輪廻の檻 ―異世界で再会した幼馴染は、俺を知らない敵だった―   作:あすらりえる

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第10話:呪いの言葉

 夜が明け、ロルカ村の跡地を後にする直前。海里はルクスの剣をジュノアへと差し出した。

 

「この剣は、ジュノアが持っていてくれ」

 

 ジュノアはその剣を受け取った。かつては持ち主の熱を帯び、幾多の死線を共に越えてきたはずの鋼。 だが、今のそれはただ冷たく、沈黙している。

 

 持ち主がもうこの世にいないという事実を、ただ告げていた。

 

 ジュノアは剣を胸元でぎゅっと握りしめた。その剣の重みこそが、ルクスが生きた証であり、彼女が背負い続ける記憶のひとつだった。

 

「……ありがとう、海里」

 

 絞り出すような声。彼女の横顔を見て、海里は改めて、ルクスという男が彼女にとってどれほど大きな光だったかを悟った。

 

「私たちにとって、これは単なる武器じゃない。ルクスがどんな騎士だったか、それを証明する大切な証よ」

 

 ジュノアは一度目を閉じ、次に開けた時には、騎士の顔に戻っていた。彼女は感傷を振り払うように海里を向き直る。

 

「海里。丸腰で街道を行かせるわけにはいかないわ。私たちの予備を使って。ルクスの剣ほどではないけれど、護身用には十分よ」

 

 差し出されたのは、装飾のないロングソードだった。

 

「ありがとう。助かるよ」

 

 受け取った剣は、ルクスのものより少しだけ軽く、頼りなく感じた。だが、これからは自分自身の足で異世界を生き抜かなければならないのだ。

 

 王都へ続く街道は、早朝の冷気に満ちていた。静寂の中に時折、馬の蹄の音だけが乾いて響く。

 

 海里に乗馬の経験はなかったが、ルクスから託された記憶の影響で、乗馬の方法、手綱の引き方まで、身体的な感覚として海里の内に根を張っていた。

 

 何の違和感もなく、乗馬できる。まるでルクスが寄り添い、手助けをしてくれているようだった。

 一行は多くを語らず、ただ馬を並べて進む。目的地であるリグリアの王都を目指して、一歩ずつ歩みを進めていった。

 

 

 □■□■□■□

 

 

 数時間後、一行は街道沿いの開けた平原に出た。長く続いた森の閉塞感から解放され、騎士たちが安堵の息を漏らしたその瞬間、異変は起きた。

 

 茂みが激しく揺れ、土を蹴る音と共に、ゴブリンの集団が躍り出てきた。手にした棍棒は粗末だが、その眼には凶暴な光が宿っている。さらにそれを追うように、狼の群れが唸り声を上げながら一行を包囲した。

 

「迎撃するわ!」

 

 ジュノアが腰の剣を抜き放つ。その動作は流れるようにしなやかだった。

 

「水よ」

 

 ジュノアの声に反応し、刃を覆うように大量の水の魔力が噴き出した。水は彼女の意志で自在に形を変え、鋭い鞭となって狼たちの足を正確に絡め取る。

 

「今よ!」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 その隙を、騎士たちは見逃さない。槍が狼の喉元を貫き、雄叫びと共に剣がゴブリンを切り裂く。

 

 ジュノアは間髪入れずに次の敵へ意識を向けた。残るゴブリンの打撃を最小限の動きで受け流し、水を纏わせた刃で一閃する。

 

 さらに彼女が剣先を向けると、凝縮された水の魔力が鋭い水流となって撃ち出された。それは流麗な軌道を描きながら、ゴブリンの急所を無慈悲に穿っていく。

 

 ジュノアの戦い方は、まるで優雅な舞だった。水の障壁で狼の牙を滑らせ、その弾みを利用して弾き飛ばす。剣を振るうたびに水が舞い、敵を翻弄する。水の魔力は彼女の身体の一部と化していた。

 

 一方、海里は簡素なロングソードを手に、静かに立ち尽くしていた。 彼の目は敵の一挙手一投足を捉え、その時を待つ。

 

 ギシャアッ!

