4月1日、トールズ士官学院生徒会長室───。
温かな日差しが、真新しい窓から入り込む中、白銀の髪を掻きながらクロウ・アームブラストはまだ荷物の整理が終わっていない室内で、手を動かすこともせずにソファーに寝そべっていた。それも、新聞をしかめっ面で眺めている。
「あれ~、クロウくん?」
「おぉ、おかえり、生徒会長殿」
しばらくして新たな段ボールを抱えながら入ってきた小柄な少女は、クロウの姿を見て僅かながら驚いていた。
「新聞を読むなんて珍しいね」
「お前は俺がギャンブル誌しか読まないと思ってんのか?」
「え、違うの?」
そんな珍しいことじゃないとしかめっ面を余計に不機嫌なものへ変えるクロウに対し、少女は円らな瞳をさらに丸くして意外そうに言った。
「……帰る」
「あーっ、待って! お願いだから荷物の片付けを手伝って!」
踵を返そうとするクロウを既の所でなんとか引き止めた少女の顔は、本当に帰らないで欲しいと訴えていた。
「ったく……冗談も大概にしておけよ、トワ」
「……えっと、一応言っておくと冗談のつもりじゃなかったんだよね」
「…んー、生意気言うのはこの口か?」
「ひにゃあっ!?」
友人に隠し事をしてはいけないと言う気持ちから素直に話したトワだったが、クロウに頬を引っ張られてしまう。小柄な身体のせいで怒ろうと手を上下に振っていても可愛く思えてしまうのは仕方がないことだ。
彼女はトワ・ハーシェル。クロウとは1年生の時からの仲で、気心知れた大事な友人だ。ちなみに彼女の身長は平均以下で、その可愛さからマスコット扱いもしばしば。しかも前年度の文化祭で披露したライブによってファンが爆発的に増えたとか。
「つーか、また新しい荷物持ってきたのかよ。せめていくらか片付けてからにしろっての」
「だって、いつまでも通路の脇に置いておいたら他の人の邪魔になっちゃうもん。
と言うか、私が荷物を取りに行っている間に少し片付けておくって言ったのはクロウくんだよね?」
「……そだっけ?」
「もーっ!」
すっとぼけるクロウに憤慨するトワだが、いくら怒っていてもまったく怖くなかった。
「アンちゃんもジョルジュくんもいないんだから、しっかりやってよね」
「だったら自分の人脈活かして他の生徒会メンバーを呼べよ」
今年度から生徒会長として邁進するであろうトワが率先して生徒会室を片付けるのは構わないが、何故かその手伝いに駆り出されたクロウは仏頂面をした。せっかくの春休みぐらい、自堕落に過ごさせて欲しいものである。
「だってみんな忙しいし……クロウくんだったらなんだかんだで手伝ってくれるかなぁって」
「……はいはい、どうせ俺は体よく使われる駒ですよ」
「そんなこと言っていないよ。手伝ってくれるのは、クロウくんが優しいからで……!」
「分かったって言ってんだろ」
トワの言葉を聞いていると恥ずかしくて仕方ないため、クロウは強引に会話を止めさせて手を動かし始めた。
「ところで、クロウくんさっきはなんの記事を見ていたの?」
「別に。しょーもないデタラメだよ」
「デタラメ?」
「ほら、今日は4月1日だろ。エープリルフールだからってことで、嘘っぱちの記事載せてんだよ」
「そうだったんだ。
私も気を付けないと、クロウくんに騙されちゃいそう」
「……いや、お前の場合俺以外にも騙されるだろ」
「そ、そんなことないもん!」
「どうだかな。それに、エープリルフールでも嘘つけないしな、お前は」
「……クロウくん、片付けが終わったら私がなんでも奢ってあげるよ」
いきなりの発言に、しかしクロウが食いつくことはなかった。最初は信じそうになったが、トワが自信満々でドヤ顔していたのですぐに嘘だと気づけた。
「なら、他の生徒会連中にも伝えておかないとな」
「……え?」
思わぬ返答に間の抜けた声を出してしまった。だが、それを気にする余裕すらなく、トワは冷や汗を掻いていく。
「い、今のはエープリルフールの嘘だからね?」
「分かっているよ。相変わらず嘘が下手だよな」
「うーっ!」
「拗ねんなって。別に悪いことじゃねぇんだからよ」
「…嘘じゃないよね?」
「当たり前だろ? 俺様はこの世に生を受けてから、1度たりとも嘘なんてついたことがないんだからよ」
「いや、それは絶対に嘘でしょ」
「……ばれたか」
「当たり前だよ……ふふっ、でもありがとう。クロウくんのお陰で元気出たよ♪」
「そんじゃあ、残りもちゃっちゃっとやるか」
「おーっ♪」
トワの笑顔を見ていると、こっちも元気になれる。てきぱきと片付けを始めた彼女を一瞥し、クロウも手を進めた。
◆◇◆◇◆
数時間後───。
「ふぃー……こんなもんかね」
「だね」
空が夕焼けになり始めた頃、ようやく片付けが済んだ。今日中に残っているものを整理することもできるだろうが、それはまた明日にうつした方がいいだろう。
「ありがとうね、クロウくん」
「おう、一生感謝しとけよ」
「一生は無理だけど、ちゃんと覚えておくよ」
「本当に真面目だな、お前」
冗談のつもりだったが、どうやらしっかりと覚えておくつもりのようだ。
「あ……見て」
ふとトワが何かに気がついた。彼女の指差す方を見ると、蒼く麗しい鳥が窓辺に立っている。
(グリアノス!?)
