サタンは呆然と掌へ視線を落とした。
そこにあった筈の…、正確に言えば全身に纏っていた『ちから』が消失していた。
原因は目の前にある。
(……祓っただと?)
そして理解した。
魔の根源である自身の『ちから』を打ち消し得る存在。
「……『神』、か」
サタンから表情が消えた。
今一度『ちから』を溢れさせ、掌がドス黒い炎に包まれる。
直後、半透明な神を背にする少女の前に一瞬で移動し、心臓目掛けて貫手を放った。
「!」
横合いから閃光。
紙一重で離脱したサタンは、無言でその相手を睨みつける。
「王手には早いわよ」
暁美は掌底を翳したまま、両肩と背から噴き出す高濃度の霊力を今一度炸裂させた。光の波が前方の空間を押し退けて突き進む。
だがサタンは両腕をクロスさせて踏み止まった。
閃光が着弾し、僅かに後方へ押し下げられるが、大したダメージはない。
「こんなもの向かい風となんら変わりは……」
遮るように、光の波は連続で打ち出された。
「ええっ、なーに?普通のトーンで喋られても爆音で聞こえないっつーの!!」
打ち終わりと言わんばかりに一層強い波がサタンをその場に縫い止める。
その一瞬で暁美は背に纏った霊力を噴出させ、がら空きの懐へ飛び込んだ。
続け様に神速の拳がマシンガンのように叩き込まれる。
僅か1秒にも満たない浮遊感の後、サタンの身体は後方へ吹き飛んだ。
ダンッッッ!!!! と、地面を踏み抜く音。間近で聞こえた。
直後、サタンは空中で身を翻す前に脚を掴まれ引き寄せられる。
視界の中心で迫る拳。
暁美の鉄拳がサタンの顔面を捉え、そのまま真下の地面へ向けて振り抜かれた。
地響きが神社全体を揺るがし、打ち付けられた身体は衝撃と慣性の力によって地面へ磔となる。そこへ暁美は追撃の為に手刀を振り上げた。
その矢先、白い悪魔は一言呟く。
「気はすんだか?」
「!?」
深紅の瞳が暁美を捉えていた。
一切の反動を使わず起き上がったサタンの魔手が、反射的に飛び退こうとした暁美の速度を上回って伸びる。
バチィッッ!!! と、強い反発があった。
見れば、暁美とサタンの間に緋色の障壁が展開されている。
今までのものとは違い、神霊『
弾かれたサタンの掌からは黒い炎が消失していく。
───だが次の瞬間、頭上に巨大な黒炎が浮かび上がった。
「今まで本気だと思ったか?」
サタンは指先をくるくると回し、徐に前へ倒した。
再び衝突する『穢』と『聖』。
「ッッ!? 暁美姉さん、下がってッ!!」
「!」
途端に叫んだ霊夢へ振り返ることなく、暁美は後方へ離脱した。
その最中に、黒炎が浄化の障壁を侵食して迫る様を目にする。
(『神霊の加護』が打ち負けてる…っ!?一端とは言え使役した神の力をいとも容易く…ッ!)
背後へ意識を向けると、未だ障壁を保つために踏み止まっている霊夢の姿があった。
だが駄目だ。
直にあの黒炎は結界を突き破る。自分なら兎も角、それから回避していては間に合わない。
暁美は霊夢を抱えて横へ跳んだ。
その直後に結界は消失し、本来の速度を取り戻した黒炎が一瞬前まで立っていた足場を抉り取っていった。
「ほぅ、お前はその娘に触れることができるんだな」
振り向くよりも早く衝撃が走った。
反射的に身を捻った暁美の背中へ、力任せに振るわれた魔手が食い込む。
背中を中心に、まるで出血毒を打ち込まれたような熱と激痛が広がっていく。
だが痛みに悶えている余裕はなかった。
「づっッッ、あああッ!!」
暁美は殴打の衝撃が完全に伝わり切る前に、背部から瞬閧のエネルギーを噴射して前へ飛んだ。
そうして半ば打ち上げられるようにして飛翔した先で、石造りの灯籠へ叩きつけられた。
その腕の中で抱えられた少女から不安気な声が漏れる。
「暁美姉さん……、大丈…夫?」
「勿論……、大丈夫よ」
なるべく憂心を抱かせぬよう、間を空けずに答えた暁美の口からは一筋の血が流れていた。
「……ッ!」
『実戦』の経験が浅い霊夢にもわかった。
背中側だったとは言え、殴打を受けて吐血しているのだ。少なくとも、内臓のどこかは損傷している。
それに暁美はあの黒炎を
神の浄化すらも蝕む『穢れ』を人の身である彼女が浴びれば、どのように作用するかなど最早想像もつかない。
だが確実に悪影響は出る。
気さくに振舞ってはいるが、額から流れる滝のような汗がなによりの証明だった。
(私が……、もっと、しっかり……ッ!)
