輪廻の檻 ―異世界で再会した幼馴染は、俺を知らない敵だった― 作:あすらりえる
海里に殴り飛ばされたヘルマンは、大したダメージもないかのように勢いよく起き上がった。口の中に溜まった血を無造作に地面へ吐き捨てると、怒りを露わにして歩み寄ってくる海里に悪態を吐く。
「くそが……。痛えじゃねえか、何しやがるんだ、お前……」
ヘルマンの言葉に、海里は抑えきれない怒りを滲ませ低い声で問い返した。
「それは俺のセリフだ。お前のほうこそ何をしようとしていた?」
ヘルマンは海里の剣幕に臆することもなく、むしろ面白がるように口の端を吊り上げた。
「あのエルフの嬢ちゃん、男みたいな恰好してるのに可愛いからよ。だぁからよ、ここまで追ってきてもらって一緒に
「お前らは宰相の命令で俺を調査するために、わざわざ来たんじゃなかったのか?」
「あ?ああ、お前が海里か。その通りだよ。だが、わざわざ遠出してきたんだ。役得くらいあってもいいだろうがよ」
邪魔をした男が標的の海里であるとようやく察したヘルマンは下卑た笑みを深める。
それに対し、海里は不快感を隠せずぎりっと奥歯を噛みしめた。悲鳴を上げていたリュカに対して
「お前の言う
「ああ、そうさ。俺にねじ伏せられて泣き喚く奴を見ると心がすっと軽くなるんだよ。俺はこいつより強いから何をしてもいいんだって優越感に浸れる。あのエルフの嬢ちゃんの恐怖に歪む顔は、たまらなく魅力的だったぜ」
そこで一度言葉を区切ったヘルマンは憎々しげに海里を睨みつけた。遊びを妨害されたことがひどく気に入らないという様子だった。
「だというのによぉ、邪魔をしやがって。さっきの一撃のお返しをさせてもらわねぇと気がすまねえ。楽に死ねると思うんじゃねえぞ」
「俺を殺したら調査するって命令に背くことになるんじゃないのか?」
「うるせぇ!うちのレナート副団長が輪廻教団の奴と何を企んでいようがよぉ、そんなのは俺はどうでもいいんだ。今はてめぇへの報復が先決なんだよ!!」
叫ぶや否や、ヘルマンは全身に魔力を巡らせて身体強化を発動し、海里との距離を瞬時に詰めた。威力を底上げした拳を海里の腹部へと叩き込もうとするが、その一撃はあっさりと海里に躱された。
「は!?てめぇ……!俺の動きが見えて……!?」
ヘルマンの叫びが虚しく響く。身体強化によって爆発的に高められたその速度は常人では到底反応できないはずだった。
「……」
海里は何も言い返さない。ただ、その瞳は冷たくヘルマンだけを見据えていた。
「てめぇ――!!」
しつこく殴り掛かってくるヘルマンに構わず、海里は躱しざまに剣を抜き、峰の部分を大きく振りかぶった。そして、リュカの一撃で今も血の滲むヘルマンの腕を容赦なく打ち据えた。
「ぎゃあああ!!痛え!」
金属が叩きつけられる鈍い音と共にヘルマンは悲鳴を上げ、腕を押さえながら海里から距離を取って飛び退いた。その顔には激痛と動揺が混じり合っている。
「お前。……身体強化で底上げした力でリュカを殴ったな……」
海里の口調はどこまでも静かだったが、その心中には激しい怒りが渦巻いていた。それは否応なく元の世界での記憶を呼び覚ます。
(この男は元の世界で俺が殺した
脳裏に殺した男の顔が甦り、海里の思考が乱れた。
(――ッ!!)
その直後、ヘルマンが吠えた。
「くそが!次は当てる!!」
ヘルマンは怒りに任せて幾度も海里に殴りかかる。しかし、その拳が海里を捉えることはなかった。
(この程度の動きなら視線だけで軌道が完全に読める)
ヘルマンの攻撃を躱すたび、海里はカウンターで剣の峰で彼の腕、胸、胴を容赦なく打ち据える。打撃のたびに重い金属音が響き、頑丈なはずの黒光りする鎧が凹んでいった。
「あっ!がぁ……くそ……くそ……!」
全身に増え続ける痛みに抗えず、ヘルマンの動きは次第に単調になり、より予測しやすくなっていく。
(こいつはラルフより弱い。しかもリュカの矢が、すでに右腕を潰している)
海里の脳裏にラルフとの決闘が蘇る。技術と経験に裏打ちされたラルフの槍技に比べれば、その動きはあまりに稚拙だった。身体強化に頼り切り、自分より弱い相手を甚振ることに終始してきた男の限界が露呈していた。
海里の攻撃は止まず、ヘルマンを打ち据える鈍い打撃音が絶え間なく続く。ヘルマンは海里の動きに反応することさえできなくなっていた。
「あ……が、ぁぁ」
荒い息を吐き、海里は目を細めてボロボロになったヘルマンの顔を覗き込む。傲慢さは消え失せ、そこには恐怖と苦痛だけが張り付いていた。
「なぁ、お前の大好きな暴力で徹底的に打ちのめされるのはどんな気分だ?」
海里は静かに問いかけた。その声音は冷たく、ヘルマンの鼓膜を恐怖で震わせる。
「ひぃ!」
海里は距離を詰め、さらに言葉を重ねた。
「答えろよ。優越感に浸れるんじゃなかったのか?これの何が楽しいんだ?」
