輪廻の檻 ―異世界で再会した幼馴染は、俺を知らない敵だった― 作:あすらりえる
大勢の傭兵を引きつけていたレンとリズは、轟音に揺れる監獄塔を見て、驚きの声を上げた。
「なんだぁ?」
「海里たちは?」
戦っていた傭兵たちも何事かと動きを止めていると、監獄塔の入り口から気絶した男傭兵の首根っこを掴んだ女傭兵が姿を見せた。
「皆さん、戦闘は終わりですわ。この場から離れるのですわ!」
そう言い捨てた女傭兵は、男傭兵を乱暴に引きずりながら足早に監獄塔から離れていく。
しばらく呆気に取られていた傭兵たちも、女傭兵の言葉に従って、武器を収めて去っていった。
「何なんだよ、一体……」
「分かんないわよ。でも、これはまずいわ」
レンとリズが動けずにいると、みるみる監獄塔の揺れが激しくなっていく。やがて、その入り口から海里たち三人が憔悴した様子で姿を見せた。しかし、そこに助けに向かったはずのアルベールの姿はなかった。それを見て、レンとリズは救出が叶わなかったことを理解させられた。
その直後、監獄塔は崩落した。巻き込まれないように、全員で必死にその場から距離を取った。
やがて轟音が止み、あとにはただ、濛々と立ちのぼる砂煙だけが残された。
□■□■□■□
海里たちは肩で息をしながら、崩れた監獄塔だったものを見つめていた。
瓦礫の山は、もう何の音も立てない。高くそびえていたはずのそれは見る影もない。数人程度で掘り返せるものではなく、できたとしても時間がかかりすぎる。この瓦礫の下でアルベールが生きているとは思えなかった。
崩れたのは、監獄塔だけではない。
すぐ傍の城壁までもが巻き込まれ、大きく抉れて崩れ落ちていた。その切れ目の向こうには、王都の外に広がる森の樹々が、静かに梢を覗かせていた。
王都内で起きた崩落とあって、近隣の人々は既に避難し、辺りに人影はなかった。崩れた塔は周囲の建物までも呑み込み、瓦礫に囲まれた広い更地を、そこに残していた。
「うっ……アルベール、先生」
ジュノアの嗚咽が聞こえ、それ以上は誰も言葉を発することはできなかった。アルベールの救出が叶わなかったこともそうだが、彼らがすべきことはそれだけではない。
悲しみたいのに、それを許される状況ではない。その事実がどれほど人の精神を苛むのか、想像もつかなかった。
「転生者は生き残ると思っていたがね、それ以外の反抗的な者も死んでいないようだな。まったく大した生命力だ。あぁ、アルベールはいないから死んだか」
「――ッ!!」
海里たちが呆然としていると、場違いなほど朗らかな声が聞こえてきた。しかし、同時に嘲るような響きでもあった。
背後を振り返ると、豪奢な馬車が停まっており、上等な仕立ての衣に身を包んだ男が、そこから降りたばかりだった。
彼は悠然と歩いていく。右腕を掲げると、魔道具らしきものが光を放ち、海里たちを見下ろせる程度の砂山が形成された。すると小間使いと思しき者たちが、どこに用意していたのか、これまた豪奢な椅子をうやうやしく運んできた。砂山の上に置かれた椅子にふんぞり返って座った男は、自らが支配者であると誇示するかのように、海里たち五人を睥睨した。
海里以外の四人が、男に険しい視線を向けた。海里にも、名乗られるまでもなく相手が誰か分かった。その悪名はこれまで幾度となく耳にしてきた。
「宰相……イディウス」
「ふん。お前が転生者・海里か。直接会ったことはなくとも、流石に私のことは知っているか。如何にも、私がイディウスだ。この世界で過ごした日々が決して長くなくとも、リグリアで暮らす以上は当然のことだからな」
不遜・傲慢・尊大・傍若無人。そのような言葉が集まって形を為した人間だと海里には思えた。黒曜騎士団の中にもクズと呼べる者はいたが、この男はその比ではなかった。何をどうしたら、このような人間になれるのか全く理解できなかった。理解したくもなかった。
海里の心中など知る由もないイディウスは、「それにしても……」と、前置きをしたうえで語り始めた。
