輪廻の檻 ―異世界で再会した幼馴染は、俺を知らない敵だった―   作:あすらりえる

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第69話:利他的感情の臨界

 地上に薔荊蛇が落ちた後、非戦闘員であるアルベール、リアム、イストールが里の上部からその動向を追っていた。

 

 三人の周囲にはエルフの戦士や弓使いが控え、強大な魔物も近付いていないことから、直接的な危険は及んでいなかった。

 

 しかし、薔荊蛇が地上に落ちたのみで果てるはずもなく、危機は明確な形を伴って訪れようとしていた。

 

 起き上がった薔荊蛇が大技を放つ予兆を見せていた。発動すれば、被害は里の下層に留まらない。有利に転じつつある戦況が逆転するどころか、全滅の可能性すらあった。

 

 だから、リアムは決断した。五十年かけて積み上げてきた魔力を、今ここで全て使うことを。

 

「本当によいのじゃな、リアムよ?」

 

 イストールの問いにリアムは迷いなく答える。

 

「ええ、ここが使い時です。準備をします。それでイストール様、アルベール殿にもお願いがあります」

 

「何でしょう?」

 

「私が戒律魔法の発動準備に入ったら、お二人の手を私に当ててください。少しでも魔法の出力を上げるために。魔力を分けてもらうと同時に、発動後の消耗を覚悟しておいてくださいね」

 

「どのみち、負ければ未来はない。それに比べれば何のことはないわい」

 

「リアムさん、はじめてください」

 

「ええ」

 

 杖を構えたリアムが詠唱に入り、アルベールとイストールが彼女の身体に手を当てた。

 

 すぐに魔力が吸い上げられる感覚を覚えた。以前に彼女から聞いた言葉がアルベールの脳裏を過った。

 

『魔力を貯めておけば活かせる時が来ると思っているわ』

 

 あの時のいつかが今だった。

 

 薔荊蛇の魔力の花園に奪われるとは違う。自分の力が、彼女が五十年かけて積み上げてきたものへ注がれていく感覚があった。

 

 そうして、リアムが握る杖の先に魔力が収束する。彼女の宣告と共に、里全域へ強制的な制限を課す戒律魔法が発動した。

 

「戒律を定義する。異形の薔薇の魔力に侵されしものたちよ、その動きを禁ずる」

 

 薔荊蛇だけでなく、その支配下にある魔物たちは等しく戒律の対象となった。突如として静止した敵に対し、苦戦を強いられていた者たちが一気に反撃へと打って出た。

 

 

 

 □■□■□■□

 

 

 

「……リアム様、魔法を」

 

「彼女に無理をさせてしまったな。里の守護者などと呼ばれておきながら、まったく情けない」

 

 薔荊蛇の反撃に備えて氷塊を作っていたシルフィアと、迎撃態勢を整えたエヴァンが、感謝と不甲斐なさの混じる声音を零した。

 

「シルフィアよ、この上部の戦いは任せていいか?」

 

「ええ、お父様。下へ行くのね?」

 

「うむ、守護者としての面目躍如を果たさねばな。それとあの二人を少し助けてやってくれるか?」

 

 エヴァンの視線の先では、戒律魔法で静止したレナートの亡骸へ寄生する薔薇と相対するバルトロメオとカミラの姿があった。

 

 彼らもまた、この機を逃すまいとしている。

 

「彼らのこと、嫌いなんじゃないの?」

 

「嫌いだとも。あの二人への監視はまだ終わっていないからな」

 

 ふっと笑みを浮かべ、エヴァンは二人から視線を切り、里の下方へと意識を向けた。

 

「あとは頼む」

 

 エヴァンは自らの剣に、氷の魔力を込めていく。

 

 

 

 □■□■□■□

 

 

 

 里の下層で静止した魔物の群れに対し、レンが地を蹴った。呼応するように、エルフの戦士たちも後に続く。

 

「戒律が切れる前に全部叩く!」

 

 レンは硬直した寄生体の隙間を縫って最短距離を駆ける。最後の魔力薬を呷った。喉を焼く熱が広がる。メイスに土魔法の密度を極限まで乗せ、群れの中央へ踏み込んだ。

 

「早く片付けろよ、俺」

 

 唇の端で呟きながら、メイスを振るう。寄生した薔薇を潰し、その行動を繰り返す。

 

 エルフの戦士たちが両側から押し込んでいく。矢が上から降り注ぎ、次々と寄生元の薔薇を貫く。動けない的に外す道理はない。

 

「レン、左!」

 

