輪廻の檻 ―異世界で再会した幼馴染は、俺を知らない敵だった― 作:あすらりえる
リグリアの王都を離れた鏡花は、ノイゼットの案内で辿り着いたアーク・ヴェール遺跡の内部を、信徒たちを引き連れて進んでいた。
先導するのは、影のように気配を殺したゼイロンで、その後ろを、ノイゼットが軽快な様子で歩いていく。
それに続いて鏡花が歩いていると、不意に懐で小さな魔道具が淡い光を明滅させた。遺跡の奥深くにいてなお、教団支部の者と連絡を取り合うためのものだった。
鏡花は歩みを止めず、指先でそれに触れると、離れた場所にいる信徒の声が聞こえてきた。
「どうした?」
『鏡花様、ご報告申し上げます。負傷した信徒の治療は、いずれも滞りなく終えました。それと、転生者・海里の姿は、あれから王都のどこでも見かけておりません』
その報告が聞こえたゼイロンが背後を振り返り、同時にノイゼットも、興味深げに鏡花を振り返る。
だが、当の鏡花はまったく動じなかった。海里が白銀騎士団の騎士二名に助け出され、独房から消えたと知らされたのは七日前だ。
「そうか。前にも言ったが、海里に追手は不要だ」
鏡花はそう応じただけで、再び前へ視線を戻した。
「鏡花様。あれから七日、こちらは何も手を打っておりませんが、本当によろしいのですか?」
ゼイロンが、確認するように問いかけるが、鏡花の答えは変わらない。
「必要ない。彼がリグリアから逃げ出すことは有り得ない。独房にいた期間で衰弱していても、そろそろ動き出す頃だろう」
足を止めないまま、鏡花は淡々と続ける。
海里が、この三澄鏡花という器に、どれほど固執しているかは独房での会話で分かった。虚魂の名を彼が口にしたあの瞬間から、疑いようもなかった。この器から引き剥がす手段がないと理解していても、それで諦めることはないだろう。
「ふ」
そう考えて、思わず笑い声が漏れた。喜怒哀楽という感情は、この器を動かすようになってから殆ど感じたことなどなかったというのに。この器に必死に語りかけるあの海里と接するほど、妙な感覚を覚えて仕方なかった。
「鏡花様が……笑ったぁ……」
もっとも彼女の近くにいたノイゼットが、本当に珍しいものをみたような表情を浮かべていた。
「動けるようになれば、海里は必ず私の前に姿を現す。こちらからもう何かをする必要はない。好きにさせておけばいい」
「支部が襲撃を受けようともですか?」
ゼイロンの問いに、鏡花はようやくわずかに視線を寄越した。
「支部は残っている信徒に任せておけばいい。多少、攻撃を受けた程度なら我々が戻る理由にはならない。この遺跡に隠された星蝕の欠片の奪取が優先であり、それ以外は些事だ」
「は、承知いたしました。それにしても、この遺跡の探索は骨が折れますね。想像以上に広く、おまけに邪魔も入るとは……」
「寝たきりのリグリア建国者は、よほど他者に星蝕の欠片を渡したくないようだな」
そう呟く鏡花に続いて、教団一行が視線を向けた先から、岩の塊を人型にした物体が、緩慢な動作で何体も向かってくるのが見えた。
「ゴーレムですか。何度目ですかね」
「邪魔だ。破壊して進め」
鏡花の命令に信徒たちが我先にとゴーレムに向かっていき戦闘を開始する。
鏡花たちが会話をしている間にも、遺跡内を守護するようにゴーレムの数は見る見るうちに増えていく。
「数が増えてきたな。他の者は一度下がれ。ノイゼット、やれ」
「はぁい。ちょっと暴れてきますねぇ」
鏡花の呼びかけに、ノイゼットは両手にハンマーを提げたまま、軽い足取りで前へ出た。
信徒たちが彼女に道を空けると、複数体のゴーレムが押し寄せてくる。
ノイゼットが一歩踏み込むより早く、先頭のゴーレムの足元で影がぬるりと蠢いた。その影は生き物のように岩の脚へ絡みつき、巨体の動きを鈍らせる。
他の信徒と共に下がったゼイロンの足元の影が、揺らいでいた。
