訓練の後、身体が鉛みたいに重い。
ベッドに倒れ込んだら、もう起き上がりたくない。起き上がったら負けだ。
……なのに。
部屋のどこかで、くだらねぇ話が始まった。
「やっぱクリスタだよな」
「顔面天使」
「性格も天使」
「歩く正義」
……おい。歩く正義ってなんだよ。
寝かせろ、と思いながらも、耳は勝手に拾っちまう。
疲れてるからこそ、頭が軽い方に流される。
「サシャも顔だけなら悪くねぇよな」
「お前、あいつにパン盗られたって騒いでたじゃん」
「それとこれとは別だろ!」
別だろ、じゃねぇ。
あれを放置してる時点で害悪だ。
でも誰も手を出せない。手を出したら奪われる。飯を。
「ジャンはミカサだろ?」
コニーが笑いながら投げる。
ジャンの妙に裏返った声が響く。
「は? な、なんで俺が」
……わざとらしい。
驚き方が演技臭くて、逆に笑える。
見惚れてるのはバレバレだ。目が泳いでんだよ。
俺は鼻で笑って、口を開いた。
「ジャンは隠す気ねぇだろ。分かりやすすぎ」
ジャンが眉間に皺を寄せた。
コニーが手を叩いてさらに煽る。
「ほら、今の顔! 図星だろ!」
「ちげぇっつってんだろ!」
部屋の空気が軽くなる。
俺もそこで思い出して、つい乗る。
「ジラのことも見てただろ?
黒髪好きなんじゃねぇの」
言った瞬間、ジャンの目が俺を刺した。
一瞬、顔をしかめる。
「見てねぇよ! 適当言ってんじゃねぇ!」
声がでかい。
俺はわざとらしく耳を塞ぐふりをして笑った。
「はいはい、繊細だなぁ」
「……ジラかよ」
「マジであいつ?」
「ジラな〜……」
ざわつきが、別の方向に寄っていく。
「でも胸はジラが一番じゃね?」
誰かの小声が、変に通った。
「それ思ってた」
「てか、絶対柔らかそう」
「ミカサのあれは筋肉だろ。岩だろ」
「クリスタに踏まれたい」
「お前は病院行け」
笑いが起きる。
俺は顔をしかめた。
……くだらねぇ。
疲れてるってのに、なんで女の身体の話で盛り上がれるんだよ。
それでも、俺の喉が勝手に動いた。
「女は従順なのが一番だろ」
ボソッと吐いたつもりが、意外と拾われた。
数人が笑って、誰かが言う。
「従順な女、兵団にいねぇじゃん」
「ここ、強い女しかいねぇ」
「絶滅危惧種どころか、最初から存在しない」
笑い声がまた上がる。
俺はため息を吐いた。
「……はぁ、くだらね」
口に出したら、近くの奴がこちらを見る。
でも誰も真面目に突っ込まない。
みんな疲れてる。みんな、明日も地獄だ。
「フロック、お前は誰が好みなんだよ」
急に振られて、俺は反射で答えた。
答えないと、面倒になる。
「そりゃ、クリスタだろ」
それ以外の選択肢がない。
誰がどう見ても、あれが安全な答えだろ。
優しくて、可愛くて、敵を作らない。
選ぶなら、ああいうのを選ぶに決まってる。
「だよなー」
「こないだ包帯巻いてもらったんだぜ」
「それ十回聞いた」
笑いが起きる。
笑いが起きた瞬間、部屋の端でジャンがこっちを見ているのに気づいた。
「……なんだよ」
俺が言うと、ジャンは視線を逸らした。
「……なんでもねぇ」
そう言って、寝台に転がる。
寝返りが乱暴だ。
……ジラの話を振ったのを怒ってんのか?
いや、怒ってるなら殴ってくるだろ。
ジャンはそういうやつだ。正直で、短絡で、分かりやすい。
でも、見てただろ。
お前は、そういう目で。
……気のせいか?
何度もそう思った。でもそうとしか思えなかった。
俺は天井を見て、口の中で舌を動かした。
言葉が出そうになって、飲み込む。
――羨んでるだけじゃ、何も変わらない
正論だ。
正しい言葉なのに、なんでこうも飲み込めないんだ。
――才能も血筋も努力も。
全部俺にはないって言いたいのか?
ムカつく。
お前は何様だ。
羨ましいと思う時点で――
なんなんだよ、その後は。
本人に聞けばいい?
……聞けるわけねぇだろ。
俺は息を吐いて、目を閉じた。
部屋はまだ、くだらない笑い声で揺れていた。