 リズが声を飛ばす。杖を握りしめて寄生体の薔薇だけへ向けて火球を打ち込む。広範囲には放てないが、着弾するたびに薔薇が炭化して朽ちていく。

 

「分かってる!」

 

 寄生体たちは静止したまま次々と崩れ落ちていく。一拍置いて、焦げた薔薇の臭気が辺りに充満した。

 

 レンはメイスを握り直し、周囲を眺めた。

 

 後方ではエルフの戦士たちが魔物の群れを倒しきった実感がまだ湧かないのか、立ち尽くしている。

 

 レンとリズは短く頷き合い、薔荊蛇と対峙する海里たちへと視線を転じた。

 

 

 

 □■□■□■□

 

 

 

 樹上で戒律魔法の影響下にあるレナートの死体が、僅かに蠢き始めていた。定義に人間が含まれていないためか、骸への拘束は完全ではなかったのかもしれない。

 

 だが、得られた猶予はバルトロメオとカミラが攻勢へ転じるに十分だった。

 

「カミラ、頼む!」

 

「分かってるわ!」

 

 カミラの鋼線が、骸から伸びる全ての蔦を絡め取った。鉄球を握る膨張した腕を根元から縛り上げる。鉄球が地面に落ち、重い音を立てた。

 

 その時だった。

 

 亡骸の胸で咲く一際大きな薔薇が、脈打つように花弁を震わせた。戒律の綻びを突くように、薔薇の内側から新たな蔦が束となって溢れ出す。

 

 一本一本が太く、これまでの蔦とは密度が違った。カミラの鋼線を力任せに引き千切り、膨張した腕が無理やり振り上げられる。

 

「ッ、まだ動くのか」

 

 鋼線の一部が音を立てて弾け飛んだ。亡骸の腕が、蔦を纏わせて二人を薙ぎ払おうと迫る。蔦の束が扇状に広がり、一撃の攻撃範囲を押し広げていた。当たれば里の下層まで吹き飛ばされ、命はないだろう。

 

「退けないわね」

 

 カミラが短く呟き、踏み込んだ足を沈めて両手を前に広げた。普段は全てを使わない鋼線を、今は一斉に放ち、それは視界を埋め尽くすほどの密度に達していた。

 

「縛れッ!」

 

 カミラの振るった両腕が、鋼線の網を形成する。迫る蔦の束と正面から噛み合い、鋼線と植物繊維がせめぎ合う中で、カミラの踵が僅かに後退する。

 

「……ッ、まだッ……!」

 

 カミラの歯が軋んだ。鋼線の一本一本は決して強度が強くない。一本でも緩めば押し切られる可能性があったが、視界の端で氷の粒が舞った。

 

 音もなく、レナートの骸の足元に薄い氷の膜が張られた。レナートの死体の片足が滑り、押し込みの力が弱まった。カミラはその隙を逃さず、指を握り込んだ。

 

「――ッ、刻めッ!!」

 

 拮抗していた力が崩れ、蔦の束が全方位から鋼線で断ち割られていく。薔薇の蔦が千切れ飛び散った。亡骸の両腕を覆っていた蔦は細切れとなり、地面へと落ちていく。

 

 カミラは肩で息をしながら視線を上げた。

 

「……シルフィアさん」

 

「死体が襲ってきたのは、私の詰めが甘かったせいでもあるしね」

 

 杖を下ろしたシルフィアが、僅かに微笑む。里を覆う戦いの中で、その声だけが不思議なほど穏やかだった。

 

「あとは任せるわ」

 

 彼女はそれだけ言い残し、里の下層へと意識を戻した。

 

「……ありがとうございます」

 

 バルトロメオが短く呟いた時、蔦を剥がされた亡骸は鉄球を取り落として無防備を晒していた。だが、薔薇の花だけは執拗に骸に根を張っていた。

 

 バルトロメオは両手剣を握り直し、衝撃の魔力を一点に圧縮した。戒律の数十秒、そしてカミラが稼いだ時間の全てをこの一撃に注ぎ込む。中距離まで届く衝撃波を剣身へ押し込むたび、周囲の空気が歪み、両手剣そのものが軋みを上げた。

 

「副団長。異形の薔薇に利用される貴方を終わらせる。もう、辱められることがないように」

 

 掠れた声に、震えはなかった。

 

 亡骸の白濁した目が、焦点のないまま彼を捉える。バルトロメオは一気に距離を詰め、踏み込んだ。斜め上、真横、そして斜め下。三度の軌道が描かれた。一振りごとに圧縮された衝撃波が放たれる。剣身が骸にしがみつくように絡む薔薇だけを狙った。

 

