブをやった際の出来事だ。
音羽は『Liella!』に途中参加した身で、今もステージに立っているわけでもないし、男子ということもあり行動を別にすることも多い。自分がいなくても『Liella!』は成立する。
───寒いせいなのか。余計なことまで心が抱えてしまう。
「ちょっと、困りますの音羽センパイ。主役はもっと明るい顔! ですの!」
「あっ、ごめん夏美ちゃん」
「まぁよくわかんねぇことに巻き込まれて災難だけど、タダ飯食えると思ってさ。元気出そうぜオトちゃん先輩」
「調理時間は1時間! テーマは『冬で美味しい煮込み料理』! レディー……ファイトですの〜!」
夏美のマイクで火蓋が切って落とされた。
既に各々が用意した食材を調理台に並べており、ゴングと同時に調理器具を掴んで、一斉に動き出した。
「あ、音羽センパイ。カメラお願いしますの」
「お前がやれよ」
「なーに言ってんですの。オニナッツが映らなくてどうするんですの」
「いいよ、僕やるよ。みんなが料理するところ、近くで見たいし」
かのんとメイが本末転倒では……と眉をひそめるのに気付かず、音羽はウキウキした足取りでカメラを料理人たちのもとに運んだ。
「まず千砂都ちゃんは」
「千砂都先輩といえば、たこ焼き屋でバイトしてるからな。腕前には期待できるんじゃないか?」
「そうだね、いつもこんな感じでたこ焼き器と生地を……」
音羽が口に出したそのままの状況が、卓上に用意されていた。それに対してかのんが一言。
「ちぃちゃん、お題は……」
「みんなは『マル』の真理って、なんだと思う?」
何かのスイッチが入ったような千砂都は、困惑の声を耳に入れずたこ焼きを作り始めた。他の材料は野菜や魚介のミンチで、一応煮込み料理を作るつもりはあるようだ。
「お野菜を輪切りにした『円』も確かに『マル』だよ? 『マル』に貴賎なし、でも───『球』はどこをどう見てもどう切っても形を変えない絶対不変の『マル』なんだよ!」
しかし目が怖い。マルの何が彼女を狂わせているのだろうか。
「そう、だから私は真の『マル』による『マル』のための至高の鍋を───」
「音羽センパイ! 他の出場者の方行ってくださいですの! 視聴者ドン引き待ったなしですの〜!!」
「えっと、じゃあ……四季ちゃん、調子はどう?」
「ゲェっ、四季かぁ……嫌な予感が」
四季をよく知るメイが苦い顔をする。そんな親友の心配をよそに、四季本人は自信満々で材料を切っていた。
「料理は科学。食材の成分と調理という化学反応を逆算すれば、絶対に失敗しない」
「へぇ、流石四季ちゃんだね。この材料は……もしかしてカレー!?」
「そう。なぜならこれは音ちゃんの胃袋を掴む戦い。味付けは甘め、冷めても美味しいように油分や塩分を調整。抜かりはない」
「今のところ良さげっすけど、メイちゃんの杞憂じゃないっすか?」
「いや、わかってる。四季はソロキャン好きだし、普通に作ればかなりのもんなんだ。普通に作れば……!」
音羽はカレーが好物で、甘党かつ猫舌。好みは完全にリサーチ済みのようだ。だが、仰々しいゴーグルをつけてタマネギを切り終えた辺りで雲行きが変わった。
フライパンにタマネギを投入した一瞬、四季が懐から明らかに薬品らしき何かを出して振りかけた。
「おい四季!! 今なに入れた!?」
「……味の素」
「2秒でバレる嘘をつくな!!」
「こんなのはまだ序の口。本命は事前に調合したこの特製カレールー」
「わぁすごい。ルーも手作りなんだね!」
「おとちゃん、危機感持って!」
「四季も得意げにすんな!」
妙に化学的な臭いのする四季の卓の横で、先ほどから全く動かないのは恋だ。
「恋ちゃんは、ずっと何か煮込んでるね」
「さっき何か赤っぽい野菜を切ってたみたいですの」
「七草粥みたいな感じっすかね?」
