輪廻の檻 ―異世界で再会した幼馴染は、俺を知らない敵だった―   作:あすらりえる

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第73話:ささやかな宴

 

 里に戻った海里たちを迎えたのは、広場に灯された篝火だった。

 

 豪勢な宴と呼ぶには程遠い。薔荊蛇の被害を受けた家屋の修復は、まだ途中だ。それでも、広場の中央には倒木を組んだ簡素な長机が据えられ、その周囲にエルフたちが輪を成して腰を下ろしていた。

 

 火は控えめに、料理は素朴に。復興の手を止めぬまま、夜の一刻を皆で分かち合おうとする意思がそこにはあった。

 

「おかえり、海里!」

 

 一番に駆け寄ってきたのはレンだった。

 

「目的のものは見つかったか?」

 

「ああ、ちゃんと見つかったよ」

 

 海里が答えると、レンは大袈裟に胸を撫で下ろしてみせた。その手に握られた木製の杯からは、酒の芳醇な香りが漂っている。

 

「良かった良かった。これで安心して酒が飲める」

 

「この状況で宴を開くというのね。まだ里はあちこち傷だらけなのに、と思ったけれど」

 

「こんな時だからこそ、だそうですよ」

 

 横にいたリズが首を傾げると、それに答えたのはカミラだった。その隣にはバルトロメオも並んでいた。

 

「新しい英雄を労うためだけじゃない。一度気を緩めて、明日からの復興に備えるという意味合いもあるらしい」

 

「新しい英雄?」

 

 海里が眉を寄せると、カミラが小さく笑った。

 

「あなた以外に誰が居るの?」

 

 そこに、エヴァンが篝火の向こうから歩み寄ってきた。

 

「海里、座ってくれ」

 

「エヴァンさん」

 

「大々的な宴は里の現状に相応しくない、とイストール様も仰ってな。だが、何もせずに夜を過ごすには、私たちは色々なものを背負いすぎている。一刻でいい、皆で同じ火を囲もう、という話になった。お前は我らの恩人だ。遠慮してくれるな」

 

 エヴァンは木杯を海里に差し出した。中には透明な酒がなみなみと注がれている。

 

 この世界における成人、あるいは飲酒の是非が脳裏をよぎったが、エヴァンの真剣な眼差しを前にして、それを口にできる空気ではなかった。海里は戸惑いながらも木杯を受け取った。

 

 長机の周囲に腰を下ろすと、リアムがゆっくりと近づいてきた。顔色はまだ優れないが、足取りはしっかりしている。

 

「リアムさん、もう動いて大丈夫なんですか」

 

「まだ本調子ではないけれど、少し動くくらいなら平気よ。あなたたちのおかげで、私たちはこうして夜を過ごせているの。本当にありがとう」

 

 リアムは柔らかく微笑んだ。

 

「俺は皆と力を合わせただけです」

 

「それが一番大事なのよ。謙遜のし過ぎは、時々、周囲を困らせてしまうわよ」

 

 リアムは軽く釘を刺してから、穏やかに笑った。

 

 少し離れた席では、レンがバルトロメオと肩を並べて、酒を酌み交わしていた。

 

「バルトロメオ、お前、見た目より飲むな」

 

「レンこそ。お前は絶対、自分から酔う前に他人を酔い潰す側だと思っていた」

 

「ぬかせ!俺はまだまだ行けるぜ」

 

 二人の大袈裟な掛け合いを、カミラが少し離れたところから呆れ顔で眺めている。

 

「あの二人、いつの間にあんなに打ち解けたのかしら」

 

 リズが隣でカミラにそっと呟いた。

 

「死線を越えた後は、奇妙な連帯感が生まれるものなのよ。特にああいう類の男はね」

 

「ふふ、否定できないわね」

 

 カミラとリズが、互いの前に置かれた杯を軽く合わせた。長机の反対側では、アルベールとシルフィア、そしてリュカが、篝火の光の中で静かに話し込んでいた。

 

「リュカちゃんの歌は、本当に久しぶりに心が揺さぶられたよ」

 

「もう、アルベールまで。恥ずかしいよ~」

 

 リュカは頬を染めながらも、嬉しそうにアルベールの言葉を受け取っていた。それが純粋な照れか、あるいは微睡み始めた酒の影響か。シルフィアが横からリュカの頭を優しく撫でると、リュカはくすぐったそうに身を捩った。

 

「この子は私の自慢よ。一晩では語り尽くせないわ」

 

「もう、シル姉までぇ……」

 

 アルベールは穏やかな目で二人を見守っていた。

 

「リュカちゃん。医者としては複雑だが、回復魔法の練習は捗ったね。私の手が回らない部分も随分君に助けられた。ありがとう」

 

「里が魔物に襲われて怪我人がいっぱい出ちゃったからね……」

 

「あとは数をこなしていけば問題ないさ。また会うときには、君は私以上に回復魔法を扱えているかもしれない」

 

 リュカはしばらく黙って、酔いでとろんとした目のまま、アルベールを見た。

 

「ねえ、アルベール。……僕、本当に上手くなれる?」

 

「なれるさ、必ず」

 

 間を置かずに返ってきた言葉に、リュカはほわっと笑った。

 

「……うん」

 

「またここには来たいから、君の成長を楽しみにしているよ」

 

「本当?じゃあ、絶対来てね、アルベール『先生』」

 

