輪廻の檻 ―異世界で再会した幼馴染は、俺を知らない敵だった― 作:あすらりえる
「……っ」
海里が目を覚ますと、視界に映ったのは薄暗い石壁に囲まれた狭い独房だった。
意識が戻ると同時に、両腕が痛みを訴えた。両手首は頭上に吊り上げられ、天井から下りた金属の拘束具に繋がれている。雷撃を受けた身体には、まだ痺れが残っていた。頬には乾いた血がこびりつき、髪の先からは焦げた匂いがしていた。
いつも使っていた剣も見当たらないが、首から下げた鏡花のペンダントだけが、そのまま胸元に残されていた。
「そうだ……傀儡にされたゼファーさんの雷撃を受けて……」
意識を失う前の出来事を思い返し、海里は自分が捕らえられたのだと悟った。
拘束具に重力魔法で負荷をかけて壊せないかと、海里は魔力を集中させようとした。だが、何も起きなかった。
「……?」
いくら重力魔法を発動させようと集中しても、魔力を練ろうとした端から、指の隙間を零れる水のように力が霧散していく。
「なんだ、これ……なんで魔法が発動しない……っ」
ガシャガシャと鎖が虚しい音を立てるだけで、拘束はびくともしなかった。理由の分からない魔法の不発に、海里が焦りを募らせた、その時だった。
軽やかな靴音が近づいてきて、独房の前で止まった。重い音を立てて扉が開く。
「わー、もう目を覚ましたんですねぇ」
高く間延びした声が、薄暗い独房にそぐわない明るさで飛び込んできた。
入ってきたのは、紅いドレスをまとった小柄な少女で、物珍しそうに首を傾げ、海里の顔をじぃっと覗き込んでくる。
「ふぅん、お兄さんが第六転生者かぁ。でっかい蛇さん倒してた映像は見てるから強いのは知ってるんですけどねぇ」
この少女は、自分が薔荊蛇《しょうけいだ》にトドメを刺したことを知っている。なら、その素性は――警戒しながら、海里は疑問を絞り出した。
「……君は誰だ? ここはどこなんだ?」
「あたし? あたしはノイゼット! 鏡花様の配下ですぅ。ここは教団支部の地下にある、見ての通りの独房ですぅ」
やはり教団の人間かと思ったが、これまで街中で見かけた信徒や、ゼイロンとも服装が違い過ぎた。元の世界でならゴスロリというだろうが、それがこの異世界でまで通用するかは分からなかった。本人が名乗らなければ教団の者とは思えない。道ですれ違っても、奇抜な服装の少女がいるなで済ませてしまいそうだった。
その少女は、吊るされた海里の左右をうろうろしながら、品定めするように上から下まで眺め回していた。
今の海里は少しでも情報が欲しかった。
「なあ、俺の魔力が……さっきから、まるで使えないんだけど、なんでか知らないか?」
その問いにノイゼットは、あっさりと頷いた。
「あー、それは、その拘束具が魔力を封じてるからですね。お兄さんが重力魔法を使ったりできないよう用意しましたぁ。……あたしが作ったわけじゃなくて、デクスター様の作り置きをリグリアに来るときに持ってきただけですけどぉ」
こともなげに告げられた事実に、海里はぎりっと歯ぎしりした。この拘束具そのものが魔力を封じているのなら、脱出の手段は潰されている。
それにまだ知りたいことはあった。この少女なら話してくれそうだと、海里は問うのをやめなかった。
「今、何が起きてるんだ? 急に逆賊扱いされたと思ったら、騎士団が来て、この有様だ。直前までいた医院のアルベール先生も捕まったみたいで血痕が残されていた」
「順番に答えましょっか。お兄さんが捕まってるのは宰相様が罪を捏造したからです。お兄さんがいけないんですよ。ゼイロンが教団に勧誘したのに断るから。ま、本当のところなんて、どうでもいいんですよ。教団が新しい転生者を利用するために、お兄さんを確保できればよかったんですから」
「俺を確保してどうしたい?」
「さぁ? あたしは知らないですぅ。それは鏡花様が決めてくれます。そのためにあたしの力が役立つなら、それで良いんですぅ」
この少女は、自身の所属する組織が何を考えているかにも無頓着としか思えなかった。ただ、自分の力を証明できればいいかのように。
