輪廻の檻 ―異世界で再会した幼馴染は、俺を知らない敵だった―   作:あすらりえる

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第75話:倫理なき遺産

「リアムさん、失礼します」

 

 書庫の扉を開けると、朝の光に満たされた静かな室内で、リアムが待っていた。

 

「あなたもまだ疲れているでしょうに、来てくれてありがとう。早速だけど、約束していた話をしましょうか」

 

「はい、お願いします」

 

 リアムは長机の上に、古ぼけた紙束を用意していた。色褪せているが、かなりの量がある。そこに何が書かれているのかと考えるだけで、海里は空恐ろしい気がしてならなかった。

 

 五十年前に第一転生者が行ったという実験に関する資料。差し出されたそれを手に取ると、かすれている文字もあり、長い時を経てきたことが実感できた。

 

『君は誰だ?』

 

 冷たく無機質な目をした、元の世界で死に別れた鏡花。今は教団の最高幹部の一人で、七元徳になった彼女の変貌の原因がこの中に書かれている。そう考えると、資料をめくる指が止まらなかった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 記されているのは常軌を逸したとしかいえない記録ばかりで、海里には殆ど理解できない。

 

 上書き、不安定、発狂、定着、失敗。不穏な言葉ばかりが並んでいた。そして、資料の中で見知らぬ単語が目についた。

 

「……虚魂(うつろだま)?」

 

 聞いたことのない単語を海里は反射的に呟いた。

 

 海里が資料を読んでいる間、リアムは何も言葉を発さなかった。海里がその単語を見つけるのを待っていたようで、静かに口を開いた。

 

「別人のようになったという貴方の幼馴染。おそらく虚魂がその答えよ。肉体にまったく異なる人格を植え付けて乗っ取らせる技術よ。当時、第一転生者は、自身に反抗する者たちに虚魂を植え付けることで、従順な駒に造り変えていったの」

 

 人の尊厳を根幹から否定している。自身に反対する者を始末するのではなく、その身体だけを自身に都合よく利用する。しかも、それを実行したのが自分と同じ転生者だと聞き、海里は虫唾が走るのを止められなかった。

 

 リアムの言葉は続く。

 

「倫理を無視した非人道的な研究。これが五十年経っても、第一転生者が悪名を残している理由の一つよ」

 

 その言葉の一つ一つが、海里の胸に刻み込まれていった。

 

 元の世界の鏡花とはまるで違う、氷のように冷たい視線。無感情で何を考えているのかすら分からない。ジュノアと共に相対した時の様子。あれがリアムの語る、肉体を乗っ取った虚魂の影響なのだとしたら。

 

 海里は、次の問いを絞り出した。

 

「リアムさんは虚魂を知っていて資料を残しています。乗っ取った器から、虚魂を引き剥がすことは……出来るんですか?」

 

 半ば予想しながら、その問いを口にした。案の定、すぐにリアムの顔が悲しみに沈んだ。解決方法が明確ならば、彼女はそんな顔をする必要がない。

 

「ごめんなさい、海里さん。私は残酷な答えしか持ち合わせていないのよ」

 

「残酷な答えって……」

 

「五十年前、私やリグリアの建国者は、乗っ取られた器ごと虚魂を殺すしかなかった。どうやっても引き剥がせなかったの」

 

 乗っ取られた器ごと殺した。そうするしかなかった。海里は全身から血の気が引いていく感覚を覚えた。

 

「何とかしようとしたわ。結界の中に封じる、希少な魔道具を使う。すべて意味をなさなかった。だから、虚魂に乗っ取られて襲ってくる者たちを迎え撃つしかなかった。そして、言われたの……」

 

「何を、ですか?」

 

 リアムの表情がさらに沈んだが、その内容を聞かずにはいられなかった。

 

「乗っ取られた器の本来の人格に『殺してくれ』って、そう懇願されたの。肉体が死の危機に瀕して、本来の人格が表に出てきたの。身体を乗っ取られても、本来の人格は消えるわけではないのよ」

 