「七元徳の鏡花がお前を捕らえたいというから、せっかく私の権力で濡れ衣を着せて捕らえやすくしてやったというのに、逃げられるとは馬鹿な女だ。予想通り、別な反逆者の救出行動にまで出張ってきているではないか」
「アルベール先生は反逆者なんかじゃないわ!!」
「黙れ! 騎士の小娘が! 一体誰に向かって口を利いている? 私は宰相だぞ。国の政を担う者だぞ! 身のほどを弁えろ!」
ジュノアの反論を一喝し、イディウスは続けた。
「アルベールが反逆者でないというなら、ルカンの氷像を隠し持っていたことはどう説明する? 異形の魔物は、実際に遭遇し、戦った貴様らのほうが私よりも詳しかろう。氷に覆われた死体とはいえ、あれをただの街医者が手に入れられるわけがないだろうが!」
「それは……」
「ふん。まぁ、いい。崩落でも死ななかったのなら、反逆者どもは改めてこの場で始末するとしよう。ただし、海里。お前だけは別だ。今度は私自身の意志で捕らえてやる。そうして教団に、鏡花に恩を着せてやるとしよう」
下卑た笑みでそう言ったイディウスが指をぱちりと打ち鳴らした。
イディウスと海里たち、その中心に雷光が落ちた。光が消えた時、そこには虚ろな目をした白銀の鎧を纏った男が立っていた。
蒼い雷光を纏った、リグリア最強騎士の一角である『雷針』ゼファー。白銀騎士団の団長であり、ルクスの兄。
纏う蒼雷が、ぱちぱちと空気を焼くかのように微かな火花を散らす。ただそこに立っているだけで、肌をひりつかせる圧が、じりじりと間合いを侵してきた。
彼が傀儡にされた姿を見ておらず、どこかそれを信じ切れていなかった者たちも、否応なしに理解するしかなかった。
意思の宿らない瞳で海里たちを見るその姿は、海里を捕らえた時と寸分違わなかった。
「……てめぇ。ゼファーさんにかけた傀儡魔法を解きやがれ!」
ラルフの喉から、押し殺した怒りが漏れた。炎の魔力が、その全身から陽炎のように立ちのぼる。
イディウスは、その殺気をまるで意に介さず、嘆かわしげに首を振ってみせた。
「どいつもこいつも口が悪い。弁えるという言葉を知らんのか」
イディウスは吐き捨てるように言い、苛立たしげな視線を海里たちに向けた。教団の撤退、反逆者の一掃、そして自身の権力地盤の再構成。それこそが至上命題であるかのようだった。
「安心しろ、いずれは傀儡化は解いてやる。……もっとも、その時まで命があるのは海里だけだがな」
宣告は淡々と下された。生き残る利用価値を持つ者と、ここで間引かれる者の選別はイディウスの中で既に完了している。
「無駄口はここまでだ。やれ、ゼファー!」
イディウスが左手をかざすと、腕輪型の魔道具が怪しく光を放つ。その直後、ゼファーの纏う雷光の魔力が、爆ぜるように膨れ上がった。
「――来るぞ、散れ!」
ラルフの叫びと同時に、幾条もの雷が奔り迫ってくる。ジュノアが咄嗟に張った水の障壁が、押し寄せる雷撃を辛うじて受け止めた。
「くっ……!」
「イディウスが……ここにいるってことは!!」
次いで、リズが上空に向けて大きな炎弾を連続して放ち、それが高所で弾けて地面へと落ちていく。
傀儡となっているゼファーは、手にした槍を一閃して、弾けた炎を消し飛ばし、一切のダメージを受けていない。
リズは何度か同じ動作を繰り返して、ゼファーの動きを抑えようとしている間にレンが動いていた。
彼は土塊で覆われたメイスを手に、ゼファーではなくイディウスへと向かっていた。砂山を駆けあがって距離を詰め、傀儡魔法を解かせんと武器を振りかぶった。傀儡魔法を使えようと、それは戦闘手段にはならない。双子の賊のように、大量の魔物を従えているわけでもなく、『操魔』ディランのような戦闘力があるわけでもない。戦闘力という意味ならイディウスは双子にすら劣るだろう。
「くらえ!」
何の障害もなくイディウスを打ち据えるはずだったレンの一撃は、硬質な音と共に弾かれた。
「なっ!?」
レンとイディウスの間には何もない。しかし、彼の攻撃は届いていなかった。その理由を知るイディウスは醜悪な笑みを浮かべた。
