「…はぁ」
何気なくついた溜め息が、寒さによってあっという間に白く染まった。何気なく空を見上げると、雲の切れ間から青空が顔を覗かせている。それに何を思うでもなく、青年──クロウ・アームブラストは眼下に広がる街並みに視線を戻した。そこは温泉郷と謳われる小さな郷、ユミルだった。過去に1度だけ訪れたことがあるが、喉かで落ち着ける場所と言う印象が1番に浮かんだ。
(確か、傭兵どもがけしかけたんだったか)
少し前、ここに北の猟兵団が襲撃に入ったと聞かされた時は流石に驚いた。一応、仲間が機転を利かせて甚大な被害にまでは至らなかったそうだが、それでも重傷者を出したのは心苦しい。それ以来、郷の周囲は鉄道憲兵隊によってかなり警戒されてしまっているので、遠回りを余儀なくされてしまうが。
クロウは雪がだいぶ積もった道なき道を歩いていく。少し疲れるが、遠回りしないとユミルの周囲に敷かれた警戒網を突破できない。やれやれ──肩を竦めてそう呟こうとした矢先、背後で1羽の鳥が綺麗な声で鳴いた。
《ふふふっ、カイエン公は相変わらず無茶ばかり仰るわね》
「そう思うんだったら、歩きじゃなくてお前さんの魔法で移動させてくれよ、歌姫殿」
クロウは振り返ることもなく、件の鳥──グリアノスの背後にうっすらと姿を現した女性の言葉に返事をした。彼女の名はヴィータ・クロチルダ。クロウの仲間の1人で、【蒼の深淵】と言う二つ名を持つ。ここ、エレボニア帝国では有名なオペラ歌手の顔も持つ彼女だが、その実結社【身喰らう蛇】の第二柱をつとめ、さらには魔女として多くの魔法に精通している。そして彼女が連れる瑠璃色の鳥、グリアノスは彼女の眷属として仕えているのだそうだ。
《あら、別にそれは構わないのだけれど……高くつくわよ?》
「だろうな」
くすくすと笑う妖艶な声に、クロウは肩を竦めつつ同意する。マイペースな性格にはもう慣れた。今から3年前──16歳の時からの付き合いだ。慣れて当然と言えよう。
「それにしたって、カイエンのおっさんは本当にあいつを仲間にできると思ってんのかねぇ」
エレボニア帝国の西部ラマール州を治める大貴族であるカイエン公爵。彼をおっさん呼ばわりできることから、クロウがどれほどの実力者か窺える。かつて帝国を治めていた鉄血宰相の二つ名を持った男──ギリアス・オズボーンを狙撃、射殺した腕前は伊達ではないし、なにより彼はダブルセイバーも扱える。テロ組織【帝国解放戦線】のリーダーもつとめただけあり、その実力は折り紙つきだ。
「望み薄だとは思うんだけどな」
《もしかして……リィンくんに興味を向けていることに妬いているの》
「まさか。何で俺がおっさん相手に妬かなきゃならねぇんだよ」
やはりヴィータはペースを崩そうとしない。クロウは溜め息を零すが、やがてひらけた場所まで来ると、双眼鏡を使ってユミルへと視線を向ける。
「そういえば、ヴィータはこっちを見ている余裕があるのか?」
《心配してくれてありがとう。でも、大丈夫よ。どうせ私がすることなんて少ないしね》
「はっ、それでも大役を任されているのは間違いないだろ」
《まぁね》
小型の双眼鏡を懐にしまうと、クロウは「さて」と呟いてようやくグリアノスの方を振り返った。未だにその背後にはヴィータの姿がうっすらと映っているが、クロウが頷いたのを見るとにこやかに笑って姿を消した。
「…来い。蒼の騎神・オルディーネ!」
天高く伸ばされた手と、静かだが確かに響きを持った声。それに応えるように、クロウの傍へ鮮やかな蒼に彩られた何かが飛来してくる。やがてそれは雪を巻き上げながらもクロウの前に着地すると、ゆっくりと二足で立ち上がった。
蒼の騎神・オルディーネ──人型の有人兵器で、暗黒時代の初期に造られたと推測される。美しく、洗練されたフォルムは騎士を彷彿とさせるそれに近づくと、クロウの身体が輝きだし、やがてオルディーネの胸あたりへ吸い込まれていった。
そしてすぐさまコックピットと思しき場所に姿を現したクロウは、いつものように感触を確かめながらオルディーネに問うた。
「さて、ちょいとこれからおっぱじめるわけだが……オルディーネ、行けるか?」
《問題ナイ》
即座に返る、男女どちらともつかぬ声に安心し、クロウはやがてオルディーネを動かした。空へと飛翔し、進路をユミルへ向ける。既にクロウが所属している貴族連合の艦、パンタグリュエルがユミルの上空へと到達し、ヴィータが愉快に演説を行っているのが見えた。
(さて……少しは成長したんだろうな、リィン?)
