その瞬間は唐突に訪れた。
幻想郷各所に出現した巨大な扉。
まるで壊れた蛇口のように、死の天使の配下が無尽蔵にばら撒かれていた。
─── そんな異界への入り口が、
皆、一斉に空を見上げた。
ばらばらと崩れ落ちる扉の残骸は、地面に触れる頃には塵となって散っていく。
戦闘の最中、足下に転がした敵兵の喉元にナイフを突き立て、止めを刺した春雨 麻矢は、怪訝な表情のまま呟く。
「何が……、!」
そして異変は続け様に起こった。
それは上空の扉が突如として崩壊したことによるものなのかはわからない。
だが明らかに……、あれだけ苛烈を極めていた天使軍の動きが、この瞬間をもって
「………」
誰もが目を見開く状況下で、彼女に言える事は二つだった。
一つは、化物らに起きた異変に、麻矢固有の能力である、『対象の体感速度を下げる』力は関係していないこと。
この
つまり空間全体を彼女が
そして二つ目。
文明の発達した月の軍に加えて、異形の力を持つ幻想郷の住人達を相手に、一歩も引くことなく物量で攻め入る化物達。
─── その供給が今、絶たれた。
麻矢は即座に左手首に付けている小型の端末を操作し、
『一番隊及び各隊へ!────── 、』
それが通信機であるにも関わらず、声を張り上げて命令を飛ばす。
『───── 今が好機だ!!隊列を立て直し、敵軍を掃滅せよ!!』
数秒の間を置いて一斉に応答があった。
『──────……了解ッ!!!』
通信は切れ、同時に周囲からは喧騒が溢れ出した。
それは耳障りな穢れ振りまく化物等の咆哮とは違う……、彼女等が信頼せし月の軍、その兵士達によって上げられた
「安心してください、隊長」
麻矢はぼそりと呟いた。
既に彼女が直接率いてきた分隊の兵士達は、眼前の敵に向かって駆け出している。
右手には小型の電子銃、左手には軍用のナイフを握り締め、現・一番隊隊長もその後に続く。
(………必ず護り抜きますッ!!)
────────
巨大な扉が崩壊した同時刻。
幻想郷内に位置する異次元空間に八雲 紫はいた。
「………………はっ、はっ、ッ!」
普段は端麗でいて妖艶な空気を醸し出している彼女だが……、その白く透き通った肌はじっとりと汗が滲み、呼吸が荒い。
「紫様っ、間も無く戦況も落ち着きます。どうか堪えて…ッ!」
そんな主人を前に、式神である八雲 藍は幻想郷の様子を観測しながら告げた。
彼女等の足下には煌々と光を放つ陣が展開されている。
その蜘蛛の巣のように複雑に入り組んだ陣形は、両膝を突き、掌を翳す紫から力を循環させて幻想郷全土を支える結界へと繋がっていた。
今回の異変が始まってから今迄、天使軍の力の奔流に晒され続けている幻想郷の存在を維持し、且つ外界へ影響が漏れないように押し留めることが、賢者に課せられた
故に、この任は高度な結界術と境界を操る
(………紫様にしか、出来ないことはわかっている。わかっている、が─────)
それでも、傍に立つ藍の表情は苦悶に歪んでいた。
彼女に主人程疲労の色は見られない。だが従者として、八雲 紫ただ唯一の式神として、これ程の負担を主人に担わせてしまっている自身を責めてしまう。責めずにはいられなかった。
彼女が主人の為にしてやれることと言えば、幻想郷の状況を逐一報告することと、こうして手拭いで汗を拭ってやることくらいだ。
治癒術では傷は塞がっても疲労までは取り除くことが出来ない。
「藍………、集中しなさい」
主人から弱々しくも凛とした言葉が飛んだ。
荒い呼吸を整えるように深く息を吸い、再び眼下の陣へ向き直った幻想郷の賢者は、絞り出すように続ける。
「他に回す余力のない私に代わって戦況を把握する。信頼してる貴女だから任せているのよ」
それっきり、紫は押し黙った。
以前の戦闘による傷が開いたのはもう何度目か。いくら人間と比べて治癒力が高い妖怪と言えど、準備の為にあの日から殆ど休む間も無く力を使い続けてきたのだから、こうなることは目に見えていた。
意識を巡らせ、全神経を結界維持の為に注いでいく。
次第に膨れ上がっていく苦痛を押さえ付け、自身に課せられた使命と向き合うために。
「紫様……っ」
藍は瞳を閉じた。
結界を介して流れ込んでくる幻想郷の映像。
今も尚天使軍の残党と戦いを繰り広げる幻想郷の住民達が映る。
其々が使命の為に死力を尽くしていた。
(……馬鹿だ、私は)
