輪廻の檻 ―異世界で再会した幼馴染は、俺を知らない敵だった―   作:あすらりえる

58 / 58
第56話:獲物となった狩人

 ヘルマンの背後、木々が密集する影に、エルフの子供が気絶して倒れている。

 

 ニヤニヤと笑みを漏らすヘルマンに対し、リュカは弓を引き絞り、神経を研ぎ澄ませて矢を番えた。戦いの長期化は子供の安全を脅かし、自身の窮地を招くだけだ。最速で決める。その決意を胸に、リュカは口を開いた。

 

「その子を、今すぐ返してもらうよ!」

 

 リュカの毅然とした様子に、ヘルマンは一段と下卑た笑みを深くする。そして、挑発するように、自らの鎧を叩いて音を鳴らした。

 

「やってみなよ、エルフのお嬢ちゃん。どうせなら、精一杯抵抗して、俺を楽しませてくれよ。な?良い声で啼いてくれることを期待してるぜぇ?」

 

 ヘルマンの悪意と欲望に満ちた言葉が、リュカに警戒を抱かせる。嫌悪感が拭えないが、攫われた子供の存在がリュカを奮い立たせた。ここで怯むわけにはいかない。

 

 リュカは、ヘルマンの動きを封じるため、矢を放った。寸分の狂いもなく、ヘルマンに向かって一直線に飛んでいくが、その頑丈な籠手に甲高い音を立てて弾かれた。

 

「何だそりゃあ?そんな程度で本気で俺に傷をつけられるとでも思ってるのかよ?」

 

 ヘルマンは嘲笑を浴びせかける。その後もリュカが放つ矢は、ことごとくヘルマンの籠手に弾かれ、地面に虚しく落ちていくだけだった。

 

「なら!これでも食らいなよ!」

 

 決定的な一撃が必要だと悟ったリュカは、一呼吸の間に五本の矢を番え、一気に放った。放たれた矢は複雑な軌道を描き、四方八方からヘルマンに迫る。

 

「おぉ!?」

 

 ヘルマンは一瞬驚いた反応を見せるが、腐っても騎士団所属。迫りくる五本の矢を、身体強化の魔法で底上げされた反応速度で的確に弾き返し、全くダメージを与えられない。

 

 ヘルマンが全ての矢を弾き終わり、再び視線をリュカに向けたその瞬間、時間差で放たれた六本目の矢が、死角から顔面スレスレへ迫っていた。ヘルマンは反射的にそれを手で掴み取る。

 

「くっ!」

 

 時間差の一矢さえも掴み取られてしまい、リュカは悔しさに歯を噛みしめる。

 

「今のはちょっと焦ったなぁ。あぶねぇじゃねえか、時間差で顔面狙ってくるなんてよ。ん?」

 

 ヘルマンが訝しむような声を上げると同時に、リュカの姿が視界から消え、その存在感が薄れていく。

 

 狩人としての特性を活かすリュカは、音もなく地面を蹴り、樹の枝を掴んで高所へと駆け上がった。樹上から、彼女は次々と矢の雨をヘルマンに向かって放ち続ける。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「ちっ!ちょこまかと!」

 

 移動を繰り返しながら矢を放ってくるリュカに対し、ヘルマンは苛立ちまじりに舌打ちをした。彼女の素早い動きを、ヘルマンの目では捉えきれなかった。

 

 猛攻を続けるリュカは、自分の矢が決定打にはなり得ないことを既に理解していた。このままでは時間稼ぎにしかならない。それならば、次の動きで男の注意を攪乱し、攫われた子供を連れてこの場を離脱するしかない。

 

 全速力でエルフの里へ戻り、救援を呼んでから、この男に対処する。それが、今の最善の策だ。そのためには、一時的でも決定的にヘルマンの動きを止める必要がある。

 

 リュカは弓に新たな一本の矢を番える。集中して精霊の力をその矢に込めた。矢じりは彼女の髪色と同じ緑色の光を放ち、ヘルマン目掛けて放たれた。

 

「芸がねぇぞ!何度矢を撃ってきても俺には効かな……あぁ?」

 

 緑色の光を放つ矢は、ヘルマンから僅かに外れた地面に着弾した。次の瞬間、着弾点から巨大で分厚い蔓が勢いよく這い出し、ヘルマンの巨体に絡みつき始める。

 

「うおっ!?なんだこりゃあ!」

 

 突如として現れた強力な蔓に拘束されたヘルマンは驚愕の声を上げた。

 

(よし、今だ!)

