東方万能録   作:オムライス_

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170話 堕落した天使

 

絶えず崩壊を繰り返す隔離空間。

 

その異界の中心で、死の天使サリエルは呆然と立ち尽くしていた。

 

 

(出られない?)

 

 

徐に視線が動く。

視覚によって得られた情報は、四方全てが白一色に塗り潰された世界のみ。

遠方にかけて生物の気配は無く、小石一つ分の起伏すら見受けられない。

 

だが、地平線の彼方までそれら事実を確認しに行く気は起きなかった。

 

 

(……永久に)

 

 

絶えず感じていた喧騒、戦場に混じる血の匂い。

その全てが嘘のように消え失せ、自身の呼吸音だけが静寂に音を刻んでいく。

 

 

 

「……………………………………、」

 

 

視線は再び正面へ。

前の世界では傷一つ負わせることのできなかった男が、ゆっくりと歩を進めている。

 

 

 

─── 圧倒的質量による圧砕。

 

それを上回る破壊をもって、正面から打ち砕かれた。

 

─── 人海戦術。

 

彼にとって『数』とは、殲滅までにかかる時間の長短でしかない。

 

─── 有害物質の創造。

 

一切の効果は見られず。

 

─── 優れた五感を逆手に取り、それぞれに過剰な刺激を加えた。

 

僅かに表情が強張ったものの、不快程度にしか感じていなかった。

 

 

こんな事ならば、人質の一人や二人でもとって、『自害しろ』とでも命じればよかったか。

少なくとも、彼が本当に人間としての枠組みにいるならば、他者の犠牲に過剰な反応を示したかも知れない。だとすればそれが一番有効な手段だったのだろうか。

前の世界でならそれが実行可能であったし、もっと他に名案を導き出せたかも知れない。

 

─── 今となっては後の祭りだ。

 

 

(……ああ)

 

 

サリエルから言葉にならない、諦念にも似た感情が漏れ出た。

 

 

別段、再認識する程のことでもなかった。

わかっていた筈だ。

 

外界との隔離は、そのままサリエルの力の消失を意味している。

間接的な能力(ちから)の行使など、所詮は彼女自身が脳内で処理しきれる事象を、()()()()()()()()()()()に過ぎない。

そんな曖昧な能力では、目の前の男に通じる筈もない。

 

 

そんな現実から目を背け、この感情が一体何なのか模索していた。

 

 

 

(……そうか)

 

 

誰よりも、その感情を彼女は知っていた。

知った上で、己の私利私欲わ満たす為に利用してきた。

 

本来ならば───……。

 

嘗て神に仕える天使として授かったこの能力も、本来ならば用途は違っていた筈だ。

 

 

いつからだろうか。

 

目的が『世の秩序』から、『我欲』に変わったのは。

 

 

………そんな自問自答を繰り返し、様々な感情が入り混じった心境の末に辿り着いた、至極単純な感情(こたえ)

 

 

 

 

(これが………、()()()──────)

 

 

その瞬間、サリエルの中で決定的なナニかが崩れ落ちる。

それは古来より、彼女を『世界の脅威』に結び付けてきた矜持(きょうじ)に亀裂を入れ、魂を強く揺さぶった。

身体からは力が抜け落ち、まるで水中を漂っているかのような浮遊感に襲われる。

 

身体的変化は外見にも現れた。

紫色の体表は次第に薄れ、元の白い肌と翼へと戻っていく。

 

 

「………………ああ」

 

 

白一色の天を仰ぐ様に倒れゆくその様は、正しく墜落する天使そのものであった。

 

 

 

 

そして。

 

 

「久しく、忘れていたわ」

 

 

その銀髪が、純白の翼が、黒一色に染まり上がったのは直後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「 堕 ち る 」

 

 

この瞬間、死の天使は()()()()()()()()()()

 

 

《!》

 

 

