輪廻の檻 ―異世界で再会した幼馴染は、俺を知らない敵だった― 作:あすらりえる
盗人が湖へ落下して姿が見えなくなった後、リアムはアルベールへ問いを向けた。
「アルベール殿、先ほどは何の粉末を投げたのかしら?」
アルベールは表情を変えず、しれっと応じた。
「樹液と同じく、道中で採取した刺激性の薬草です。乾燥させて粉末にしたものから、魔石を加工する合間に成分を抽出していました」
リアムは瞳をわずかに見開き、感嘆を漏らした。
「機転が利くわね。偶然手にした薬草を、窮地の打開に応用するだなんて」
アルベールは微かに微笑したが、最初から考えていたわけではなかった。
「人間相手に使うとは思いもしませんでしたが……。一連の出来事が落ち着いたら、またアウロラの森をゆっくりと探索させてください。新たな発見があるかもしれませんから」
「是非またいらっしゃい、アルベール殿。里に籠っている私にとって、あなたとの対話や外の情報は良い刺激になるわ」
「ええ。その時は私も色々と学ばせていただきたい。ところでリアムさん。先ほどの杖さばきはお見事でした。あなたも戦えるのですね」
霧魔法で姿を隠したエーリッヒの位置を正確に見抜き、杖の一撃で
しかし当のリアムは首を横に振った。
「少し違うわ、アルベール殿。今の私は戦える力を殆ど失っているの。本格的な戦闘になれば長くは持ちこたえられないでしょう」
「それは……どういう意味で?」
リアムは遠い過去を見つめるように視線を落とした。
「私の全盛期は五十年前に終わっているわ。当時、本当に色々なことがあったから……」
アルベールはその言葉に目を見開いた。リアムは静かに言葉を継ぐ。
「長命種のエルフだから、第一転生者が生きていた時代を知っているわ。その戦いの最中で私は力の大半を使い果たしてしまったの」
リアムはふっと寂しげな笑みを浮かべ、アルベールに向き直った。
「里にはエヴァンがいるけれど、私もいざという時のために長い時間をかけて魔力を溜めてきたわ。さっきの盗人に魔力を使わずに済んだのは、あなたたちのおかげ。感謝しているわ」
リアムの感謝を受け取りながら、彼女がどんな魔法を使うのか、アルベールは気になった。
「リアムさんはどんな魔法を使うのですか?」
「私が使う魔法は
「それは……何かを制限するようなものですか?」
「ええ。直接的な攻撃力はないけれどね。例えばアルベール殿に
「……。使い方次第で戦況を有利に変えられそうですね」
「今は行使も容易ではないけれど、溜めた魔力を活かせる時が来ると信じているわ」
アルベールはリアムが歩んできた歳月に、静かに敬意を抱いた。
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その後もリアムとアルベールが言葉を交わしていると、息を切らした海里とリュカが書庫の前に姿を見せた。
「リアム様!アルベール!何があったの!?」
「書庫が燃えるのが見えたあと、誰かが湖へ落ちていきましたが……」
問いかける海里の傍らで、リュカは腫れた頬を片手で押さえて不安げに二人を見つめていた。
「二人とも。心配をかけてしまったね。盗みを働こうとした黒曜の男がいてね。レン君とリズちゃんが退けてくれたから心配はいらないよ」
リアムも頷き、二人の無事を確かめるように視線を走らせた。
「それより君たちこそ平気かい?海里君は別の黒曜の男と戦ったと聞いたし、リュカちゃんも……」
アルベールの視線がリュカの赤く腫れ上がった頬に留まった。打撃による負傷であることは明白だったが、彼女が同時に腹部を庇うような仕草を見せているのに気づき、アルベールは眼差しを細めた。
「……リュカちゃんの怪我はすぐに治療を行おう。何があったのか、詳しく聞かせてくれ」
「あ、うん……」
促されたリュカが小さく頷くと、そこへレンとリズも合流した。
海里たちが遭遇した出来事を語り、同時に書庫で起きたことを聞かされた。一連の経緯が共有されるにつれ、その場に怒りが満ちていった。