遭遇時の威勢はどこへやら、ヘルマンは海里から逃れようと無様に後ずさる。だが、海里がそれを許すはずもなかった。冷たい視線に耐えかね、自棄になったヘルマンが身体強化を纏って襲いかかる。
「あ、ああああああああああああああ!!」
その攻撃を海里は嘆息と共に迎えた。右手の剣を降ろし、空いた左手をヘルマンへ翳す。掌から放たれた重力の魔力が、圧力となってヘルマンの頭上から容赦なく圧し掛かった。
「ぐっ……何だ……!?重てぇ!身体が動かねぇ!」
底なし沼に足を取られたかのように、圧力によって身体が沈み込む。ヘルマンはその場で縫い留められたように動けなくなった。
「う、動け、ねえじゃねえか……!」
上からの重圧に抗い、ヘルマンが苦悶の声を絞り出す。海里はゆっくりと右手の剣を振り上げた。その切っ先はヘルマンの脳天へと正確に向けられている。
「お前に他者を踏みにじる権利はない」
冷たい宣告が重力に押さえつけられたヘルマンの耳に響く。海里の瞳の奥に宿る純粋な怒りに触れ、ヘルマンの顔から血の気が引いた。命乞いをしようと口を開閉させるが、声は喉に張り付いて出てこない。
生かしておく価値のないクズ。その認識が海里の中での決定事項。この男を野放しにすれば、必ずまた誰かが犠牲になる。これほど殺意を抱いたのは、この世界に来て初めてのことだった。
海里の足元で地面が沈み込み、小石がふわりと浮き上がる。制御を外れた重力が周囲へ滲み出していた。怒りと殺意が魔力と混ざり合い、意思を超えて溢れ出していく。
振り上げた剣を握る右手の筋肉が、ぎしぎしと軋む。その全てを叩きつけようと剣を振り下ろす寸前だった。
かつて海里にとって呪いとなった言葉が再び鮮明に蘇る。
『
「ッ!!」
元の世界で鏡花を殺し、そして海里自身の手で命を絶った
『ちゃんと殺せるじゃないか』『ちゃんと殺せるじゃないか』『ちゃんと殺せるじゃないか』『ちゃんと殺せるじゃないか』『ちゃんと殺せるじゃないか』『ちゃんと殺せるじゃないか』『ちゃんと殺せるじゃないか』『ちゃんと殺せるじゃないか』『ちゃんと殺せるじゃないか』『ちゃんと殺せるじゃないか』
異世界に来てなお、この呪いの言葉が海里を苛む。死に瀕した男の悦びに満ちた声が精神を抉る。その呪詛を振り払うように海里は絶叫した。
「うるさい!黙れっ!
「ひ、ひぃ……!?」
溢れ出す殺意と重圧を正面から浴び、ヘルマンは全身を激しく震わせる。苦しげに喉を鳴らした後、口から大量の泡を吹き出し、意識を失ってその場に仰向けに倒れた。
「っは。はぁ――、はぁ――」
海里は気を失い横たわるヘルマンを、冷たい瞳で見下ろした。殺意は依然として
(この男を殺せば
脳裏をよぎった考えに抗うつもりはなかった。
(……殺そう)
気を失ったヘルマンに向け、剣を振り下ろそうとしたその時。
「もういいよ海里!それ以上はやめて!」
背後から駆け寄ったリュカが海里の腕を強く掴んだ。その悲痛な声が怒りに塗り潰されていた海里に届いた。
「……リュカ……?」
我に返った海里は、振り上げた剣を下ろして地面へと突き刺した。宙に浮いていた石と枯れ葉が、ぱらぱらと地面に落ちる。大きく息を吐き、海里は振り返ってリュカを見つめた。怒りと忌まわしい記憶の狭間で心は摩耗しきっていた。
リュカは海里の外套と服の裾をぎゅっと握りしめていた。その指先はまだ震えている。
「リュカ、大丈夫だ……もう大丈夫だから」
掠れた声で呟く海里自身も震えを抑えられずにいた。リュカに止められなければ間違いなくこの男を殺していただろう。その確信が海里の胸を締め付ける。
「……海里も大丈夫じゃない……」
震える手が、そっと海里の頬に触れた。感情の嵐にさらされた海里の瞳が悲しげに揺れているのを、リュカは痛いほどに感じ取っていた。
「……助けてくれて本当にありがとう。……怖かったけど……海里が来てくれなかったら、僕は……」
嗚咽で言葉が途切れる。それでもリュカは感謝を告げると、海里の身体を抱きしめた。鼓動が重なり、規則正しく響くその音が二人の荒れた呼吸を静めていく。
「ぁ」
やがてリュカの口から細い吐息が漏れた。緊張の糸が切れたのか両膝から地面にへたり込む。
「大丈夫か、リュカ?」
「うん、大丈夫。でも、ごめん、あれ……立てない」
身体に力が入らないリュカを海里は優しく抱きかかえた。
「……わぁ」
不意の感触に驚きの声を上げたが、拒むような力はこもっていない。
「立てないなら仕方ない。俺がリュカとあの子を里まで運ぶ。外套、少し借りるよ」
「……うん」
海里は傍らに放置されていたエルフの子供を背負い、外套を使って自身の体に固定した。そのままリュカをしっかりと腕に抱き、里へ向かって歩き出す。
抱きかかえられ、俯くリュカの耳は真っ赤に染まっていた。
海里の広い胸。密着した互いの体から伝わる熱。トクントクンと脈打つ鼓動は、今のリュカにとって何よりも安らかな揺り籠のようだった。それと同時に、まだ自分でも分からない感情が胸の奥で膨らんでいく気がした。