輪廻の檻 ―異世界で再会した幼馴染は、俺を知らない敵だった― 作:あすらりえる
アウロラの森に足を踏み入れた海里は、リグリアとは異なる静かな森の雰囲気に安らぎを覚えた。
ふいに微かに発光する小さな光の粒が視界をよぎる。精霊だ。ルクスの最期を看取って以降、目にする機会はなく、その輝きが妙に懐かしい。
森の木々や花々、苔むした岩に宿る精霊たちが、まるで光の粉を撒き散らしているかのようだった。
「すごい……」
その美しさに息を呑む。海里が指を伸ばすと光の粒が指先をかすめて飛んでいった。
その様子に気づいたシルフィアは驚きの色を浮かべて海里を見つめた。
「海里、あなた、精霊が見えるの?精霊が見える人間はルクスくらいだと思っていたわ」
「見えるだけですが。ルクスにも驚かれました」
「精霊のことを知っている者なら、そういう反応をすると思うわ」
森の中を進みながら、海里とシルフィアは精霊についての言葉を交わし続けた。
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一行が森を進むうち、樹々のざわめきに紛れて緑のマントを
樹葉の色を映したような緑の髪と瞳。あどけなさの残る顔立ちの一方で、穏やかな
海里たちへ向けられた視線には、わずかな警戒の色が混じっていた。しかし、傍らに立つシルフィアを認めた瞬間、その眼差しは柔らかなものへと変わる。シルフィアへ向ける言葉には親愛の情が滲んでいた。
「精霊たちが見たことのない人間が森に入ってきたって騒いでいたから見に来たんだ。でも、シル姉が一緒だったんだね。ゼファー以外の人間たちを連れて何をしに戻ってきたのさ?」
「久しぶりね、リュカ。話せば長くなるの。先に長老様の元へ案内してちょうだい。彼らにはこの森で手に入れなければならないものがあるの。それはゼファーからの依頼でもあるわ」
「ゼファーの?んー、わかったよ……」
リュカと呼ばれたエルフはシルフィアに促されるまま、渋々といった様子で里への案内を始めた。
道中、リュカはこちらを窺うように時折ちらちらと視線を向けてくる。海里はそれを見て少年エルフに話しかけることにした。
「はじめまして、俺は海里。リグリア王国の冒険者だ。こっちはレンとリズ。それから医師のアルベール先生だ。よろしく」
「僕はリュカ。アウロラの森の狩人だよ」
態度は素っ気ないものの、リュカはきちんと名乗り返した。
「紹介に与かったアルベールだ。リュカちゃん、少し聞きたい。私の知らない植物が幾つもあって気になって仕方ないんだ。少し採取させてもらってもいいかい?」
「好きにすれば。それくらいで文句は言わないよ」
「ありがとう」
アルベールは歩きながら手際よく植物を摘み取っていく。樹皮の裂け目から滲む琥珀色の液体を瓶に導き、光に透かして粘りを確認するその手つきに迷いはなかった。
リュカの態度に対しレンとリズが囁き合う。
「あのリュカってやつ、生意気じゃないか?」
「自分たちの暮らす場所に余所者が来てるんだから警戒されるのは当然でしょ」
「そういうもんか」
「そういうものよ」
「ふふ。この調子なら、みんなリュカとうまくやっていけそうね」
シルフィアの言葉を背に、一行はリュカに従い里へと続く森の深奥へ足を踏み入れた。
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エルフの里を目指して進む静寂のなか、リュカが不意に足を止め、振り返ることなく告げた。
「静かに。魔物が来た」
森のざわめきに溶け込むような微かな声だったが、海里たちの耳にははっきりと届いた。
シルフィア以外の誰もが警戒を強めるなか、海里の視界で精霊の光粒が揺らめきだす。その光は慌てふためくように不規則な軌跡を描いていた。
「リュカ、何がいるんだ?」
海里が小声で尋ねる。リュカは海里を振り返り、唇に人差し指を立ててから弓に手をかけた。
リュカの輪郭がぼやけ、背景の木々や影に溶け込んでいく。存在感を希薄にしたまま、リュカは足音一つ立てずに樹々の間を移動した。リュカが音もなく矢を番える。精霊の力が込められたその矢は、ほのかに緑色の光を放っていた。
放たれた矢と同時に森の奥から唸り声が響き渡る。茂みから飛び出してきたのは黒い体毛を揺らし、血のように赤い瞳を輝かせた狼の魔物たちだった。獲物を仕留めんと獰猛な牙を剥き出しにして駆けてくる。
だが先頭の狼が踏み込んだ地点から、巨大な蔓が地中を割って這い出した。意志を持つように絡みつき魔物たちの自由を奪う。リュカが放った矢が地面に刺さり、発動したものだった。
「すごい……あんな攻撃ができるのか」
魔物たちが蔓と格闘する最中、今度は頭上から奇声が降る。
枝から枝へ軽やかに飛び移り襲来したのは、鋭い爪と牙を持つ猿の魔物の群れだった。リュカを無視して直接海里たちを狙って飛びかかる。
「……マッドエイプ」