 

 リュカは樹上から素早く飛び降りると、気絶している子供のもとへと駆け寄る。

 

(大丈夫。傷は深くない。連れて帰れば治療できる)

 

 安堵した次の瞬間、背後の蔓から、みしみしと不気味な軋み音が響いた。蔓に捕らわれたヘルマンが身体強化魔法で筋力を膨張させ、力任せに蔓を引き千切ろうとしていた。

 

「なっ!?」

 

 リュカが驚愕に目を見開いた瞬間、

 

「あ、ああああああああああああああああああッ!!!」

 

 ヘルマンの咆哮と共に、強靭なはずの蔓が千切れ落ちていく。ヘルマンが荒い息を吐きながら歩み出してくる。その顔には、怒りと愉悦が混ざった歪んだ笑みが浮かんでいた。

 

「そろそろ俺も反撃して良いよな?お嬢ちゃんの弓を弾いたり、こんな草を引き千切ってるだけじゃ、ちっとも楽しくねぇんだよ。なぁ、嬢ちゃん。ここからは、俺と思いっきり()()()ぜぇ」

 

 ヘルマンはこれまで以上に下卑た笑みを浮かべる。気持ち悪かった。

 

 その悪意に一瞬リュカは臆してしまった。ヘルマンは、リュカの動揺を見抜いたように、一気に距離を詰めてきた。

 

 リュカは咄嗟に地面を蹴り、横へと跳躍して回避を試みるが、ヘルマンは彼女の動きを先読みし、籠手に覆われた拳を横薙ぎに振るう。その拳が体を掠めた衝撃で、リュカは体勢を崩した。

 

「うわっ!」

 

 ヘルマンが反撃を宣言した通り、その攻撃は苛烈さを増し、先ほどまでの動きとは一変していた。リュカが距離を取ろうと後退しても、ヘルマンは先回りするように逃げ道を塞いでしまう。

 

 得意とする弓術も、距離を詰められた状況では無力だった。リュカの奥歯が軋み、焦燥が全身を焼き焦がす。

 

(このままじゃダメだ……いつかは捕まる。どうすれば……!)

 

「お遊びは終わりだ!」

 

 ヘルマンは渾身の力を込め、拳を振り上げた。

 

 リュカは体勢を立て直そうとしたが、僅かに遅い。籠手に覆われた拳が、彼女の腹部のど真ん中にめり込んだ。

 

「がっ……!?ごほっ!」

 

 衝撃に内臓が激しく揺さぶられ、激痛が全身を貫く。リュカは木の葉のように吹き飛ばされた。

 

 荒い咳を吐き出し、必死に酸素を求めるリュカに対し、ヘルマンは勝ち誇った笑みを浮かべて、ゆっくりと歩み寄る。それでも、リュカの瞳の中には、まだ諦めの色は宿っていない。

 

「……やってやる……まだ、終わってない!」

 

 痛みを堪えて体を起こしながら、リュカは声を振り絞って森の精霊に語りかける。

 

「精霊よ、お願い!力を貸して!あいつの視界を塞いで!」

 

 リュカの切なる願いに呼応するように、周囲の木々から無数の光の粒子が立ち上り、瞬く間に濃密な霧となってヘルマンを覆い尽くした。

 

「ちっ、こんな小細工で、俺が止められるとでも思ったか!」

 

 霧の向こうから、苛立ちを隠せない声が響く。拳を振り回す大柄な影が、霧の向こうで揺れていた。

 

 リュカは震える手で弓を構える。自身でも持て余していた魔力を、次の一撃に込めることにした。泉で動揺した際、意図せず海里に向かって魔力を放出し、彼を吹き飛ばしてしまった記憶が脳裏をよぎる。あの威力ならば、この窮地を打開できるかもしれない。

 

(僕の魔力を矢に込めて、あいつを射貫く!)

