輪廻の檻 ―異世界で再会した幼馴染は、俺を知らない敵だった―   作:あすらりえる

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第72話:私の小さな世界

 翌朝、海里たちはアウロラの森での目的である翠玉の涙を採取するべく、森の奥へと向かっていた。

 

 先頭を行くリュカが、道順を確かめるように時折付近へと視線を走らせる。その後ろをシルフィア、アルベール、そして海里が続いた。

 

 以前、薔荊蛇の偵察に向かった時と異なり、森の空気は少しずつ澄み始め、樹々の合間から差し込む光の粒も、どこか柔らかい色を帯びて見えた。

 

 ただし、薔荊蛇が里に侵攻した影響で奥地へと続く道は大きく抉れていた。森に寄生するように咲き誇っていた薔薇は、魔力供給源である薔荊蛇が討たれたことで既に枯れ果てている。

 

 奥へ進む分には歩きやすいが、その成り立ちを思えば、海里の胸中には複雑なものが去来した。そんな海里の表情を読み取ったのか、リュカが声をかけた。

 

「森がもとに戻るのに時間はかかると思うよ。でも、時間があればいいだけだよ」

 

「そうだな。今は姿を隠す魔道具も使ってないけど、道中が静かすぎて、かえって落ち着かないくらいだ」

 

 海里が返すと、シルフィアが細い息を吐いた。

 

「あら、海里。あなた、戦闘狂だったかしら?」

 

「いや、そういうわけじゃ……」

 

 からかうような言葉に海里は気まずさを覚えたが、当の彼女は再び思案に沈む表情に戻っていた。足元の土を踏みしめる音だけが、しばらくの間響いた。

 

「魔物がいないのは好都合ですが、星蝕の欠片(せいしょくのかけら)が持ち去られた森の奥に、なぜ薔荊蛇(しょうけいだ)が現れたかは分かっていないままでしたね」

 

 アルベールのふとした疑問に、シルフィアが応じた。

 

「ええ。失念していたけれど、異形の魔物は、造物主(ぞうぶつしゅ)と呼ばれる存在に人為的に生み出されたものらしいわ……」

 

 前を行くリュカがふと足を止め、振り返って続きを待った。

 

「どういうことです?」

 

 全員の視線が集中する中、シルフィアは語り始めた。

 

「先日のルカン戦の後、ゼファーが死に際のディランから聞き出したのよ。十年前、グランドヴェルク国境で起きた騎士団壊滅事件も、その造物主の仕業のようね」

 

「……その当時、その事件はリグリア内でも大きな騒ぎになりました。先代国王が退位させられ、宰相様が権勢を強めた時期ですから」

 

「リグリア内部の事情は知らないけど、それじゃ、星蝕の欠片と異形の魔物には関わりがあるってことだよね?去年、アリシアが欠片を持ち去ったのは、教団が異形の魔物を造るためだったの?」

 

 リュカの疑問に対し、海里は否定的だった。

 

「違うと思う。……ヴェノム・ルカンは鏡花に始末された。教団が異形の魔物を造って管理しているなら、わざわざ排除する理由がない」

 

「ええ。第一転生者の復活という教義とも無縁そうだし、造物主は教団とは別個の存在と考えたほうが良さそうね」

 

「いずれにせよ厄介ですね。十年経っていても、その者は未だ健在で、アウロラの森に足を踏み入れていたということでしょう?」

 

「でも、去年の騒動のあと、外から来る人には同胞たち皆で警戒していたんだ。海里たちや黒曜が来たことにもちゃんと気づいたのに、その造物主にだけ気づけないなんてこと、あるのかなぁ……?」

 

 森の警戒を怠っていないにも関わらず、造物主その警戒をすり抜けたであろう事実に、リュカはしょんぼりと肩を落とした。アルベールは何も言わず、彼女の歩幅に合わせるように速度を緩めた。

 

 結局、造物主については憶測の域を出なかった。

 

 情報の共有を終えると、リュカは再び前を向き、歩を進めた。一行はそれに続いて森の奥へと踏み込んでいった。

 

 

 □■□■□■□

 

 

 

 薔荊蛇の棲み処があった場所を抜けると、森の奥地はさらに薄暗さを増した。

 

「この先だよ。もう少し」

 

 リュカが言った通り、やがて視界が開け、四人は目的の場所に辿り着いた。そして、その光景を目にした瞬間、全員が足を止めた。

 