仰向けに横たわったリュカに対し、アルベールは腫れた頬と触診で確認した腹部へ、静かに回復の魔力を注ぎ込んでいく。
「全く、度し難いにも程があるね」
珍しく怒気を滲ませるアルベールの言葉に、全員が同じ憤りを共有していた。
「黒曜の奴ら、本当に腹立つわね!盗みに誘拐、その上リュカにこんな怪我まで負わせるなんて!」
同じ女性が受けた理不尽な暴力に対し、リズは激しい怒りを露わにした。
「まぁ、これで黒曜のうち二人は無力化しただろ」
レンが身体を伸ばしながら呟くと、リュカが言葉を繋いだ。
「火をつけた霧の魔法使いは、レンたちが倒した奴だったんだね。ありがと。不安が一つ消えたよ」
「気にすんなって。残った奴らがどう動くかは分からねぇが、最初に会った二人は敵意が薄かったし、また会っても戦いにはならない気がするぞ」
「うーん。じゃあ、あとは命令を出しているレナートって奴だけなのかな?だとしたら、もう僕たちの出番はないかも」
「一番問題がありそうな奴が残っているのにか?」
レンの疑問に対し、治療を受けていたリュカは確信に満ちた声を返した。
「うん。シル姉がもう動いているもん。僕が襲われたことを聞いて、シル姉がすごく怒ってた」
それは不在のシルフィアに対する絶対的な信頼だった。リュカの表情には、姉のように慕う存在が自分を想ってくれていることへの誇らしさが滲んでいた。
「報いを受けさせるって言っていたから。レナートはもう何もできなくなると思うな」
その言葉にレンは反射的に身震いした。
「シルフィアさんかぁ……。あの人、怒ると怖そうだな……」
「うん、そうだよ。……ゾッとするもん」
治療中のリュカも小さく震えながら頷いた。穏やかな人物ほど、その逆鱗に触れることの恐ろしさを、その場の誰もが肌で感じ取っていた。
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レナートは依然として森の高台の上にいた。
荒い息を吐く彼の周囲には、不揃いな薔薇を咲かせたマッドエイプの死骸が幾重にも重なっているが、動く魔物はもういない。
「ぜぇ、はぁ。
海里の調査は終わっていないが、今すぐこの場から逃げ出したい。
しかし、どこかに潜む狂信者の視線を背中に感じ、逃亡という選択肢は封じられていた。七元徳『信仰』の鏡花に心酔する者が、それを許すはずがない。
かといってこの場所に留まれば、いずれ薔荊蛇の牙に襲われるのを待つだけだった。薔荊蛇が戻るタイミングでエルフの里へ向かえば、その矛先を他者へ向けられるかもしれない。里の戦力と海里たちが総出で当たれば、討伐は叶わずとも、自分が逃げ去る時間程度は稼げるはずだ。
(それに、バルトロメオとカミラが戻れば、まだ手はある……)
あの二人なら必ず役に立つ。己に言い聞かせる間に高台を吹き抜ける風が冷気を帯びていく。
思考を巡らせるレナートの周囲で温度が急速に下がっていった。白い吐息が漏れ、肌を刺すような寒気が満ちる。
「……何です?急に寒く……」
浮かんだ疑問を静かな女の言葉が断ち切った。
「見つけたわ」
驚愕で目を見開き、レナートが振り返ると、一人のエルフが静かに歩いてきていた。その瞳は氷晶を思わせる冷たい光を放っている。彼女の一歩ごとに氷の粒が舞い、草木もマッドエイプの死骸も瞬く間に白い霜に覆われていく。
「あなたは……確か、『
レナートはシルフィアの放つ冷気に気圧されながら、騎士団副団長としての立場で必死に虚勢を張った。
それに構わずシルフィアは告げた。
「あなたの部下の行いで、私の可愛い妹分が酷い目に遭ったわ。その報いを受けてもらうわ。覚悟なさい」
「なっ!ふ、ふざけないでください……!耳長のエルフ風情が、この私に報いですって?笑わせないでください!」
動揺を怒号で塗り潰そうとするが、奥歯がカチカチと鳴るのを止められない。状況は最悪だった。薔荊蛇の脅威、果たしていない目的、そして予期せぬ実力者の来訪。
「……滑稽ね」
レナートの無様な内面を暴くように、シルフィアはただ一言、酷薄に告げた。その声はレナートにとって紛れもない死を予感させた。