輪廻の檻 ―異世界で再会した幼馴染は、俺を知らない敵だった― 作:あすらりえる
「着いたよ、ここが僕たちエルフが暮らす里だよ」
リュカに案内され、海里たちはエルフの里へ辿り着いた。海里たちの眼前には息を呑む景色が広がっている。
巨大な樹々の間に架けられた無数の吊り橋が複雑に結ばれ、その先には大木に寄り添う家々が灯りを宿す。集落が宙に浮かんでいるような雰囲気が感じられた。
里の各所には清らかな小川や小さな滝が流れ、その水は地面を潤し、下層に広がる湖は静かな輝きを放っていた。水と光、そして樹々の生命力に満ち溢れたその場所は訪れる者を圧倒した。
一行はその美しさにしばらく言葉を失っていた。
「こりゃ……すごいな」
「ええ、来てみて良かったわ。リグリアにはこんな場所はないから」
「ゼファー君に改めて感謝しないといけないな。この場所は心が洗われるようだ」
レンの呟きに、リズとアルベールがそれぞれ同意する。
しかし、そのような場所にあって、どこか不穏な空気が漂っていた。
里に住まうエルフたちの視線が一斉に海里たちへ向けられていた。警戒を露わにする者、好奇の目を向ける者。いずれも決して心地の良いものではなかった。
「歓迎されないのは分かっていたけどさ、やっぱり思った以上に視線が厳しいな」
「仕方ないわ。目的を達成すればすぐに出ていくんだから。そうすれば気にする必要なんてなくなるわ」
「本当に図太いなリズは。悩んでるのが馬鹿馬鹿しくなるよ」
「レンはいつもみたいに馬鹿やってるほうが私は良いと思う」
「何だそりゃ」
若干、気後れしていたレンだったが、リズの言葉にいつもの調子を取り戻した。
そこへ複数人のエルフが歩み寄ってきたが、その態度は険悪だった。
「この森へ何をしに来た人間ども。しかもエルフの異端者まで伴ってな。また騒ぎでも起こすつもりか?」
「……」
不躾な言葉を直接ぶつけられ、海里は僅かに眉をひそめた。美しい風景に意識を向けていただけに、その住人たちの悪態は気分のいいものではなかった。
リュカが止めに入るか迷い、おろおろと視線を彷徨わせる。エルフたちの悪態が続く中、黙っていたシルフィアが口を開いた。
「言いたいことはそれだけかしら?疑うのは理解できるけれど、彼らはゼファーの依頼で来たの。彼がしたことを、たった一年で忘れてしまったの?」
「何だと!?シルフィア!お前もお前だ!いくらゼファーが恩人とはいえ一緒に森を出ていくなど何を考えている!?」
「あら。ゼファーのことを忘れたわけじゃなかったのね、良かったわ。私が森を出たのは、彼がエルフ族の固定観念を打ち壊してくれたからよ。古い慣習に囚われて不平を並べているだけなんて、本当に嘆かわしいわね」
「お前えええっ……!!」
淡々と反論するシルフィアにエルフたちが食い下がろうとした時、一際渋みのある声が聞こえた。
「いい加減にせんか、お前たち。この者らが我らに対して害意がないことなど見ればわかるだろうに」
「ちょ、長老!?」
現れたのは翡翠の装飾を付けた緑のローブを纏い、白い髭を蓄えた老齢のエルフだった。
「すまんのう客人たちよ。不快な思いをさせてしまったのう」
「いえ、止めてくださりありがとうございます」
「ほほ、礼儀正しい青年じゃな。色々聞きたいこともあろう。皆、儂の家に来ると良い。そこで話をしよう」
「お久しぶりでもないかしら。長老様」
「お主も元気そうで何よりじゃよ、シルフィア」
挨拶を交わした長老が背を向けて歩き出し、一行はその背中を追って里の奥へと向かった。
道中、シルフィアが一行へ低く謝罪を口にする。
「同胞たちの暴言をすぐに止めなくてごめんなさい。里の者たちが外部の者をどう思っているか知っておいてほしかったの」
「謝らないでください。理由があっての態度なら仕方ない部分もあると思いますから」