思わず声を出しそうになるが、なんとか思い止まることができた。あの鳥はクロウと縁があるのだが、どうしてここにいるのか皆目見当もつかない。程なくしてグリアノスは羽ばたいていく。しかしまた近くに止まると2人を──いや、クロウのことをじっと見ていた。
「……トワ、俺はもう帰るわ」
「そう? あ、ジュースぐらいなら奢ろうか?」
「いや、いい。なんかお礼する気があるなら、今日はとっとと帰って休めよ。
生徒会が始まる前に倒れてちゃ、世話ねーからな」
「もう、そんなに柔じゃないから大丈夫だよ」
「バーカ。心配させんなって言ってんだよ」
トワの頭を軽く叩き、クロウはそそくさと部屋を出ていった。
「心配させるな、かぁ……そうだよね。ちゃんと体調管理しておかないと」
ぎゅっと拳を握り締めて、トワはクロウの言うことを聞こうと決意する。そして何気なく窓の外へ視線を移すと、ちょうどクロウの姿が見えた。
「クロウくーん、ありがとー!」
「おうっ!」
クロウの方はいきなり声をかけられて驚いたものの、窓から身を乗り出して大きく手を振るトワに笑って返した。
「さて……いったい何の用なんだか」
改めて周囲を見回し、グリアノスの行方を探す。あの鳥が来ているとなれば、間違いなく主たる“彼女”も近くにいるはずだ。そう思うと、少しげんなりしてしまう。
「いた」
やがて見つけたと思いきや、グリアノスが羽を休めている場所を見て頭を抱える。自分に割り当てられている学生寮の屋根だった。しかもそこから動かないようなので、ここが密会の場所に選ばれたらしい。
「マジかよ……」
相手が何を考えているのかまったく分からなかった。こんな人の多い場所だ。【密会】と評するにはまったく向いていない。しかし、待たせても仕方ないのでさっさと会いにいくことに。玄関を通り、階段を上がって端の方にある部屋へ向かう。ここが自分に割り当てられた部屋だ。ゆっくりと扉を開けて、そそくさと室内に入る。そして、ベッドに寝転がっている人物を見て溜め息を零した。
「こんな美人が出迎えているのに、感謝もせずに溜め息をつく……男として失格ね」
「知るか。だいたい、いきなり来たお前が悪いんだよ」
のそのそと身体を起こし、女性──ヴィータ・クロチルダは妖艶に微笑んだ。ぶつくさ文句を言うクロウの言葉など、まったく気に留めていないようだ。彼女は今、帝都で歌姫ミスティとして活躍しているのだが、そんな彼女が一学生であるクロウと知り合いなのはある理由があった。
クロウが産まれ育った故郷、ジュライは彼が幼い頃に宰相をつとめていたギリアス・オズボーンの画策によって強引に帝都の一部に加えさせられた。よく言えば編入、悪く言えば強奪されたのだ。それも、正式な方法ではない。誰もがそれを知りながらも、結局目先の利益に飛びついてしまった。そしてクロウは、唯一の肉親であり、ジュライの市長だった祖父が市長から下ろされてから程なくして亡くなり、故郷を出て行ったのだ。
その後、クロウはカイエン公と知り合い、彼を通じてヴィータとも知り合った。彼女に導きによって、騎神と呼ばれる強大な力を手にするのだが、ヴィータとはそれ以来の付き合いで本当の自分を一番知っている。
「それで、何でここにいるんだ?」
「別に理由なんてないわ。ただ、貴方に会いたいと思っただけよ」
「はいはい、そういうことにしておきますよ」
何を言っても無駄だ──そう判断すると、クロウもヴィータが座っているベッドに腰掛けた。するとヴィータはゆっくりとクロウに近づき、彼と背中合わせに座り直した。長くて艶やかな髪から甘いシャンプーの香りが漂ってくる。
