輪廻の檻 ―異世界で再会した幼馴染は、俺を知らない敵だった― 作:あすらりえる
リズやシモン、マーカスに転生者であることを打ち明けてから一夜が過ぎた。彼らはもう少し準備がいるらしく、海里はその間にアルベールにも協力を求めようと考えて、彼の医院に向かっていた。
何度も厄介になっているし、きっと何かしらの協力はしてもらえると感じていた。初めて会った時から、彼はリグリアの実情を憂いていたのだから。そんなことを考えながら歩いていると、丁度、小柄な桃髪の少女が同じ目的地に向かっているのが目に入り、海里は声をかけた。
「リーファ、おはよう」
「おはようございます海里さん、早いですね。どうされたんですか?」
海里の声に気づいて、振り返ったリーファは屈託のない笑顔で挨拶を返してきた。
「アルベール先生に話したいことがあってさ、リーファにも協力してほしいことができそうなんだ」
「私にできることなら協力しますよ」
「ありがとう。そしたら、アルベール先生と話す時に同席してくれるだけでも、まずは助かるかな。君は俺が何者か知ってるからね」
「……海里さん、それって……」
アルベールを訪ねる明確な用件はまだ口にしていなかったが、リーファはそれが何かを悟ったようだ。
「ああ、先生に話したら、次はラルフにも話そうかなって思ってる」
「ラルフさんでしたら、つい二日前もジュノアさんの様子を見に来ていましたよ」
「そうなのか。ジュノアはまだ目を覚まさないんだよな?」
「慌てないでくださいってば。早く話したい気持ちは分かりますけれどね。案外、今日にもジュノアさん、目を覚ますかもしれませんよ」
悪戯っぽく笑うリーファに、海里も苦笑で返した。
「そっか、それを期待して医院に行こうかな。そういえば、ラルフにも王都に戻ってから、まだ会ってないんだよな。もうルカンの毒は治ってると思うけど……」
「ええ、それなら解毒薬で治りましたよ。そのラルフさんがぼやいてましたけど、しばらくは騎士団に戻らずに街中に滞在してるそうです。騎士団が妙な感じだからって」
「? どういうことだ。そういえば、さっきから白銀騎士団の人たちをよく見かけるな」
「……そうですね」
海里の言葉に同意するように、リーファは周囲をさっと見渡してから頷いた。実際、二人が並んで歩いていると、あちこちに白銀騎士団員の姿があった。彼らは一様に海里を見ていた。
もともと、ジュノアとは親交があるし、練兵場でラルフと決闘したこともあるから、顔を知られていることは不思議ではない。それでも、その視線には何かを探るような、一方で迷うような感情が見えた気がして、落ち着かなかった。
「海里さん、少し早く歩きませんか?」
「……ああ」
二人は少し歩調を速めて、アルベールの医院の前にたどり着いた。
「あれ?」
疑問符を浮かべたリーファが、医院に隣接しているアルベールの自宅の扉に近づいていく。その扉は、不自然に半開きになっていた。
扉から半歩中に踏み込んだリーファの足が、ふいに止まる。
彼女につられて足を踏み入れた海里は、視線を落とした床に、何かを引きずったような赤い跡があるのに気づいた。
そこから、鉄錆に似た匂いがかすかに漂ってくる。
「……血痕?」
海里の声に驚愕が混じる。
「アルベール先生! いらっしゃいますか!?」
リーファが扉の隙間から中へ呼びかけたが、返ってくる声はなかった。
「どうして……? 海里さん、すみません。医院について来てください!」
「ああ!」
何か異常なことが起きていると察したリーファが医院へと駆けだし、海里もその後を追った。
□■□■□■□
リーファが合鍵を使って中に入ると、医院は静かだった。幸いなのか、まだ彼女以外の助手たちは来ていないようだった。
ぱたぱたと駆けていく彼女は真っ先にジュノアら入院している患者の様子を見に行き、程なく戻ってきた。
「ジュノアさんたち、医院にいる人たちには特におかしいところはありませんでした」
「そうか。でも、アルベール先生はどこに……?」
「分かりません。先生はこの時間には、いつも医院を開く準備をしているんです。なのに、おかしいです。それに何も言わずにいなくなるなんて……」
「ああ、俺もそう思う」
