輪廻の檻 ―異世界で再会した幼馴染は、俺を知らない敵だった― 作:あすらりえる
「……リュカ。アルベール先生と回復魔法の練習してたんじゃないのか?」
絞り出すような海里の声にリュカが目を見開いた。
「してたけど、ちょっと休憩だよ。それより、海里。なんでそんな顔をしてるの?何があったの?ジュノアを助ける目途はついたんだよね?」
自分が今、どのような表情を浮かべているのかは分からない。ただ、彼女が言葉を失うほどに、酷い顔をしているのだと今更ながらに自覚した。
「リアムさんと話してたんだ。この先、俺が向き合わなきゃいけないことに……」
掠れた声で返すと、海里の隣へリュカがやって来る。彼女が同じ椅子に腰を下ろした。
「海里、さっきから息するの忘れてるみたいな顔してるよ」
「……そんな顔してたか」
「してる。海里は悩むとすぐ顔に出るんだもん。付き合いが長くない僕でも分かるよ」
揶揄うような声だが、明らかな心配が滲んでいた。リュカは、海里の顔を下から覗き込むようにして、じっと見つめた。
「……リュカ、聞いてもらってもいいか?」
「うん」
「これから話すこと、君には関係ないし重い話だ」
「じゃあ軽くしてよ」
「……ごめん。軽くはならない」
「じゃあ、そのままでいいから話して。僕、聞くから」
海里は静かな声でリアムから聞いたことを話し始めた。
「ゼイロンの主、鏡花は、元の世界で俺の幼馴染だったんだ」
リュカの肩がぴくりと跳ねた。緑の瞳が海里の横顔をじっと見ている。
「ルカンと戦った後で再会した。でも、鏡花は俺を見ても何も反応しなかった。冷たい目をしていて、見た目だけが同じ別人かとも思いもした。……その変貌の理由が、今日、リアムさんの話でようやく分かったんだ」
「分かったって、何が……?」
「
「うつろ、だま……?」
リュカが反復する声が、小さく震えていた。
「鏡花の変わりようは、たぶんそれで説明がつく。本人じゃなく、別の何かが内側に居る」
「それ、何とかできないの?」
「リアムさんは答えを持っていなかった。五十年前は、乗っ取られた器ごと殺すしかなかったって」
リュカがはっきりと息を呑む。海里は自身の膝を見つめたまま言葉を紡いだ。
「俺はジュノアを救うためにここまで来た。だから、王都に戻って彼女を目覚めさせる。それは変わらない。でも、その先を考えていたんだ。俺は鏡花とどう向き合うか決めなきゃいけない。あいつの身体を乗っ取っている虚魂を剥がす術を知らない。手段が無いなら、俺はこの手で鏡花を」
それ以上の言葉は喉の奥に泥を詰められたように声にならなかった。膝の上で握りしめた拳が、制御を失ったように震え始める。
リュカはすぐには何も言わなかった。沈黙の後、小さな掌が海里の拳の上にそっと重ねられた。
「……海里。僕、正直に言うね。今の話、きちんと全部は受け止めきれない」
海里が顔を上げると、リュカの瞳は潤んでいたが、視線は逸らされていなかった。
「魔物ならまだしも、身体を乗っ取るなんて僕には理解できない。元の世界の幼馴染という関係も僕には想像しかできない。だから、海里が抱えている本当の重さは僕には分からない」
「……ああ」
「でも、それでも、一個だけ言わせて。海里、今それを一人で決めないで。鏡花を殺すしかないっていう結論だけは、今は出さないで」
リュカは海里の拳に乗せた手に、微かに力を込めた。
「リュカ……」
「リアム様が無いって言ったのは、五十年前の話だよね。海里が別の答えを見つけられないとは言ってないはずだよね」
「……ああ、そうだ」
視界の端で木漏れ日が滲む。目の奥が熱くなるのを堪えきれなかった。