「……嘘だろ」

 

 海里の口から掠れた声が漏れた。そこには、群生地としての原形を留めない惨状が広がっていた。翠玉の色を湛える葉も、透き通った雫を宿す茎も見当たらない。

 

 あるのは、黒く変色した土と、その上に散らばる枯死した蔓の残骸だけだ。薔荊蛇の魔力に侵された痕跡が周辺一帯を覆い尽くしている。

 

「ここに……翠玉の涙があるんじゃないのか……」

 

 海里の声は、自分でも驚くほど弱々しく響いた。群生地が滅んだ事実は、ジュノアを救う手段の喪失を意味していた。

 

 解毒薬を作れないまま王都に戻れば、ジュノアが衰弱死するのを傍観することしかできない。その光景が脳裏をかすめ、海里の視界の縁が歪んだ。

 

 何のためにアウロラの森まで来たのか。何のために命がけで薔荊蛇を倒したのか。益体もない自問が、絶え間なく脳裏を渦巻いた。

 

「海里君」

 

 漏れ出た弱音を断ち切るように、アルベールの落ち着いた声が聞こえた。

 

「しっかりするんだ。群生地はこの通りだが、翠玉の涙がこの一点のみに自生しているとは限らない。周辺に自生している可能性は十分にある」

 

「そうだよ、海里」

 

 リュカが慌てて言葉を重ねた。

 

「この付近を探そう。他に生き残っている翠玉の涙があるなら、僕が絶対に見つけてみせる。……だから、そんな顔をしないで」

 

「この森に翠玉の涙があると言って、あなたに希望を持たせたのは私よ。手ぶらで帰すような真似はさせないわ。私たちが総出で探すのだから、見つからないはずがないわ」

 

 励ましの言葉とともに、シルフィアが海里の肩に手を置いた。三人の言葉を聞いて、海里は強張りが解けるのを感じた。

 

「……ごめん。皆、ありがとう」

 

 息を吸い、思考を立て直す。ここで崩れる訳にはいかなかった。捜索の範囲を同心円状に広げながら、四人は無言で動いた。

 

 リュカは樹上の枝を飛び移り、地面の凹凸を追いながら、時折、目を閉じて耳を澄ませるような仕草を見せる。

 

 シルフィアは森の魔力の流れを読み取っていた。どの地点で魔力が澱み、どこから正常な循環が始まっているのか。薔荊蛇の侵食を免れた場所を見極めようとしていた。

 

 アルベールは地面に膝をつき、枯れ葉や土の匂いから、かすかに残る薬草の痕跡を追っていた。医師として蓄積してきた無数の植物の記憶を、指先と嗅覚で確かめていく。

 

 そして海里は、己の視界のすべてを捜索に費やした。重力魔法も憑想も、この状況では機能しない。ただ歩き、屈み、注視する。

 

 その泥臭い繰り返しだけが、今の自分に許された唯一の手段だった。日が傾き始めた頃、海里の視線が一箇所に止まった。

 

 一つの苔むした岩の根元に、周囲とは異なる輝きがあった。岩の裂け目に張り付くようにして、小さな葉が数枚、透き通った雫を宿して揺れている。黒ずんだ地面の中で、そこだけが別世界のように澄み渡っていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「あった!」

 

 声は、胸の奥から押し出されるようにして出た。

 

「アルベール先生!シルフィアさん!リュカ!こっちだ!」

 

 海里の叫びに、三人が駆け寄る。シルフィアが膝をつき、その葉をまじまじと見つめた。

 

「……これだわ。間違いないわ。雫の輝きが以前見た時と同じだわ」

 

「これならジュノアちゃんを助けられる。ルカンの毒に苦しめられる他の人々も」

 

 アルベールの声は、抑えきれない興奮を帯びていた。

 

「……良かったぁ」

 

 リュカが安堵の吐息を漏らす。その翠玉の瞳が、目の前の雫と同じ色彩に滲んでいた。

 

「夕方に見ると、こんなに綺麗なのね」

 

 シルフィアが静かに呟いた。疲労の混じったその声には、確かな安堵が宿っていた。

 

 一つ見つかってからは、連鎖的だった。範囲を絞って捜索すると、薔荊蛇の侵食を逃れるように岩陰や木の根に身を潜めた翠玉の涙が、点在していた。

 

