輪廻の檻 ―異世界で再会した幼馴染は、俺を知らない敵だった―   作:あすらりえる

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第63話:価値のない最期

「はは!ははははははははははははははははは!!」

 

 薬で強化されたレナートの瞳孔は異常なほどに開いていた。

 

 シルフィアは退かず、静かに杖を構え直した。

 

「ふん!」

 

 短い呼気と共に、レナートは鎖付きの鉄球を投擲した。鉄球は唸りを上げて空を裂き、一直線にシルフィアを強襲する。シルフィアは自身と鉄球の間に、分厚い氷壁を幾重にも生成した。

 

 しかし、薬の影響で破壊力を増した鉄球は、一つ目の氷壁を瞬時に粉砕し、その勢いを削がれることなく二つ目、三つ目も次々と砕いていく。

 

 シルフィアはその僅かな間に、素早く後方へ退避した。

 

「……随分と力が上がったわね」

 

「ははは!見たか!見たかぁ!これが私の力なんです!あなたの氷など、ただ砕かれるのを待つだけの張りぼてでしかなぁい!!」

 

 レナートは全能感に酔いしれ、鎖を力任せに引き戻した。次の攻撃を放つべく、再び鉄球を頭上で旋回させる。

 

「あなたの力ではなく妙な薬の効果でしょう。そんな貰い物で調子に乗れるなんて本当に滑稽ね」

 

「黙れ!まだ私を愚弄するかぁ!」

 

 レナートは鉄球を唸らせ、再び投擲したが、その瞳は鉄球の行方を追ってはいない。投擲と同時にレナートは上体を深く沈め、片手を地面に叩きつけた。鉄球は氷壁に阻まれることを前提とした陽動で、本命は足元。

 

 シルフィアの足下の地面が波打ち、捲れ上がる。土塊の射出ではなく、地面そのものが彼女を呑み込もうと蠢いた。

 

 同時に、左右と背後の三方向から、鋭利な土の杭が地中を割って突き上がる。

 

「……っ」

 

 シルフィアは咄嗟に足元を氷結させて地表の隆起を封じ、氷壁を展開して杭を防御した。だが、薬で増強された魔力が宿る土の杭は、氷壁に深い亀裂を走らせる。

 

 魔力の総量が底上げされたことで、複数方向への同時行使が可能になり、正面から一方向に土塊を放つのみだった先ほどとは状況が異なっていた。

 

「どうです!いつまで氷の壁で凌げますか!?」

 

 レナートは地中から土の杭を次々と生成していく。狙いは粗いが、足場の崩壊と数で圧倒しようとする。

 

 それでもシルフィアの表情に焦燥はない。彼女は杖の先端にある三日月の意匠を、足元の地面へ向けた。次の瞬間、茶色い地面が白一色へと一変する。

 

 凍結は地面の表面に留まらず、地面の中にまで浸透し、土そのものを凍てつかせていく。ぱきぱきと硬質な音が地面の下から響き、白い氷の領域がシルフィアを中心に急拡大した。そして、レナートの足元にまでその凍結が到達する。

 

「なぁ――!?」

 

 レナートは土魔法を発動しようとした。しかし、地面に押し当て、手に魔力を込めても、もう土は微動だにしない。凍結した地中が魔力の介入を物理的に遮断していた。

 

「ふざけるな……!地面を凍らせて、私の土魔法を……!」

 

「あなたの土魔法は、土という媒体がなければ何もできないでしょう?武器に纏わせたり、独立した投擲物を作ることもできないのかしら。不自由ね」

 

 シルフィアは杖を地面に向けたまま、レナートを見据えた。逃げも隠れもせず、ただ力の土台を奪ったという事実を突きつける。

 

 土魔法を封じられたレナートに残る手段は鉄球のみ。だが、それだけでは彼女を仕留められないことは既に理解している。レナートは歯を噛み締め、全身を駆け巡る薬の力を以て、身体中の魔力を限界まで絞り出した。

 

