最初に目にしたのは、辺り一面何もない草原だった。
───いや、正確にはまるで夢の中にいるような、曖昧な景色が頭の中でぼんやりと広がっているだけだったのかもしれない。
そこで何を見ていたのか、何を耳にしていたのか、そもそも何故そこにいたのか。
それらを疑問に思うための意識すら、存在しない。
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空には色があった。
最初は赤く、次第にそれは鮮やかな青色へと転じ、暫くすると橙色となり、やがて一面塗り潰したような黒になる。
そして再び、空は赤色に染まっていき、巡るように一定の色を繰り返す。
ただ、時折灰色がかることもあった。
─── それらの変化を、意識的にとらえることができるようになったのは一体いつからだろうか?
気付いた頃には、目の前にあった筈の草原は消えていた。そもそもそこに草原があったのかどうかも、曖昧な記憶の中では定かではない。
さりとて変わったのはその一部分だけ。
空は変わらず、一定の色へと転じては、再び同じ景色を繰り返した。
そうやって、何度同じ景色を見た頃だったろうか。
「?」
青色だった空が、突如として紅く染まった。
可笑しい。青の次は橙色の筈なのに。
やがて元に戻る色。
それは一瞬だったのか、暫くその時が続いていたのか、相変わらず記憶は曖昧だ。
その後も周期的に変化は訪れる。
どれも感覚的には一瞬のことで、どれがどうだったかなんて今更わからない。
しかしそういった変化が訪れるたびに、どこか懐かしいような、不思議な感覚が押し寄せた。
尤も、過ぎてしまえば同じこと。
全ては曖昧な記憶の彼方へと消えていく。
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桜色の風吹く白玉楼。
「そうですか、やはり其方には行っていないのですね」
普段の飄々とした雰囲気から一変し、幽々子は真剣な表情のまま頷いた。
傍らに控えている従者の少女は、平静を保とうとはしているようだが、そのぎこちない表情が今の彼女の感情を表している。
この話合いはここ数ヶ月の間で何度目だろうか。
「そもそも此岸と彼岸では理が違う。其方では無数に存在する世界があろうと、彼岸に於いては存在する世界はただの一つのみ。それが死者を裁く基準となるからです」
幽々子の目の前に浮かび上がる、青白く揺らめく焔の玉は、凛として告げた。
声の主は幻想郷を担当する閻魔、四季映姫・ヤマザナドゥその人だ。
通信とはいえ、その厳格な気に当てられれば、大抵の者は身体を強張らせてしまうだろう。
「彼岸には来ていない。つまり、未だ彼の魂は其方に存在しているか、本当の意味で存在自体を抹消されてしまったのか。一概に言い切れるものではありません」
閻魔という役職についてから今日まで、自分の中に絶対の基準を持って職務を全うしてきた彼女とて、今回の様に前例のない不確定要素は断定することができなかった。
「前者ならば別の世界へ。後者ならばこの世界に帰ってきてそのまま……、と言う訳ですね」
「ええ」
皮肉な話だ。
誰もが彼の生還を望んでいるというのに。
生きているならば、もう二度と会うことは出来ず、帰ってこれたとしても、その姿は見る間も無く消滅してしまう。
ならばと、幽々子は改めて表情を固め、懇願した。
「……では、閻魔様。もし彼が別の世界に流れ着いていて、いずれ
「残念ながら、此方の情報を此岸へ無闇に流すことは禁じられています。それにその場合、私の担当から外れている可能性の方が大きい」
だが映姫の回答はばっさりとしたものだった。
理由はどうあれ、規則は規則。
その何者にも左右されない気質こそが、彼女の閻魔たる所以なのだ。
「しかし、もし彼の行き先が冥界であったならば、元いた世界を担当する貴女にも報告をすることになるでしょう」
だからそう続けた映姫の言葉に、幽々子は気落ちする間も無く、目をぱちくりとさせ、やがて一拍遅れて頭を下げた。
「ありがとうございます…!」
「それと……」
それは彼女にしては珍しく、妙に言い淀んだ様子だった。
「閻魔という立場である以上、不確実なことを口にするべきではないのでしょうが……、先程提示した可能性の話です」
「?」
映姫は「私個人の見解ですが」、と続けた。
「あるいは───」
幽々子だけでなく、傍らにいた妖夢も、目を見開いて身を乗り出しかけた。
その様子を庭先から目にしていた妖忌は、植木の手入れの作業を止めて、微かに目を細める。
(皆、やれることはやった。……後は───)
彼は僅か数秒の思案の後、再び植木へと向き直った。
今年の投稿は以上になります。
今年は何かと小忙しい一年になってしまい、予想外にペースが落ちてしまいましたが、2019年も読んでいただき、ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。皆さまよいお年を!