輪廻の檻 ―異世界で再会した幼馴染は、俺を知らない敵だった―   作:あすらりえる

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第20話:星落つる夜の追憶

 リグリアでの生活に慣れ始め、海里はふと、自分がなぜこの世界にいるのか、という根本的な問いが頭に浮かんだ。

 

 夜、王都の喧騒から離れた静寂を探して、海里は城壁の一角にたどり着いた。

 

 王都の城壁は立ち入りを禁止されていないため、海里は石作りの階段を上っていった。

 

 階段を上りきり、しばらく城壁沿いに歩いていくと開けた場所に出た。王都の夜景を一望するには良い場所だった。

 

 ここなら集中して考え事ができそうだと思った海里だったが、そこには先客がいた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 城壁の端に寄りかかり、遠い星空を仰いでいたのはジュノアだった。彼女の姿は、夜の闇に溶けて消えそうで、どこか心細げに見えた。

 

「こんばんは、ジュノア……こんな場所で、どうしたんだ?」

 

 不意に声をかけられた彼女は、弾かれたように肩を揺らして振り返った。

 

「こんばんは。海里こそ……こんな時間にどうしたの?」

 

 ジュノアの表情から、彼女もまたわだかまりを抱えていることを察した。

 

「俺は少し考え事をしたくて。……君は?」

 

「私も同じ。ここはね、ルクスとよく訪れていた場所なの」

 

 ジュノアは再び夜空に視線を戻した。

 

「色々な話をして……夢を語り合ったり……。そうしたら足は自然とこの場所に向いていたわ」

 

 ジュノアの途切れ途切れの声には、まだ癒えない悲しみが滲んでいる。海里は何も言わず、彼女の隣に並んだ。城壁の松明がパチリと爆ぜ、火の粉が暗闇へ消えていく。

 

「ジュノア。……ルクスについて、教えてほしいんだ」

 

 海里は、夜景を見つめたまま切り出した。

 

「俺は彼に命を救われたけれど、命の恩人なのに、彼自身のことをほとんど知らない。だから、もっと知っておきたいんだ」

 

 海里の問いかけに、ジュノアは微笑みを浮かべて話し出した。

 

「ルクスはね……ひどくお節介で、誰かの役に立つことを心から喜ぶ、まっすぐな人だった。そして、騎士としては致命的なくらい無謀だった」

 

「無謀?」

 

「ええ。困っている人を見ると、自分を犠牲にしてでも助けようとするの。私はいつも『少しは自分のことも考えて』って、小言を言っていたのよ」

 

「……そうか。やっぱり、彼はそういう人だったんだな」

 

 一度しか会っていないのに、海里にはその姿が容易に想像できた。

 

 ジュノアは「ふふ」っと、小さく微笑んだ。

 

「ルクスは誰からも好かれていた。だから、私だけがいつまでも悲しんでちゃいけないって……分かっているのに……」

 

 自分を無理に鼓舞しようとするジュノアの震える肩に、海里は静かに語りかける。

 

「悲しむことをやめなくていい。無理に蓋をすると、もっと辛くなる。……俺も、そうだったから」

 

 ジュノアの瞳に、静かに涙が浮かんだ。彼女はそれを拭うこともせず、ただ夜風に打たれていた。

 

「……ありがとう、海里。あなたと話せて、少し心が軽くなった気がするわ」

 

「俺もだよ。ありがとう」

 

 海里はジュノアに感謝を伝えながら、まだ彼女に話していないことを話すべきか迷った。

 

 ルクスに命を助けられたのは事実。だが、命の灯が消えかけていたルクスから生命力と力を託されたことはまだ話していない。

 

 海里の迷う気配を感じたのか、ジュノアが問いかけてくる。

 

「海里、どうしたの?」

 

 ジュノアに問いかけられ、海里は言葉を失ったまま夜の闇を見つめた。 今さら何を、という思いはある。

 

(もし話せば……彼女は俺を、ルクスの命を奪って生きながらえている仇だと思うだろうか?)

 

 一度芽生えた疑問は消えない。ルクスを誰よりも愛していた彼女に、彼が最期にしたことを伝えることは、未だ悲しみの中にいる彼女の傷口を抉る行為に思えた。

 

 だが、それ以上に、ルクスの記憶をその身に宿す自分が、知っていることの全てを彼女に伝えないことは裏切りに思えた。

 

 

 海里は意を決してジュノアを真っ直ぐ見据えた。

 

「ジュノア、……俺はまだ、ルクスに助けられたことで君に話せていないことがあるんだ」

 

「……えっ?」

 

 困惑する彼女の瞳に、胸の奥で燻り続ける罪悪感を絞り出すように口にした。

 

「俺が今生きているのは、瀕死だったルクスから、その生命力と力を託されたからなんだ」

 