「海里、動かないでね」
「え?」
リュカが隣に立ち、海里をそっと引き寄せた。腕の力は遠慮がちで、背中に回された手が、ぽんぽんと静かに海里を叩く。
「シル姉がね、僕が泣いた時、いつもこうしてくれてたんだ。言葉より先に、こうしてくれるんだよ。そうされると、不思議と安心できるんだ」
耳元で少女の囁きが聞こえる。海里は言葉を返せなかったが、強く握りしめすぎていた拳の震えが、徐々に引いていくのを感じていた。
鏡花のこと、虚魂のこと、ジュノアの眠り。それら全ての重圧を、今だけは忘れても良いのだと、その小さな温もりが告げている気がした。
やがて、リュカは海里の身体をずいっと押し返してから離れた。己の行動を今になって自覚したらしい。
「~~っ、い、今のはシル姉の受け売りだからねっ!僕が編み出したんじゃないから、勘違いしないでよねっ!」
リュカは耳まで真っ赤に染め、両手で頬を覆った。声が上ずっていた。
「べ、別に変な意味とかじゃなくてっ!ほんとにシル姉の真似で、ただ真似っこで、海里が……その、息ができてなさそうだったから、それで」
「……ああ。分かってる。ありがとう、リュカ」
海里が小さく頷くと、リュカは頬を覆ったまま俯き、耳の先までさらに赤みを増した。
「……う、うん」
困惑の混じった小さな返事が、海里の胸の奥に温かさを残す。
気恥ずかしさを誤魔化すように、リュカが話題を変えてきた。
「ねぇ、海里。薔荊蛇にとどめを刺した
「うん?」
「ゼイロンが言ってたけど、あれって魔法じゃないんだよね?他にもできることがあるのかなって思ってさ。もし、リアム様にも憑想のこと話していいなら、あの人の知識と合わせれば、虚魂を何とかする方法が見つかるんじゃないかなって思ってさ」
「そういうことなら……」
自分一人では有効な対処方法を見つけられそうにない海里は、憑想で何をしてきたかをリュカに話していった。
首から下げた鏡花のペンダントが発光したときに、その力が発現してきたこと。瀕死の人間の傷を回復させたこと、他者の記憶を別の誰かに伝えること、魔物に対して強大な光を纏った一撃で与えてきたこと。
そのいずれもが、海里が強い想いを抱いた瞬間にのみ力が引き出され、使用後は酷い疲労に陥ることも、隠さず伝えた。
その間ずっと、リュカは真剣な眼差しを海里から逸らさなかった。憑想でしてきたことを、こうして詳細に誰かに伝えたのは初めてだった。
「うーん。聞けば聞くほど、色々できるんだね。何でも出来そうだけど、使用後に海里が疲れちゃうのが問題だね」
「ああ、好きに使えるってわけじゃないし、俺の感情が高ぶらないとダメみたいだ」
「そこも含めてリアム様に話してみるね」
「ああ、お願いするよ」
「うん。ねぇ、海里。僕さ、海里やアルベール、他の皆に会って、森の外に行きたいって初めて思ったんだ。シル姉が森を出た時でも自分が外に行きたいとは思わなかったのにね」
「ああ」
今度は、海里が彼女を見る番だった。
「でも、今は里に残るよ。薔荊蛇が攻めてきたから里はまだ傷だらけだ。同胞たちは皆、それぞれの役目を抱えて手を動かしてる。……僕の弓も、アルベールに教わってる回復魔法も、今、ここで必要とされているんだ」
リュカが決めたことに海里はただ聞いていた。
「でもね、里の外に行きたい気持ちは変わってないよ」
リュカの声の様子が変わった。瞳には迷いではなく、これから自分が何をするかという明確な意志が宿っていた。
「里の復興が終わったら、僕の方からリグリアまで海里に会いに行くよ。その時に海里が答えをまだ見つけられてなくてもいい。そこに僕も居るから。今度は僕が海里を助けるよ」
