輪廻の檻 ―異世界で再会した幼馴染は、俺を知らない敵だった― 作:あすらりえる
夜のリグリア王都は、昼間の喧騒を忘れたように静まり返っていた。
その通りの一つを、紅いドレスの少女ノイゼットが、軽やかな足取りで歩いている。
ノイゼットの数歩後ろには、白いローブを纏った信徒が数名、付き従っていた。彼らは石畳に足音ひとつ立てず、夜陰に溶け込むようにして少女の背を追う。
「んー、この辺でしたねぇ。近づいてきましたねぇ」
ノイゼットは誰に言うでもなく呟き、鼻歌混じりに角を曲がる。彼女の魔力を感知する力は、進む先から漂う微かなルカンのそれを、糸を手繰るように捉え続けていた。
(あの嫌ぁな感じの魔力。何度確認しても、間違いなくお医者さんのところから感じますね)
イディウスの部屋の絵画から滲んでいたものと、いま辿っている魔力は同じではない。違いは分かるが、ノイゼットにとってはどちらも不快で、気持ちが悪いものでしかない。
リグリアにいる教団信徒の中で、魔力を辿る才において、ノイゼットに並ぶ者はいない。それは影魔法で諜報に秀でたゼイロンにもない能力だった。鏡花とゼイロンに認められたその力は、こうした追跡で一度として彼女を裏切ったことがなかった。
「早く済ませてしまいましょうか」
ノイゼットの歩みは、一軒の建物の前で止まる。王都でも名の知れた医院と、それに隣接する慎ましい家屋。
「お医者さん、本当に何を考えてるんですかねぇ? ま、いっか」
ノイゼットは振り返り、後ろに控える信徒たちへ顎をしゃくった。声音はあくまで間延びしているが、その指示に淀みはない。
「いきますよぉ。あたしが合図するまで、静かに待っててくださいねぇ」
信徒たちは無言で頷き、ノイゼット自身は、正面の扉へ歩み寄った。
人質を取るだの、不意を打つだのといった搦め手は、彼女の頭にそもそも浮かばない。
魔法さえ使えば、大抵のことは正面から押し通せる。だが、相手が非戦闘員なら、それを使う必要もない。そのことを誰よりも知っているからこそ、ノイゼットの自信が揺らぐことはない。
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アルベールは自宅の地下に設けた研究室で、ひとりルカンの死骸と向き合っていた。
リーファをはじめとする助手たちはとうに帰宅し、隣の医院に残るジュノアら入院患者の容態の確認も終えている。あとは己の探究に没頭するだけの時間だった。
地下室の研究台の上には、サメとハイエナを継ぎ合わせたような異形の魔物ルカンの死骸が解剖されて横たわっている。
(やはり、私の知る医学や魔法では説明がつかない)
調査を重ねるほどに、アルベールの抱く謎は深まるばかりだった。
首と胴体の繋ぎ目に癒着していた泥のような物体が魔力を発していることまでは判明したが、それ以上は推測の域を出ない。異なる生物を繋ぎ合わせるこの泥こそが、異形の魔物を生み出す根源だと分かっても、その詳細がどうしても分からない。
魔力を乱す毒を宿した異形の魔物ルカン。既に解毒薬があるとはいえ、うっかり自身がその毒に侵されては目も当てられない。造物主なる人物が何故このような毒に精通しているか分からないが、真っ当な考えを有していない点は疑いようがない。
ルカンだけでなく、アウロラの森を侵食していた
ルカンの首と胴体の境目を、アルベールは改めて覗き込んだ。縫い合わせた痕も、傷が塞がった痕も見当たらない。別々の生き物の肉が、泥を介して一つになっている。
自身の知識の外にある理は、医師としてだけではなく、彼個人の探究心をも否応なく掻き立てる。アウロラの森に行っている間、お預けになっていた研究に没頭できるのは得難い機会だった。寝る間を惜しんで机に向かうこの時間に、アルベールは満足を覚えていた。
しかし、その時間は、ダン、ダンという何かを踏みならす音に断ち切られた。地下室へ続く階段の上から、小さいが、その存在を主張するような響きが近づいてくる。
「なんだ?」
アルベールは弾かれたように立ち上がり、地下室の入り口に目を向けた。
ややあって、地下室の階段に姿を見せたのは紅いドレスを纏った少女だった。
「こんばんはぁ! お医者様の家に、こぉんな立派な地下室があるなんて驚きですぅ」
開口一番に発せられたのは、場違いとしかいえない間延びした声だった。見覚えのない顔に、アルベールは警戒を露わにする。
「君は……誰だ? こんな時間に一体何の用だい?」
「ルカンって魔物の氷像が消えたことを宰相様が気にしてるから、鏡花様からその捜索を命令されたんですぅ。それで王都の中を探していたら、この建物からルカンの魔力を感じたんですよぉ。ね~ぇ、お医者様ぁ。ルカンの死骸をどうやって手に入れて、何に使おうとしてたんですかぁ?」
