輪廻の檻 ―異世界で再会した幼馴染は、俺を知らない敵だった― 作:あすらりえる
シルフィアに話しかけられて、ハッとしたようにアルベールは顔を上げた。
「あぁ、気を遣わせてしまったね、シルフィアさん。君たちの話は耳に入っていたが考え込んでしまっていたようだ」
「アルベール。一人で抱え込まずに今考えていることを正直に私たちにも白状して」
リズが心配そうな眼差しでアルベールに促した。
「皆すまなかった。個人的なことだから本当に何でもないんだ」
アルベールは少し気恥ずかしそうに謝罪した。
そうして馬車は、それぞれの想いを乗せたままアウロラの森に向かっていく。ガタゴトと規則的なリズムを刻みながら。
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アルベールは馬車の揺れに身を任せながら、わずか数日前に起こった出来事を鮮明に思い出していた。
(ルカンの毒を治す翠玉の涙はアウロラの森が遠すぎて安定供給が難しい。医者として根本的な治療薬の確立は避けて通れない課題だ)
彼の視線は宙をさまよう。
(王都に戻ったら
得体の知れない患者、設楽が医院の屋上へ運んできたルカンの氷像。
それはアルベール医院に隣接する彼の自宅の地下へと運び込まれた。今、ルカンの氷像はアルベールが私財で作り上げた個人用の研究室の一角に安置されている。
アルベールは医者としての強すぎるほどの責任感を自覚していた。患者やその家族からの期待に応えるため、彼は文字通り身を粉にして働いてきた。
その結果、自身の疲弊が極限に達していることも、薄々感じてはいた。だが、それが彼の性分であり、これまでの生き方を容易に変えられるはずもなかった。
そんな内なる葛藤と義務感に苛まれているアルベールに、設楽は言葉を残していった。
「アルベール先生。素性も知れない俺の傷を丁寧に治療してくれて本当に感謝しているよ。あなたは本当に優れた医者だ」
設楽はアルベールを認めていた。しかし、それに続けて放たれた言葉はアルベールの心を軽く揺さぶった。
「でもねアルベール先生。あなたはもう少し自分自身を労わることを覚えた方がいい」
設楽はまるでアルベールの心の奥底まで見透かしているようで、それでいて穏やかな眼差しで忠告を寄越した。
「責任感の強さは立派だが、それだけでは身が持たない。研究好きな先生なら、このルカンの氷像を存分に活用できるはずだ。好きに扱ってくれ」
設楽はそう言ってルカンを閉じ込めた氷像を指し示した。
「あなたが医者ならルカンは病だ。根治するにはその
悪意などない。ただ自身の可能性を新たな方向性で見てみてもよいのだと、アルベールは言われた気がした。
「俺はまだリグリアに滞在している。探し物を見つけたら、また顔を見せに来るよ。先生に新たな道が見つかることを心から願っているよ」
そう言い残して設楽は颯爽と医院を去っていった。
設楽は得体が知れない。だが何者にも侵されない確固たる個を持っていると思えた。それは今のアルベールには殊更に眩しかった。他の誰かのためではなく、ただ自分自身のために生きている人間。それはある種の
アルベールは解毒に尽力し、それからルカンを調査する決意を自身に課した。その決意の奥底に医者としての義務感とは別の何かが僅かに灯っていることにアルベール自身は気づいていない。
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王都を発って数日が過ぎた頃、一行はアウロラの森の入り口にたどり着いた。
海里は思わず息を飲んだ。
目の前に広がるのは見上げるほどの巨木、また巨木。それらが織りなす巨大な緑の壁は空を覆い尽くし太陽の光をわずかにしか通さない。
森の入り口に一歩足を踏み入れる前から外界とは隔絶された厳かな静寂が一行を包み込んだ。
「すげぇ森だな。広すぎて迷ったらどうしようと思っちまった」
レンがその圧倒的な景観に興奮すると同時に不安な声を上げた。
「安心してレン。その場合は皆で話し合って、あなたを置き去りにするかどうか決めるから」
リズが冗談か本気か分からない口調にレンはすぐに反応した。
「やめろ。今の話のどこに安心できる要素がある?」
「本当に危なくなったら助けてあげるわよ」
リズはふっと笑いながら、さらにレンを
「…絶対に迷わねぇ」
初めて訪れる場所。それも人の手が及ばない聖域のような場所を前にしても二人は変わらず軽口をたたき合い、旅の道中で培った普段のペースを崩さない。
海里はそんな二人を見て自然と苦笑を浮かべた。彼らの、どんな状況でも動じない図太さは旅を続ける上でどれだけ心強いか。ちょっとやそっとの困難ではこの二人のペースを乱すことはできないだろう。
「馬車はここまでね。御者さんはまた依頼してある日時になったら迎えをお願いね」
御者との短い会話を終えたシルフィアが皆のところにやってきた。彼女は森の入り口に立つ一行を見つめ、静かな口調で告げた。
「さあ行きましょう。この森の奥に私たちの目的があるわ」
シルフィアの言葉に海里たち四人は頷き、深く濃い森の中へと足を踏み入れた。
鼻腔を突いたのは、湿った土と長い年月を経て朽ちかけた古い苔の匂い。見上げるほどの巨木が重なり合うように枝葉を広げ、天を覆い尽くしている。
太陽の光は巨大な樹々に阻まれ、地面に届くのはほんのわずかな光の束だけ。
海里たちはシルフィアの後について森の奥へと歩みを進めていった。