「この程度の氷ごときで、私を封じられると思うなぁ!!!」

 

 叫びと共に、レナートの足元で凍土が軋んだ。砕けるはずのない深層の氷結を、膨大な魔力が強引にこじ開けていく。凍土と魔力が地面の下で激突し、爆音が響き渡る。

 

「があああああああああああああ――ッ!!」

 

 そして凍土が爆ぜた。レナートの足元から歪な土柱が氷を突き破って隆起する。氷片を撒き散らし、力任せに地面を抉って生まれたそれは、凍土を貫通するだけの威力を秘めていた。

 

「はっ……はは、ははは!見なさい!今の私の魔力は、あなたの凍土すら砕く!」

 

 レナートの高笑いは止まらない。砕けた氷の粒と土煙が舞い散る中、魔力の爆発によって周囲の地形が一変していた。

 

「……力ずくで凍土を砕くなんて。恐ろしい薬があったものだわ」

 

 シルフィアはレナートが飲んだ薬と、その効果を冷静に分析していた。凍土を強引に破壊する行為がどれほどの魔力を消費するか想像に難くない。通常ならすぐに魔力が枯渇するはずだが、それを無視して魔力を行使できる事実は、薬が魔力の絶対量をも異常増幅させている証明だった。

 

(でも、一時的な効果とはいえ、何の副作用もないものなの?)

 

 ふと、シルフィアの視線がレナートの頭部で止まった。

 

(……あれは?)

 

 レナートの髪から色が抜け始めている。艶のあった紫髪が白く色褪せていた。シルフィアはそれに何も口にせず僅かに眉をひそめた。得体の知れない変異に対する疑念がその表情に浮かぶ。

 

 レナート自身は変化に気づかず、凍土を穿った高揚感にのみ支配されていた。

 

 彼は再び鉄球を振り回すが、シルフィアはもう正面から受けることはしなかった。氷壁で軌道を逸らし、最小限の動きで回避しながら、戦場の周囲へ冷静に視線を巡らせる。

 

 高台の下、不自然に抉れた地面。その傍の樹には深紅の薔薇が咲いていた。

 

「ここに薔荊蛇(しょうけいだ)がいたのでしょう?そんな場所で、あなたは一体何をしていたのかしら。周囲の死体は薔荊蛇が操っていた魔物でしょう」

 

 答えを期待していない問いだったが、レナートは素直に答えを返してきた。

 

「ええ、いましたよ!魔道具で薔荊蛇を刺激して、エルフの里へ向かわせることにしました!――こほっ」

 

 言葉が咳で途切れた。喉の奥から込み上げる震えが言葉を遮るが、レナートはそれを無視して口を開いた。

 

「どうして、そんな真似をしたの?」

 

「イディウス宰相様に命じられて、海里という冒険者の力を測るためですよ。しかし、彼に負けた私の部下を追いかけて、薔荊蛇は森の奥に戻ってしまいました」

 

 シルフィアは驚愕に目を見開いた後、嫌悪を込めて目を細めた。

 

「どこまでも度し難い男ね。異形の魔物を刺激するなんて……。制御できると思っているの?」

 

「……私は薔荊蛇を舐めていました。あれは人の思惑に収まる魔物ではなかった。部下だけでなく、私も餌に認定されました。このままでは私も喰われるでしょう。あの魔物が戻ってきたら、私もエルフの里にお邪魔しま――こほっ」

 

 言い終える前にまた咳が込み上げた。

 

 鉄球を握る右手が小刻みに震えて痙攣が止まらない。構え直そうとした腕が力なく揺れる。勢いよく噴出していた蒸気は既に消え、代わりに全身を激痛が襲い始めた。

 

「ぁ……がはっ……なん、です……この、痛みは……!?身体が……思うように……!」

 

 視界が激しく揺らぐ。内側からの痛みに耐えられず膝が折れ、鉄球が音をたてて地面に転がり、レナートは地面に突っ伏した。

 

「得体の知れない薬を飲んで副作用がないと思ったの?そんな余裕もなかったでしょうけれど……」

 