 

 魔力が矢尻に収束し、矢全体が青白い光を放ち始める。限界まで魔力が込められた一撃が、霧の向こうにいるヘルマンめがけて放たれた。

 

 空気を切り裂く音と共に飛来する気配を察知し、ヘルマンは咄嗟に籠手で防ごうと腕を突き出す。だが、それは致命的な判断ミスだった。頑強な籠手も、鍛え上げられた筋肉も、その一矢の前には無力だった。強大な魔力を帯びた矢は籠手を粉砕し、そのまま右腕を貫通した。

 

「なっ…!?ぐあああああああっ!!!」

 

 防御を貫かれた腕から、血がどくどくと溢れ始めた。

 

 リュカは今が好機と判断した。霧に紛れて気絶した子供を抱え上げる。腹部の激痛に苛まれるが止まるわけにはいかない。しかし、離脱の試みは失敗に終わる。

 

 霧の向こうから怒り狂ったヘルマンが獣のような雄叫びを上げて飛び出してきた。蹂躙するはずの獲物から受けた予想外の反撃。貫通した腕から血をぼたぼたと流しながらも、ヘルマンはリュカに迫ってきた。

 

「よくも……よくもやってくれたなぁ、エルフの小娘がぁぁぁ!!」

 

 ヘルマンは凄まじい形相で距離を詰め、リュカが弓を構える暇を与えず、その腕を力任せに掴み上げた。

 

「うわぁっ!」

 

 激怒したヘルマンは彼女を掴んだまま、近くの巨木に叩きつける。その衝撃は、腹部への一撃にも匹敵した。

 

「ッ!!!あっ、がっ……!?」

 

 リュカは地面に崩れ落ちた。腹部と背中からの激痛にうまく息ができない。ヘルマンは、リュカが動けないことを確認すると、見る者がぞっとする笑みを浮かべて近づいてくる。

 

「痛えじゃねぇか、お嬢ちゃん」

 

「く、来るなぁッ!!げほっ!うぅ……」

 

 呼吸が乱れたリュカを、ヘルマンは一転して猫なで声でゆっくりと追い詰める。その瞳の奥には、獲物を捕らえた獣の下劣な欲望が濁り、むき出しの嗜虐性が滲み出ていた。

 

「ははははははは!じゃあ、楽しませてもらうかあ」

 

 ヘルマンは傍らに落ちていた弓を無造作に蹴り飛ばすと、太い腕でリュカを地面に押し付けた。

 

「やだぁ、嫌だあ、離せぇ!」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 リュカはこれから自身に降りかかることを理解して、悲鳴を上げて激しく抵抗する。だがヘルマンの腕は岩のように重く動かない。彼女の必死の抵抗を嘲笑うかのように、華奢な頬を容赦なく殴りつけた。

 

「あぐっ…!」

 

 意識が一瞬白く染まり、視界が歪む。覆いかぶさってくるヘルマンの顔はリュカの目には人ならざる怪物そのものに映った。

 

「やめろ!やめて!嫌だ!離して!」

 

 絶叫はヘルマンの嗜虐心を一層掻き立てる。

 

「あぁーー良い声だぁ。可愛い反応するじゃねぇか。少年みてぇな姿をして、本当に可愛いお嬢ちゃんじゃねぇか。さぁ、もっと良い声で啼いてくれよ、はははははは!!!」

 

 ヘルマンがリュカの服を剥ぎ取ろうと手をかける。リュカは手足を振り回して必死に足掻くが、ヘルマンは彼女の抵抗を無視していた。

 

 剛腕に押さえつけられたまま、リュカは底なしの絶望へと沈んでいく。ヘルマンが自身のベルトに手をかけ、カチャカチャと耳障りな金属音を立てて緩め始めた。

 

 不吉な金属音に、リュカは「ひゅ」っと喉の奥で息を詰まらせた。それまで叫び続けていた声は、あまりの恐怖に凍り付き沈黙へと変わった。

 

 男の興奮した荒い息遣いと、不快な体臭が鼻腔を突き、逃げ場のない現実が、押さえつけられた身体を通して容赦なく突きつけられてくる。絶望に囚われたリュカは、瞳に涙を浮かべながら、自身の憧れに思いを馳せていた。

 

(嫌だ!こんな奴に襲われるなんて……!僕はシル姉とゼファーみたいに……お互いを信じ合って笑い合える、あんな関係が羨ましくて……いつか僕もあんな風に心を通わせる相手と結ばれたいって……)

 

 止めどなく溢れる涙が頬を伝う。リュカの尊厳が蹂躙されようとした、その時だった。

 

 低く、怒りを込めた声が響いた。

 

 

 

 

 

 

 