 胸の薔薇の大輪が弾け飛び、蕾が根元から千切れる。脚に絡んだ最後の一輪までを粉砕し、衝撃は薔薇だけを骸から剥ぎ取った。

 

 宙に飛んだ薔薇にカミラの鋼線が巻き付き、バラバラに刻まれた。

 

 薔薇という寄生を失ったレナートの亡骸が、前のめりに膝を突き、倒れ伏した。もう骸は動かない。

 

「……終わったの?」

 

 カミラの問いに、バルトロメオは剣を地面に突き立てて答えを返した。

 

「ああ、終わった」

 

 息を吐いたその時、里の下層から白光が立ち上った。

 

 薔荊蛇がいる場所。その対角から放たれる輝きが戦場を満たす。

 

「……海里か」

 

 バルトロメオが名を零す。カミラは指先の鋼線を静かに仕舞いながら、その光を見つめた。自分たちの戦いは終わった。里の決戦を制するのは海里であると、二人は疑っていなかった。

 

 

 □■□■□■□

 

 

 戒律魔法を放ったリアムを、魔力を差し出したイストールとアルベールが支えていた。三人ともに消耗は激しく、その場に崩れ落ちている。

 

「……リアムさん、光が」

 

「そうね……。あとは、任せるとしましょう」

 

 リアムの掠れた声を継ぐように、イストールが声を張り上げた。

 

「頼む!この里での戦いに決着を!」

 

 その叫びに応じるかのように、一層強い光が瞬いた。

 

 

 □■□■□■□

 

 

 

 海里とリュカは、戒律魔法で硬直した薔荊蛇の巨体を目の前にしていた。

 

「海里。矢は残ってる。撃てるよ」

 

 リュカの声は短かった。弓を構えた姿勢のまま、彼女は残った矢の本数を確認する。

 

「リュカ、援護を頼む」

 

「うん、まかせて」

 

 海里は剣の柄を握り直した。手の中で柄が滑る。戒律魔法で薔荊蛇の動きが止まった瞬間、海里は憑想を使うことを決めた。

 

 あの巨体は間もなく動き出す。広範囲の攻撃で消滅させなければ、あれは止まらない。重力魔法で押し潰すのは不可能だと結論付けた。

 

 海里は目を閉じた。

 

(ジュノア)

 

 医院のベッドで眠り続ける彼女の顔が瞼の裏に浮かぶ。アルベールでも治療できず、翠玉の涙を持ち帰らなければ、やがて彼女は衰弱死する。それは、森に来る前に何度も自分の胸に刻みつけた最悪の光景。

 

 ふと、彼女が昏睡する前の言葉が蘇る。

 

 

『海里。あなたは、今も禍根を残す第一転生者と同じじゃないわ。……あなたが転生者かそうじゃないかは、私には関係ないわ。私が知っているのは……目の前にいる海里という一人の人だけよ』

 

 

(ここで死ぬわけにはいかない)

 

 首から下げられたペンダントから白い光が灯り始めると同時に、海里はもう一人の人物にも想いを馳せた。

 

(鏡花)

 

 元の世界で殺され、死に別れた幼馴染の少女は、海里を認識しなかった。教団の七元徳『信仰』となって、海里の知らない誰かになっていた。

 

 

『君は誰だ?』

 

 

(どうしてああなったのか分からない。それを知るために、リアムさんに話を聞いて、俺はもう一度君とも向き合わなきゃならない)

 

 ペンダントから発せられた白光が、手に握る剣へと向かって広がり始めた。

 

(リュカ)

 

 隣で弓を構えている少女。俺がここで仕留め損ねたら、次に狙われるのはこの子だ。想いの層が海里の中で積み重なっていった。

 

 利他的感情の臨界。守るべきものを守るために、なお前に進もうとする意志が形を得たような、穏やかでいて強い光。

 

「海里、その光……ッ」

 

 リュカが矢を番える手を止めて、彼の剣を見つめた。

 

憑想(ひょうそう)っていうんだ。ジュノアが名付けてくれた。あいつを仕留めるよ」

 

 海里の声は静かだった。

 

「うん」

 

 リュカが短く頷き、弓を引き絞っていく。

 

 戒律魔法の効果が消えようとしていた。赤黒い光沢の鱗が脈動を取り戻そうとしていた。

 

 ほどなく薔荊蛇が動き出す。海里の視界の先で、薔荊蛇の鎌首が揺れた。脱皮して変態した巨体が収縮し、射出されなかった棘刃を再び放とうとしている。

 

 戒律の縛りから解けた瞬間に、全てを撃ち抜くつもりだった。

 

 憑想の光は既に剣身に満ちていたが、海里はまだ跳んでいない。その時、里の上層から人の背丈の何倍もある大きさの氷塊が、薔荊蛇の背へと降ってきた。

 

「シル姉」

 

 氷塊が薔荊蛇の背に激突する。赤黒い鱗を叩き割り、深く突き立った。棘嵐の射出準備に入っていた巨体が衝撃でぐらりと傾いだ。

 

 ぎしゃああああッ――!