「ところで、随分と楽しそうだったわね」
「何が?」
「……気付いていないの?」
ヴィータの言っていることが分からず聞き返すと、彼女は大仰に溜め息を零した。
「だから、何がだよ?」
「本当に気付いていないのね。見た目は育っても、鈍い中身は変わらないみたいね」
酷い言われようだ。だが、実際に彼女の言わんとしていることが分かっていないのだから、その指摘は正しい。故に何も言い返せなかった。
「あの小さな子と、随分親しげだったわね」
「あぁ、トワのことか」
魔女の血を引くヴィータは、使役している鳥、グリアノスを介して遠くの景色を見ることができる。先程のトワとのやり取りもこの方法で見ていたのだろう。
「ふふっ、クロウがロリコンだったと思いもしなかったわ」
「違うっての。あいつはただのダチだ」
「ダチ、ね……そんなことして大丈夫なの?」
ヴィータの問いはもっともだ。いずれはここを出ていかねばならない。士官学院の身分もどうせいつか捨て去る必要があるのだ。思い出なんて──ましてや友達なんて、作るべきではない。
「バーカ。お前、俺を何様だと思ってんだよ」
言い返し、クロウはヴィータの背から離れて寝転がった。つとめて気楽に、平静を装って言ったはずなのに、ヴィータはまるで本心を見透かしたかのようにふっと微笑む。
「そうね。クロウは極度の寂しがりだものね」
そして少しクロウの頭を上げさせると、改めて自分の膝に乗せた。
「うるせぇ」
苦し紛れにそれしか返せなかったが、ヴィータは笑うこともせず優しく頭を撫でてくれた。
それから10分程そうしていると、おもむろに頬が左右から引っ張られた。
「何だよ?」
「ロリコンのクロウに聞いておきたいのだけれど、結局さっきのトワと言う子とは、どういう関係なのかしら?」
「だからロリコンじゃないって。つーか、何でそんなこと聞くんだよ」
「気になるからに決まっているでしょ。親しい間柄だって言うなら、嫉妬で彼女に全部話してしまいそうだわ」
「おい……」
「冗談よ。今日はエープリルフールでしょ」
「…さいですか」
ヴィータが言うと冗談に聞こえないので止めてもらいたい。
「あぁ、でも……」
「ん?」
「嫉妬と言うのは、嘘じゃないわよ」
寝転がっているクロウへの膝枕を止めて、彼の上に覆い被さる。豊かな胸の谷間が目の毒なので、慌てて視線を逸らす。
「私、貴方に夢中なんだから」
その言葉に、しかしクロウは溜め息をつく。
「笑えない冗談は止めろって。いくらエープリルフールでもその嘘はよくねぇよ」
また冗談だと判断し、突っぱねる。ヴィータは一瞬だけ目を見開き、そして笑った。だが、いつも見せる妖艶な笑みどこか違うように感じる。
「そう……貴方がそう思うのなら、それでいいわ」
急に冷ややかな態度になったことに驚き、何も言えない。ヴィータはさっさとクロウから離れると、部屋を出ていこうとする。
「お、おい、どこ行くんだよ?」
「仕事よ」
慌てて呼び止めるが、間髪入れず返され、また声をかけるより早く出ていかれてしまう。残されたクロウは呆然とするしかできなかった。
一方のヴィータはと言うと、閉めた扉に背中を預けて小さく溜め息を零す。
「……バカ」
◆◇◆◇◆
夜───。
クロウは寮ではなく外で夕食を取ろうと思って適当な店にいた。注文したパスタを前にしながら、しかし中々手をつけようとしない。
(なんだよ……ヴィータの奴、いきなり態度を変えやがって)
そう思いはするものの、不思議と怒りはない。なんとなくだが、非は自分にあるように思えるから。
(まさか……マジで嫉妬していたのか?
