「はい、じゃあ口の中診ますね」
永琳はそう言って患者の口内に明かりを宛てがった。そして喉奥が僅かに腫れ、炎症を起こしているのを見て取り、すぐさま診断を終える。
「風邪ですね。このところ急に寒くなってきたから体調を崩したのかしら」
「いやー先生、その通りだ。なんか最近怠いと思ったらやっぱりかー。ここは大事をとって入院…………」
「お薬出しとくので一日三回、食後に飲んでくださいね」
「…………はい」
途端に鼻の下を伸ばして浮かれていた患者が肩を落として診察室を後にする。
永琳はやれやれと再び患者のカルテに視線を移した。
(今月で三度目。どう生活してたら月に三回も風邪を引けるのかしら?)
小首を傾げている永琳には、あの患者が毎夜欠かさず行なっている、『水風呂に入り、薄着でガタガタと震えながら寝て過ごす』等といった、風邪を引くための無駄な努力をしていることなど知る由もない。
そうしてカルテの束をまとめていると、奥の仕切りが開き、彼女の助手である鈴仙が兎耳を揺らしながら顔を出した。
「師匠、本日受診する予定の患者さんは今の方で最後です。後は───」
「急患だけ、ね。ご苦労様。貴女は裏で休んできなさい」
「はい、あっいえ、あとですね……」
「?」
鈴仙はそう言って資料と一緒に持っていた封書を、目を瞬かせる永琳へ手渡した。
「月からです。差出人は月の言葉で暗号化されていましたが、たった一文字、───『玉』と」
「!……そう」
手紙を受け取った永琳は、一礼して下がっていく助手を見送り、やがて徐に封をあけた。
文面の本文は挨拶だったり、此方の安否を尋ねるといった、謂わば
そして文の締めくくりとして、決まってこう続く。
『私共月の民一同は、いついかなる時も先生の帰還を信じ続けます』
「…………」
永琳はその文面から逃れるようにして視線を窓の外へ向けた。
さらさらと風によって揺れ、さざめく竹林が広がっている。
緑が鳴りを潜める冬場に於いて、その青さは人々に安らぎを与えるのだとか。
「!」
その中で、一本の竹に入った『傷』が見えた。
獣が爪を立てたのか、将又ウチの妖怪兎達の悪戯か。等間隔で付けられた傷の周辺は変色し、腐敗していた。
「………」
ふと、永琳はいつかの彼との会話を思い出した。
〜〜〜
「知ってるか?竹って地面の中で繋がってんだとよ」
ある日、彼は目の前に広がる竹林を指してそう言った。
「地下茎でしょ?それがどうかした?」
「いや、似てるなって」
「何に?」
私が問うと、彼は振り返るでもなく、息を漏らすように続けた。
「竹ってさ、一本の傷が命取りになるんだってな」
「?」
私の質問はどこにいったのか。
怪訝な顔をする私を余所に、彼は縁に腰を下ろしてしまう。
「一見丈夫で柔軟性もある。色んな用途にも使われる。でも案外脆いもんだ」
その話は耳にしたことがある。
確か、地中の根で繋がっている竹林は一つの個体で、地上のどれか一本に悪影響が出ると、いずれは繋がっている竹全てに広がってしまう、と。
「俺にとっては、お前達全員が『竹』だ。一つとして欠けちゃ駄目なんだ」
彼はそう言って振り返った。
昔から見てきた、決まって私を安心させる時に見せる笑みを浮かべて。
「お前達は何が何でも俺が守り抜く」
彼はいつもそうだ。
面と向かって、普段はそんな臭い台詞なんて口にしないのに。
こういう時だけは、いつも。
「勝つぞ」
なんだか言われているこっちが気恥ずかしく感じて、私は視線をやや下に向けながら応じた。
「そうね。……ええ、勝ちましょう」
それは決戦前日の昼下がり。
どこか寂しげな彼の背中を、私は黙って見送った。
〜〜〜
「…………馬鹿ね」
永琳は思わずそう呟いていた。
(隼斗、貴方はあの戦いに終止符を打った)
あの日。
戦士達は戦い、疲弊した身体が自重すらも苦に感じ始めた頃、幻想郷は終戦を迎えた。
永遠亭へ続々と怪我人が運び込まれてくる中、そこに彼の姿はなかった。