疑問が尽きない二人が一階で話していた時だった。医院の扉が勢いよくどんどんと叩かれた。
思わず身体を跳ねさせた二人だったが、リーファが警戒心を滲ませながら、扉に近づいて声を張り上げる。
「どなたですか?」
その呼びかけに、扉の向こうから声が返ってきた。
「白銀騎士団の者だ」
勝手に入ってくるつもりはないようだったが、名乗った相手の身分に二人は驚くことになった。さきほどまで海里に視線を向けていた者たちだと察した。何が目的なのかと、顔を見合わせる海里とリーファに対して、外にいる白銀騎士団の者はさらに言葉を紡いだ。
「冒険者の海里。中にいるんだろう? 出て来てくれないか? 今の君には王都に仇なす逆賊の疑いがかかっている。白銀騎士団の本部で話を聞かせてもらいたい」
「「!?」」
言葉の意味が理解できない二人は再び顔を見合わせるが答えは出ない。
「俺が……逆賊? 一体何で?」
動揺でそれ以上の言葉が出てこない海里に代わって、リーファが外の騎士に向かって答える。
「一体、何を言ってるんですか!? 海里さんが逆賊なんて! 馬鹿なことを言わないでください!」
「馬鹿なことじゃない! イディウス宰相様からのお達しだ。冒険者の海里、及び、この医院を営むアルベール医師が異形の魔物ルカンを利用して、リグリアに害を為そうとしている疑いがある。しばらく待つが、出てこないようなら強行させてもらう」
そう言ったきり、外にいる騎士はしばらく待ちに徹するようだった。
「外に……大勢、騎士がいるみたいだ。何人もの気配を感じる」
「海里さん、裏口から逃げてください。いま、この状況はおかしいです」
「リーファ!?」
リーファの言葉の意図を測りかねた海里だったが、彼女の意思は変わらない。
「私がしばらく彼らと話していれば、その間は時間を稼げるはずです」
「それじゃ、この状況でリーファを残していくことに……」
「今、あなたが狙われていることは確かです。彼らも迷っている様子はありますが、私はその対象じゃありません。だから、早く行ってください!」
「ごめん!」
喉から押し出せたのは、その一言だけだった。理解できない事態の中で、自分だけが背を向ける。それでも、この場に残れば状況は悪化する予感しかない。海里自身が狙われている以上、傍にいるだけでリーファを危険に晒しかねなかった。
それならば彼女の言葉に従うべきだと、理性が告げていた。後ろ髪を引かれる思いを噛み殺して、海里は医院の裏口へ向かい、そこから、外へと身を滑らせた。
□■□■□■□
「良かった、行ってくれた」
海里が裏口から出ていったことを確認して、リーファは安堵した。彼の性格では、自分のことも気にして、この場に留まってしまいかねなかった。
「アルベール先生と、海里さんが逆賊だなんて……そんなことあるわけない」
リーファが暮らしていたロルカ村。その日常に、ある日現れた海里という転生者の青年。その扱いを巡って彼を騙し、監禁した村は、最終的に教団の女幹部の逆鱗に触れ、吹き飛ばされて廃村になった。
自業自得だと感じる想いと、困窮故の行動だったという想いが、複雑に入り混じったまま今も残っている。良心の呵責があったからなのか、村長エルドリックは最後に自分のことを庇って死んだ。その声を覚えている。
『すまなかったのぅ、リーファ。欲に……目がくらんでしまった。お主が正しかった。どうか……生きておくれ』
村長に庇われてなお、リーファは生死の境を彷徨う重傷を負った。
教団の女幹部が放った風魔法は、村ごと薙ぎ払うほど広範囲に及び、その威力は今思い出しても身が竦む。肌を裂いた風の音も、崩れていく家々も、まだ生々しく残っている。
あの日の女幹部が、今は同じ王都にいる。会うはずがないと分かっていても恐ろしくて仕方なかった。
「海里さんがいなければ、私はあの日死んでいた。あの白い光が、私の傷を癒してくれた。あんな優しい人が、逆賊のはずがない!」
そこまでの考えが独り言として漏れていたが、それに答える声があった。彼女以外、誰もいないはずの場所で。
『教えていただきたいものですね。海里さんが使う憑想の白い光は、傷を癒す力もあるのですか……。あなたはそれで、鏡花様の風魔法から生き残ったというわけですか』
「誰!?」