動かない。恋は黙って鍋を混ぜては、ぐつぐつことことの様子をじっと見つめている。
……絵面が致命的に地味である。
「あれ、これってもしかして……」
鍋の近くに行った音羽が何かに気付いたようだが、夏美の「画がもたない」のサインでカメラを可可の方へ。そして、こちらもこちらで異様な光景だった。
「よく来たデス音羽! さぁ見てクダサイこの食材を!」
カニ、鯛、アワビ、エビ、キノコ、塊の肉、謎の干物などなど。
まさに圧巻。量も値段も他の参加者とは段違いだ。
どこからその金が出てくるのか、その異様な執念は何なのか、解説席からツッコミが飛んでくる前に、可可は人差し指を立てて解説を始めた。
「『
「まさか、そんなすごいものを作れるの!?」
「イエ、佛跳牆は数日かけて煮込んで作るのデスよ。とてもじゃないけどククには作れマセン。だから今回は───そのスクールアイドル版、『シャイ煮』で勝負デス!」
「しゃい……?」
「『シャイ煮』だってぇ────ッ!!??」
音羽の困惑を、人が変わったようなメイの大声がかき消した。
「メイちゃん知ってるの?」
「なに言ってんだよ! 『シャイ煮』といえば、完全無名から1年で『ラブライブ!』優勝を果たしたあの伝説のグループのメンバーが作ったという、これまた伝説の料理!」
夏美から実況のマイクを取り上げ、可可と肩を並べるスクールアイドルマニアのメイが拳を握り、声を張り上げる。
「しかしあくまで噂の存在。メンバーや学校関係者しか食べたことがないと言われてるけど、まさか……!」
「そう、独自のルートでレシピを手に入れ、ククが再現したのデス!」
「うおおおお流石だぜクゥクゥ先輩!! もうあんたが優勝だ!!」
「いやメイは審査員じゃないですの」
その後も静と動がやかましすぎるキッチンにカメラは翻弄され続け、そんなこんなで調理時間が過ぎ───遂に料理が出揃った。
「ではまず千砂都先輩から」
「こういうのって漫画だと先行が負けがちだよねー。でも負けないよ、この『マル』の奥義を尽くした究極の鍋は!」
夏美の進行でお披露目された千砂都の料理。
それは鍋の中いっぱいに球体が敷き詰められた光景。
「マル鍋だ……」
「脳がバグりそうですの」
実況解説が引き気味だが、審査員席は意外とすんなり箸をつける。すると、音羽が表情を明るくし、一言。
「美味しい! たこ焼き鍋だね! つみれもふわふわ!」
「うん、本当に美味しいよちぃちゃん! たこ焼きを出汁で食べるって、言われてみれば明石焼きとかあるもんね」
「タコや魚のつみれで魚介鍋にしたんすね。味も味噌でまとまってて、丸くて優しいっす〜!」
審査員には大好評。奇抜なコンセプトで成立した料理を提供できるあたり、さすがの手際と経験値を感じさせる。
「でも野菜まで球状に切ってあるのは、なんというか……頑張ったね。いや意外と味が染みてて美味しいけど」
「白菜はロールキャベツみたいになってるっす……」
「究極のマルを追求した鍋だからね!」
やはり怖い。それが総評になってしまった。
「じゃあ次は、ソワソワしてる可可先輩にしますの」
「よっしゃ待ってました!」
拳を突き上げて喜ぶメイにハイタッチし、可可が差し出したのは───
「地獄……?」
罪人が釜茹でされて苦しむ図を、小学校の社会科の教科書で見たのを思い出し、夏美は思わず呟いた。
食材それぞれは一級品なのだろうが、それがそのままの姿で一緒くたに煮込まれているのでグロテスクという他ない。この食材たちは生前何か罪を犯したのだろうか。
「心配無用デス! 見た目がアレでも味は最高なのがシャイ煮デスので!」
「そう! 食えば美味いから! 見た目はこんなんだけど!」
「見た目が悪いのは認めるんだね」
恐る恐る審査員の務めを果たすかのんときな子。可可とメイが見守る中、彼女たちの表情は一瞬明るくなったと思うと、夏の空くらい一気に曇った。