「……リュカ。リグリアで待ってるよ」
「うん。絶対に行く」
リュカは強く頷いて立ち上がった。だが、すぐさま自身の発言の気恥ずかしさに気づいたのか、再び顔を赤らめる。
「じゃ、じゃあ!僕、アルベールとの回復魔法の練習に戻るから!もっと上手く出来ないと、リグリアで海里を助けられないし!」
「根を詰めすぎないでくれよ」
「それは海里の方でしょっ!」
赤くなった耳を隠しもせず、リュカはアルベールの元へ駆けていった。その様子を見たアルベールが、目を細めて笑っているのが視界に映る。
残された海里は、先ほどまでリュカの手があった場所にゆっくりと触れてみた。まだ彼女の温もりが残っている気がした。
(……急いで、結論を出すな、か)
次にリュカと再会する時までに、鏡花を殺すしかないという袋小路から少しでも遠くへ。問題は何一つ解決していない。だが、鏡花とどう向き合うかという問いを、もう少しだけ抱え続けることが許された気がした。
□■□■□■□
エルフの里を発つ朝。集落の出口には多くの人影が集まっていた。
先頭に立つイストールの傍らには、エヴァンとリアムが控えている。旅装を整えた海里たちを見送るため、皆が顔を揃えていた。
イストールが髭を撫で、口元に微かな笑みを滲ませる。
「里を救った恩人を黙って送り出すわけにもいかぬ。此度のこと、里を代表して改めて礼を言わせてほしい。同胞一同、お主らに感謝しておるよ」
続いて前に出たのはエヴァンだった。薔荊蛇との一戦で負傷した左腕には、未だ添え木が当てられている。
「……シルフィアのことも頼む。あれはゼファーのことになると暴走しかねないのでな」
エヴァンはそれだけ告げ、シルフィアに視線を向けた。当の本人は、父の心配をどこ吹く風とばかりににこにこと笑っている。その様子を認め、エヴァンは静かに嘆息を漏らした。
「相変わらずの父娘ね、あなたたちは」
リアムが呆れたように呟き、海里の傍らへ歩み寄った。
「海里さん。私も有効な手段を見つけたら、あなたに連絡するわ。リュカが私に話したいことがあると言っていたから聞いてみるわね」
「……はい。どうか、よろしくお願いします」
それからリアムはアルベールに向き直った。
「リアムさん。この里で得た知見は、医師である私にとって何物にも代えがたいものとなりました。王都に戻ったら、ここで得た知識を一人でも多くの患者の救いに繋げてみせますよ」
「アルベール殿、あなたの真摯な姿勢には私も多くの刺激を受けたわ。種族は違えど、知識を共有できる者としてあなたと語らえた時間は、私にとっても有意義なものだったわ」
「ええ。次にこの里を訪れるときは、今回持ち帰った翠玉の涙による治療の結果や、その後の医術の進展についてもお話ししたい。その時を、楽しみにしています」
「私も待っているわ。道中、気をつけて」
二人は初めて出会った時と同じように固く握手を交わした。
エルフたちと別れの言葉を交わした後、一行はゆっくりと歩みを進めた。
「森の入り口までは、僕が案内するね」
横合いから、弓を背負ったリュカが当然のように先頭へ出た。既に了解を得ているのか、彼女を止める者はいなかった。
□■□■□■□
やがて森の入り口へ辿り着くと、あらかじめ取り決めた予定通り、馬車が待っていた。
海里は立ち止まり、背後の森を振り返る。滞在した期間は決して長くはなかったが、この場所での経験は、リグリアでは得られないものがあった。
そんな海里を眺めるリュカの横顔を見て、レンが傍らのリズへ、小声で問いを投げかけた。
「なぁ、リズ」
「何?」
リズは積み荷の最終確認をしながら、短く応じた。