オルディーネの中で、クロウはかつての仲間であるリィン・シュバルツァーと再戦できることを秘かに楽しみにしていた。
クロウ・アームブラスト──彼の故郷、ジュライ市国は海上交易で繁栄してきた都市国家は、とても平和な日常が当たり前のように続いていた。だが、20年ほど前に起きた、国土が塩に侵食される異変、通称ノーザンブリア異変以来、交易は乏しくなっていった。
それでも歴史のある街並みや、北海の漁業資源などもあったし、七耀石の鉱山などもあったおかげか、それらを有効活用しながら徐々に交易圏の回復を狙う──そんな考えが、当時市長だった彼の祖父のもと進められていた。祖父は早くに両親を亡くしていたクロウにとって唯一の肉親であり、様々なことを教えてくれた師匠でもあった。そして頑固だが茶目っ気もある優しい老人たる彼は、市長として以前に、人として誰からも愛されていた。
そして、10年前のことだった。エレボニア帝国の政府が、ある提案をしてくる。【帝都からの鉄道網を延長し、ジュライまで直接通す】──と。
もともと海運中心の街だったが、帝都と鉄路が繋がれれば新たな活路を見いだせる。誰もがそう信じ、市議会では賛成多数となり、祖父はそれに押し切られる形で提案を呑むこととなった。その結果は果たして市議会で賛成した者たちが予想した通り、僅か1年ほどで市国はにぎわいを取り戻したのだった。巨大な帝国資本がジュライを呑み込む形となって……。
危機感を覚えた祖父は対策を講じようと色々と模索していたが、そんな折ジュライへ伸ばされていた鉄道路線が何者かによって爆破されてしまう。一刻も早く復旧を──皆がそう叫んだと言うのに、帝国政府がそれに対し“待った”をかけてきた。そしてあろうことか───
『ジュライはあまりにも安全保障体制が脆弱だ。帝国資本もすべて引き上げる』
───そう告げたのだ。
待っていたのは、関連株の大暴落。そして犯人が分からずに不安と混乱に呑まれていく日々だった。
そして程なくして、彼が──ギリアス・オズボーン宰相がジュライへとやってきては、こう告げた。
『鉄道復旧と、今後の警備は帝国正規軍が受け持つ。その代わり、ジュライは栄えある帝国の一員となり、経済特区として更なる発展を遂げて欲しい』
タイミングが良すぎる提案に、当然ながら祖父は警戒し、対抗策をいくつも打ち出していった。しかし、1度でも味わった贅沢を忘れることができなかった市議会は真っ先にその提案に飛びついた。それは何も市議会だけではない。市民らも、特区としての税制優遇などをちらつかされてはあっさりと呑まれていった。
だが、事態はそれだけでは済まなかった。なんと祖父に、鉄道爆破事件の容疑が掛けられることとなる。ジュライのことを誰よりも愛し、皆から慕われていた老市長──そんな彼が、どうして事件を起こすのか。最初の内こそ、誰もがその容疑を嘘だと声高に叫んでいた。しかし、いつからかそれは謗りへと姿を変えていくことになる。市議会からは球団を受け、踊らされた市民の一部から浴びせられる罵声。やがて祖父は、最早この事態を収束させるには市長を辞するしかないと判断し、そして──彼の辞職と共に、ジュライの帝国への帰属が決定される。
(祖父さん……)
彼が悪くないのは、“誰もが分かっていた”。鉄道爆破を画策したのが、本当は誰だったのかも。それでも、皆が選んだのは見て見ぬふりだった。祖父が市長を辞めてから、爆破事件はうやむやになり、隠居を決め込んでから半年後──彼は、この世を去った。
その時の絶望感は、今でもよく憶えている。何かに促されるようにして、クロウはすべてを捨てて、13歳の時にジュライを出て行った。各地を転々とし、様々なことに手を染めていく中、彼はカイエン公と出会う。それから3年後の16歳の折、同じような理由であぶれた者を拾い集め、彼は帝国解放戦線を組織する。