「君は謙虚じゃのう。一年前の事件は教団の横暴というだけでなく、我らの同胞の行いが発端だというのにのう」
長老が苦々しく呟いた頃、一行は里の奥に建つ家へと到着した。エルフの里の奥にそびえ立つのは他のどの木よりも太い一本の巨木だった。
その巨木の中腹に、繊細な装飾が施された長老の家が組み込まれていた。
大樹の造形を活かした室内には、窓代わりの木の洞から柔らかな光が差し込んでいる。案内されるまま階段を上った先は開放的な会議場となっており、中央には年季の入ったテーブルと椅子が据えられていた。
長老に促された海里たちは、テーブルを囲んでそれぞれ椅子に腰かけた。
しばらくするとノックの音が響き、扉が開いて二人のエルフが姿を見せた。
一人は射るような眼光の銀髪の男性エルフ。樹木の意匠が施された緑色の全身鎧をまとい、同色のマントを羽織った屈強な体躯をしている。シルフィアが彼に向かってひらひらと手を振ると、男性エルフは困ったように目を細めた。
もう一人は鮮やかな緑の巻き毛が印象的な穏やかな顔立ちの女性エルフ。裾に模様の入った深い青色のロングドレスを着用していた。
「揃ったのう。それでは話し合いを始めようか」
長老が話し始めたところでリュカが手を挙げた。
「待って長老様。ここまでついてきちゃったけど僕は外に出ています」
「構わぬよ、リュカ。お主も一緒に話を聞きなさい」
「え?僕も?はい」
退席しようとしたリュカだったが、長老に留まるよう促され手近な椅子に座り直した。
「改めてアウロラの森へようこそ、人の子らよ。儂はこの里の長老イストール。他の二名はこの里の管理を担う重鎮たちじゃ。さて、お主たちも挨拶をせい」
促された二名が頷き、最初に銀髪の男性エルフが口を開いた。
「私の名はエヴァンだ。この里の守護を担当している。以上だ」
簡潔すぎる自己紹介に海里たちは沈黙する。その場を繋ぐように隣の女性エルフが苦笑を漏らした。
「次に話す私が困ってしまうじゃない、エヴァン。私はリアム。魔法や知識の管理を里の最上部で担当しているわ」
知識の管理と聞き、アルベールが勢いよく立ち上がった。その拍子にテーブルの茶器がカタカタと音を立てる。
「っと、失礼。私はリグリアの医師アルベールです。この森を抜けてくる道中、未知の植物に知識欲を刺激される場面が多くありました。知識の管理であれば、是非あなたと語らせていただきたい」
前のめりになるアルベールにリアムが微笑む。
「あら、嬉しいことを仰いますねアルベール殿。知識を共有できる方は歓迎するわ。それでは後ほどお話しいたしましょうか」
二人は意気投合した様子でがっしりと握手を交わした。
その様子をリュカがぽかんと眺めるなか、再びエヴァンが話し出す。
「今回はゼファーの依頼で来たにせよ、しばらくぶりに娘の顔を見る機会を得たことには感謝しよう」
「娘って……」
海里が視線を向けた先でシルフィアが応じた。
「私のことよ、海里。お父様、ご無沙汰しています」
「ゼファーは元気か?」
「今は色々立て込んでいて、彼は疲弊しているわ。だから、私は早く彼のもとに戻って助けになってあげたいの」
満面の笑みを浮かべるシルフィアにエヴァンは嘆息した。
「一年ぶりに里に帰ってきたんだ。しばらく里に滞在しても良いのではないか?」
「嫌よ、お父様。エルフの言うしばらくは年単位の話になるわ。そんなに滞在したらゼファーに忘れられてしまうわ。用事が済んだら、すぐにリグリアに帰らせてもらうわね」
「まったく奔放な娘だ」
苦笑しつつも、エヴァンの表情には娘との再会を喜ぶ色が混じっていた。
「ゼファーは私が外の人たちと交流することを喜んでくれるの。私はそんな彼との間に、いずれは愛を育みたいと考えているわ」
澄んだ瞳を輝かせてシルフィアは断言した。その言葉には種族の壁を厭わない意思が宿っている。
