輪廻の檻 ―異世界で再会した幼馴染は、俺を知らない敵だった―   作:あすらりえる

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第55話:獣の視線

 バルトロメオとカミラは、アウロラの森の奥地へ向かっていた。

 

 二人の手には、レナートを介してゼイロンから渡された魔物を誘き寄せるための魔道具がある。命令に逆らえぬ己の無力さに奥歯を強く噛みしめるしかなかった。

 

 レナートの声がよみがえる。

 

「さぁ、二人とも。この魔道具の片方を持って、薔荊蛇の棲み処へ行ってください。かの魔物をエルフたちの里へ招待して差し上げましょう。私はもう片方を里の近くに置きに行きます」

 

 宰相イディウスから下された任務は海里という冒険者の調査のはず。海里たちがルカンの毒の解毒方法を求めている以上、それを妨害する行為に葛藤がないはずもなかった。

 

 しかし黒曜騎士団は変質した。団長『黒鋼』の不在以来、副団長レナートはもともと素行不良だったヘルマンやエーリッヒとともに増長を始めた。

 

 二人は、腐敗が日に日に顕著になるのを肌で感じていた。騎士の誇りを守るため何度もレナートを諫めたが、イディウスの権力を笠に着る彼にとって、諫言は煩わしい雑音に過ぎなかった。

 

 リグリアを離れ『黒鋼』の元を訪ねる道も封じられ、彼らは悪事への加担を強いられた。だが、これから実行しようとする所業はこれまでの比ではない。心中で幾度も謝罪を繰り返しながら、二人は薔荊蛇の棲み処へ辿り着いた。

 

 そこは地面が不自然に抉られ、異様なまでに深紅の薔薇が咲き乱れていた。

 

「この辺りね……」

 

 カミラの呟きにバルトロメオが頷く。

 

「ああ。想像以上だ」

 

「来る途中、薔薇を生やしたマッドエイプが徘徊していたけれど、魔物に薔薇を寄生させて操るなんて……」

 

 抉れた地面のあちこちに、薔荊蛇の体から抜け落ちた禍々しい棘が散乱していた。

 

 強大な魔力に浸食された樹々から生える薔薇。そこから立ち上る異臭に二人は反射的に鼻を塞いだ。

 

「魔道具を作動させたら、すぐに離脱しよう」

 

「ええ、分かったわ。私は付近を索敵しているわね」

 

「頼む」

 

 バルトロメオの手が震えていた。己と家族の安全のために脅しに屈した。その選択が自分をどこまでも堕としていく感覚に吐き気がした。火を放ちながら雨を祈るような、あまりに身勝手な祈り。冒険者とエルフがこの危機を切り抜けてくれるよう矛盾した願いを心中で叫ぶ。

 

 魔道具を地面に置いて起動させると、香りが周囲に満ちていく。

 

 これで対となる魔道具を目指して薔荊蛇が動き出すはずだ。そう考えた時だった。

 

「えっ!?」

 

 カミラが突如として動きを止めた。その貌は青ざめている。

 

「どうした?」

 

 カミラはバルトロメオの手を掴み、引きずりかねない勢いで棲み処から離れだした。その表情には尋常ならざる焦燥と恐怖が張り付いている。

 

「こっちに来て!早く!」

 

 理由は分からずとも付き合いの長い彼女の言葉に疑いはなかった。カミラが隠蔽魔法を発動し、二人の姿が消えた。そのまま二人は手近な樹々の近くにしゃがみこんだ。

 

 程なくして、巨大な気配が近づいてきた。静寂を破り、轟音と共に樹々が根元からなぎ倒され、想像を絶する大蛇が視界を覆った。全身を無数の棘で覆われ、その合間からは不揃いな深紅の薔薇が幾つも咲き誇っている。

 

「……これが薔荊蛇」

 

「悍ましいなんて言葉じゃ足りないわ……」

 

 魔物という枠を超えた動く災禍を前に、呆然とする二人の口から言葉が漏れた。

 

 薔荊蛇は香りを前に動きを止め、鎌首を左右にもたげた。剥き出しの牙の隙間から細く長い舌が周囲を探るように出し入れされる。

 

 すぐ近くに隠れているが、気づかれれば、その瞬間に終わる。二人の激しい鼓動が止まらない。身体が痺れて動けないが、隠蔽魔法の影響下にあったことで見つかることはなかった。

 

 やがて薔荊蛇がゆっくりと移動を再開した。地面を抉り、身体から深紅の薔薇を零れ落としながら、エルフの里の方角へと進んでいく。

 

 その姿に視線を向け、まだ痺れが残る身体でバルトロメオが立ち上がった。

 

「……カミラ。里へ行こう」

 

 カミラは一瞬だけ目を閉じた。

 

「……ええ」

 

 後悔の種類を選べるなら、せめて敬愛する団長に顔向けできる道を。

 

 二人は薔荊蛇の進路を迂回し、エルフの里へ向かって駆け出した。

 

 

 

 □■□■□■□

 

 

 

 

 エルフの里の近くへと迫ったヘルマンとエーリッヒは、里の入口を避け、霧魔法によって誰にも悟られていなかった。海里を足止めするための騒動を起こす。それは二人の欲望を満たす絶好の機会だった。

 

「ガキを攫えとは言われたが、目につく場所にはいねえな……」

 

「バルトロメオたちの潜入が露見した以上、里の外側へは出さぬようにしたんでしょう」

 

「なら、里の中心部に行くか。湖を泳げば気づかれねぇだろ」

 