その後、全ての準備を終えてから経歴を完璧に偽装し、トールズ士官学院に入学した。鉄血の──ギリアス・オズボーンの首を取るために。
リィンとはそこで出会い、特科クラスⅦ組に編入してⅦ組の連中とも行動を共にするようになった。今回、クロウがオルディーネを駆って出向いているユミルも、Ⅶ組に在籍していた際に訪れたことがあった。
(あれだな)
やがてユミルの上空にたどり着き、ヴィータを見上げているかつての仲間──Ⅶ組の連中を前にし、笑った。
「どいつもこいつも、久しぶりだな。
ちっと乱暴だが、お前らの言う“話し合い”に乱入させてもらうぜ。この、オルディーネと共にな!」
眼下でオルディーネとクロウを前にして驚いている彼らの中で、一番に動き出した少年がいた。彼が、クロウの宿敵たるリィンだ。彼もまた、自分のように騎神を乗りこなしている。リィンの呼び声に応えるべく、次第に騎神が近づいてきた。
(灰の騎神・ヴァリマール……!)
白銀を基調とし、金の装飾が各所に施された騎神、ヴァリマール。リィンを乗せると、オルディーネの方を向き、抜刀した。
《今度は負けない……必ず乗り越えてみせる!
俺たちⅦ組が、道を切り開くためにも!》
吼えるリィンと、彼が駆るヴァリマールの姿勢を目にしてクロウは少なからず驚いた。短期間でありながらさらに騎神を使いこなしているようだ。
《流石はリィンくん。私が見込んだ“もう1人”の男の子だわ》
「お気に召して良かったな」
わざわざクロウに聞こえるように言ってくるあたり、ヴィータはかなり意地の悪い性格のようだ。
《妬いてくれているの?》
「言ってろ」
その言い方も意地が悪い。普通に『妬いているの?』と聞けばいいところを、『妬いて【くれているの】?』と聞いてくるとは。クロウが呆れるものの、ヴィータはまったく意に介することもなく、自分と同じように貴族連合に組みする仲間を転移魔法にてパンタグリュエルからユミルの地に呼び出した。
「そんじゃ、こっちも始めるとするか!」
クロウの得物と同様、オルディーネも左手にダブルセイバーを取ると、ヴァリマール目掛けて急降下する。それより速く動いたヴァリマールは、オルディーネに向かって飛翔し、抜刀した大剣を一閃。互いの得物がぶつかり合い、火花を散らす。
そのままやり過ごし、互いの騎神が降り立てる場所へ着地する。武器を構えつつ対峙し、隙を窺う。いつでも斬撃を繰り出せる構えを取るリィンに対し、しかしクロウは直立不動の姿勢を取っていた。まだそれだけの余裕がある──そう思いはするものの、初手を防いだのは評価したい。
「ははっ、今の一撃を受けきるとはな。少しは起動者として成長したってとこか」
《お陰様で、それなりに修羅場を潜ってきたからな……今度こそ、この剣を届かせてみせる!》
「まだまだ甘いな。お前が潜ってきた修羅場なんて、俺の足元に及ばねぇ……そいつを改めて思い知らせてやるよ」
《クロウ……!》
睨みあう2人だったが、ヴァリマールの背後で大きな力を感じ、リィンは慌ててそちらを見やる。貴族連合の協力者に苦戦を強いられる仲間たち。そして、貴族連合で参謀を任されているルーファス・アルバレアの手によって膝を着くⅦ組のメンバー。気を取られてしまったリィンだったが、その隙をオルディーネとクロウは見逃さなかった。
「人の心配をしている場合か? 肚を括れや、リィンっ!」
《くっ……望むところだ!》
再び互いの得物をぶつけ合い、火花を散らした。ダブルセイバーの下部を振り上げると、ヴァリマールは素早く後退する。仲間のことが気がかりなのか、簡単には自ら仕掛けることはせず、隙を見出そうとしている。
「おいおい、そんなんじゃいつまで経っても俺から1本も奪えないぜ?