リーファはばっと振り返るが、そこには誰もいない。まだ明かりを点けていない医院の中には暗い影が広がっているだけだった。心臓の鼓動が緊張で速くなる。
しばらくすると、医院の影から浮かぶように、黒装束の男が現れた。
「あなたは? 一体どこから」
「影に潜んでいました。あなたが暮らしていたという村を吹き飛ばした『信仰』の鏡花様の配下ゼイロンです。先ほどの独り言、もう少し詳しく聞かせていただけますか?」
『信仰』の鏡花。輪廻教団七元徳の一人。その肩書きではなく、あの日、村で聞いた冷たい声が蘇ってきた。
『贖え』
硬直しているリーファの元に、こつんこつんと靴音を響かせてゼイロンが歩いてくる。それと同時に、医院の外から聞こえる声も大きくなった気がした。何か騒ぎが起きているようだが、彼女にそれを気にする余裕はなかった。
「海里さんの憑想は単なる攻撃手段ではないと思っていますが、それをあなたは知っていそうですね。あなたも教団支部にご足労いただきましょうか」
「い、いや!」
あの女性にまた会うかもしれないと思うと、瞬時に拒絶の言葉がリーファの口から漏れた。恐ろしくて逃げたいのに、足が竦んで動かない。
そう思うほど、膝から力が抜けていく。背中が壁に触れ、リーファはそのまま床に座り込んだ。
そして、ゼイロンがリーファに近づいてきた時だった。
医院の扉が乱暴に開き、白銀の鎧を身に着けた赤髪の男が入ってきた。
「街中が騒がしくて様子を見に来てみれば、てめぇ、ここで何してやがる?」
壁際に蹲ったリーファを一瞥した後、赤髪の騎士ラルフはゼイロンを睨みつけた。
「この女性を教団支部に招待しようとしておりました」
慇懃無礼に答えるゼイロンに、ラルフはまともに取り合わなかった。
「招待だと!? 言葉どおりに受け取れる訳ねぇだろうが! 馬鹿言ってねぇで、失せやがれ、焼くぞ!」
「それは怖い。まぁ、詳しいことは海里さん本人から聞けばよいですね」
そう言った直後、ゼイロンは影に沈んで、姿を消した。彼が去ったあとも、リーファはその場から動けなかった。一方でラルフもしばらく警戒を続けていたが、ややあって槍を下ろした。
へたり込んだままのリーファの元へ、ラルフが歩いてきてしゃがみ込んだ。
「おい! おい! 平気か?」
「ラ、……ラルフさん」
か細く、震える声が漏れ出ただけだった。
「なんて顔してんだよ。俺に不味い薬を飲ませるときみたいにハキハキしてろよ。無理もねえけどよ。それから、外の連中は騎士団に戻らせた。ひとまず海里には関わらねえだろうよ」
ラルフが頭を搔きながら答える。
「そうだ! ラルフさん、海里さんを追ってください! 裏口から逃げてもらったんですけど、まだ他にも彼を追ってる人がいたらと思うと……」
その言葉にラルフは頷かなかった。
「あいつが心配なのは分かるけどよ、それよりも今はお前の安全確保だ。医院に教団信徒が入り込んできて、お前も連れていかれそうになったんだ。それに、海里はそんな簡単にやられねえよ」
「それなら、私と一緒に冒険者ギルドへ行ってください。あの場所なら、海里さんの冒険者仲間もいますよね?」
「そうだな」
この言葉にはラルフも承諾した。人の出入りも多い場所なら、信徒が来たとしても、彼女に危害が及ぶ可能性は低い。ラルフは槍を背負うと、リーファを両手で抱き上げて、足早に歩き出した。
それに混乱したのは、抱き上げられた当人のリーファだった。
「え? え? ちょっと、ラルフさん?」
「まだ、腰抜けて立てねえだろ? 冒険者ギルドに着くまで大人しくしてろ。お前を届けたら、俺は海里を追うからよ。行くぞ」
「はい……お願いします」
ラルフはリーファを連れて、冒険者ギルドへと向かった。剣も魔法も持たない娘に、教団の男が手を伸ばした。それを見た以上、あの影使いを放っておくことは出来ない。
ラルフに運ばれながら、リーファは遠ざかっていく医院を見ていた。アルベールも海里もいなくなった建物に、眠ったままのジュノアと患者たちだけが残されている。もう間もなく他の助手たちがいつも通りに医院を開ける支度を始めるはずだった。そうなれば皆が異変に気付く。
影に消えた男は、去り際に海里から聞けばいいと言い残していたが、今は彼の無事を願うしかなかった。