博麗 暁美は歴代の中でも特に戦闘能力の優れた巫女だ。共通の師である柊 隼斗の戦闘スタイル、『体術と霊術の併用』を若くして実戦レベルにまで昇華させている。
昔からその背中を見て育ってきた。
いつか彼女と同じ様に立派な巫女になりたいと思いつつも、心のどこかでは敵わないと感じながら。
そんな彼女が、自分と二人掛かりで挑んですら苦戦を強いられる相手。
新たに習得した『神降ろし』でさえも、敵の力を抑え込むには至らなかった。
───だが、事情はどうあれ現博麗の巫女は自分なのだ。
先代の暁美が行方不明となり、博麗としての身分を継承したあの日から、
守られる側から守る側となったあの日から、
「私が…ッ!」
膝を付く暁美を背に、霊夢は立ち上がった。
少しでも『神降ろし』の効力を上げる為、周囲にはありったけの護符を展開する。
「霊夢……?」
後方で名が呼ばれる。
振り返らない。
代わりにたった一言呟いた。
「大丈夫」
──────
暗黒の異次元空間で、もう何度めかになる轟音が炸裂した。
だが、音が一つ鳴り止むごとに一つの肉塊が出来上がっていた今までと違い、後には男の舌打ちだけが残される。
「……面倒臭ェ」
睨みつけた先で、死の天使は重ねていた六枚の翼を展開した。
翼の骨組はひしゃげ、欠損箇所こそあれど六枚とも
「やーっと耐えられた ♪」
サリエルは嬉笑を浮かべながら指を弾いた。
ゴキゴキゴキィィッッッ と、湿った音と共に元通りになっていく翼を、隼斗は心底不機嫌そうに眺めていた。
「それにしてもー、貴方の力強過ぎない?その一発で小惑星程度なら粉砕できちゅうわよ?…ってそう言えば前にも私が落とした隕石を砕き割ってたっけ」
呑気に話し始めた天使とは裏腹に、隼斗は険しい表情を崩さず言った。
「………つまり上げたわけだな、
「そうよ?前に言ったわよね、私の
その先は聞かなくともわかった。
例えば、小惑星を粉砕する一撃にも耐え得る盾と、その一撃を凌駕する矛の実現。
例えば、地上から一切の文明が消失し、人類は原始的な生活を強いられる。
例えば、数秒後に太陽が寿命を迎える。
多分こうすれば周りは恐怖に慄く。
多分こうすれば阿鼻叫喚の地獄絵図が出来上がる。
───そんな『曖昧な』絶望すらも創造してしまう。
つまり物は言いよう。
自分が不死身の身体を持っていることが全世界共通の絶望だと定めてしまえば、それが実現してしまう。
『間接的に再現した』なんて言葉で片付けるには、余りに横暴で、途轍もない反則だ。
「……」
しかし隼斗は拳を振り抜いた。
瞬間、サリエルの身体は跡形も無く爆散する。
血の塊が宙を舞い、遅れて響き渡った轟音が空間全体を叩いた。
「確かに俺はお前を『本気』でぶっ倒すつもりで拳を振るってたが、『全力』を見せた覚えはねェぞ?」
後方へ声を飛ばす。
サリエルは相変わらずの笑みで答えた。
「勿論わかってたわ。……だって、」
暗黒の空間を凄まじい速度の影が横切った。
その余りの速度に、軌道上の空気が弾かれ真空となる。
「!」
影は真っ直ぐに隼斗へと向かい、鞭のような動きで身体を薙ぎ払った。
一瞬、隼斗の足裏が地を離れた。
直ぐさま踏みとどまり急停止を掛ける。
その背後へ流れたエネルギーが莫大な衝撃波となって炸裂した。
「ほら、こうして貴方の攻撃を再現したのに、貴方には
触手のように畝りながら収縮していく『翼』を一瞥し、隼斗は答えた。
「要は手探りだろうが」
打たれた箇所など意に介さず、幻想郷最強の男はそう吐き捨てた。
その表情に別段切迫した様子はない。
───ただ、隼斗は突き付ける。