さぁ、かかってきな!」
《おぉっ!》
大剣を上段に振りかぶり、斬りかかってくるヴァリマール。しかしその一閃を容易く躱し、クロウはカウンターを叩き込むべくダブルセイバーを真横に振るう。頑丈な造りだけあって、ヴァリマールにはあまり傷が見受けられないが、起動者たるリィンにはヴァリマールが受けたダメージが直接届いてしまう。それに怯んだ一瞬をつき、クロウは連撃すべく今度は上段からダブルセイバーを振り下ろす。
「隙ありだぜ!」
《甘い!》
しかし、ヴァリマールはそれを躱して逆にオルディーネの胴を薙いだ。怯みを見せていたのは、わざとだったのだろう。痛みを堪えつつ、クロウはオルディーネを1度下がらせる。互いに間合いはほぼ同じだ。そう簡単には踏み込んでこないだろう。
「ぐっ、ちったぁやるようになったじゃねぇか!」
《当たり前だ。クロウ……必ずお前にこの剣を届かせると言ったはずだぞ!》
「はっ! たかだか1回食らわせた程度で粋がるなよ!」
ダブルセイバーに力を籠めると、ヴァリマールに対してではなく傍らにあった雪山に向けて刃を振るう。積もった雪が崩れ落ち、2人の視界を真っ白に染め上げる。クロウはその隙にヴァリマールの背後へとオルディーネを動かし、強襲する。
「おぉっ!」
《まだだ!》
クロウが背後から迫っていたことに気付いていたのか、リィンは振り向きざまに大剣を振るい、接近を阻む。しかし空中からスピードをつけて接近していたオルディーネの方が勝っている。
「その程度で凌げるかよ」
次第にヴァリマールが押され始めていく。このまま一気に──そう思った矢先、ヴァリマールが脱力した。
「へぇ?」
力を拮抗させたまま押し合いを続けようとはせずに、多少なりとも危険を伴いながらも脱力してその場から逃れることを選んだリィンに感心させられる。しかしそれで逃れられるほど、クロウの実力は甘くはない。
後退するべく僅かながら宙に浮いたヴァリマール。後ろに下がるためにはあまりスラスターをふかさない方がいい。それはクロウが駆るオルディーネも同じだ。それを知っているから、クロウはヴァリマールに向かってオルディーネをけしかけた。
《しまった!?》
ドンッと強い衝撃と同時に全身を襲う痛み。それに苦悶する暇もなく、ダブルセイバーに再び力が籠められた。
「喰らいやがれ!」
オルディーネがその場で一回転しながらダブルセイバーが振るわれる。クロウが使う技の1つ、クリミナルエッジが騎神でまったく同じように繰り出された。ガードが間に合わず、クリーンヒットしてしまったヴァリマールは大きく吹き飛ばされ、そのまま倒れ込んだ。
「これで終いだな」
剣尖を向け、軽くヴァリマールを小突く。それすらどうすることもできず、リィンは毒づく。
《ぐぅっ……まさか、あの奥の手すら出さずに……!》
騎神に乗ってやり合うのはこれで2度目だ。最初はリィンとヴァリマールがどこまでできるか見極める必要があり、手を抜いていたが、今回はそれも不要だ。圧倒的な力量の差に、リィンはただただ項垂れる。
「前は全力を出す必要はなかったわけだが……どうだ、リィン。これが現時点での明確な力の差って奴だ。
“半端な修羅場”をいくら潜ろうが、簡単には埋まらないくらいの、な」
《どうやらそちらも片付いたようね》
「ヴィータか」
眷属のグリアノスを従えて現れたヴィータ。彼女はいつもの妖艶な笑みを浮かべながらも、跪いているヴァリマールを見て肩を落とした。
《予定通り過ぎてつまらないくらい。
流石は“私の”自慢の蒼の騎士と言ったところかしら?》
「誰がアンタのだ、誰が」
