輪廻の檻 ―異世界で再会した幼馴染は、俺を知らない敵だった―   作:あすらりえる

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第54話:虚ろな瞳

 リグリア王国の王都にて。

 

 アルベールが不在の間、医院の助手たちに混ざり、新人のリーファは懸命に働いていた。暮らしていた村を教団に潰され、治療のために王都へ運ばれた彼女に生活の術と仕事を与えたのはアルベールだった。

 

 その彼から託された役目は、ルカンの毒で昏睡する騎士ジュノアの消耗を抑えることだ。リーファはジュノアと話したことはない。だが村が潰されたあの日、王都へ移送する手配をしてくれたのが彼女だと海里から聞いている。

 

(それに……この人は海里さんが大切に想っている人)

 

 ジュノアを語る時の海里は無自覚ながらも痛々しいほど案じているように見えた。

 

 二人が戻るまで最善の状況を維持しなければならない。

 

「海里さんとアルベール先生が戻ってくるまで頑張ってくださいね、ジュノアさん」

 

 医院で調合した薬をジュノアの口へと運ぶ。意識のない彼女に嚥下させるのは容易ではないが、今はこれが全てだった。

 

 

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「……その不味い薬。ジュノアにも飲ませるんだな」

 

 白銀騎士団のラルフが見舞いに現れた。彼はジュノアの顔を覗き込み、苛立たし気に表情を歪める。彼女の頬は削げ、唇からは血の気が失せていた。

 

「……ちっ。また痩せてやがる」

 

「ラルフさんも飲みますか?ジュノアさんは文句ひとつ言いませんよ」

 

 リーファが微笑むと、ラルフは気まずげに視線を逸らした。

 

「そりゃ昏睡してんだから文句を言うはずねぇだろ。だけどよ、俺にもその薬を頼むわ」

 

 器を渡す際、リーファはその手が前回来た時よりも冷えていることに気づいた。呼吸も浅い。

 

「……ラルフさん。ルカンの毒、進行していますね」

 

「ああ。……イライラする毒だぜ。じわじわと身体が弱っているのが分かる。進行が少しでも遅れるなら何だって飲んでやるさ」

 

 ラルフは受け取った薬を、喉を鳴らして飲み干した。

 

「ふぅ。……相変わらず不味いな」

 

 空の器を返し、再びジュノアを凝視する。

 

「……なぁ、リーファ。ジュノアは本当に目ぇ覚ますのかよ」

 

「覚ましますよ。アルベール先生と海里さんが、きっと何とかしてくれます」

 

「……そうかよ」

 

 ラルフは鼻を鳴らし立ち上がった。

 

「ジュノアの事を頼む」

 

「はい。ラルフさんも無茶は駄目ですからね?」

 

 彼は短く頷き、医院をあとにした。

 

 

 

 □■□■□■□

 

 

 

 白銀騎士団への帰路。

 

 ラルフの耳に聞き捨てならない言葉が引っかかった。

 

 黒曜騎士団がアウロラの森に向かった。

 

 それを聞いて足が止まった。嫌な予感が胸を急き立てる。アウロラの森には今、海里たちがいる。

 

 ゼファーは知っているのか。いや、おそらく知らない。あの人にこれ以上の重荷を背負わせたくはなかったが、知らせないという選択肢はなかった。

 

 足早に引き返した先で対面したゼファーは、黒曜の件を把握していなかった。執務机に積まれた書類の山。その前に座る彼の目の下には深い隈が刻まれている。

 

 報告を聞いたゼファーの反応は怒りでも驚きでもなく、短い沈黙だった。

 

「教えてくれてありがとう、ラルフ。私は少しイディウス宰相のところに行ってくるよ」

 

 声は穏やかだったが、声音の端々から、普段の余裕が消えていた。

 

「ゼファーさん。シルフィアさんから無理はしないようにと言われていたかと」

 

「耳が痛いね。だが知った以上は放置できない。海里たちの妨げになられては困るからね」

 

 ゼファーは立ち上がり、外套を手に取った。その足取りは速いが、どこか重心の定まらぬ危うさが混じっている。ラルフはその背を見送りながら言葉にならない不安を胸の奥に押し込んだ。

 

 

 

 □■□■□■□

 