動きの鈍ったゴーレムへ、ノイゼットのハンマーが横合いから叩き込まれると、岩の巨体は、あっけなく砕けて通路に散らばった。
「ゼイロン、手出ししなくていいのにぃ」
唇を尖らせるノイゼットに、ゼイロンは涼しい顔で影を手繰り続ける。
「そのほうが早く終わるでしょう。あなたが怪我をする心配はしていないので、悪しからず」
「むぅ。つまんないのぉ」
不満げに漏らしながらも、ノイゼットの手は止まらない。影に搦め捕られたゴーレムから順に、彼女のハンマーが打ち砕いていった。
「探索ばっかりじゃ飽きちゃうんですよ。たまには魔力を思いっきり解放したいんですけどねぇ」
「ここではごめん被ります。敵の数が多い場所でなら止めはしないですよ」
「わかってますよ~だ」
魔力の使用を抑えているノイゼットを見て、ゼイロンがふっと薄く笑う。敵の数が多いことなど彼女にとって何の意味も為さないと理解している者の笑みだった。
暫く時間が経過した後、鏡花たちは何事もなかったように遺跡の奥へと進んでいく。その場には崩れた石の破片が転がっているだけだった。
『信仰』の鏡花は揺らがない。それを受けて信徒たちも付き従っていく。海里の脱走から七日が過ぎてなお、彼女は星蝕の欠片の奪取を優先して行動を続けていた。
□■□■□■□
一方、宰相イディウスの執務室には、報告を携えた男が立っていた。
「宰相様。この数日、監獄塔の周りを嗅ぎ回る者が増えております」
報告してきた男に目もくれず、手にしていた酒の杯を揺らしながら、イディウスは喉の奥で嗤った。転生者の海里が独房から逃げ出したと聞かされてから、既に七日が過ぎている。
「くくっ……あの小娘、とんだ失態だなぁ」
杯の中で、赤い液体が揺れる。
「わざわざ私が権力を使い、罪を着せてやったのだぞ。それをむざむざ逃がすとは、七元徳などと大層な肩書きを背負っていても、所詮はこの程度か」
だが、と杯を机に置き、イディウスは指を組んだ。
「件の転生者は、捕らえたアルベールと懇意にしているそうではないか。アウロラの森にも一緒に行っていたようだしなぁ……」
医院を通じて、あの名医と繋がりを持つ男。自分の恩人が牢に囚われていると知れば、黙って見過ごすとは考えにくい。
「ふん……あの医者を助けに来る、か」
イディウスの唇が、嗜虐的な笑みの形に歪んだ。
「くくく、これは好都合というものだ。もう一度この手で捕らえ直し、あの小娘にくれてやるのも一興か。じきにリグリアを去るのだろう。手土産のひとつも持たせてやれば、教団への貸しにもなろう。それに……」
杯を満たし直しながら、イディウスは思案を巡らせる。もし海里が仲間を引き連れてアルベール救出に現れるなら。それは、自分に歯向かう反乱の芽を同時に炙り出す好機でもある。
傀儡にしたゼファー以外にも、金で動く駒をアリーナポリスから呼びつけてある。
「監獄塔の周りを探る連中も増えてきたなら、揺らぎかけた足場を固め直すには、丁度いい掃除の機会だ」
杯を傾け、イディウスは口の端を吊り上げる。自らの描いた筋書きが成功する未来を信じて疑わない。
逃げた転生者も、刃向かう者も、残らず自分の掌の上で踊るのだと、イディウスは笑みを湛え、赤い酒を呷った。杯を干すと、彼は椅子から腰を上げた。
二週間近く通い詰め、どんなに痛めつけても、どれだけ協力を呼び掛けても、監獄塔に捕らえたアルベールは首を縦に振らない。
あの強情な男を折るには、もう幾度か足を運ぶ必要があるだろう。とはいえ、興奮のあまり、やりすぎてしまった感もある。薬で繋いでやるのも、そろそろ割に合わなくなってきた。
他の賊と違って利用価値がある男なのだが、このまま反抗的なら、本当にあの医院で働く助手たちを捕らえて目の前で嬲ってやろうか? それとも、もう生かしておかなくても良いか?
