輪廻の檻 ―異世界で再会した幼馴染は、俺を知らない敵だった―   作:あすらりえる

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第77話:眠る君の傍で

 

 アウロラの森を出た海里たち一行が、リグリア王都の門をくぐると、出発時と変わらぬ活気に満ちた雰囲気が出迎えた。馬車を降りてしばらく進んだ時、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

「おや、アウロラの森から戻ったんだね、リズちゃんたち」

 

 歩いてきたのは、裏通りの道具屋の主シモンだった。それだけで、海里は思わず目を丸くした。

 

「シモン、あなたが店の外にいるなんて。変なものでも食べた?それとも頭でも打った?」

 

 同じことを考えたのか、リズが真顔で言い放つと、シモンは苦笑を浮かべた。

 

「リズちゃんは私を何だと思っているんだ……。泣いてもいいかな、レン君」

 

「え?あ、はい……」

 

 突然矛先を向けられたレンがとっさに応じると、シモンは彼をじっと見て、訝しげに片眉を上げた。

 

「ところでレン君。君だけ、どうして服が凍りついているんだい?アウロラの森もその道中も、凍えるような場所ではないはずだ。君だけというのが解せない」

 

「あっ、あ――、それはですね、俺の勘違いというか……」

 

 レンは言葉を詰まらせ、近くに立つシルフィアに視線を向けた。当のシルフィアはにこにこと微笑んでいて、それ以外の者たちは一様に、何とも言えない表情を浮かべていた。

 

(泉でのことがなかったら、俺もああなっていたかもしれない……)

 

 海里は内心で反省した。

 

「ところでシモンは何でここに?この先は冒険者ギルドでしょ?」

 

 リズの問いに、シモンは軽く目を細めた。

 

「私の欲しい魔道具が届いてね。今後に向けて、マーカス君と話し合っておこうと思ってね」

 

「……そう。なら一緒に行きましょう」

 

 リズの提案にシモンが頷く。アルベールが解毒薬の包みを取り出し、レンとリズへ手渡した。

 

「レン君、リズちゃん。ルカンの毒に侵された冒険者たちへの分を頼めるかな」

 

「了解、預かるよ」

 

「任せて」

 

「ってわけでさ、マーカスには俺らから伝えておくから、海里は医院に行けよ。そっちが気になってるんだろ?」

 

「ありがとう、レン。そうさせてもらう」

 

 続いてアルベールはシルフィアへ別の包みを渡した。

 

「シルフィアさん、白銀騎士団の方々への分です」

 

「ありがとう、アルベール。まずはラルフかしら。彼はタフだけど、ゼファーと同様に無理をしがちだから。ゼファーには私から感謝を伝えておくわ」

 

「助かります。よろしくお願いしますよ」

 

「海里、アルベール。またね」

 

 シルフィアが軽やかに手を振って白銀騎士団の方角へ歩き出し、レンたち三人も冒険者ギルドへと向かった。

 

 海里、アルベール、バルトロメオ、カミラの四人が残り、バルトロメオが口を開いた。

 

「俺とカミラも、黒曜騎士団の団員に報告を済ませてから、団長のいるグランドヴェルク国境へ向かうよ」

 

「団長にはあなたのことも伝えておくわね」

 

 カミラの一言に海里は頷いた。

 

「ありがとう、二人とも。また共に戦う機会があれば、よろしく頼む」

 

「ああ、また会おう」

 

 バルトロメオは晴れやかな顔で海里の手を握った。去り際の二人には、どこか誇らしさがあった。雑踏の向こうへ消えていく背中を、海里はしばらく見送っていた。

 

 

 

 □■□■□■□

 

 

 

 アルベールの医院に辿り着き、扉を開けると、すぐに駆け寄る足音が響いてきた。

 

「アルベール先生!それに海里さんもお帰りなさい。戻ってきたということは」

 

 リーファが笑顔で出迎える。その表情には安堵と、隠しきれない緊張が混じっていた。

 

「ああ。早速だが解毒に向かおう。ジュノアちゃんの容体は?」

 

「徐々に悪化しています。体力の消耗を抑える薬を投与していましたが、傷口の紋様が以前より……」

 

「分かった。急ごう。海里君も」

 

「はい」

 

 ジュノアは変わらずベッドに横たわっている。顔色は青白く、額には脂汗が滲んでいた。ルカンの爪痕がある腕は、リーファの言葉通り、黒い紋様が先刻よりも広範囲に、色濃く浸食している。

 

 海里はベッドの傍らに膝をつき、ジュノアの冷たい手を取った。

 

 アルベールが慣れた手つきで薬瓶を取り出し、ジュノアの口元へゆっくりと傾ける。翠玉の涙から精製された解毒薬が、一滴ずつ彼女の体内へと流れ込んでいった。

 

 しばらく沈黙が流れた後、ジュノアの腕に刻まれた黒い紋様が生き物のように蠢き始めた。翠玉の涙の効果を嫌がるように、じわりじわりと収縮していく。そして一か所に集まった後、どす黒く凝固してから霧散した。

 

 それが霧散した瞬間、海里はジュノアの体から何かが弾き出され、消え去るのを感じ取った。どす黒い悪意が抵抗しながら消滅したかのようだった。

 

 紋様が完全に消失すると、ジュノアの呼吸が劇的に変化した。浅く苦しげだった呼気が、次第に深く、規則正しいものへと変わっていく。頬には微かに血色が戻り始めた。

 