 決して潤沢ではない。だが、解毒薬を精製するには十分な量だった。

 

 日が完全に沈む頃、四人は採取を終え、里への帰路についた。

 

 

 

 □■□■□■□

 

 

 

 帰り道の途中、アルベールがふと口を開いた。

 

「もし良ければ、帰る前にもう一度、あの泉に寄ろうか。休息を取るにはちょうど良い場所だ」

 

 偵察の折にも立ち寄った泉だ。採取の緊張から解放された直後ということもあり、反対する者はいなかった。

 

 泉に辿り着くと夜は既に深く、水面には幾つもの星が映り込み、きらめきながら揺らいでいた。

 

 海里にとって、ここは複雑な場所だった。リュカの歌を初めて聞いた地であり、同時に、彼女の水浴びを覗いてしまい、性別を勘違いしていたと気づいた場所でもある。その失敗を思い出して唸っていると、当のリュカ本人が近づいてきた。

 

「海里、何で唸ってるのさ?」

 

「……この場所は、リュカへの勘違いを自覚した場所だからさ。少し、複雑なんだ」

 

「……もう、水浴びは覗かないでよね」

 

 リュカが少し顔を赤らめ、頬を膨らませる。その口調に怒りはなく、照れだけが混じっていた。

 

「本当にごめん、リュカ」

 

「いいってば、もう……」

 

 リュカはそう言いながら、泉の水面へ視線を落とした。しばらく、二人は黙って星々の映る水面を眺めていた。海里の脳裏には、かつて聞いたリュカの歌が蘇っていた。あの旋律を、今の彼女ならどう歌うのだろうか。

 

「……リュカ、お願いがあるんだけどさ」

 

「ん~?なに?」

 

「ここで歌ってたあの歌、もう一度聞きたい。歌ってくれないかな」

 

「うぇ!?あれは即興で歌ったものなんだよ?覚えてないかも」

 

 リュカは目を丸くした。

 

「即興であれを歌っていたのか……。てっきりエルフ族に伝わる歌かと思っていたよ」

 

「そ、そんな大層なものじゃないってば……」

 

 リュカは、耳の先を赤くしながらも、顎に指を当てて考え込んだ。

 

「……うん、分かった。同じには歌えないかもしれないけど、歌ってみるね」

 

 リュカは靴を脱ぎ、泉の浅瀬に足を浸した。冷たい水が足首に絡む。一度大きく息を吸うと、星の光の下、再びあの旋律を紡ぎ始めた。

 

 『壁は蔦模様

 屋根は葉っぱの傘

 私の小さな世界

 平和な箱庭』

 

 最初の一節が夜気の中へと落ちる。海里の記憶にある旋律が、リュカの声の質感を帯びて泉全体を静かに満たしていく。誰も言葉を挟まなかった。

 

 『風よ運んで

 私の願いを

 まだ見ぬ世界へ

 羽ばたきたい

 小さな箱庭

 愛しいけれど

 いつか外の世界

 冒険の旅へ』

 

 

【挿絵表示】

 

 

 少し離れた樹の根元に腰を下ろしたアルベールは、穏やかな目でリュカを眺めている。シルフィアは、星を映した水面を見つめたまま、疲労の滲んだ表情をわずかに和らげていた。

 

 初めてこの歌を聞いた時と、旋律は同じだった。だが、海里の耳には微かな差異が感じられた。あの時よりも、歌が柔らかい。未知の世界への憧憬を、激戦の記憶に溶かしながら、それでも前を向こうとする響き。

 

 歌い終えて戻ってきたリュカに、海里は静かに手を叩いた。月明かりに照らされた彼女の髪に、水の粒が星のように光っている。

 

「……リュカ、今の歌に名前を付けるなら何にする?」

 

「名前かぁ。う~ん。『私の小さな世界』、かな」

 

 少し考えてから、リュカは恥ずかしそうに笑った。

 

「良い名前だと思うよ」

 

「えへへ。ありがとう、海里」

 

 その笑顔を見つめながら、海里はこの時間が終わりに近づいていることを不意に悟った。翠玉の涙を手にし、ジュノアを救う道は繋がった。

 

 ならば、自分は王都に戻らなければならない。夜風が、二人の間を通り過ぎていく。海里は無言で空を見上げ、リュカは隣でその横顔を、静かに見つめていた。

 

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