輪廻の檻 ―異世界で再会した幼馴染は、俺を知らない敵だった― 作:あすらりえる
第0話:プロローグ
突風が吹き荒れ、目の前の女のフードが捲れ上がった瞬間、海里は驚愕でその場から動けなかった。
女の足元には、海里と『――』が、必死に追い詰めた異形の魔物が肉片となって散らばっている。
強大な魔物を切り刻んだ風の魔力。だが、そんなことはどうでもよかった。
海里の喉から乾いた音が漏れる。
「……な、んで……」
視線の先にいるのは、かつて元の世界で守れなかった少女。
一年前、海里の腕の中で血に濡れ、死に別れたはずの幼馴染
黒髪も、整った顔立ちも、海里の記憶にある彼女と変わらない。ただ一つ、その瞳を除いて。
かつて陽だまりのように笑っていた彼女の瞳は、今は冷たく無機質なものへ変貌して海里を見据えていた。そこには再会の喜びも、郷愁も、一欠片の感情すら存在しない。
彼女は、無機質な声で告げた。
「私は輪廻教団の鏡花。――転生者だ」
その名乗りは海里の胸を深く抉った。彼女の瞳に海里は映っていない。
そして、感情の伴わない目で海里に問うた。
「――君は誰だ?」
これは、亡き騎士の命を託された海里という青年が、かつて守れなかった幼馴染と、断ち切られた絆を繋ぎ直すための記録。
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夏の空の日差しは強く、アスファルトの向こうで陽炎が揺らめいていた。
(あの日も……鏡花の命日も、蝉時雨の音がうるさかったな……)
十八歳になった
隣にいつもいた太陽のような明るい笑顔が眩しかった、かけがえのない幼馴染の少女。
そして、海里自身の命をも狙ったその男の命を、結果的に海里は奪った。それは瞬間的な殺意の発露だったのか、正当防衛だったのか。その意味が海里自身にも分からなくなっていた。
全てが終わった後に残ったのは、幼馴染を守れなかったという鉛のように重く冷たい罪悪感と、二度と会えなくなった彼女への途方もない未練だけだった。
以前、海里は剣道に熱中していた。だが今では、愛用していた竹刀は部屋の隅で埃を被っている。どんな理由があったにせよ、人を殺めたその手で、また剣の道に向き合うことはないだろうと、海里はぼんやりと考えていた。
事件の記憶から逃れるため、彼は知識に溺れることを選んだ。だが、どれほど文字を目で追っても、脳裏に焼き付いた光景は消えなかった。古傷のように、折に触れて鈍い痛みを伴い、執拗に彼を苛み続けた。
重い足取りでやって来た墓地は、都会の喧騒から隔絶された、静寂に包まれた空間だった。
三澄家之墓。
そう刻まれた墓石の横には、まだ新しい
線香に火を灯すと、立ち昇る白い煙が、夏の青空へとゆっくりと昇っていく。視線を墓石に戻し、目を閉じて手を合わせた彼の心には、ただ懺悔があった。
墓参りを終え、海里は重い足取りで家路につこうとしていた。
その時だった。
金属が弾けるような耳をつんざく音が響いた。音のした方向へ海里が視線を向けると、工事中の高層ビルから巨大な鉄骨が重力に従い、落下してくるのが見えた。
その落下地点の真下には、一人の小さな子供が、空を見上げたまま、ただ呆然と立ち尽くしている。
考えるよりも早く――海里の身体は、反射的に動き出していた。
「危ない!」
乾ききった喉から絞り出した掠れた声が、まるで遠くで響く音のように聞こえた。
その直後、衝撃とともに、鉄骨の圧倒的な重量が、彼の身体を容赦なく押し潰した。肺から空気が、まるで潰れた風船のように、一気に漏れ出る。激痛が全身の神経を駆け巡り、視界は激しく歪み、色彩を失っていく。
(ああ……これで……終わるのか)
薄れゆく意識の中で、海里が認識できたのは、自分が必死に突き飛ばして守りきった子供の驚いた顔だった。人を殺めた自分の手。その手が、今、誰かの命を救った。
ぼやけていく視界の先で、鏡花の笑顔が、幻のようにゆらゆらと揺らめいた。
意識が闇に溶け落ちるその直前――あの日からずっと見ることができなかった鏡花の笑顔が、優しく自分を迎え入れてくれたような気がした。
僅かに動く指先で胸ポケットにしまっていた、彼女の形見のペンダントを握りしめる。
――叶うなら、もう一度、鏡花に会いたい。
握りしめたペンダントが、微かに淡い光を放ったような気がした。それを最後に、水無月海里の意識は、暗い闇の中へと遠のいていった。