 シルフィアはレナートが気にも留めなかっただろう事実を突きつけた。

 

「その薬は寿命を代償に一時的な力を得る劇薬といったところかしら。あなたは未来の寿命を前借りして、後先考えずに無駄遣いしたのよ。髪がもう真っ白よ。気づいていなかったでしょう?」

 

「――ッ!!髪、私の髪の色……」

 

 氷に映った己の姿を目にし、レナートは愕然と自身の髪を掴んだ。指の間から白い毛髪が地面へと散る。

 

「寿命を……消費する薬?ゼイロンはそんなこと一言も……。私を実験台に……?」

 

「知らないわよ。……あなた、放っておいても、もうすぐ死ぬわね。私が手を下す必要はなさそうね」

 

 レナートはシルフィアの瞳に蔑みではなく、哀れみが浮かんでいることに気づいた。

 

「何……ですか、その目は。私を……そんな目で見るな……!憐れむなぁ……!」

 

 息も絶え絶えの悪態。脆く崩れた自尊心を守るための最後の抵抗。

 

「さんざん悪事を繰り返してきたのでしょう。最後の瞬間まで、その苦しみと一緒に己の行いを噛み締めなさい。私はあなたを楽にしてあげない」

 

 冷たく告げたシルフィアは、森の奥から近づく悍ましい気配を捉えた。風もないのに樹々が不自然に揺れ、それが少しずつ近づいてくる。

 

「薔荊蛇……。来たのね」

 

「は、ははは……」

 

 倒れたレナートが吐血しながら笑っていた。

 

「あなたも、里の連中もゼイロンも!皆、皆、あの魔物の餌になればいい……!私だけ死んでたまるものかぁ……!」

 

「自分の破滅だけでは飽き足らず、他者の破滅まで望むのね。馬鹿ね……」

 

 シルフィアはレナートへの関心を捨て、転がっていた空の薬瓶に目を止めた。指先が一瞬躊躇したが、彼女はそれを拾い上げ、懐に収めた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「里に戻って、薔荊蛇の迎撃準備をしないと……」

 

 彼女は宣言通りにレナートに止めを刺さず、振り返ることもなく、足早に里へと戻っていった。

 

 

 

 □■□■□■□

 

 

 

「あ……ぅ」

 

 氷の残る冷たい地面に取り残されたレナートは、全身の痛みに耐えながら、僅かに残った力を振り絞ろうとしたが、それは無駄な足掻きに終わる。

 

 劇薬の代償によって肉体は言うことを聞かず、指先一つ満足に動かない。右手をどうにか伸ばし、地面を掻いて這いずろうとしたが、高台の縁にいたことで、レナートの身体は斜面の土砂を巻き込んで転がり落ちていく。放り出された鉄球も巻き込んで、彼はその落下に身を委ねるしかなかった。

 

 転がる過程で鎧が岩に打ちつけられ、鈍い衝撃が身体を襲う。しかし、痛みはもう消失していた。感覚そのものが肉体から消え失せていた。

 

 高台からの落下が終わり、硬い地面へと叩きつけられ、ようやくその動きを止めた。

 

「う……うぅ……」

 

 呻きが喉から漏れた時、眼前に影が差した。同時に男の声が聞こえた。

 

「ついでの目的の方が先に果たされましたね」

 

 確かめるまでもなくゼイロンだった。彼は倒れ伏したレナートを何の感情も見せずに見下ろしている。やはり、すべてを監視されていた。

 

「ゼ……イロン……」

 

 絞り出された声には憎悪が滲んでいたが、ゼイロンは表情を変えずに淡々と応じた。

 

「レナート殿。薬の治験にご協力いただき感謝いたします。この結果は、鏡花様とデクスター様にしっかりとご報告させていただきます」

 

「治験、だと!?よくも……実験台になど……。こんな寿命を削る薬だと知っていれば……飲まなかった……ッ!」

 

 ゼイロンはその恨み言すら聞き流し、事実のみを語った。

 