幻想郷と外界の狭間。
そこへ残してきた式神の少女の姿が浮かぶ。
「死の天使の残党も全体の3割以下です。各地の被害状況の確認も急ぎます!」
幻想郷を落とされる訳にはいかない。
嘗て日本三大妖怪が一つ、『九尾の妖狐』として名を轟かせた大妖怪は、己が使命と向き合う。
────────
「動けば酷いわよ?」
綿月 依姫はぼそりと呟いた。
直後、彼女の警告を聞かずに襲いかかろうとした周囲の化物等が、地面から飛び出していた無数の刃によって八つ裂きとなる。
尤も、相手は言葉を持たぬ者達だ。端から警告自体意味のないものなのかも知れない。
それでも尚言葉にしたのは、彼女なりの情か。
「元が絶たれたとは言え流石に多い……、」
愚痴を零す依姫が地面から刀を引き抜くと、化物等を串刺しにしていた無数の刃は跡形もなく消失した。
と、同時に視界の端で空中を舞う血飛沫をとらえた。
見れば、四方から爪や牙を剥き出しに迫り来る化物等を柳の様な動きで捌き、的確に斬り捨てていく初老の剣士の姿があった。
その剣捌きを視認するには彼女とて難しく、一振りの内に何匹もの化物等が血の噴水を上げていく。
(何者かしら、あの御仁は)
あれだけ敵を斬り捨てておきながら、衣服には一滴の返り血すらも付いていない男を興味深そうに観察する依姫。
………と、背後から、飛行型の化物が音も無く飛来する。
「『愛宕様の火』」
依姫はまるで羽虫でも払うかの様な動作で、振り向きざまに空いている手の甲を化物にぶつけた。
「──────ッ!?!?」
途端に火達磨になった化物は、生涯味わったことのない業火の中で、灰となり消えた。
「……」
その様子を目にした銀髪の剣士もとい魂魄 妖忌は、同じくして此方を見ていた依姫と視線が交わったことに気が付いた。
「………互いに素性が知れぬ故、気に掛かるところはありましょうが ───── 」
妖忌は一度納刀し、居合の構えを取りつつ周囲の化物等を一瞥する。
そして、抜刀。
だがしかし、彼が抜いた刃を目にすることが出来た者が、果たしてこの場にいただろうか。
気付けば再び鞘に戻されつつある刃が、小気味の良い金属音と共に納められた。
「!!」
依姫は目を見開いた。
その瞬間彼の、そして自分の周囲にいた化物等が、一瞬にして斬撃の渦に巻き込まれ、塵と化したのだ。
「互いの目的は同じであり、少なくとも私が其方に鋒を向けることはない」
妖忌が先の言葉の続きを告げると、依姫は申し訳なさそうに口を開く。
「……し、失礼しました。ただ少し、貴方の剣技に興味があったもので……」
「なに、所詮は老いぼれの剣術。これでも衰えるばかりで若い頃程のキレはありません」
そうは思えなかった。
男は謙虚に振舞いながらも、隙なく周囲に意識を向けている。
剣士なら誰もが持つ、所謂間合いによる結界を、張り詰めた弦の様に展開しながら。
普通なら嘘臭く聞こえる年寄りの昔語りも、彼が口にすればその実力をより裏付ける逸話にしか聞こえない。
ふと、彼が腰に帯びている打刀に視線が落ちる。
「……ああ、これは
視線に気付いた妖忌は、徐ろに柄頭を押さえつつ呟いた。
それが失礼に当たったと思ったのか、再び申し訳ないと会釈を繰り返す依姫に対し、妖忌は軽く宥めながら、遠い空を見上げる様にして心中呟く。
(柊殿、どうやら上手くいったようですな。此方は戦が終息するまでもう間もなくでしょう。後は、貴方自身の決着を残すのみ)
しかし と、妖忌の表情が僅かに曇る。
その結末を彼は知っている。
家族を、仲間を、師弟を、部下を、恩人を失いたくないから。
──── 全ては、幻想郷を護るために。
誰しもが掲げ、彼が強く抱いた使命。
その結末を彼は知っている。
(……………柊殿、貴方なら或いは ───。)
いつしか幻想郷から大規模な喧騒は止んでいた。
空を覆っていた邪気は薄れていき、地に伏せる化物等の亡骸は煙のように四散していく。
それは同時に、今異変の終息を示していた。
だが、その幻想郷に『彼』の姿はない。
今回は戦闘描写少なめでしたが、久々にゆかりんとか麻矢を登場させることが出来ました。
※ 春雨 麻矢については東方万能録オリキャラなので、詳しくは1〜7話、38〜44話をご参照ください。(……駄文ですが 今よりも トウチホウ
次回は再び隼斗VSサリエルをかいていく予定です。