そんなことを考えながら、執務室から出るための扉へ向かいかけて、イディウスはまだ控えていた報告者の男を振り返った。
「私が戻るまでに、この部屋を片付けておけ」
零れた酒と杯を顎で示し、イディウスは返事も待たずに監獄塔へと足を向けた。
□■□■□■□
一人残された報告者の男は、イディウスの執務室を命令通りに片付けようとしていた。
「やれやれ、人使いの荒い」
零れた酒を布で拭い、杯を下げるだけの作業のはずだった。だが、その手がふと止まる。壁に掛けられた一枚の絵画へと、男の視線は吸い寄せられていた。
『豊饒なる食卓』と題名が額縁に書かれている。積み上げられた金貨の山、艶やかな葡萄、怪しいほどに鮮やかな食卓。
この部屋に通されるたび、いつも目の端に入っていた。宰相の趣味の悪い自慢話に、幾度も付き合わされてきた絵だ。そのはずなのに、まともに向き合って眺めたのは、これが初めてだと気づいた。
不気味だと頭では思っているのに、どうしても目が離せない。この部屋の主がいないのだから、もう少し眺めていてもいいだろう。監獄塔に向かったなら、彼はしばらく戻って来ない。
見つめていると、お前の欲しいものは何だ、と言われた気がした。
空耳か、それすら判然としない。部屋は静まり返ったままで、絵は絵のまま壁に掛かっているだけだ。気のせいだと片付けようとして、うまく片付かなかった。聞き違いにしては、その言葉は、はっきりしすぎていた。
欲しいものは何かと問われて改めて考える。性格に目を瞑って従っていれば、給金を多く払ってくれる宰相がいるのだから金には困っていない。
ならば、他に欲しいものは何だろうか? そんな益体もない疑問が、男の胸に浮かんでは消え、また浮かんだ。
答えは、思いのほか、すぐに出てきた。
「宰相に顎で使われずに済む立場が欲しい。返事も待たずに背を向けられ、零れた酒を拭かされる側でなくなりたい。雑用に甘んじたいわけではない」
口に出したことは一度もない。願いと呼べるほど大層なものではない。それが今、驚くほど滑らかに言葉になった。自分でも不思議だった。
絵はそこにあって、何ひとつ変わってはいない。絵画なのだから動くはずもなく、当然のことだ。それなのに、こちらへ来いと招かれているのだと、何故か分かった。
男は一歩、絵画へ近づいた。テーブルの脚元、布の落とす影の中に、小さな骸骨が描き込まれているのが見える。
杯を片付けるための手は、いつの間にか何も持っていなかった。それがいつ床に落ちたのか、音を聞いた覚えもない。
もう一歩近づく。金貨の一枚一枚に光沢がある。葡萄の粒に汁が滲んでいる。絵具で描かれているだけのはずのものが、本物にしか見えなくなっていた。
男は絵画の前に立ち、そのまま手を伸ばした。指先が触れる寸前、絵の奥の暗がりで、骸骨の眼窩がこちらを見返した気がした。
それから、どれだけ時が経っても、イディウスの執務室から、報告者の男が出てくることはなかった。
床には杯が転がったままで、絨毯に染みた酒が乾いていく。誰もいなくなった執務室で、絵画だけが変わらず壁に掛かっていた。