 海里はジュノアの手を握ったまま、安堵から力が抜け、崩れ落ちるように両膝を床に落とした。

 

(よかった)

 

 言葉にならない感情が全身から抜けていった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 海里の様子を見ていたリーファは何も言わず、静かに後ろへ下がると、薬の後片付けを始めた。

 

「うん、効いているね。あとは時間の問題でジュノアちゃんは目を覚ますだろう」

 

 アルベールが穏やかに微笑み、海里が立ち上がると、リーファが問いを投げかけた。

 

「ところでお二人とも、アウロラの森では危険はなかったですか?」

 

 海里とアルベールは顔を見合わせ、同時に口を開いた。

 

「ありましたね」「あったねえ」

 

 重なった返答に、リーファは小さく嘆息した。

 

「そんな気はしていました。……でも、無事で本当によかったです。海里さんも、アルベール先生も、あとは私に任せてください。今は休んでくださいね」

 

「お言葉に甘えようか。海里君、少し医院の屋上まで付き合ってくれるかい?」

 

 アルベールの真意は測りかねたが、海里はその提案に頷き、彼と共に屋上へと足を向けた。

 

 

 

 □■□■□■□

 

 

 

 医院の屋上に上がると、アルベールが海里へ視線を向けた。

 

「夜なら星が綺麗なんだがね。今は日中だから、そうもいかないが」

 

「わざわざ屋上で何の話でしょうか。アルベール先生」

 

「単刀直入に言おう、海里君。リュカちゃんが君に想いを寄せていることには気づいているね?」

 

「……分かってます」

 

「あの子の言葉通り、必ずリグリアまでやってくるだろう。その時、ちゃんと彼女に応えてあげてほしい。……もっとも、君はジュノアちゃんのことも気にかけているようだが」

 

「俺は未だにジュノアへの気持ちを整理できていません。俺を助けてくれたルクスへの義務感なのか、それとも俺自身の意思なのか……」

 

 海里は言葉を切り、沈黙を置いた。

 

「森でのリュカちゃんとの話や、先ほどの様子を見る限り、君の意思は定まっているように見えるけれどね。何か、引っかかる点があるのかい?」

 

「ジュノアは今もルクスを想っているはずです。そこに俺の意思は関係ありません」

 

 アルベールは「ふふっ」と軽く笑い、それから真顔になった。

 

「そうか。じゃあ、伝えておこう。森へ向かう前にシルフィアさんも口にしていたが、リグリアでは重婚が認められている」

 

 

【挿絵表示】

 

 

「……はい?」

 

 唐突な言葉に理解が及ばず、変な声が漏れた。しかし、アルベールは至って真面目な表情を崩さない。

 

「大切に想う人が複数いたとしても、誰か一人を選ぶ必要はないということさ。今の君には、いささか気が早い話だろうがね」

 

「アルベール先生、さっきから何を……」

 

「ただの老婆心だよ。君は他人のために動きすぎる。たまには自分の望みを優先してもいい、と言いたいだけさ。ルクス君はもういない。やがてジュノアちゃんも、自らの感情に折り合いをつける時が来る」

 

 海里は口を噤んだ。反論する言葉は見つからなかったが、向けられた気遣いの温もりだけは届いていた。

 

「……確証はないけれどね、ジュノアちゃんは過去に相当に辛い出来事を経験している。それは君も同様だろう。だからこそ、互いに支え合ってほしいと願っているよ」

 

 海里は静かに耳を傾けていた。

 

「そうだとして……ルクスはそれを知っていたと思いますか?」

 

「おそらくね」

 

 海里は黙考した。

 

(……やめておこう)

 

 彼女が秘めているだろう過去をルクスの記憶から強引に引き出すのは筋が違う。いつか、本人の口から語られるのを待つべきだ。たとえ可能であっても、踏み越えてはならない一線だった。

 

「……ジュノアが話したいと思えば、いつか話してくれるでしょうから、それを待ちます」

 

 アルベールはゆっくりと頷いた。

 

「そうだね。それが良いだろう」

 

 アルベールはそれ以上語らず、海里も言葉を重ねなかった。夕陽が傾き、沈黙が場を満たしていく。

 

「私の話に付き合ってくれて、ありがとう。森から戻ったばかりだ。君も休むといい。ジュノアちゃんは目覚めるまで私たちが見守っているよ」

 

「……はい、アルベール先生。先生も休んでください」

 

 海里は一礼し、屋上を後にした。

 

 

 

 □■□■□■□

 

 

 

 海里が去り、独り屋上に残ったアルベールは、欄干に肘を預けたまま夕陽に染まる王都を眺めていた。

 

 冒険者や騎士団でルカンの毒に侵された者たちにも、じきに解毒薬は行き渡るだろう。

 

 その脅威が消え去るのも時間の問題だった。

 

(これで……あの氷像を調べる余裕ができるかな)

 

 自宅の地下室に安置されたままのルカンの氷像。設楽(しだら)が残していったもの。

 

 造物主が実在するとして、ルカンはいかなる手段で産み落とされたのか。実態を把握せぬままでは、次なる異形の出現に備えることは叶わない。

 

 医師として、また個人的にもその知見は得ておく必要があった。アルベールが静かに空を仰ぐ傍らで、落日が街の輪郭を暗く塗り替えていった。

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