いやいや、それはないだろ。あいつからすれば俺は、単に利用価値のある駒に過ぎねぇんだから)
「随分と不機嫌ね、クロウ」
「え? あぁ、サラ教官」
肩を叩かれたので振り返ると、そこには士官学院の教官であるサラ・バレスタインがいた。
「相席していい?」
「どうぞ。美人教官と夕飯をご一緒できるなんて、光栄ですよ」
「あはは、あんたの担当だったら今ので単位をあげたんだけどね」
「なら教官からうちの担任に口添えしといてくださいよ」
「嫌よ、面倒だし」
「チェ……」
残念そうにするクロウを見て、サラは運ばれてきたビールを一気に飲んでから口を開く。
「でもあんたが無事に進級できたって聞いた時は驚いたわ」
「失敬な。俺だってやる時はやるんですよ」
「そのやる時って言うのをもう少し増やしなさい」
「まぁ、気が向いたら」
「ったく、そんなんじゃ2年生の間に単位が危ういわよ」
「ちゃんと計算してやっているんで大丈夫っすよ」
「ふーん……それにしては、なんか悩んでいたみたいだったけど?」
流石に教官は目ざとい。クロウは冷めたパスタをフォークに巻き付けながら頷く。
「若者には色々あるんですよ」
「まぁ、それもそうね。せいぜい悩みなさい、若人よ」
「それ、なんか爺臭いですよ」
「なんか言った?」
「…いえ、なんでもないっす」
ジト目が怖かったので、クロウはすかさず口をつぐんだ。
それからはアルコールの回ったサラに店じまいになるまで相手をさせられてしまい、とんだ夕食になってしまった。ようやく解放された時には街頭以外に生活を感じさせる灯りがなくなっていた。
(こりゃあ寮も閉まっているかもな)
とりあえず窓から出入りすれば大丈夫なのは今までの経験から分かっているので、学院関係者に会わないことを祈るばかりだ。
(少しぶらぶらするか)
それでもすぐに帰ろうとは思わず、適当に散策することに。やがてラジオ局の前に来ると、ちょうど1人の女性が出てきた。メガネに帽子を被っている彼女に、何故か既視感を覚える。
「あ……ヴィータ?」
「…あら、よく分かったわね、ロリコンクロウくん」
第一線がこれでは、まだ根にもたれているようだ。クロウは頭を掻きながら最適な言葉を考える。
「えっと……何でここにいるんだ?」
自分で言っておいてなんだが、聞きたいのはこんなことではない。今すぐに自分をぶん殴りたい気分だ。
「言ったでしょ、仕事よ」
「あ、あぁ、そっか……仕事、か」
ヴィータもヘタレな発言だと思ったのか、じろりと睨んできた。流石に睨まないでくれとは言えず、苦笑いしてしまう。
「えっと……お疲れ様」
「えぇ」
また一言返されただけで会話が終わってしまう。クロウは頭を振ってへたれている自分を切り替えることに。
「ヴィータ。さっきは、悪かったよ……冗談じゃないかって突っぱねたりして」
「……はぁ」
予想していたより早く謝られてしまった。これでまだつんけんしていては、自分の方が子供になってしまう。
「私の方こそ、ごめんなさいね」
「いや……って、謝るってことはやっぱりマジなのか?」
「何が?」
不満の残る自分を折って謝ったが、せっかくだ。弄らせてもらおう──ヴィータはクロウの問いかけに気付かない振りをした。
「いや、だから……嫉妬するとか、俺に夢中だって言っただろ?」
「そういえば言ったわね」
「それは冗談じゃないのか、教えてくれよ」
「あら、自分の気持ちを言わないで私にだけ話させるなんて……フェアじゃないと思うけど?」
「そりゃあそうだけどな」
「だったらまずは……」
主導権は握ったも同然だ。ヴィータは妖艶な笑みを浮かべて近づき、クロウの首に手を回して彼の顔を間近で見詰める。
「自分で考えなさい、坊や」
甘い囁きの後、唇の柔らかな感触が頬に押し付けられた。