「いろんな具材の旨味の奥から、違和感のすごい酸味と甘味が顔を……いちおう聞くけど、何入れたの……?」
「隠し味にチーズケーキを入れマシタ」
「なんでそんなことするの」
かのんは真顔で聞き返してしまった。しかし可可は依然胸を張る。
「そうか! スクールアイドルで鍋と言えばもう一つ、有名な逸話がある!」
「そのトーリ、あの誰もが知るレジェンドスクールアイドルが、鍋にチーズケーキを入れたという都市伝説デス!」
「なんてすごい鍋料理なんだ……! これはもう食べるスクールアイドルの歴史と言っても過言じゃない!」
「過言ですの」
ヒートアップするスクールアイドルマニア2人。先輩の味と言われれば閉口してしまうかのんだが、一方で肝心の音羽の反応は……
「……美味しいと思うよ!」
「おとちゃん、無理しなくていいんだよ……」
「本当より安い食材を使ったからだと思うんすけど、チーズケーキ抜きにしてもちょっとチグハグな味っすね」
「こっちは意外とガチ評価」
評価に不服そうな可可とメイの横から、今度は恋が品を提供する。皿でも鍋でもなく瓶に入れられたそれは、
「これが
「わぁ! やっぱりそうだ、恋ちゃんの得意料理だもんね!」
「ただのジャムではありませんよ音羽くん! ルバーブという野菜を使ったジャムです! 以前から興味があったのですが、つい先日良いものが手に入ったので!」
ルバーブ。日本では『大黄』と呼ばれ漢方薬として使われてきた、太いセロリのような植物。きな子や夏美は、その名前に頭上に疑問符を浮かべていた。
トマトのように赤いジャムを焼いたトーストに塗り、いざ実食。
「……ん! お野菜のジャムで苦いかと思ったら、甘酸っぱくて美味しいっす!」
「最初に酸っぱさがきゅうっと来て、ジャムらしい甘さがふわっと。すっごく爽やかな味わい! 見た目も宝石みたいに綺麗だし、すごいよ恋ちゃん!」
「うん、本当にこれはよく出来てるよ! ウチにあるのより全然美味いかも」
ルバーブジャムは欧米ではポピュラーな存在。スペイン人の祖母を持つかのんにとっては、多少馴染みのあるものなようだ。お墨付きの出来栄えということになる。
「本当にすごい! 前よりずっと洗練されてて……あれからもたくさん練習したんだね」
「えぇ、ぜひ音羽くんに食べてもらいたくて」
付き合いが長い音羽と恋。かつて道を分かち、再び分かり合って時間が動き出し、共に歩んで今がある。その道筋を讃えるように、
しかし、言い出せる空気ではないが2人以外は思っていた。
ジャムって煮込み料理か? と。
「次は、私」
疑念を有耶無耶にし、四季が料理を運ぶ。
甘口でぬるめのカレー。情報だけなら音羽の好みを的確に突いた優勝候補だ。
しかし、お出しされたのは形容し難いテクスチャの半固体。
米の白以外に自然界の色が見当たらない。まるで魔女の鍋の底から掬った猛毒。スパイスの香りと理科室の匂いが混じり、逆に幻想的──もとい悪夢のようなアロマが漂っていた。
「召し上がれ」
「召し上がれるかぁ!!」
あまりの惨状に誰もが絶句する中、スクールアイドル熱から正気に戻ったメイが思わず立ち上がる。
「大丈夫。これが若菜家の味。快心の一食」
「だから2秒でバレる嘘をつくなっての! おばさんに謝れ!」
「それに、無害なものしか入れてない」
そりゃそうだ。
「調合した化学成分は……言うならそう、惚れ薬」
まだ食べてないのに、それどころか解説席と料理人たちも、四季の言葉に全員揃って吹き出した。
「これを食べた人は脳内麻薬が過剰分泌され、いわゆる惚れた状態と同じになる───」
「四季……お前、まさかそこまで……! でもだったらこんな方法!」
「メイに」
「は、はぁっ!!!???」
惚れ薬? 惚れる? 誰が? いや審査員は音羽だ。
好きになるってことだ。音羽が。誰のことを? メイ。なんで??
