叫び声が聞こえた時、身体が先に動いていた。
「ジラ!!」
誰の声だったか分からない。
でも名前は分かった。
分かった瞬間、俺はもう飛んでいた。
――落ちてる。
――二人。
一人は地面に向かっている。もう間に合わない。
もう一人が、空中で変な方向に振られている。身体が持っていかれてる。
――ジラだ。
なんでだよ。
なんでジラがそんな場所にいる。
いつもは余計なことしないくせに。
考える暇があるなら、手を動かせ。
俺はアンカーを打った。
次の木。さらに次。
ジラの腰のあたりに、装置ごと引っ掛けるようにワイヤーを飛ばす。
一瞬、金属が噛み合う感触があって――
止まった。
間に合った。
「――ジラ!!」
声が裏返った。
ジラの目は開いてる。
開いてるのに焦点が合ってない。
俺はジラを引き上げようとして、下を見る。
下では、もう一人――エリスが落ちた。
地面に叩きつけられた音がした。
悲鳴。誰かの叫び。教官の怒号。
人が集まっていく。
血の匂いが、上がってくる。
……くそ。
俺はジラをゆっくり引き上げた。
焦ると落としそうだ。
「……無事か?」
ジラは返事をしなかった。
声が出ないのか、出したくないのか。分からない。
その沈黙が、変に怖い。
俺が下へ視線をやると、ジラの目が少しだけ動いた。
ジラが小さく息を吸って言った。
「……ありがとう。助かった」
声が細い。
普段のジラからは想像できないほど細い。
その細さに、俺の喉の奥がきゅっと縮んだ。
「……あぁ」
俺はそれだけ返した。
返したのに、何も返せてない気がした。
下の状況が気になって、視線が落ちる。
「気にすんなよ。あれは、仕方なかった……」
俺はジラに言った。
言葉がズレてるのは分かってる。
でも今は、お前は悪くないって言わないとダメな気がした。
ジラはそれでも、変なことを言い始めた。
「でも、私が……私が動けなかったから……」
その言い方が、なんか嫌だった。
「……じゃあなんで!動いたんだよ!」
俺は叫んでいた。
叫ぶつもりなんてなかった。
「お前じゃ無理だったことくらい、分かるだろ!!」
分かるだろ、って俺は言った。
言った瞬間、胸の奥が嫌な音を立てた。
分かるだろ、じゃない。
分かってたはずのくせに、動いたんだろ。
動いたら死ぬかもしれないのに。
俺はジラの肩を掴んで揺らした。
揺らして、ようやく自分が触ってることに気づく。
……近い。
ジラが俯いた。
口が勝手に動いてるみたいに、小声が漏れた。
「……だって、私、いらないと思ったし」
「でも呼ばれたから、やらなきゃって思って」
「できると思ったんだ。できなかったけど」
「私は能力足りてないんだ。どうせ付け焼き刃なんだから」
……なんだそれ。
俺は言葉を失った。
ジラはいつも、自分の弱さを見せない。
からかう。笑う。刺す。
そうやって自分の中を、絶対に触らせない。
なのに今、触れてしまった気がした。
偶然か。事故か。
でもこれは、演技じゃない。
「……おい。ジラ?」
俺の声が、変に優しくなったのが自分でも分かった。
優しくしたいわけじゃない。
ただ、これ以上強い言葉をぶつけたら、折れる気がした。
ジラが顔を上げた。
その瞬間、俺は確信した。
――こいつ今、変だ。
目が変だ。
熱のある目じゃない。泣いてる目でもない。
妙に澄んでて、妙に浮いてる。
そしてジラは、笑った。
笑って、言った。
「……ジャンって、かっこいいね」
……は?
俺の脳が止まった。
止まって、遅れて、顔に血が上る。
なんだそれ。
なんで今それを言う。
なんでそんなこと言える。
俺はさっきまで、ジラが死ぬかもしれないと思って――
……いや、違う。
俺は、ジラが死ぬのが嫌だった。
嫌だった、って言葉が、喉の奥で暴れる。
そんなの、誰だって嫌だ。普通だ。
普通の範囲だ。多分。
でも、普通の範囲なのに、心臓がうるさい。
ジラの言葉が脳に残る。
かっこいい。
俺が?
そんなわけない。たまたまだ。俺が助けられる位置に居たってだけ。
でも、ジラがそう言った。
……ジラが。
ジラはその後、表情を戻した。
戻した、って分かるいつものジラの顔。
薄い笑い。目の奥が冷えるように見える。
……取り繕った。
でも、取り繕う前に素が出た。俺は見た。
見てしまった。
それが、やけに可愛く見えた。
可愛い。
……俺、今、何考えてんだ?
ミカサが頭に浮かんだ。
黒髪。強さ。綺麗。憧れ。
ミカサは、遠かった。届かない。近づけない。
だから憧れだった。
――憧れ、だったのか。
ジラが近い。
触れて、温度がある。
……心臓が音を立てた。
うるせぇ。なんだよこれ。
それから少しして、場が落ち着いた。
教官の指示が飛び、負傷者が運ばれ、訓練は中断になった。
ジラはあの後、俺を見なかった。
わざとだろ?わざとだよな?
いつものからかいだ。
そう思ってないといられない自分に腹が立つ。
◇
その日の夕方。
食堂で、ジラがいた。
俺から遠い席だった。
そして――フロックの隣。
「ねぇ、フロック。隣いい?」
ジラの声。
軽い。いつも通り。
さっきの素はどこにもない。
フロックが嫌そうに言う。
「はぁ? 勝手に座ればいいだろ」
ジラが座る。
フロックの悪態に、ジラは小さく笑う。
その笑い方が、俺の知らない笑い方に見えた。
いや、知ってるはずなのに、俺に向けない笑い方。
……なんだよ。
俺はパンを噛んだ。
味がしない。
噛む音だけがうるさい。
俺は、さっきのことを思い出す。
ジラのか細い「ありがとう」。
吐き出したみたいな弱音。
最後の「かっこいい」。
あれは何だったんだ。
俺は何を見たんだ。
俺は何を期待してるんだ。
期待?
誰に?
ジラに?
――助けた。
助けたのは当然だ。そこは正しい。
でも、その後。
肩を掴んだ。揺らした。叫んだ。
近かった。近すぎたか?
ジラが距離を取ったのは、そのせいか?
俺が気持ち悪かったからか?
そう思った瞬間、胃の奥が冷たくなった。
フロックとジラが何か話している。
フロックが眉を寄せて、ジラが楽しそうに見える。
楽しそう、というより、気を抜いてるみたいな。
腹立つ。
腹立つのに、目が離せない。
……俺、何やってんだよ。
俺はパンをもう一度噛んだ。
今度も味がしない。
ジラは俺を見ない。
見ないのに、俺は見てしまう。
これがなんなのか、俺は気づいていた。