 なお悪辣としか思えなかった。身体を奪って仲間と殺し合いをさせる。元の人格は、身体の自由は利かないのに、ただ悪事に利用される。その良心の呵責に耐えかねて死を望んだのだろうか。

 

「……じゃあ、俺は鏡花を」

 

 その先を言葉に出来なかった。その可能性を肯定することは、喉の奥に泥を詰め込まれるような苦しみだった。

 

 元の世界で殺された幼馴染。再会した鏡花は別人になったのではなく、身体を乗っ取られたのかもしれない。

 

 ゼイロンは、海里が転生者であると確信した。それが鏡花の耳に届くのは時間の問題で、彼女は何らかの動きを見せるだろう。

 

 今の鏡花は、村を躊躇なく吹き飛ばす。そのような行いを実行できる組織に協力など出来ない。そうなれば、待っているのは教団との対立でしかない。鏡花と戦うことになったら、現状、虚魂(うつろだま)から解放する術はなく、今度は自分の手で彼女を殺さなければならない。

 

 考えたくない。益体もない恐怖に襲われた時、リアムの言葉が聞こえた。

 

「あなたが何を考えているか分かるけれど、結論を急がないで、海里さん」

 

 リアムが海里の顔を真っ直ぐに見つめていた。

 

「でも、リアムさん。あなたの経験に沿うなら、虚魂を鏡花から引き剥がすことは出来ないんじゃ……」

 

「……鏡花という名は、リグリアに居る教団の七元徳で、第四転生者だとシルフィアから聞いたわ。その人が幼馴染なら、海里さん。あなたも転生者なのね」

 

「……あ」

 

 迂闊すぎた。動揺のあまり、幼馴染が鏡花であると口にしていた。知る人が増える中で、転生者であることを吐露するのは危ういと理解していたはずなのに。

 

 転生者であることを知った者の反応は二極化する。捕らえて売ろうとする者、信じてくれる者。リアムは第一転生者の非人道性を知る生き証人であり、彼女は一体どう反応するか分からなかった。

 

 緊張する海里に、リアムはふっと表情を和らげた。

 

「警戒しないで。私は五十年前の出来事を知っているけれど、それを理由にあなたを害したりしないわ。あなたは転生者である以前に、この里を救ってくれた。それを裏切るような不義理はしないと誓うわ」

 

「……リアムさん」

 

「資料はこれだけじゃない。あなたはまだ幼馴染と決定的に敵対していないわ。その間に私は調査を続ける。何か見つけたら、必ず伝えると約束するわ」

 

「……はい。よろしくお願いします」

 

 海里はそれだけを絞り出し、逃げるように書庫を出た。その背をリアムが無言で見つめていた。

 

 

 

 □■□■□■□

 

 

 

 復興中の里の下層へ向かう足取りは、登ってきた時よりもずっと重かった。

 

 朝の光が復興作業を行う人々を照らし、子供たちの笑い声が風に乗って届く。穏やかな景色とは裏腹に、海里の心だけが底なし沼に沈んだかのようだった。

 

(……殺すのか。今度は俺自身が鏡花を……)

 

 元の世界で設楽を殺した時の感触が掌に蘇る。異世界で再会できたはずの幼馴染を、今度は自らの手で殺める未来が待っているかもしれない。

 

(……嫌だ。でも、リアムさんは『結論を急ぐな』と言った。別の道が残されている可能性もゼロじゃない)

 

 その細い光に縋るしかなかった。

 

 エヴァンとイストールと途中ですれ違ったことに気づく余裕はなかった。海里の尋常でない様子に、二人は驚いたようにその姿を見送った。

 

 

 

 □■□■□■□

 

 

 

 海里が書庫を去った後、リアムは暫く書庫の扉を見つめていた。

 

「入るぞ」

 

 低い声が響くと同時に、扉が開かれた。

 

 エヴァンと、その後ろから、イストールが杖をつきながらゆっくりと入室してきた。

 

「今日は本当に訪ねてくる人が多いわね」

 

 リアムは二人に椅子を勧めた。イストールは静かに腰を下ろし、エヴァンはその背後に立ったまま、腕を組んだ。

 

「リアム。海里に何を話した?もうすぐ里を出る彼が、翠玉の涙を採取して解毒方法を得たというのに、なぜあんな顔を……」

 