 

 

 ゼファーが白銀騎士団を出発するより少し前のこと。

 

 王城、宰相イディウスの執務室で、鏡花は椅子から立ち上がり、イディウスに向き直った。

 

「宰相殿。一つ確認したいことがある」

 

「何でしょうか鏡花殿」

 

「この国の国王に会わせてもらいたい。私がリグリアに来て幾ばくかの時が経った。教団の七元徳として直接挨拶をさせていただきたい」

 

 イディウスの表情が一瞬だけ固まった。しかし、すぐさま穏やかな笑みを貼り付ける。

 

「おやおや。鏡花殿ほどのお方がご挨拶を所望されるのは光栄ですが、国王陛下は政務のすべてを私に一任されておりましてね。外交に関わる面会も、私を通すのがこの城のしきたりなのですよ」

 

 丁寧な言い回しに、拒絶の意思が明確に混じっていた。

 

 鏡花はそれ以上食い下がらなかった。

 

「そうか。では、また改めよう」

 

 彼女の声には起伏がない。ただ事実を確認し終えただけの淡白な響きだった。

 

「ゼイロンが森から戻り、転生者の調査状況が進展したら、また話をさせてもらおう」

 

「ええ、お待ちしております」

 

 鏡花は踵を返し、執務室を出た。

 

(傀儡の王といえど直接会えば探し物の手がかりになるかと思ったが。……まぁいい。二人が戻るのを待つとしよう)

 

 廊下を進むと、向かいから早足で歩いてくる男の姿が目に入った。

 

 白銀騎士団長ゼファー。

 

 すれ違いざま、鏡花の視線がゼファーの横顔を捉えた。

 

 目の下の隈。張り詰めた呼吸。普段の余裕を欠いた足取り。鏡花は歩みを止めることなく、その疲弊のみを読み取って廊下を去った。あの男が弱ることは教団にとって不都合ではない。むしろ、これから先を考えれば好都合でさえあった。

 

 

 

 □■□■□■□

 

 

 

 ゼファーは王城の廊下を早足で進んでいた。すれ違った鏡花の姿が視界の端をかすめたが、今はそれどころではなかった。

 

 宰相イディウスの執務室。扉の前で立ち止まり、短く息を整える。焦りと懸念、そしてわずかな怒り。それを表面に出さないよう努め、扉をノックした。ほどなく、中から「入りたまえ」という声が返ってきた。

 

 踏み入ると、高い天井と重厚な調度品に囲まれた豪奢(ごうしゃ)な空間が広がっていた。壁には暗い色調の中に黄金と髑髏(どくろ)が浮かぶ大きな絵画が掛けられ、不気味な存在感を放っている。

 

 宰相イディウスは奥の大きな椅子に座っていた。

 

「おや、ゼファーくん。鏡花殿が帰ったばかりだというのに今度は君かね。今日は忙しい日だ」

 

 その鷹揚(おうよう)な態度がゼファーの焦燥を煽る。

 

「イディウス宰相。アウロラの森へ黒曜騎士団を派遣したと聞きました。一体何故でしょうか」

 

 感情を抑え込みながらも、声は僅かに張り詰めていた。

 

「流石に耳が早いね。それで、そのことがどうかしたかな?」

 

 イディウスは肘掛け椅子の背もたれに体を預けた。

 

「レナートに一体何を命じたのですか?ルカンの毒に苦しむ者たちの解毒方法を入手するためではないのでしょう」

 

「ああ、あれはね。鏡花殿からの依頼なのだよ」

 

 イディウスは、さも当然のことのように語り始めた。

 

「最近、冒険者ギルドで活躍が目覚ましい海里という青年がいるだろう。鏡花殿は彼が自分と同じ転生者である可能性を疑っていてね。その確証を掴むための調査を私に依頼してきたのだ。黒曜騎士団の一部と、鏡花殿の部下ゼイロンが動いている」

 

「海里が……転生者?」

 

 ゼファーは驚きを隠せなかった。

 

「鏡花殿曰く、もし本当に転生者ならば輪廻教団として利用価値のある存在だそうだ。やり方はレナートに一任したから手段の詳細までは私も把握していない。まあ、力を測るために多少強引なやり方をするかもしれんな」

 