「なん……だと?……いずれは愛をだと?」
動揺したエヴァンはこめかみを押さえ、隣に座るリアムの方を力なく見た。リアムは口元を隠して笑っている。だが、最も激しく反応したのは側にいたリュカだった。
「え?ちょ……。そ、それってシル姉、ゼファーと子供を作るってこと!?」
リュカは顔を真っ赤に染めて詰め寄った。その声は上ずり、狼狽を隠せていない。
「あらあらリュカったら。真っ赤になって可愛いわね。あなたも愛する人を見つければ私の気持ちが分かるようになるわよ」
シルフィアはリュカの反応を子供のそれのように受け止め、優しく微笑んだ。
「ぼ、僕は、まだそういうのは良いんだよ!それより、ゼファーが恩人だからって人間とエルフで子供って本気なの、シル姉!?」
顔の熱を冷まそうと両手で頬を押さえるものの、リュカの関心は依然として、種族を超えた愛の行方に向けられていた。
「もちろんよ。でも、ゼファーの考えも聞かずに決めるわけないでしょう?彼はとても慎重な人だから、まだ随分先の話になると思うわ」
それを聞きリュカはぽつりと呟いた。
「ねぇ。シル姉はさ、里で今なんて呼ばれてるか知ってるの?」
「異端者でしょう?」
シルフィアは至って冷静に答えた。里を出た時点で覚悟していた呼称であり、事実、里に戻るなり一部の同胞から投げつけられたばかりだ。
しかし、続くリュカの言葉は予想を裏切るものだった。
「違うよ。
リュカは顔をさらに赤くして訂正した。その声には気恥ずかしさと僅かな羨望が滲んでいる。しかし、場の空気を一変させたのはシルフィアの静かな一言だった。
「……デレエルフ。ねぇ、リュカ。……それ、誰が言い始めたのかしら?」
「ぴぃっ!」
鳥の首を絞めたような裏返った声を上げ、リュカがのけぞる。
立ち上がったシルフィアは、柔和な笑みを浮かべたまま歩を進めた。慈愛に満ちているはずの笑顔が、今は逃げ場を許さない圧力を放っている。
リアムは「あらあら」と口元を隠し、楽しげに茶器を傾けた。この二人にはよくある光景なのだろう。
「まさかとは思うけれど言い出したのはあなたなのかしら?ねぇ、リュカ?」
声はどこまでも優しい。一歩、また一歩と、シルフィアは笑顔のまま距離を詰めていく。
その背後でエヴァンが逞しい手で眉間を強く押さえ、娘に声をかけた。
「……よせシルフィア」
だが、その制止は届かない。いや、聞こえているが無視されていた。
「ぼ、僕じゃない!僕じゃないよ!ただ……」
必死に否定するリュカだったが、その目は激しく泳いでいた。
「ただ?」
疑問を投げかけた時にはシルフィアは既に目の前にいた。リュカの背中が壁に当たり、逃げ場がなくなっていた。
「ただ、シル姉がゼファーの話をする時、すごく嬉しそうで、僕が今まで見たシル姉の中で一番綺麗だったんだ!だから、デレデレなエルフみたいだねって言ったら、それが里中に一気に知れ渡って!異端者呼びより広まっちゃったんだ!」
リュカは観念したように一気に白状した。
「まぁ!でも、やっぱりあなたが始めた物語なんじゃない。もうデレエルフだなんて。全く可愛いんだから」
シルフィアの表情に怒りはなく、深い慈しみと隠しきれない照れが混ざり合う。彼女は微笑みながらリュカの頭を撫でたが、リュカは引きつった顔で叫んだ。
「シ、シル姉!怖い!何か、シル姉怖いよぉ!」
怒りよりも得体の知れないものを感じたのか、リュカは叫び声を上げ、脱兎のごとく部屋を飛び出してしまう。
「あらあら、リュカ。いけない子ね、待ちなさーい」
シルフィアは楽しげな声を上げ、リュカの後を追って部屋から出ていった。
二人が騒がしく去る姿を、リアム以外の面々は呆然と見送った。やがてエヴァンが机に肘をついて溜息を吐いた。
「……話が進まん」
その空間に種族の壁を超えた共通の認識が漂い、リアム以外の全員が頷いた。