 エヴァンの問いに続き、イストールが穏やかだが重い声で告げた。

 

「彼は随分と思いつめておるように見えた。苦難にあっても前を向こうとしていた、里に来た当初の彼とは別人のようじゃったぞ」

 

「ルカンの毒とは別件よ。彼に虚魂のことを話したの」

 

 イストールが思案気な表情を見せた。リアムは海里と交わした内容を二人に伝えた。虚魂が何であるか。そして、海里自身が転生者であるという事実を。

 

 転生者という単語は、この場の三人にとって決して軽い響きではなかった。五十年前の傷の深さを、ここにいる者たちはよく知っていた。

 

 二人はリアムから聞いた内容に驚きこそしたが、海里を助けられる協力者を増やしていくべきだと考えていた。

 

「海里が王都に戻れば、鏡花という少女と再び相対することになるのだろう。その時に知っていて悩むことと、知らないままでいることとでは重さがまったく違う」

 

「……そうじゃな。あれほど誠実な若者が五十年前から残る重荷を背負わされるとは惨いものじゃ。リアム。お主が当時のことを今でも鮮明に覚えておるのはよう分かる。だからこそ、悲劇を繰り返さぬように力になりたいのじゃろう?」

 

 イストールは目を閉じ、遠い記憶を辿るような表情で嘆息した。

 

「ええ。リグリアの建国者は未だ目覚めず、第二転生者は変節して輪廻教団を組織した。海里さんが、私たちの時とは別の結末に辿り着くためには、周囲の協力が不可欠よ」

 

 エヴァンは窓の外に目を向け、言葉を紡ぐ。

 

「王都にはゼファーが残っているし、シルフィアもリグリアに戻る。海里が救いたいと願っているジュノアという娘も目覚めれば彼の助けになるだろう」

 

「ふむ。リュカはどうするのかのう?」

 

 イストールの発言に、エヴァンが少しだけ口元を緩めた。

 

「あの子は海里やアルベール殿に懐いている。となると」

 

「里の復興が終われば、リュカも森を出るんじゃないかしら」

 

「だろうな。ならば、少しでも早く里を出られるよう、こちらで取り計らってやらんとな」

 

 エヴァンとリアムが微かに笑みを交わす。

 

 その空気の中で、イストールは過去の出来事に思いを馳せた。それは、彼の胸の内だけの呟きだった。

 

(転生者を好む、か。それを理由に森を去った同胞が五十年前にも居たのう。第一転生者に心酔して我らにも牙を剥いた結果、最後はリアム達に討たれたのじゃったな……)

 

 長く生きることは、同じ景色を二度見ることでもあった。

 

(……アリシアもまた森を出ていった。あの子の体質はリアムにも治せなかった。ゆえに教団に縋ったのか。いずれ、あの子もまた動くのであろうな……)

 

 彼は五十年前の因縁をさらに蒸し返すような言葉を口にすることはなかった。

 

「海里さんたちの未来が希望に満ちたものになるように。私たちに出来ることは、離れていても支えることだけよ」

 

 リアムが静かに言った。

 

「うむ、そうじゃな」

 

 イストール、エヴァン、リアム。里の重鎮三名は、これからの里のため、そして自分たちが助けていく未来の世代について語り続けた。

 

 

 

 □■□■□■□

 

 

 

 里の下層まで下り切った海里は一度立ち止まり、近くにあった木製の椅子に座り込んだ。

 

(まずは、ジュノアの解毒だ)

 

 自分に言い聞かせるように、心の中で呟いた。

 

 王都に戻り、ジュノアの目を覚まさせる。そこから、鏡花と向き合うために行動していく。順序立てて対処しなければ、心が前に進めない気がしていた。

 

 明日この森を発つための準備を始めよう。

 

 と、そう思った時、声がかけられた。

 

「ま~た難しい顔してるね、海里。今度は何に悩んでいるの?」

 

 リュカの声がすぐ近くで聞こえた。

 

「……リュカ」

 

 振り返った海里の顔は、苦悩を全く隠せていなかった。

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