「鏡花というのは七元徳の……。それじゃ、君は教団の信徒なのか?」
その名を口にしながら、アルベールは顔から血の気が引くのを感じた。
「そうですよぉ。七元徳、『信仰』の鏡花様の配下、ノイゼットでぇす」
アルベールの背を冷たいものが伝った。街中にいる教団信徒と全く異なる目の前の少女がどれほどの危うさを孕んでいるか、その奇抜な姿だけで察せられた。
「ルカンの死骸は新たな異形の魔物が現れた時に対処するための研究に必要なんだ。もしかして、教団にこれが必要なのかな?」
だがノイゼットは、ルカンの死骸には一瞥もくれなかった。
「あたしも鏡花様も、ルカンの死骸なんて要らないですぅ。そんな気色悪い魔物をわざわざ調べるなんて、何が楽しいのかも分からないですし」
「楽しくて……調べているわけじゃない。異形の魔物の根源が分からないままでは、新たな魔物がまた現れた時に、私は手をこまねくことしかできない」
楽しいと言われて、その先の言葉に一瞬詰まったアルベールだったが、毅然とした様子で言い切った。
「はいはい、あたしにはやっぱり分からないですぅ。それよりもですね、あたしがこんな時間に来たのは、お医者様のアルベールさん。あなたを連れていくためです」
「私……を?」
予想だにしない言葉に、アルベールは困惑した。
「宰相様に頼まれたんですよぉ。あなたを捕まえて連れて来いって」
「イディウス宰相が、何故……?」
「宰相様って、びっくりするくらい器が小さいんですよ。戦いの場から消えたルカンの氷像が、自分の地位を脅かす者の手にあるんじゃないかって気にしてるんですよぉ」
「――!!」
自分が宰相に目をつけられた理由は理解できた。
(この少女は、ルカンの魔力を辿って来たと言った)
ルカンの死骸をここへ持ち込んだのは
(私の知識欲が……この死骸を手元に置き続けたことが、教団をここへ呼び寄せたのか)
未知を求め続けた代償が、今まさに刃となって自分へ向けられている。その皮肉に、アルベールは奥歯を噛んだ。
「大人しくついて来てくれれば、乱暴な真似はしないですよ。あたしは」
一応、アルベールの意思を問うノイゼットに、彼ははっきりと拒絶を告げた。
「断らせてもらおう。隣の医院には、今も眠ったままの患者がいる。その患者たちを置いて連れて行かれるわけにはいかない」
戦う術を持たぬ一介の医師の、それが精一杯の抵抗だった。ノイゼットは、その言葉をむしろ楽しむように目を細める。
「ふぅーん。かっこいいですねぇ、お医者様ぁ。本っ当に宰相様とは大違いですぅ。あ、でもぉ、医院の病人さんたちのことは、あたし何にも言われてないんですよぉ。危害を加える気もないんで気にすることないですよぉ」
その直後、間延びした声が一変した。
「……でも、あなたを連れて行くのが、あたしのお仕事なんで、それは譲らないです」
患者を置いていけないという言葉は、この少女の中で何の意味も持っていない。冷たく短い、命令の声が聞こえた。
「――行け」
その一言に応じて、いつからそこにいたのか、白いローブの男たちが音もなく現れ、アルベールへと接近してくる。
「っ……! ぐっ……!」
戦闘の心得などないアルベールは信徒たちにあっけなく組み伏せられる。冷たい床に頬を押しつけられ、両腕を捻り上げられた。
抗う術もなく床に伏したまま、アルベールは近づいてくる軽やかな足音を聞いた。それはノイゼットのもので、彼女は彼の前に立った。
アルベールがどうにか見上げた先で、ノイゼットが何かを軽々と肩に担いでいた。
彼女の華奢な身体には到底釣り合わない大きなハンマー。その鈍く光る鉄塊が、いつのまにか少女の手に握られていた。明らかに重いと分かるそれを、細い腕はこともなげに持ち上げていた。
「別にお医者様に何か恨みがあるわけじゃないんですよぉ」
ノイゼットは、ハンマーを頭上へ振り上げ、容赦なく振り下ろした。
「がっ……!?」
頭部を打つ鈍い衝撃と激痛に視界が大きく揺らいだ。額から生温かいものが伝い、頬の下へ広がっていくのが分かった。
「しばらく眠っててくださいね。連れてったあとのことは宰相様にお任せですぅ」
少女の声を最後に、アルベールの意識は完全に闇へと沈んだ。
ノイゼットはハンマーを肩に担ぎ直すと、信徒たちにアルベールを運び出すよう命じた。彼らは動かなくなった医師の両脇を抱え、地下室の階段から地上へと引きずっていく。額から滴り落ちた血が、床に一筋の跡を引いた。
研究台の上には、解剖されたままのルカンの死骸が残された。首と胴体を繋ぐ泥は、主のいなくなった地下室で、変わらず微かな魔力を放ち続けていた。