 

 咆哮が硬直の隙間から絞り出されたが、巨体はまだ止まらない。首を捩じって氷塊を振り払おうとする。傾いだ鎌首が無理やり動こうとするが、さらに一つの影が落ちてくる。

 

 樹の幹を駆け下りていたエヴァンが、剣身に溜めた氷の魔力を纏わせて剣を振りかぶっていた。

 

「里の守護者の名に誓って、貴様をここで終わらせる!!」

 

 エヴァンの剣が、起きあがろうとしていた薔荊蛇の鎌首の付け根に深々と切り込んだ。

 

 氷を纏った剣身が接触面付近の鱗を凍結させながら、鎌首を地面近くに縫い止めることで、持ち上がりかけた頭部が、再び地面へと叩きつけられた。

 

 そして、脱皮直後の薔荊蛇の右目が、ちょうど海里の視線の高さで見開かれていた。

 

「海里、今だよ!」

 

 リュカの矢が放たれた。

 

 精霊の光を纏った矢が空気を裂いて一直線に飛ぶ。狙いは右目。海里の突進の着地点を作るために、リュカは最後の一射で薔荊蛇の視界を奪うことを選んだ。

 

 矢が右目に吸い込まれた瞬間、薔荊蛇が雄叫びを上げる。

 

 ぎしゃあああああああああッ――!

 

 それは断末魔の手前に絞り出された苦悶の声。背に突き立った氷塊。首を縫い止める凍結の剣。抉られた右目。そのどれもが、巨体の動きを阻むのに十分な一撃だった。

 

 残った左目で、白い光を放つ海里を捉える。凍結を内側から軋ませ、鎌首を無理やり起こす。氷の破片が剥がれ落ち、エヴァンの剣が弾き飛ばされ、牙の並ぶ顎が大きく開いた。薔荊蛇の最後の力が白い光を纏う剣を握った海里へと向かう。

 

「ありがとう、皆」

 

 迫りくる顎を前に、海里は短く呟いた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 三つの援護が自分の前に道を作ってくれていた。あとは、自分が跳ぶだけだった。重力魔法で自身の身体を軽くし、薔荊蛇の頭部へ向かって地面を一度だけ強く蹴る。顎が閉じられるよりも、海里の剣の方がわずかに速かった。

 

「これで最後だッ!!」

 

 白光を纏った剣が、薔荊蛇の頭部を真上から叩き斬った。

 

 剣身が鱗を抉り、頭蓋を断ち、薔荊蛇の命脈を完全に両断する。粉砕された頭部が吹き飛び、薔薇の花弁が宙を舞う。巨体が地響きとともに倒れ伏し、里の地面を大きく揺らした。

 

 戦いの終わりを察して、里の至る所で戦士たちが膝をつき、息を整えている。薔荊蛇の死と共に、里中に生えた薔薇が急速に枯れていく。重く纏わりついていた空気が消えて、少しずつ森の本来の姿を取り戻していく。

 

 海里は、魔力を失い徐々に崩れ始めた薔荊蛇の死骸のすぐ脇で膝をついていた。

 

 憑想の反動が、身体の奥から鈍い重さとなって押し寄せてくる。立ち上がろうとしても足がいうことを聞かない。剣を地面に突き立てて杖代わりにして、辛うじて上体を支えていた。

 

「海里、大丈夫……じゃないよね?」

 

 リュカが駆け寄ってきた。彼女自身も疲労しているだろうに、それでも、海里を見つめる瞳はひたむきだった。

 

「……ああ、悪い。多分、意識を保てなくなる」

 

「すごかったよ、海里」

 

 リュカの声には、安堵と賞賛が滲んでいた。

 

 三つの戦線の全てに決着がついた。

 

 安心しかけたその時、リュカの耳がピクリと動いて、彼女が身体の向きを変えた。

 

「……海里」

 

 その声は、直前までの安堵とは異なる警戒するような響きだった。

 

「どうした?」

 

「いるよ」

 

 リュカの視線は森を見ていた。薔荊蛇の倒れた場所とは別の樹々の陰。その場所から、海里は嫌な気配を感じた。

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