四季は満足げに腕を組んでいるのが本当に意味がわからない。
以上、狼狽するメイの思考の一部。
紅潮した顔を震わせて審査員席を向くと、説明を聞く前に音羽がカレーを一口、食べてしまっていた。
「オトちゃん先輩!!??」
「勝った……!」
音羽と目が合って、茹でられたようにメイの顔が真っ赤になる。頭が沸騰しそうだ。心臓が言うことを聞かない。音羽がアレを食べたということは、つまり、
「……サイケデリックな味。うっ……」
が、音羽は次の瞬間気を失ったように倒れてしまった。
「オトちゃん先輩────ッ!!!」
なお、筆舌に尽くし難い不味さと薬効で音羽の高い感受性がオーバーヒートしてしまっただけです。カレーが人体に有害だったわけではなく、違法行為も一切なかったことをご理解ください。
「失敗……」
「二度とすんな! で、これで全員の料理が……」
「ちょっと。私のこと忘れないでくれる!?」
そう声を上げたのは、すみれだった。
音羽以外の全員が「あ……」と声を漏らした。他が色々とカオスすぎて、すみれのことを完全に意識から追い出していたのだ。
「もうすみれは帰っていいデスよ。もう審査員はお腹イッパイ、優勝はククで決まりデス」
「チーズケーキ鍋が何言ってんのよ。別にあんたの考えは否定しないけど、それなら黒胡椒加えるくらいの工夫しなさい。チーズと相性いいし、甘さも引き締まるでしょ」
「うぐっ……!」
「いい? 鍋料理ってのは、こんなのでいいのよ」
全員の料理を見てから、さらに見せつけるように余裕たっぷりの態度。そうしてすみれが審査員の前に鍋を置くと、グッタリとしていた音羽がその香りで目を覚ました。
それは日本の家庭における冬の王道。
熱々の鍋に敷き詰められたたっぷりの具材、煮えたぎる甘辛い割り下。
「すき焼きだ!」
見た目と香りだけで一気に空腹感が込み上げてくるのを感じた。
すき焼きが嫌いな人なんて滅多にいない。否が応でも食欲が刺激される、まさに必勝の型だ。
「流石すみれ先輩。最後の最後に直球勝負、エンタメってのをわかってますの!」
「でもちょっと地味じゃねぇか? 他が良くも悪くも奇抜だったからさ」
「うわぁ……たくさんの具がグツグツ煮込まれて、美味しそう……」
「そうね。牛肉、しらたき、ネギ、白菜、豆腐、しいたけ、えのき、春菊、玉ねぎ。定番どころを多めに入れてみたわ」
「あれ、でもこの真ん中にあるのって……!」
馴染みの具材の中で異彩を放つ、柔らかく赤い玉。
熱を帯びた香りに溶け合った存在感が、その正体を告げる。
「トマト!?」
「そう、トマトすき焼きよ」
「トマトすき焼き!?」
まさかの手前で曲がる変化球に、全員が声を揃えて驚いた。
万人に慕われる一品に投入された異物。それは画竜点睛を欠くとは逆で、「完成」に一筆を付け加える行為。
言ってしまえば、蛇足なのではないか。
また不要な感傷が音羽の内で渦巻く。そんな音羽にすみれは、取り皿によそったトマトすき焼きを差し出した。
「ほら、食べなさい」
少し怖い気持ちを抑えて、音羽は一口を頬張った。
その瞬間、音羽の視界に広がるのは鮮烈な光景。美しい空を横断する虹がかかるような、心躍る『色』のイメージ。
「美味しい……」
「でしょ?」
割り下にトマトの果汁が溶け込み、酸味と旨味がすき焼き全体のポテンシャルを引っ張り上げている。それぞれの具材が今までになかった表情を見せ、トマトを中心に新たな調和が生まれている。
「トマトがなくても、十分に美味しい料理。でもトマト入ることで、全く違う新しい世界が……! あ……」
あってもなくても成立する。
でも、どっちだって美味しい。どっちだって素晴らしい。
そうだ。こんな世界があってもいいのだ。
「全部……わかってたの?」
「なんのこと? ただ、まーたあんたが余計なことで悩んでそうだったから。そういう時は美味しいものを食べるに限るわよ」
「そっか、すみれちゃんには……みんなには勝てないなぁ」
この催し自体が音羽を元気づけるためのものだったのだろうか。余計な心配をかけてしまったのだろうか。
いや、そんなことを考えるのは野暮だ。
自分はただこの世界に在ればいい。祝福の声だけを受けて、やるべきだと思うことを、やりたいと望むことをやればいい。
「ねぇ、おとちゃん。私もこれ、食べていい!?」
「かのんちゃんトマト好きだもんね。じゃあ私もー!」
「千砂都先輩は審査員じゃねぇだろ! じゃあ私も、私も食べる!」
「メイが食べるなら……」
「いいですね、みんなで同じ鍋を……素敵です」
「そうっすよ! お鍋はみんなで食べた方が美味しいっす!」
「うぐぐ……これで勝ったと思わないことデスよすみれ! 次こそ、次こそは勝ちマス!」
「ちょ〜っ! 主催者特権ですの! 主催者特権でお肉はオニナッツが〜!!」
音羽の後ろから、横から、前から、わちゃわちゃと箸が行き交い、同じ料理で幸せを分かち合う。そこに隔たりなんか無い。
みんなが中心だ。みんなが主役だ。
音羽もこの世界の中心で、堂々と胸を張ればいい。
勝者も敗者もいない勝負を終え、音羽はそう思った。
「そういえば、四季ちゃんのカレーは……」
「限界まで薄めてみんなで食べよっか……」
かのんの提案の結果、みんな後日やんわり体調がおかしくなったという。