「どのみち飲まなければ、あなたは先ほどのエルフの女性に凍らされて果てていたでしょう」

 

「ふ……ざ……ふざ、けるな……!」

 

 レナートはゼイロンを睨みつけるが、その動きすら緩慢で弱々しい。

 

「私は大真面目ですよ、レナート殿」

 

 ゼイロンの声は揺らがない。それは任務を遂行する者としての、純粋な献身と滅私の体現だった。

 

「私は鏡花様のために常に全霊を尽くす。今回、黒曜騎士団の問題であるあなたと部下二名は、調査依頼と同時に治験対象として最適でした。追い詰められれば口にすると思っていました」

 

 ゼイロンは独白のように言葉を続けた。彼の関心はレナートという存在から薬の使用結果へと移っている。

 

「……これほど持続時間が短いとなると失敗と言わざるを得ません。デクスター様がそれを考えていなかったとは思えないのですが……何か別の目的が?」

 

 ゼイロンはシルフィアと同様にレナートの死を最後まで見届けることはしない。自らの足元の影にゆっくりと沈み込んでいく。

 

「海里さんと戦う時にでも使ってほしかったですが、ままならないものですね。仕方ありません。彼の力を測る役目は薔荊蛇に引き継いでもらうとしましょう。それではレナート殿、お疲れさまでした」

 

 影に沈みきる直前、形ばかりの一礼をしてゼイロンはその場から姿を消した。

 

「ひゅー、ひゅー……」

 

 もう誰の姿もない。苦悶に満ちた微かな呼吸音だけが響いているが、レナートはまだ死にきれない。もう助からぬのなら早く終われと願うしかなかった。

 

 その死にかけの男のもとに、地を抉り、周囲の樹木をなぎ倒して薔荊蛇が戻ってきた。

 

 薔荊蛇はレナートの前で動きを止める。レナートは辛うじて視線のみを動かし、自身を見下ろす薔荊蛇の深紅の瞳を仰ぎ見た。

 

 薔荊蛇はしゅるしゅると不気味な音を立てて舌を出し入れしている。

 

(ヘルマンが喰われたなら……、私は薔荊蛇の腹の中で再会することになるのでしょう……)

 

 死という終焉を前に、レナートは間もなく訪れるであろう最後の瞬間を待って目を閉じた。しかし、一向にその瞬間は訪れない。

 

 不審に思い目を開けると、薔荊蛇はレナートに興味を失ったかのように視線を外した。そのまま鎌首をもたげ、エルフの里の方角を見つめ始めた。

 

(……何故だ!?)

 

 レナートには薔荊蛇の行動が理解できなかった。

 

(おい!何故だ、何故こちらを見ない!?私を餌と決めたからこそ、逃がさぬよう魔物を差し向けたのではないのか!?何故、私を放置する!?)

 

 薔荊蛇はレナートを放置したまま、里の方角へ向けて緩慢な動作で移動を開始した。同時に、その身に咲き誇っていた深紅の薔薇が地面へと零れ落ちていく。

 

 薔荊蛇がレナートを()()()()、あるいは喰う価値さえないと判断した。それは死の間際にあってもレナートには容認しがたい事実だった。

 

(ま、待て……くそ。エルフとゼイロンだけじゃないのか!?魔物まで私を無視するのか!?私を見ろ!私を……おぉ!)

 

 レナートは叫ぼうとしたが、喉から漏れたのは掠れた呻きだけ。白目を剥いたレナートの意識は闇へと沈んでいき、そして、彼は動かなくなった。

 

 黒曜騎士団の副団長レナートは、部下ヘルマンと同じく、誰に看取られることもなくその生涯を終えた。

 

 ただ一つヘルマンとの違いは、薔荊蛇にとって彼が餌としての価値を有していたか否かだけ。生命を繋ぐ糧としてさえ認められず、異形の魔物にさえ見放された男の死に顔は、絶望と後悔によって醜く歪んでいた。

 

 

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