 

 ゴブリンが、唸り声を上げて海里に突っ込んできた。 振り下ろされる棍棒。海里はそれを引きつけると、最小限の回避で体を横にずらす。風圧が頬を掠めたが、その瞬間、海里の周囲の空気が重く歪んだ。 彼にしか感じ取れない、粘りつくような魔力の放出。

 

(重くなれ……)

 

 対象を絞った重圧。直撃を外したはずのゴブリンの身体が不自然に沈み込み、動きが急激に鈍る。 その隙を、海里は見逃さなかった。最短の軌道でゴブリンの頭部を断ち割った。

 

(……やっぱり、対象を絞って重さを加えられる。対象を一体に絞れば、魔力の消耗はほとんど感じない。この使い方なら戦いの中で繰り返し使えそうだ)

 

 重力魔法の使い方に確信を得た海里は、背後から迫る別のゴブリンを一閃し、その命を奪い取っていく。

 

 相手の力を利用し、重力で自由を奪う。それは騎士たちの戦い方とは根本的に異なる、受けの技だった。

 

 魔物の掃討が終わった後、ジュノアは興味深そうな表情で海里を見つめていた。

 

「……あなたの戦い方、無駄がなくて、自然に敵が吸い込まれていくみたい」

 

 海里は剣を握った手のひらの汗を拭い、少し困ったように答えた。

 

「動き方は、この体が覚えているんだ。経験則が染み付いているというか……だから、俺自身のものかは分からない。最近まで、忘れていた感覚だしね」

 

 海里の呼吸は穏やかだった。それを横目で見て、ジュノアは驚きを隠せない。

 

「ジュノアの方こそ凄いな。水を自在に操るなんて、見惚れるような戦い方だった」

 

 純粋な称賛に、ジュノアはふっと頬を緩ませ、笑顔を見せた。

 

「ふふ、ありがとう。私はこの魔法が一番合っているの。密度や形も自由自在だから。……次はもっと驚かせてあげるわ」

 

 彼女は水滴が滴る剣を鞘に収めた。 魔物との戦いを通して、二人の間には言葉以上の信頼が積み重なっていく。

 

 

 □■□■□■□

 

 

 魔物との戦いの余韻が冷めやらぬ中、今度は五人の男たちが姿を現した。 薄汚れた革鎧を纏い、錆びついた斧や農具を改造した鈍器を構えるその姿。欲望に濁った瞳は、彼らがまともな人間ではないことを物語っていた。

 

「……賊ね」

 

 ジュノアが低く呟く。白銀騎士団の精強な武装を目の当たりにしてもなお、彼らは好戦的な笑みを崩さない。あまりの無謀さに、ジュノアの瞳に呆れの色が混じる。

 

「騎士様ぁ! そのピカピカの鎧も金目のもんも、全部置いていきなァ!」

 

 獣のような咆哮と共に、賊が襲いかかってきた。騎士たちは即座に剣を抜く。だが、海里の動きだけが、不自然に止まった。

 

 魔物相手なら迷いはなかった。だが、向けられた刃の先にいるのは、自分と同じ人だ。その事実が、海里の腕を重くさせた。

 

「海里、危ない!」

 

 ジュノアの叫びで、海里はハッと我に返る。

 

 眼前に迫る賊。海里は咄嗟に剣を振るったが、その一撃には殺意が欠けており、相手を押し戻すのが精一杯だ。

 

(……斬れない。あの夜の感触が、蘇って……手が、動かない……!)