「……お前……何してるんだよ……」

 

 

 

 

 

 

「あぁ!?ぐああっ!」

 

 振り向こうとしたヘルマンの身体が凄まじい勢いで吹き飛ばされた。

 

「えっ?」

 

 リュカは息を呑んだ。何が起きたのか咄嗟に理解できない。呆然としたまま吹き飛ぶ影を追い、次いで視線を反対側へと向けた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 そこには荒い呼吸をしながら、右拳を振り抜いた姿勢のまま立っている海里の姿があった。全身から噴き上がる峻烈(しれつ)な怒気。出会って日は浅いが、これまでの印象とは別人に見えた。

 

 海里の視線が地面に倒れたままのリュカに向けられる。彼は自身の外套を脱ぎ、リュカの身体へそっと被せた。そして震える彼女に絞り出すような声で語りかけた。

 

「……ごめんリュカ。走り出した君を追いかけたけど、すぐに追いつけなかった。あいつは俺が倒すから、もう少しの間、そこで待っていてくれ」

 

「海里……」

 

 震える唇から漏れたのは、彼の名だけだった。

 

 恐怖のどん底にいた彼女にとって、今、目の前に立つ海里の存在だけが唯一の光だった。

 

 海里は一転して、怒りを宿した視線をヘルマンへと向ける。一歩、また一歩と、静かな足取りで歩みを進めていった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

我、悪の科学者。ヒロイン魔法少女のコピーがやたら慕ってくるんだが(作者:ともとーも)(オリジナル現代/冒険・バトル)

悪の組織の悪の科学者の仕事と言ったら、主人公の魔法少女のコピーを作ることと決まってますからね。


総合評価:1672/評価:8.11/連載:4話/更新日時:2026年01月27日(火) 09:09 小説情報

夢現世界の災凶姫~Disastress in the Parasomnias~(作者:サッドライプ)(オリジナルファンタジー/冒険・バトル)

或いは異世界転移して閉じ込められた遺跡ダンジョンで意味深に封印されていた眠り姫を勝手に脳内彼女にしていちゃこらする妄想電波を毎日垂れ流していたら実は意識があったので全部聞かれていた話。▼「はい♪あなた様が言っていた恋人同士の睦み合い、全部ぜーんぶやりましょうね!!」「え゛」▼脱出不可能なダンジョンに放り出されてモンスターとバトるか可愛い美少女を眺めるかしかや…


総合評価:5492/評価:8.8/連載:40話/更新日時:2026年05月27日(水) 17:01 小説情報

和風陰陽師漫画の終盤で死ぬ親友枠に転生した俺はどうすりゃいいですか?(作者:鬼怒藍落)(オリジナル現代/冒険・バトル)

一般和風好き転生者VS曇らせと理不尽と絶望▼ファイ!▼カクヨムにも出します


総合評価:3648/評価:8.04/連載:42話/更新日時:2026年05月07日(木) 07:10 小説情報

エロゲ転生〜やり込んだ知識でハーレム無双〜(なお特殊性癖)(作者:星野林(旧ゆっくり霊沙))(オリジナル現代/冒険・バトル)

やり込んだエロゲに転生してしまった主人公。▼抜きゲー世界であるが、バトルもあるので、死なない、詰まない様にしながらエロく生きたいと思います。▼なお初っ端から周回用アイテムを回収する模様。▼カクヨムとマルチ投稿


総合評価:4661/評価:8.36/連載:130話/更新日時:2026年06月01日(月) 18:00 小説情報

ソル&ヴァルキリー:かませ騎士に転生した俺、破滅回避のため落ちこぼれヒロインを育成していたらいつの間にか天才と呼ばれてしまう(作者:マテリ-AL)(オリジナルファンタジー/冒険・バトル)

全51話・約32万字/完結済み▼毎日20:18更新▼『ソル&ヴァルキリー 』。神の代弁者・魂導者(ソル)となり、戦乙女(ヴァルキリー)を空へ育て導くヒロイン育成系学園RPG。▼これは、そんなゲームの世界で、▼「戦乙女という空を飛べて広範囲殲滅魔法を使える存在がいるのに、騎士になる意味はあるのか……?」▼と考えてしまい、魂導者となったやられ役のかませ騎士、ルシ…


総合評価:5235/評価:8.37/完結:52話/更新日時:2026年05月09日(土) 10:18 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>