「所詮はお前の想像だ。此奴は『こうすれば傷を負う』、『こうしたら勝てる』。結局お前は能力の通じねェ俺に対して、そういった自分の『希望』を押し付けることでしか戦う術を持ってねェんだ。その程度の薄っぺらい絶望なんかで俺を殺せると思ってんのか?前にも言った筈だぜ。
「……、」
僅かな沈黙。
やがてサリエルは口を開いた。
「そう。……どうやら貴方自身を追い込むのは難しいようね」
直後、サリエルは徐に指を鳴らした。
その背後では巨大なスクリーンが出現し、現在の幻想郷の様子が中継されている。
「なら、別の方向からならどうかしら?」
もう一度指を鳴らす。
その瞬間、幻想郷中に複数の『巨大な扉』が出現した。
各所で戦場になっていた場所だけじゃない。
非戦闘員である人里の住民が避難している命蓮寺や、負傷者の多数出た妖怪の山や地底に至るまで
「あの扉、覚えがあるでしょう?この戦いを盛り上げるためのちょっとした余興よ」
「!」
隼斗はハッとしてスクリーンを見上げた。
視線の先では巨大な扉がゆっくりと開かれていく光景が映し出されていた。
「今回のは前回と違って
完全に開放された扉からは、夥しい数の化物等が顔を出している。
まるで爆薬のスイッチに指を掛けて自分の優位性を誇示するように、サリエルは指を重ねて隼斗へ突き出した。
「これは謂わば、一方的なデスマッチ。現状、巫女と魔法使いのお嬢ちゃん達も窮地に追い込まれている。他の子達も負傷した身体でどこまで保つかしらね?」
パチンッ と、爆弾を投下する合図が送られた。
一斉に幻想郷の地へ飛び降りていく化物の軍勢を前に、隼斗は立ち尽くしていた。
その様子を見たサリエルは、口角を吊り上げて嘲笑う。
「あはははははははははははははっ!!この『絶望的な状況』、貴方はどうするのかしらぁっ!!」
何もない空間で天使の笑い声が響く。
無情にも、ここはサリエルの支配する異空間。
此処に入れられた時点で、隼斗に出来ることは残されていなかった。
「ホントにお目出度い奴だな、テメェは」
「……は?」
それは予想だにしていない言葉だった。
「俺が何の準備もせずに此処へ来たと思ったか?」
異変は、スクリーン内で起きた。
──────
「此処が地上ですか」
腰に刀を帯びた、薄紫髪の女はポツリと呟いた。
その傍らには特殊な配色の服を着た女医が立ち周囲を見渡しながら答える。
「良い所でしょう?」
「はぁ、『穢れ』さえなければ褒め言葉の一つも出てきたのでしょうが」
身体を特殊なベールで包みながらそう返したのは、『月の民』と呼ばれる
「
「ご苦労様です
敬礼し、静かに下がっていく部下を視線で辿る。
近代的な武器を携え、縦横均一に並んだ総勢5万人の兵士達が、今か今かと総帥の命令を待っていた。
「八意様、後は我々月の軍が『穢れ』の駆逐に当たります。……お早く」
「ええ、ありがとう」
永遠亭の医師 八意 永琳は、手に持っていた弓を背負い、胸元から液体の入った瓶を取り出した。栓が抜かれ、空気に触れた液体が煌びやかに光り始める。
「始めるわよ、離れていて」
その言葉を皮切りに依姫はその場を離れ、軍の下へ駆けて行った。
永琳は懐中時計を取り出し、時間を確認する。
針は丁度正午を指していた。
(頃合いね)
手に持っていた瓶を足元へ傾けた。
そうして規則的な動きで撒かれていく液体は、地面に六芒星の陣を形成していく。
最後の一滴が終わり、永琳は片膝を突いて陣の中央に触れた。
禁術『狂月』───発動!!
白昼の幻想郷に、眩い月光が降り注いだ。
豊姫「月から隼斗勢力投下しまーす!」