 海里の絞り出すような告白に、ジュノアは息を呑んで硬直した。 沈黙が流れ、夜風が二人の間を通り抜けていく。海里は彼女の拒絶を覚悟して拳を固く握りしめた。

 

 だが、彼女から返ってきたのは罵倒ではなかった。

 

「そう……だったのね。ルクスは最期に……そんなことをしていたのね……」

 

 ジュノアは複雑な表情を浮かべているが、海里の言葉を疑っていない。あっさりと信じられたことに海里は困惑を隠せない。

 

「俺が憎くないのか? 考え方によっては……俺が彼の命を奪ったも同然なんだぞ!」

 

 ジュノアは静かに首を振った。

 

「それを聞いたからといって、あなたを憎いと思わないわ。誰かのために命を投げ出せる。それがルクスだから……。彼は最期まで誰かを救う騎士だっただけよ」

 

 彼女は松明に照らされた自分の手を見つめた。

 

「彼が自分の意志で、あなたに未来を託したのなら……私にできるのは、その選択を汚さないことだけ。彼が命を賭けて守ったものを、私が否定するわけにはいかないもの」

 

 彼女の言葉は海里の心に響いた。だが、まだ消えないわだかまりがそこにある。

 

「それでも……もし、あの日俺を助けなければ、彼は今も生きていたんじゃないかって……考えてしまうんだ」

 

「……海里。彼の選択を、後悔という言葉で歪めないであげて」

 

 ジュノアは海里の肩にそっと手を置いた。力の入っていない彼女の手は、やけに重く感じられた。

 

「彼は最期まで自分の意思を貫いた。……それをあなたが後悔に書き換えることが、ルクスに対して一番の裏切りになるわ。だから、自分を責めないで」

 

 それはルクスの遺志を分かち合った者として、その最期を単なる悲劇に終わらせず、希望として繋いでいこうとする彼女なりの決意。

 

「……ありがとう、ジュノア。君にそう言われると、少しだけ……前を向けそうな気がする」

 

「……お礼は禁止。その代わり、これからは私の小言を、ルクスの分まで二倍聞いてもらうから。覚悟しておきなさい」

 

 ジュノアは少しだけ瞳を潤ませながら、悪戯っぽい表情を海里に向けた。

 

 海里は独りでは耐えきれなかった重荷を、彼女が半分背負ってくれたように感じていた。

 

「……ねぇ、海里。あなたの亡くなった幼馴染の話も、また聞かせてくれないかしら」

 

 ジュノアはそっと顔を近づけ、優しい眼差しで海里を見つめた。

 

「鏡花のことか」

 

 夜風が二人の間を吹き抜け、海里の口から大切な人の名前が、白い息と共に自然とこぼれた。

 

「ええ。ルクスのことばかり話したから、あなたの幼馴染の話も聞かないと、少し不公平な気がするわ」

 

 ジュノアは冗談めかして笑った。海里は目を閉じ、記憶に残る少女の笑顔をなぞるように話し始めた。

 

「鏡花は陽だまりみたいに明るかった。ただ優しいだけじゃなくて、理不尽なことには誰が相手でも一歩も引かない芯の強さを持っていたよ」

 

 ジュノアは、海里の言葉に静かに耳を傾けていた。

 

「そっか、鏡花さんってそういう人だったんだ。……陽だまり、か。私も会って話してみたかったわ」

 

「ルクスも交えて四人で話せていたら……きっと、話が尽きなかっただろうな」

 

「そうね。きっと、素敵な時間になったと思うわ」

 

 ジュノアは夜風に乱れた髪を耳にかけ、触れ合うか触れ合わないかという距離まで、少しだけ海里の方へ肩を寄せた。そのわずかな熱が、海里にはひどく心地よかった。

 

 ジュノアもまた、隣にある温もりに気づいていた。ルクスと並んでいた時の安心感とは、何かが違う。あの時は互いの存在が当然で、隣にいることに理由などなかった。けれど今、この人の隣にいることには、自分でもまだ名前をつけられない感情が混ざっている。

 

(——考えるのは、今はやめておこう)

 

 彼女は小さく息を吐き、星空に視線を逃がした。

 

(やっぱり、鏡花って名前を聞いたことあるわね)

 

 その名を内心で反芻しながら、ジュノアは不意に、以前も同じ既視感を覚えたことを思い出していた。その確信をうまく掴めないまま、ゼファーさんが戻ったら聞いてみよう、とだけ心に留めた。

 

 二人は、初めて会った時と同じように夜の星空を見上げた。

 

 亡き二人の思い出を通じて、海里とジュノアの間の絆が深まっていく。 なぜ自分がここにいるのか、その答えはまだ出ない。

 

 けれど、この世界で生きていく理由が、また一つ増えた気がした。

 

 

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