 

 海里の躊躇が生んだ一瞬の隙。それを見逃さず、別の賊がジュノアへと襲いかかった。

 

 だが、彼女は冷静だった。流麗な動作で、凝縮された高密度の水流が賊を絡め取る。水の鞭に縛られた男が、無様に地面に這いつくばった。

 

 ジュノアの瞳に、一瞬の逡巡がよぎる。だが、それは瞬き一つの間に消えた。彼女は迷いを断ち切るように、水の鞭で拘束された男の心臓を、一息に貫いた。

 

「……ごめんなさい。あなたたちを捕らえて移送する余裕は、今の私たちにはないの」

 

 謝罪の言葉を倒れた骸に落とす。彼女の背中は、非情な決断を下した騎士の冷徹さに包まれていた。海里が対峙していた男も、彼が立ち尽くしている間に、別の騎士が喉元を突き刺し、沈黙させた。

 

「はっ、はっ、はぁ、はぁ……」

 

 戦闘が終わった街道に、海里の荒い呼吸だけが響く。額からは冷や汗が滝のように流れ落ち、心臓が耳の奥で激しく鐘を鳴らしていた。

 

 魔物との戦いよりも、体力を消耗したわけではない。それなのに、全身の力が抜け、立っていることさえやっとだった。

 

「……無理もないわ。相手が人となれば、躊躇もするわ。まして、あなたは……」

 

 歩み寄るジュノアの表情には、理解が滲んでいた。 海里は、彼女の優しさが今の自分には鋭利な刃のように感じられた。

 

(俺は一体、何をしてるんだ……?)

 

 ルクスの力を託され、身体能力的に強くなったはずだ。重力の魔力もあるし、それなのに、自分を殺しに来た悪意に対して、剣を振り下ろすことができない。

 

 強くなったはずの身体と、脆弱な心。その埋まらない溝に、海里は嫌悪感を覚えた。

 

 

 同時に、海里の脳裏には、かつて自らの手で殺めた男の言葉が、逃れようのない呪縛となって蘇ってきた。

 

 

『――()()()()()()()()()()()()

 

 

 あの夜。海里のナイフで胸を貫かれ、死の淵にいた鏡花を襲った男。 あの男は、教え子の新しい才能を祝福するかのような、歪な歓喜に満ちた笑みを浮かべていた。

 

 その言葉は、どれだけ時が経っても、異世界に転生しても、海里の心を蝕み続ける。

 

 目の前に横たわる賊の死体と、過去の惨劇が重なり、吐き気がこみ上げる。 自らの手についた人を殺したという感触が、今さら蘇った。

 

 ぎり、と奥歯を噛み締め、自己嫌悪の淵に沈む海里の肩に、ジュノアの手が触れた。

 

「……王都に着けば落ち着けるわ。ここよりもずっと安全よ。もうすぐそこよ、海里」

 

 ジュノアが、そっと寄り添うように声をかけてきた。

 

 冷たい鉄の甲冑に包まれたその手は、不思議なほどに温かかった。その温もりが、張り詰めていた海里の緊張を解きほぐしていく。

 

「……ありがとう、ジュノア」

 

 ようやく絞り出した声に、彼女は優しく頷いた。

 

 やがて街道の先に、それは姿を現した。圧倒的な威容を誇る白い城壁。そしてその中心にそびえ立つ壮麗な白亜の城。

 

(……あれが、リグリア。ルクスの記憶の中にある、王都か)

 

 初めて見るはずの景色だ。

 

 それなのに、海里は風が運んでくる石畳の匂いや、城壁の堅牢さも「知って」いた。王都の姿を視界に捉えた瞬間、意識の底に沈んでいたルクスの記憶が溢れ出してくる。

 

 城門の構造、入り組んだ裏通りの道。 自分自身のものではない膨大な知識。それは、彼がルクスの想いをも背負った存在になったことを改めて理解させた。

 

「ようこそ、海里。リグリアの王都へ」

 

 ジュノアは安堵を滲ませて微笑んだ。

 

 その声に導かれるように、海里は見知らぬ、しかしルクスの記憶にあるリグリア王都への、最初の一歩を踏み出した。

 

 

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