「あとはお医者さんの事ですけど、あたしが医院に行って直接捕まえました」
「アルベール先生を解放しろ! ここに先生もいるのか!?」
「ここにはいないから無理な話ですぅ。あのお医者様を欲しがったのは宰相様ですから、罪人が入れられる監獄塔にいるんじゃないですか?」
ノイゼットの口調はどこまでも軽い。
「俺が転生者で、利用価値があるんだとして、何故、先生まで捕まるんだよ?」
「……。お兄さん、ルカンって魔物と戦ったんですよね? あのお医者様の医院の地下に、ルカンの死体があって、それを調べてたからですよ」
「は? アルベール先生がなんでルカンを?」
訳が分からない。それは喋っているノイゼットも同じようだったが、明確な嫌悪感も見せていた。
「あたしが知るもんですか。気色悪い魔物を調べたい気持ちなんか理解したくもないです。そんなに知りたいなら、宰相様や、会えるか分からないお医者様本人に聞けばいいですぅ。聞ければですけど……」
アルベールの生き死になど、この少女の関心の外にあるのだと、その口ぶりで嫌でも分かった。
「ねえねえ、それより転生者ってさ――」
なおも喋り続けようとしたノイゼットの声が、扉の外から響いてきた音で止まった。目の前の少女とは違う、規則正しく静かな足音だった。開いた扉の先にいたのは、無感情に見える一人の女だった。
「鏡花様ぁ!」
主の来訪にノイゼットが甲高い声を上げるが、当の鏡花は淡々とした口調で告げただけだった。
「ノイゼット、喋りすぎだ。お前の声は通路の外まで丸聞こえだ。ゼイロンが出立の準備を終えるからお前も戻れ」
「はぁい」
鏡花の注意に反省した様子はなく、ノイゼットは軽い足取りで扉へ向かう。
「じゃあね~、転生者のお兄さん」
そうして、来た時と同じ様子で独房から出ていった。その足音が遠ざかると、あとには拘束された海里と鏡花だけが残された。
□■□■□■□
「鏡花……」
目の前の女の名を呼んだ。異世界で、幼馴染との二度目の再会だった。いや、再会などと呼べるかは分からなかった。そこにいる幼馴染は、もう幼馴染ではないのかもしれないのだから。
呼びかけられた鏡花もまた、海里へと向き直る。相変わらずその目は、元の世界で知る三澄鏡花のものではなかった。
「久しぶり、でもないか。随分と活躍しているようだな。ルカンの討伐だけでなく、アウロラの森での事はゼイロンの報告で見させてもらった。
「……」
「別にリグリアに限った話ではない。砕けた星蝕の欠片を集めて『再生』させる。それが完了した時、はじめて教皇様の悲願が前進を始める。教皇様も私も転生者、そして君もそうだ。ゼイロンから断られたと聞いてはいるが、私からも聞こう。我ら輪廻教団に協力してくれないか?」
「断る。俺は輪廻教団には協力しない。他者を踏み躙る組織に協力などできない」
「私は教皇様の命に従い動くだけだ。その過程で生じる他者への影響は考慮しない」
海里は息を詰めた。
無機質な答え。元の世界の鏡花なら絶対に口にしない。それでも、期せずして話す機会が訪れた。なら、問いかけるしかなかった。
「ッ!! なぁ、鏡花! 三澄鏡花! 俺が本当に分からないか? 幼い頃から一緒だっただろ? 水無月海里だよ」
だが、海里の望んだ答えは返ってこない。
「知らないな。私は君を王都で活躍する冒険者としか認識していない。以前会った時も私に随分食い下がったが、一体誰の話をしているんだ?」
「俺が首から下げてるペンダントにも見覚えはないか!? これは鏡花が付けていたものじゃないか!!」
海里は拘束された身体を捻って動かし、首から下げたペンダントを鏡花に意識させようとした。だが、鏡花はそれを見ようともしなかった。
「くどいな。知らないと言っている」
何を問いかけても、鏡花の顔は無機質で無感情でしかなかった。元の世界で眩しく笑っていた幼馴染の面影はどこにもない。
「……
海里は、リアムから聞いていた単語を口にした。何を言えば、この女は反応するのか。拘束されたまま試せることは、それだけだった。