可愛らしくウィンクしてくるヴィータに、しかしクロウは呆れ気味に返す。そんな彼の態度に「あら、つれないわね」と言いながらも嫌な顔を見せない。
「それより、上の方はどうなんだ?」
《あちらも時期に決着がつくでしょう。
だけれども、あまり郷に迷惑をかけたくもないし、これくらいにしておきましょう》
言うが早いか、ヴィータは魔法を使役してパンタグリュエルの側面にカイエン公の姿を映しだした。
《高い所から失礼するよ、“有角の若獅子”諸君》
貴族連合のトップたる彼の声色は、実に嬉々としていた。上機嫌に語る姿は、或いは苛立たしげに見えることだろう。クロウはもう慣れたし、なによりおっさん呼ばわりしているだけあって然程の興味もない。
《リィン・シュバルツァーくん。今回は君に用があってね》
《俺に……!?》
《直裁に言わせてもらおう。灰の騎士殿、君を我が艦に“招待”したい》
《ど、どういうことだ!?》
《帝国各地での華々しい活躍は聞いている。それで、1度君とじっくり話をしてみたいと思ったのだよ。これまでのこと、そして……これからのことを、ね》
《それは、つまり……》
暗にリィンを貴族連合へ引き入れたいと言うことだ。だが、今までが今までだけに、簡単に了承できるはずもない。それでも、自分たちが進むべき道を見極めるために、敢えて話に乗ることだってできるはずだ。
そんなリィンの逡巡を見透かしてか、カイエン公は更に畳み掛ける。
《もし、君が招待に応じてくれると言うのなら、このままユミルから引き下がろう。
それどころか、内戦が終わるまで一切の干渉をしないと約束する……これで、どうかな?》
《……分かりました。そちらの申し出に、応えさせていただきます》
やがてリィンは同乗者のセリーヌをおろし、ヴァリマールをパンタグリュエルへと向かわせる。クロウもヴィータを一瞥してから彼の後に続いた。
◆◇◆◇◆
「はー、やれやれ」
夜もすっかり更けてしまい、空はかなり真っ暗だ。クロウはオルディーネの調子を見るべく甲板に出、跪いているヴァリマールを一瞥してからオルディーネの前に立った。
「よう、オルディーネ。日中は世話になったな」
《気ニスルコトハナイ。蒼ノ起動者ヨ、貴殿モ更ニ腕ヲ上ゲテイルヨウダナ》
「まぁな。そう簡単にあいつに追いつかれちゃ、堪ったもんじゃないからな」
《フム……? 何レニセヨ、貴殿ノ精進ニ期待スル》
「あぁ」
それきり、オルディーネは返事をしなくなった。このまま部屋にもどって眠ってしまいたいところだが、のんびりと夜空を眺めるのもいいかもしれない。甲板をふらふらと歩き回り、やがて適当な所で壁に背を預けながら夜空を見上げる。
「今頃、バカ真面目に考えてんだろうな」
このパンタグリュエルへ連れてこられ、今後のことを考えるよう釘を刺されたリィン。彼のことだから間違いなくいつまでも真面目に考えていることだろう。それを否定する気はないが、自分みたいにさくっと決めてしまえばいいものを──と、常々思ってしまう。
「こんなところにいたのね、クロウ」
「お? なんだなんだ、歌姫がこんな寒空に来て……」
艦内に戻るための扉が開いたかと思うと、ヴィータがいつものにこやかな笑みを浮かべながらやってきた。彼女はクロウの隣に並ぶと、共に空を見上げた。
「なーんだ、何も見えないじゃない」
「残念だったな。今日は生憎曇り空だ」
「なら、どうして戻らないの?」
「……さぁ、どうしてだろうな」
自嘲気味の笑みを見せるクロウに、ヴィータは優しく彼の頬を両手で包む。そして顔を近づけ、彼にだけ聞こえるほど小さな声で呟く。
「当ててあげましょうか?」