妙な胸騒ぎを覚えつつも診療を続け、漸く一息つけると安堵したところへ、見知った顔が訪れた。
そして、
────その事実を、胸騒ぎの正体を。
「本当に、馬鹿…ね」
唐突に視界がボヤけた。
永琳は頬を伝うものを指先で拭うと、絞り出すように呟く。
「貴方が欠けてしまっては意味がないじゃない……っ」
竹についた傷は一生消えることはない。
故に、傷のついた竹は伐採するしかない。
他の竹を殺さない為に。
─────────
いつの日からか、ここ最近同じ夢を見ている気がする。
「………」
目が覚め、意識が覚醒した頃には既に不鮮明に形を崩してしまうのが夢というもの。
後になってからでは、夢の中で自分がどんな感情でいたのかさえ思い出すことができない。
悲しかったのか、悔しかったのか。
夢から覚めたばかりの今、思い出せるのは、夢の中の自分が涙を流していたことだけだった。
「紫様?」
不意に横合いから声がかかった。
未だ放心状態のままゆっくりとそちらを向くと、寝室の襖から自身の式神が心配そうに顔を覗かせていた。
「藍、………おはよう」
「おはようございます。あの、紫様……、何かあったのですか?」
「泣いておられるようですが」と、藍は続けた。
「え?」
徐に頬へ触れた指先がしっとりと濡れた。
何故涙を流しているのかわからないまま、少しの間放心していた紫は、やがて再び藍の方へ向き直り言う。
「なんでもないわ」
そうして気遣わしげに見つめる藍を下がらせた紫は、寝衣からいつもの紫色のドレスへと着替えた。
(今日は……、いけそうね)
身体の調子を確かめ、寝室を後にした紫は、やはり心配だったのか未だ廊下で待機していた藍を見つけると、微笑を浮かべて告げる。
「少し出てくるわ。今日は体調がいいの」
そう言って目の前を指で縦になぞると、何もない空間からスキマが出現した。
「……紫様」
スキマの入口へ一歩踏み出した紫へ、藍は思わず声をかけていた。
「?」
「あっ、いえ………、お気をつけて」
途端に言葉に詰まってしまい、漸く出たのはそんなたわい無い一言のみだった。
「ええ」
再び微笑んでスキマへと入っていった主人を見送り、一人その場に残された藍は、暫くスキマの消失した空間を見つめていた。
(何をやっているんだ私は)
死の天使の襲撃から数ヶ月。
あの日から今日まで、八雲 紫は力の酷使により
漸く最近になって彼女は自由に身体を動かせるまでに回復したのだが、病み上がりであることに変わりはない。
だから従者として、式神としてあまり無茶をしてほしくなかった。
彼女は寝込んでいる間、少しずつ復興に向かっていく幻想郷の様子をいつも気に掛けていた。
だから身体を動かせる程に回復したら、多少身体を引きずってでも彼女は動き出すだろうと検討をつけていた。
「今は無茶をせず安静にしていてください」と、少し強めの口調で喚起するつもりだったのに。
(早く安心させてあげたいと……、思ってしまった)
どんな些細なことでも、主人が落胆する顔を見たくなかった。
死の天使を打ち倒したあの日…………、龍神から『彼』の宣告を受けたあの日から、藍にとって主人が幾度となく見せてきた悲しげな表情は一種のトラウマになっていた。
その表情を目にするたびに、思い出す。
自身も同じくして絶望に打ちひしがれたあの日の記憶を。
今とて完全に立ち直れた訳ではない。
だが式神である自分がしっかりしなければ、主人を、そして自分の部下を支えていかなければ…、と必死に言い聞かせてきた。
「こうも辛いとはな」
そんな言葉が溢れ出る。
「私は今でも信じられないよ…………、なあ、隼斗」
一人だからこそ許される弱音を、ぽつりぽつりと吐き出した。
今年最後の投稿です。
活動報告でお伝えした通り、来年も物語はもうちっとだけ続くんじゃ。
………はい、完全に見誤りました。
来年からも引き続き書かせていただきます。
ここまで読んでいただいた皆様、年明けからもよろしくお願いいたします。
それでは、よいお年を!