「リュカって、女だったの?」
「「「え?」」」
驚愕の声を上げたのは、シルフィア、バルトロメオ、カミラの三名だった。当のレンは周囲の反応に無頓着なまま、海里たちの方へ視線を向けている。
「ずっと男だと思ってたんだけど、海里を見る視線が乙女の……どぅべぇぇっ!?」
最後まで言い切る前にレンの脳天へリズの杖がめり込んだ。痛みに呻くレンを、リズが冷ややかな目で見下ろす。
「なに……すんだよぉ」
「レン。あなた、まさか今の今まで気づいていなかったの?リュカが黒曜の男に襲われかけたって話、聞いていたでしょう?」
「え、聞いてたけど……それは単に命の危険に陥ったとか、そういう意味かと……」
「はぁ。もう良いわ。レン、あなたのその節穴すぎる目玉、アルベールに摘出してもらいなさい。いいえ、私が直接やるわ」
「こわっ!?怖いこと言うなよリズ。……え、本気じゃないよな?」
「本気よ」
引き気味のレンに対し、リズの瞳には一切の冗談の気配がなかった。その杖先から、ぽっ、と火花が弾ける。
「や、やめ、何で炎まで出してるんだよ!? あーーーーーーーーーーっ!?」
「何となくよ」
リズの短い返答を合図に、レンは悲鳴を上げて逃げ出し、リズがその背を追い始めた。
「……レンは勘のいい男だと思っていたんだが、勘違いだったか?」
バルトロメオが呟くと、カミラが冷静に言葉を添えた。
「恐らく違うわ。彼の勘の鋭さは、戦いの場でのみ発揮される類のものよ」
二人は、冗談とも本気とも取れぬ光景に明確に引いていた。そして揃って、微笑みを浮かべたまま事の成り行きを眺めるシルフィアに視線を向けた。
「……あれ、放っておいても大丈夫なんですか?」
「……何だか、里での戦い以上の危険にレンさんが晒されている気がするわ」
「うーん。リズの気が済んだら、次は私の番かしら?リュカは私の妹分なのに、まさか男だと勘違いしていたなんて……」
「「……」」
にこにこと笑いながら物騒な呟きをこぼすシルフィアに、二人は安心することを諦めた。もはや、追い回されるレンへ無言の同情を送るほかなかった。
レンの叫びは、しばらくの間、静かな森の入り口に響き渡っていた。
□■□■□■□
その騒ぎから海里は視線を外し、正面に立つリュカへ向き直った。
リュカもまた、海里を見上げる。別れの言葉は、昨日のうちに殆ど済ませていた。
リュカは弓を背負い直し、軽く拳で自身の胸を叩いた。耳の先端にまだ赤みが残っていたが、その声は真っ直ぐに響いた。
「海里。昨日、言った通りだから。里の復興が終わったら、僕からリグリアまで、絶対に行くから」
「ああ。待ってる」
それだけで、十分だった。
「アルベールもだよ。回復魔法を教えてもらうのも、成果を見せるのもまだ途中なんだから。先生を勝手に卒業しないでよ」
「はは、心得たよ、リュカちゃん。私も王都の医院で待っているよ」
アルベールは目尻を緩め、リュカの頭を優しく撫でた。リュカは少し身を屈めてそれを受け入れると、照れたように視線を泳がせた。
「……じゃあね、海里、アルベール」
馬車に乗り込む一行を、リュカは森の入り口に佇んだまま、じっと見送っていた。車輪がゆっくりと回り始め、馬車がリグリアの方角へと進み始めた。
リュカはしばらくの間、手を振り続けていた。海里とアルベールもまた、手を振り返す。やがて小さな影が木々の間に隠れ、彼女が踵を返して森の奥へ戻っていく。
それを見届けた海里は、リグリア王都の方角へと意識を切り替えた。
ジュノアの解毒を済ませる。そのあと、鏡花とどう向き合うかを。
物語は再び、リグリアの王都へと舞い戻る。
□■□■□■□
エルフ族の少女リュカと、