 イディウスは肩をすくめ、余所の出来事のように語る。その無責任な態度にゼファーの内に怒気が奔った。

 

「彼らはルカンの毒の解毒方法を手に入れるためにアウロラの森へ行ったのです!それを妨害するような真似はやめていただきたい!」

 

 思わず語気を強める。

 

 海里たちの成功は、白銀騎士団の団員たちを救う唯一の手段だった。

 

 イディウスは慈悲深ささえ感じさせる表情を浮かべた。

 

「ふぅむ。大分お疲れのようだね、ゼファーくん」

 

 声の色が変わった。

 

「無理もない。賊の討伐にルカンが乱入し、白銀騎士団の多くが毒に苦しんでいる。残務に加え、弟のルクスくんを失った心痛も癒えていないだろう?」

 

 ルクスの死。最も深く、触れてほしくない傷を抉る言葉だった。

 

「イディウス宰相、今は私の話をしているのではない」

 

「いいや、君の話だよ。君は少し休まないとダメだ。シルフィア嬢も君を心配しているんじゃないかな?」

 

 抗議を無視し、個人的な状況へと執拗に話を誘導する。

 

「結構です。今は休んでいる場合ではありません」

 

「やれやれ。職務熱心なのは結構だが、それでは困ってしまうな」

 

 イディウスは芝居がかったように嘆息した。掲げられた左腕の銀色の腕輪が暖炉の光を受けて鈍く光る。

 

 

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 目が捉えた直後、それは怪しい紫色の光を放った。全身に強烈な圧力がのしかかる。魔力ごと絡め取られるような、抗いようのない支配感。

 

「イディウス宰相ッ!!なっ……何の真似を……!」

 

 後退しようとするが足が動かなかった。その時になって初めて己がどれほど消耗しているかを思い知らされた。

 

(まずい)

 

 本能が警告を発する。魔力が、思考がすでに正常ではない。それでもゼファーは奥歯を噛んで踏みとどまった。

 

「……やめ……ろ」

 

 声が震え、舌が上手く回らない。だが意志を手放すわけにはいかなかった。毒に苦しむ団員たちが、海里たちが、シルフィアがいる。

 

「私には君の心が痛いほど分かるよ、ゼファーくん。君を蝕む悩み、疲弊。だから……少し休むんだ。私にすべて任せて考えることを止めるんだ」

 

 イディウスの声が、紫の光と共に思考を侵食していく。

 

(違う。これは……)

 

 反論は形をなす前に霧散した。

 

 抗わなければならないという意志だけが、遠のく意識の中で火花のようにはぜる。強い精神力が無理やり捻じ伏せられていく。辛うじて保っていた魔力の気配が消えて、代わって虚ろな輝きがぼんやりと瞳に宿った。

 

 暖炉の火が爆ぜた。その音が異様に大きく響く。

 

「……そうですね。私は少し疲れているようです……」

 

「君には追って命令を出すよ。それまでは騎士団の仕事を行っていたまえ」

 

 ゼファーは立ち上がり、力の抜けた姿勢で頭を下げた。

 

「……はい、イディウス宰相」

 

 虚ろな瞳を伏せたまま、ゼファーは静かに執務室を出ていった。

 

 扉が閉まり、密室に残されたイディウスは左腕の腕輪を見つめた。表面にはまだほのかな熱が残っている。ゆっくりと息を吐いた後、左手が微かに震えているのに気づいた。

 

(……傀儡の王とは流石に違ったな)

 

 疲弊していてなお、最後まで抗おうとしたリグリア最強の一角。その意志を正面から捻じ伏せるのは予想以上に骨が折れた。

 

「……ふはっ」

 

 笑いが漏れた。あの強大な男が騎士団に戻り、何事もなかったように机に向かう。その光景を想像するだけで、おかしくて仕方がなかった。

 

 イディウスは椅子の背もたれに身を沈め、天井を仰いで笑い続けた。

 

(もっと強者を傀儡にしたい……だが)

 

 これほどの消耗を要した以上、制御の難しい相手を増やすのは慎重になるべきだ。

 

「それでも、もっと早く実行していればよかった」

 

 誰に言うでもなく呟いたその声は、執務室の中に虚しく反響した。

 

 

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