「お断りだ。どうせ魔女の力を使って喋らせるつもりだろ」
「こんな美人を捕まえておいて魔女だなんて、失礼しちゃうわね」
「何が失礼だ。本当のことだってのに。
それより、そんな寒々しい格好でこんなところに出やがって……風邪ひいても知らねぇからな」
「心配してくれるのね、ありがとう」
「バカ言え。喉を潰されたら困るからに決まってんだろ」
「ふふっ、素直じゃないんだから」
「お前にだけは言われたくねぇっての」
溜め息を零し、クロウは先に戻るべく踵を返した。だが、ヴィータはまだ戻る気がないのか未だに夜空を見上げている。
「いくら見ていても、星は一向に見えてこないぞ」
「えぇ、分かっているわ」
「本当に分かってんのかねぇ……」
やがて出入口へ向かい、そのまま甲板から出て行った──かと思いきや、すぐに戻ってきた。
「何か忘れ物?」
「まぁな。ほら、これでも着てろ」
「あ……ありがとう、クロウ」
ヴィータに自分がいつも着ているコートを羽織らせると、クロウは今度こそ出て行った。そんな彼の背中が出入口の扉によって見えなくなるまでヴィータが視線を外すことはなかった。そして扉が閉まりきってから、静かに口を開く。
「コートを残すぐらいなら、一緒にいてくれればいいじゃない」
先程クロウに素直じゃないと言ったが、どうやらそれは彼の言うように自分の方だったのかもしれない。クロウが貸してくれたコートが風で飛ばされてしまわないよう、再び空へ視線を向ける。
(そういえば……“あの時”も、こんなに味気ない空だったわね)
クロウとヴィータが知り合ったのは、本当にただの偶然だ。カイエン公に拾われたクロウと違い、自分はある目的からカイエンの所に出入りしていた自分。最初は互いに警戒していたが、それでも初めて会った時は何か運命的なものを感じた。
クロウは16歳の時、海都オルディスの地下へ足を運んだ。そこで彼を蒼の騎神・オルディーネに邂逅させたのは、誰であろうヴィータだった。クロウならオルディーネを動かせられる──なんとなくだが、そんな気がした。それから、ヴィータはなるべくクロウと一緒にいることを選んだ。この目で騎神を動かしているところを見たい、その一心で。
騎神の起動者として認められるには、数多くの危険が伴い、手強い魔物と戦うことが必須となる。だが、決して彼を手助けすることはなかった。ただ見守り、見届ける。それだけのつもりだったのに。
『ど、どうして……!?』
いつものように試練に挑んでいたクロウ。そしてそれを見届けるために同行していたヴィータ。しかし相手の魔物はヴィータすらも敵と認識し、襲い掛かった。いつもなら魔法で簡単にいなせたはずだ。なのにその時は、いきなりのこと過ぎて対応が遅れてしまったのだ。そんな窮地を救ってくれたのは、もちろんクロウ。だが、ヴィータはその行動にただただ驚くしかなかった。彼だって、ヴィータが同行するだけしかしないことは分かっていただろうに、どうして助けてくれたのか。疑問を抱かずにはいられなかった。
『はははっ……祖父さんが言ってたからな。美人には優しくしろって』
やがて試練を終えた時、クロウは傷だらけになりながらも懸命に笑って返した。いつもは星空が見えるはずの夜空も、その時に限って曇り空で、ヴィータの不安を駆りたてるばかりだった。さっさと帰ろうとする彼を引き止め、膝枕して傷を癒していく。その間、クロウは終始笑みを浮かべていた。
しかし、クロウは笑う時、いつも自嘲している。本当の笑顔を見せてくれない彼が、どこか危うげで仕方がない。それはヴィータだって同じ。だから、次第に興味を持っていた。ヴィータは気付かぬところで、クロウに惹かれていったのだ。いつか彼が、心の底から笑顔を見せてくれたら──ヴィータはいつしか、別の目的でクロウを見守ることを選んだ。