「何?」
初めて海里の言葉に興味を持ったように鏡花が疑問を返してきた。
「虚魂。第一転生者が行った、肉体に別人格を植え付ける代物。お前は鏡花じゃなくて虚魂なんじゃないのか?」
鏡花は海里の言葉に反応せず、暫く黙り込んでいた。その沈黙は、これまでの無感情な態度とは違った。それを破ったのは——
「……ふ、ふふ。ふふふふふふ」
笑い声だった。
海里はその反応に驚いた。目の前の『信仰』の鏡花が笑っていた。これまでの会話で一貫して、無機質、無感情を崩さなかった女が、本当に可笑しそうに笑っている。声そのものは、元の世界で聞いていたものと何ひとつ変わらない。それなのに、笑い方だけがまるで違っていた。
「ふふ、何処で虚魂の事を知った? いや、何処でも良いか。それは教団の中でも全員が知っているわけではないというのに。ふふふ、可笑しい」
リアムの話を聞いて、薄々そうなのだと察していたつもりだった。それでも信じたくない感情もあった。だが、海里は本当の意味で理解した。目の前で喋っている存在は、幼馴染の三澄鏡花ではないのだと。
(あぁ……鏡花はこんな顔で笑わない。こいつはやっぱり鏡花じゃない……)
理解と同時に、別な疑問が海里の心を占める。
「鏡花に何があった!? 何故、虚魂を入れられた!?」
「さぁな。私はそれを知らない。君の言ったとおり私は虚魂だ。精神が傷ついていたこの器に、教皇様が私を埋め込まれた。そして、私はこの器を動かす主導権を得た」
そういって目の前の鏡花は、海里に見せつけるように胸の中心に手を当てた。その手の下から、禍々しく黒い宝玉のようなものが、彼女の服をも透過してせり上がってきた。
「それが……虚魂、なのか?」
「そうだ、これが私という存在を為している」
黒い宝玉は、静かに脈打っているように見えた。
「鏡花を元に戻せ! その身体から出ていけ!」
「無理な話だ。どうしてもというなら私ごとこの器を殺す事だな。虚魂のことを知っているのなら、引き剥がす手段がなかったことも知っているのではないのか?」
「――ッ!!!」
リアムから聞かされた残酷な事実を、身体を乗っ取った虚魂そのものから告げられた。同じ言葉であっても、その重さがまったく違う。海里は何も言えなくなってしまう。
「やっと得心がいったよ。何故、君が、私の埋め込まれたこの器を追い求めていたのか。君が教団に協力するというのなら、この器の身体を君の望むように自由にさせてやっても良いぞ」
すぐそこにある幼馴染の肉体。それを乗っ取っただけでなく、汚すような言葉に、怒りが湧いてきて仕方なかった。
「ッ!! ふざけるなっ!! 俺はそんなことを望んでいない!」
どれだけ声を張り上げても、拘束具がガシャリと音を立てるだけだった。その度に、金属の縁が手首に食い込んで痛んだ。
「ふふ。虚魂を知っていることといい、思った以上に有意義な話ができたな」
そう言い残して
「何処へ行くつもりだ?」
「アーク・ヴェール遺跡だ。そこにリグリアの建国者が秘匿した星蝕の欠片がある。暫くここで大人しくしているといい。私たちが星蝕の欠片を手に入れて戻ってきたら、もう一度教団に協力しないか聞かせてもらうとしよう」
「俺の答えは変わらない」
「それならそれで構わない。その時は教皇様の元へ連れていって、この器と同じように虚魂を埋め込んでもらおう。そうすれば抵抗する意思などなくなる。君が求めるこの器と一緒にいられるようになる。君の意思など関係ない。ただ、その精神は屈服させやすくしておくとしよう」
それ以上は語らず、鏡花は独房の扉を開けて去っていき、その足音も次第に遠ざかっていった。
海里は、幼馴染の身体を奪われたという事実を、ようやく受け止めた。同時に、精神が傷ついた結果として身体を奪われたのだと知り、別な疑問をも抱えることになった。
鏡花を救い出す方法が見出せないだけでなく、囚われの身から脱出する手段もない。その事実に、海里は唇を噛み締めることしかできなかった。