「やれやれ。先生と呼ばれ慣れているつもりだったが、医者としての立場と、教えを授ける立場では響きが違って聞こえるものだね。まあ、悪くないな」

 

 いつかまた彼女に会った時、どれほど上達しているだろうか。アルベールは苦笑しながら、杯の中身を少しだけ口に運んだ。その傍らで、酒気に当てられ、机に軽く頭を預けたリュカは、そのまますやすやと寝息を立て始めた。

 

 篝火の揺らめきに照らされた寝顔を、アルベールはただ穏やかに見つめていた。

 

 

 

 □■□■□■□

 

 

 

 夜が更けるにつれて、宴の席からはぽつぽつと、酔い潰れて席を外す者が出始めた。

 

 海里は酒を口にしていたが、思った以上に意識は鮮明だった。酒質の良さゆえか、あるいは自身の耐性が想像を超えていたのか、判然としなかった。

 

 身体の様子をどこか冷静に分析していると、バルトロメオとカミラが連れ立って近づいてきた。バルトロメオは足取りが覚束ないのか、カミラに肩を貸されている。

 

「海里。改めて、礼を言わせてくれ」

 

 バルトロメオは、赤らんだ顔のまま海里の前に立った。

 

「薔荊蛇が里に現れる前、頼むと言ってくれた。あの言葉があったから、俺たちはリグリアの騎士として立ち戻る機縁を得られたんだ。本当にありがとう」

 

 カミラが言葉を重ねる。

 

「悪事に手を染めるたび、心の中で団長に詫び続けていたわ。……ようやく、胸を張って報告できる。それは、あなたたちの存在があったからよ」

 

「それはレンに言ってやってくれ。俺はリュカが襲われかけた一件で、初めは二人の同行に否定的だったんだ。礼を言われることじゃないし、二人は敬愛する団長に恥じない騎士であろうと己の意思で動いていたはずだ。俺が何かをした訳じゃない」

 

「リアムさんに釘を刺されていたでしょう。謙遜も過ぎれば毒よ」

 

 カミラは、微かに頬を緩めて海里を制した。

 

「分かった。なぁ、二人の団長の話を聞かせてくれないか」

 

 海里の提案に、二人は顔を見合わせ、満足げに表情を和らげた。

 

「それくらい、いくらでも話そう。黒曜騎士団団長、『黒鋼』は厳しいところもある人だけど、何より高潔だ。俺たち一人一人の適性を見極め、戦い方を根気強く叩き込んでくれた。この里で戦い抜けたのも、その教えがあったからだ」

 

「グランドヴェルクの国境に行って長いから、騎士団長というより辺境伯のような立ち位置になっているわね」

 

 カミラが補足するように続けた。

 

「団長は防衛において無類の力を誇るわ。だから、国境警備を委ねられているの。王都を離れる際、多くの団員が同行を志願して、団長が珍しく困惑していたのを覚えているわ。私たちも……本当は一緒に行きたかったわ」

 

「聞けば聞くほど、すごい人なんだな」

 

 海里が率直な所感を述べると、カミラは思案するように視線を落とした。

 

「『雷針』ゼファーさんとは、また異なる性質の持ち主だと思うわ。今のリグリアは、『雷針』と『黒鋼』が支柱となっているからこそ、辛うじて力が保たれている。けれど、この二人に次ぐ存在が不可欠なのよ」

 

「十年前の事件がそれほどまでの影を落としているのか」

 

 海里の呟きに、バルトロメオが頷いた。

 

「事件が起きた国境にいる団長なら、俺たちが知らない情報を掴んでいる可能性がある。造物主の件も必ず伝えるよ」

 

「頼む」

 

「ああ。王都に戻ったら、すぐにグランドヴェルク国境へ発つ。直接、団長に報告しに行く」

 

「だから、王都に辿り着くまでは同行させてもらうわね」

 

「分かった。色々話してくれてありがとう、二人とも」

 

 二人は揃って一礼し、篝火の向こう側の席へと戻っていった。

 

 離れた場所では、アルベールがリュカの頭を撫でていた。先ほど机に額をぶつけ、赤く腫らしたリュカは完全に泥酔していた。

 

「アぁルゥベぇルゥ。……回復魔法のコツ、また、教えて、ね……」

 

呂律が回らなくなっているリュカは、シルフィアに窘められていた。

 

「はいはい。彼はまた教えてあげると言ったでしょう。飲み過ぎだから、今日はもう寝なさい」

 

「うぅん……」

 

 リュカは一度身を起こそうとしたが、酔いと睡魔に抗えずシルフィアの膝にことんと頭を預けて眠りに落ちた。シルフィアは苦笑を浮かべ、妹分の髪を慈しむように撫でていた。

 

 レンは既に酒に呑まれて机に突っ伏しており、リズはその様子を呆れたように一瞥し、自身の杯だけを静かに傾けていた。酒好きな彼女からすれば、まだまだ飲めるようだった。

 

「リグリアにはない芳醇さね。悪くないわ」

 

 呟いたリズの声音には、稀に見る穏やかさが混じっていた。篝火の勢いが徐々に衰えていく。夜は更けていく。海里は杯を置き、小さく息を吐いた。

 

 明日からは里を発つ準備が始まる。その前に、この夜の穏やかさを記憶に留めておきたかった。

 

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