「お好きにどうぞ。私は希少な物品の保護を優先しますので……」

 

「待てよエーリッヒ。俺がガキを攫った後に離脱するときに霧魔法をかけろよ。お前はそのあとで動けよ」

 

「仕方ありませんね、全く」

 

 霧に隠れて姿を消したエーリッヒに続き、ヘルマンは巨漢に似合わぬ機敏さで湖へと潜り、里の中央を目指して泳ぎだした。

 

 

 

 □■□■□■□

 

 

 

 薔荊蛇と黒曜騎士団に同時に対処するには、どこに人を割いても手薄な箇所が生じる。相手が姿を隠せるなら、尚の事だった。

 

 海里とリュカが準備を続けていたところへ、険しい顔をしたエヴァンがやって来た。

 

 もともと強面な彼が、眉間に深い皺を刻んでいるのを見て、リュカは緊張しながら尋ねた。

 

「エヴァン様、こっちに来てどうしたの?偵察がうまくいってないの?」

 

「その通りだ。黒曜の偵察に向かわせた数人が戻らん。おそらくはやられた。今度は私が確認に行く。子供たちは里の中央に集めているが、それとなく目をかけてやってほしい」

 

「うん!わかりました!」

 

 リュカの返事を聞き、エヴァンは里の外に向かっていった。彼の背中を見送ってから、リュカは里の中央付近で遊ぶ子供たちに視線を向けた。

 

 普段なら森の端まで走り回っているはずの彼らが、今は中央を離れようとしない。大人たちの様子から普段と違う状況を察しているようで、退屈そうに地面を蹴る小さな足を見て、守り抜くという意志がリュカの中で静かに固まった。

 

(ん?)

 

 里の下方は湖に近い。ふと目をやると水面が不自然に揺らいでいた。

 

 目を凝らした次の瞬間、水中から黒い影が這い上がる。大柄な黒い鎧を纏った男が岸に上がると、一直線に子供たちのほうへと歩いていく。

 

(――ッ!!)

 

 男が一人の子供の背後に立った。子供が振り返った刹那、口元が大きな掌に塞がれ、腹部を殴られる。男は気絶した子供を肩に担ぎ上げ、そのまま里の外へ向かって歩き出した。

 

「あいつ、何をやって……」

 

 リュカはすぐにその場から駆け出した。

 

「リュカ!どうした!?何処に行くんだ!?」

 

 近くで物資を運んでいた海里の声に反応するどころではなく、彼女は駆けていく。

 

 子供を抱えた大柄な男は、移動を開始すると同時に霧に巻かれたように姿を消した。

 

(どこへ行った!?)

 

 辺りを見回すと、森へ繋がる樹の影に向かっていることをリュカの鋭敏な感覚が捉えた。

 

(あんなことして僕に見つからないと思うな!)

 

 男の去った方角へ向かったリュカは、程なく嫌な視線を感じ取った。木立の影に姿を隠したはずの巨漢の男が立っていた。男の視線はしばらくリュカを眺めていたが、やがて下卑た笑みを浮かべた。肩に乗せた子供をこれ見よがしに揺さぶり、リュカに背を向けて森へ入っていく。

 

「待て!」

 

 リュカも男を追って森に入っていく。

 

 しばらくの間、男とリュカは付かず離れずの距離を保ちながら、逃走と追跡を繰り広げた。時折振り返る男の目は「もっと追ってこい」と告げていた。

 

 リュカは、木々の間を一陣の風のように跳躍し、最短距離を突っ切る。あっという間に男との距離を詰め、弓に矢を番えようとした時、男が不意に足を止めた。

 

 そこは森の中にぽっかりと開いた空き地で、少し離れたところには高台も見える。

 

 リュカは乱れた息を整えながら、男に向かって怒気を込めた声で叫ぶ。

 

「お前が黒曜騎士団か!すぐにその子を返せ!一体、何のつもりだ!」

 

「何のつもりだって?そりゃぁ、俺が楽しむためさ」

 

 ヘルマンは担いでいた子供を背後の樹々に乱暴に放り投げ、ニヤついた笑みを浮かべる。

 

 その悪意と子供を人質にした行動に、リュカの全身におぞましい予感が這い上がった。

 

「……っ!?」

 

 ヘルマンのギラついた視線が、自分に向けられていることに、リュカはその時気がついた。

 

 男は鋼でできた籠手を打ち鳴らし、肉を喰らう獣のように喉を鳴らす。その視線は、ねっとりとした欲望を孕んでリュカを舐めまわしていた。

 

「エルフの小僧に見つかったと思ったらお嬢ちゃんだった。良い声で啼きそうだなぁ。命令通りにガキは攫ったし、少しは遊んでもいいだろ。追ってきてくれて本当にありがとうよぉ。可愛い可愛いエルフのお嬢ちゃんよぉ」

 

 ヘルマンの声には隠すつもりのない獣性が宿っていた。

 

「さぁガキを取り返したいんだろ?その前に、まずは俺とたっぷりと遊んでもらおうじゃねぇか」

 

(こいつ……まさか、僕を誘き出すために里の外に出たのか……!?)

 

 ヘルマンが喋るたびに全身の毛が逆立つほどの嫌悪が込み上げる。

 

 だが、この男を倒さなければ攫われた子供に何をするか分からない。リュカは弓を構え、対するヘルマンは両腕の籠手に魔力を漲らせた。

 

 獣の視線が全身を舐め回していた。嫌悪で震えそうになる手を、リュカは意志だけで押さえ込んだ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

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