「期待しているわよ、クロウ……私“だけ”の、蒼の騎士くん」
微笑みを浮かべたヴィータの呟きは、誰に拾われることもなく空に消えた。
◆◇◆◇◆
翌日───。
クロウは割り当てられた部屋で未だに悩んでいるであろうリィンに差し入れを持っていくべく、厨房に立っていた。彼の出身であるジュライのソウルフード、フィッシュバーガーを作っているのだ。
ジュライを出る前から、家のことはできる限り自分がやっていただけに、料理の腕前は悪くない。得意料理なので、より一層腕が鳴ると言うものだ。
「どうかな」
揚げた白身魚にかけるタルタルソースを味見し、ちょうどよい酸味に頷く。そしてそれをかけていざリィンのところに行こうとした時、厨房の扉が開かれた。
「あら、美味しそうな匂いね」
「残念だがお前にくれてやる飯はないぜ、ヴィータ」
「意地悪ね」
「つーか、お前はこれからカイエンのおっさんと出かけるんじゃなかったか?」
「えぇ。まったく、人使いが粗いったらないわね」
「アンタが言うな、アンタが」
クロウはヴィータに酷使されているとでも思っているのだろう。やれやれと肩を竦める彼に苦笑いしつつ、出来上がっているフィッシュバーガーをしげしげと眺める。
「だから、やらねぇって言っているだろ」
「あら、残念」
すぐにバスケットにしまわれてしまった。本当に残念そうにするヴィータを見て、クロウはいつも無理難題を押し付けてくる彼女にしてやったりと意地の悪い笑みを浮かべる。
「……フィッシュバーガー、ちゃんとソースも味見したの?」
「あぁ、さっきな」
「それじゃあ、私も味見させてもらうわね」
「は?」
何を言っているのか真意を問おうとするより早く、ヴィータは両手でクロウの頬を優しく包むと、そのまま自分の顔を近づけ、そして───。
「んっ……ふふっ、ご馳走様でした」
妖艶に微笑み、クロウの唇に人差し指を当ててからヴィータは踵を返す。だが、途中で足を止めて振り返ると、「コート、部屋に置いておいたから」と言い残して厨房から出て行った。
残されたクロウはただ茫然とするしかなく、そっと自分の唇に触れた。自分は今、ヴィータに何をされたのか。
(やべ、こんな顔であいつの前に行けねぇよ)
なんとなく視線を落とした先にあった包丁には、顔を真っ赤にしている自分が映っていた。このままリィンのところに行った暁には何を言われるか分かったものではない。まだフライドポテトやオニオンリングを冷ます必要があるので、その間に気を落ち着けた方がいいだろう。
(とにかく、コートでも取りに行くか)
ヴィータに貸したままのコートを取りに行こうと自室へ足を運ぶ。その間、誰にも会わずに済んだのは幸いと言えよう。そそくさと部屋に入ると、丁寧にコートがかけられていた。それに袖を通し、気持ちが落ち着いてきたのを確認していざ行こうと立ち上がると、ポケットに何かが入っているのに気付いた。
「なんだ?」
中に入っていたのは、1枚のカード。それは彼女がラジオのパーソナリティをつとめていた時にプレゼントとして使われたことのあるものだった。裏面と思われるそこには『今夜、一緒に呑みましょう』と書かれてあった。
「未成年を誘うやつがあるかよ」
そして表には『Thank you』と流麗な文字と一緒に、ヴィータが直接して作ったと思われるキスマークが。
「あのバカ……!」
さっきヴィータにされたことを思いだし、クロウは再び顔を赤くするのだった。