「ふん、私に戦う力がないことは、私自身が誰よりも知っている。そも、その必要がない。だが、それでも何故この場に堂々と出てこられているのか、少しはその意味を考えてみることだな」
そう宣ったイディウスとレンの間に、薄く透明な膜のようなものが見えた。それがレンの攻撃を防いだものの正体だった。
「障壁の魔道具なのか?」
「その通りだ。魔力を帯びていようが、その程度は物理攻撃の範疇でしかない。私には届かない。何度やっても無駄だぞ」
「卑怯な奴だな。人の意思を奪っておいて!」
ぎりっと歯噛みしたレンの言葉に、かっと目を見開いたイディウスの怒声が響いた。
「小僧が!! 口の利き方を弁えろと、何度言わせる気だぁ! 半殺しにして捕らえてから、頼むから殺してくださいと懇願させてやっても良いんだぞ!! 楽に死ねると思うな!!」
その言葉を聞いて怖気を感じたレンは思わず後ずさった。戦えば間違いなく、冒険者として魔物や賊と渡り合ってきた自分のほうが強い。なのに、この男の醜悪さはまったく違う角度からレンを退かせた。
敗れれば、本当にこの男は言葉通りにするのだろう。それこそが、権力を振りかざし、今日までリグリアの実権を握ってきた一因だと理解させられた。
「本当に醜悪な男ね……」
その言葉を発したのはリズだった。彼女もまた目に怒りを湛えていた。そんな彼女にも一瞥をくれたイディウスの目が細められた。
「昔、私に反逆してきた者たちがいたな……。面影があるということは、その娘か?」
「そうよ、あんたに両親は処刑されたわ」
「当時の反逆者は、その子供まで殺したはずだったんだがな。殺しそびれた者がいたか」
何でもないことのように言うイディウスにリズの怒りが深くなる。彼女の持つ杖の先に、極大の炎が生成されていく。反対側からは、弾かれた時以上に大量の土塊でメイスを覆ったレンが構えていた。
レンとリズが左右から攻撃を放つために控え、さらに傀儡ゼファーの雷撃の中を走り抜けたラルフもまた、炎槍を構えてイディウスへと突進する動きを見せていた。握った槍先に、灼熱の炎が渦を巻いて凝縮していく。狙うは、傀儡魔法の起点であるイディウスのみ。
「ぶち抜く――!」
そうして、三者三様の攻撃がイディウスを守る障壁ごと打ち砕こうとしていた。
それでも、イディウスに焦りはない。
「三方向から攻撃されれば、さすがに障壁の魔道具でも破られそうだな」
と、涼しい顔のまま宣った。
「おおおおおおおおおおおぉぉぉッ!!」
突っ込んでくるラルフの炎槍。左右から迫る炎弾と、土塊に覆われたメイス。それらを順番に見据えて、イディウスが短く告げた。
「シルフィア」
直後、イディウスを覆うように分厚い氷壁が出現し、三方向からの攻撃を防ぎきった。
「なっ……!?」
ラルフたち三人の渾身の攻撃は、その氷に阻まれ、白い蒸気を上げて虚しく散った。
障壁の魔道具では防げないと分かっていながら、イディウスが逃げようともしなかったのは、その必要がなかったから。
この状況で、イディウスを守る氷の魔力。彼の背後から静かに歩み出る人影があった。
長い髪を風に遊ばせ、優美に氷を操るエルフの女性がそこにいた。
「シルフィア……さん……?」
明らかに彼女がイディウスを守るために氷壁を展開した。
なぜ、あなたがイディウスの側にと、その場の誰もが思った。まさか彼女まで傀儡にされたのかと。しかし、彼女の目はゼファーのように虚ろではなく、はっきりと像を結んでいた。
傀儡になっていない彼女は、明確な意思を以て、ラルフたちの攻撃を防いだ。
(どうして……?)
その問いは声にならなかった。
意思を奪われた最強の騎士と、イディウス側へ立つ強大な氷の魔導士。
「彼女は私の優秀な護衛だよ。なぁ、そうだろう? シルフィア嬢。ふはっ、はははははははははははははあ!!」
アルベールの死を悼む時間すら与えられぬまま突入した戦闘の中、海里たちは、さらなる混乱に見舞われた。
それを見たイディウスは、満足そうに空を仰いでいた。反逆者を焼き払う雷の矛と、自身を守るための氷の盾。強者を意のままとした男の哄笑が戦いの場に響いた。