異変を感じ取った隼斗が歩みを止めた時には既に、事は起こっていた。

今まさに地に向かっていたサリエルの身体が不自然な角度のまま静止し、力無く伸ばされた手が何もない空間を漂っている。

そして何より異様だったのは、その天を見上げる瞳だった。

 

 

 

────── 黒い。

 

その表現は色彩を指すものではなく、暗い井戸の底を覗く様な、底知れない恐怖を掻き立てるもの。

 

 

「………」

 

 

徐に『天使だった者』が上体を起こし、何もない空間を力無い瞳で見渡し始めた。

その何気無い動作を目にした隼斗は、鼓動の僅かに早まった心臓部に掌を押し付け、眉間に皺を寄せる。

 

悪寒にも似た、背筋を刺す寒気。

起爆寸前の爆弾を前にしたかの様な圧迫感。

 

あれが一体何なのかはわからない。

 

だが、彼は長年生きてきた経験則を踏まえて、至極単純な見解を導き出す。

 

 

()()()()()()、と。

 

 

警告はやがて、悪夢として現実を染める。

ひょい と、サリエルが頭を傾け、隼斗の姿を視界に捉えた瞬間だった。

 

彼の力。

正確に言えば、この『絶えず崩壊し続ける世界』に対する、()()()()()()()()()()()

 

 

《ッ!?》

 

 

隼斗は殆ど反射的にその場から飛び退いた。

唐突過ぎて何が起こったのか半分も理解できていなかったが、本能的に()()()()()()()()()()()()()()と悟ったのだ。

 

神をも超越する彼の動きは、当然の様にサリエルの捕捉範囲から脱した。

 

 

 

 

──────

────

──

 

 

(………なんだ、アレは)

 

 

指標となる物が何も存在しない世界であるため、自分がどれだけ移動したかは感覚的にしかわからない。少なくとも、元いた場所を視覚によって確認することが出来ない距離を移動したことは確かだ。

 

 

《!》

 

 

ふと、左手に違和感を覚え、視線を落とした隼斗は目を見開いた。

 

今でこそ黒い気を纏っているものの、透けて見える掌から前腕にかけて、薄い亀裂が走っていたのだ。

 

直接的な攻撃は受けていない。

そもそも、人体が物理的干渉によって出血も無く唯割れることなどあり得ないだろう。

 

 

─── それはつまり、この世界の崩壊の影響を受けてしまったことに他ならなかった。

 

 

対策はしていた筈だ。

本来ならば『黒い力を纏う強化』を行わずとも、彼の力はサリエルを上回っている。

この敢えての強化は、絶えず続く崩壊から身を守る防護服の様な役割を担うためのもの。

 

その防護服が一瞬とはいえ、強制的に()()()()()。─── 原因は明らかだ。

 

 

(あの眼に睨まれた瞬間身体に掛かる負荷が一気に強まった。隠してた能力(ちから)があったってのか?いや、それにしちゃ不自然だ。何かこう……、スイッチが入ったみてェに ──────)

 

 

彼の思考はそこで途切れた。

 

 

《…………………………………面倒くせェもんを起こしちまったか》

 

 

隼斗はぼそりと呟いた。

それは白一色の世界に現れた巨大な闇だった。

遥か遠方、超人的な隼斗の視力によって捉えた黒いドーム状の物体。

 

これだけの距離であの大きさ。

つまり、近場では空間そのものがどっぷりとあの漆黒の闇に包まれていることだろう。

 

 

全ては崩壊し、()()()()()()()()筈の世界……、その一部を黒く染め上げるナニか。

 

 

(見失った俺を探してああなってんのかは知らねェが……)

 

 

得体の知れない闇に対し、隼斗は今一度亀裂の入った拳を握り直して吐き捨てる。

 

 

 

 

()()()()()付き合ってやるよ》

 

 

かくして、彼の姿は闇へと走った。

 

 

 





VS死の天使戦も、大詰めに入りました。
次回からは再び戦闘回を書いていく予定です。

※概ね一月以内を予定しています。

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