シルフィアがその名を呟いた直後、リュカが再び矢を放った。矢は空中で軌道を変え、複数のマッドエイプの頭部を的確に射抜いていく。さらにリュカは次々と矢を番えた。精霊の矢が枝に着弾すると、そこから白い霧が立ち込め、瞬く間にマッドエイプたちの視界を奪う。
混乱に陥った群れの隙を逃さず、リュカは一息に五本の矢を放った。矢は違えることなく霧の中に潜むマッドエイプの急所を貫く。一本たりとも外れはしなかった。
「……あんなに正確に」
アルベール先生が呟く。リュカの射撃が急所を違えず捉えているのは明らかだった。
すべての魔物を仕留め終えるとリュカが戻ってきた。呼吸一つ乱さぬその姿は、この程度の戦闘は日常に過ぎないことを物語っていた。
「この辺りの魔物は倒したから先に進もう」
「……生意気だけど腕は確かだな。どうやったらあんなに涼しい顔で戦えるんだ?」
レンが自分のメイスを握り締めながら呟く。
「レンは技術よりも感覚で戦うタイプだもの。真似する必要はないわよ」
振り返ったリュカは、リズの杖がレンの頭を軽く小突く様子をちらりと見てから、案内を再開しようとして動きを止めた。
そのリュカの表情に明らかな緊張が走っていた。
「リュカ?」
異変を察したシルフィアが声をかけるとリュカは短く応じた。
「シル姉……みんな、警戒して」
直後、咆哮が森を震わせてマッドエイプの群れが姿を現した。だが、その姿は異様だった。
赤黒く血を吸い上げたような鮮烈な花弁が、皮膚を突き破って無数に咲き誇っている。甘ったるい芳香が漂い、マッドエイプが吠えるたびに根が肉を締め上げるぎちぎちという不快な音が響いた。その香りは鼻腔に纏わりつき、精霊を通じて気配を読む感覚をじわりと狂わせていく。
マッドエイプの眼は紅く爛れ、口元からは涎が垂れている。それは威嚇ではなく純然たる狂気の咆哮だった。
数は先ほどの倍以上、二十体を超える群れが殺意を剥き出しにして一斉に襲いかかってきた。
「僕が仕留めるから、みんな下がって!」
リュカが長弓を構える。その迅速な動きに海里も即座に剣を引き抜き、叫んだ。
「流石にこの数は多い!手伝わせてもらうぞ、リュカ!」
「ええ、私も加勢するわ」
シルフィアが白銀の杖を構え、レンとリズも戦闘能力を持たないアルベール先生を背に庇う位置へ滑り込む。
「分かった。薔薇が生えている個体は普通より凶暴だから気を付けて!」
「了解だ!なら、近づかせずに叩き潰す!」
海里が対象を絞り、重力魔法を発動させた。突進してくるマッドエイプの先頭数体が不可視の圧力に容赦なく押し潰され、地面の染みへと変わる。
だが、次の群れは止まらない。別方向から迫る個体に対し、シルフィアの周囲に鋭利な氷柱が生成された。発射された氷柱は空を切り、重力魔法の範囲を抜けてきた群れを次々と深く穿っていく。
その網を潜り抜けた個体に対しても、リュカの矢が正確に脳天を打ち抜き命を狩り取った。アルベールを狙う個体には、リズの炎弾が飛んで体表の薔薇へ燃え移る。
怯んだ隙を逃さずレンの土魔法を纏ったメイスがその頭部を粉砕した。
五人の連携の前ではアルベールに爪一本届くことはなかった。
「ふう……これで全部かな」
リュカが呟いたその瞬間だった。
死角となる死骸の陰から瀕死の一体が跳躍した。
「うわっ!」
リュカは咄嗟に身を反らしたが、爪が頬を浅く掠める。バランスを崩し、リュカは地面に尻もちをついた。追い打ちをかけようとしたマッドエイプの首を、海里の剣が横一閃に斬り飛ばした。
周囲の安全を確認した海里が、リュカに手を差し伸べる。
「悪い、リュカ。一匹倒し損ねていた。大丈夫か?」
「あ……うん、ありがと」
リュカは海里の手を握り返し立ち上がった。頬からは薄く血が流れている。
「リュカちゃん、ちょっと傷口を見せてくれるかい?」
いつの間にか傍に来ていたアルベール先生が傷を覗き込む。
「毒性はなさそうだ。治しておこう」
彼が掌をかざすと、回復魔法の光がリュカの傷を塞いでいった。
「回復魔法……」
「医術だけでは対応できないこともあってね、方々を頼って習得したんだ。治せない毒もあるんだがね。……よし、終わったよ」
「……ありがと」
リュカは不思議そうに治ったばかりの頬を掌で触っていた。
「ねぇ、リュカ。この薔薇は燃やしても平気?不気味なのよ」
リズの問いにリュカがこくりと頷く。リズは火力を絞った炎で、周囲に転がる死体の薔薇だけを焼き払っていった。
「なぁ、あの薔薇は何なんだ?前からあったのか?」
「ううん、問題になったのは最近だよ」
レンの問いにリュカが答えると、シルフィアも疑念を口にした。
「リュカ、あの薔薇は何なの?」
「ごめん、シル姉。僕だと上手く説明できなくて……里に着いてから長老様に聞いてほしいんだ」
「そう、分かったわ」
「もう里に着くから安全だよ」
リュカの言葉に一同は安堵して肩の力を抜いた。海里たちの歩く先に樹々の間に作られた集落が見えてきた。