薄暗い部屋。
中央憲兵団に割り当てられた一室。
副官が手紙を読む。
文字を追う目の動きが、仕事のそれだ。
こいつは感情を挟まない。
俺は椅子に寄りかかって、足を机に乗せた。
行儀?ここではそんなもん関係ねぇ。
「……で?」
副官は一拍置いてから淡々と報告する。
「帰ってこられるそうですよ。良かったですね」
俺は口の端を上げる。
「おっ。いいねぇ。拷問は面倒だからな」
副官が呆れた目で俺を見る。慣れてる目だ。
面白味はねぇが、この仕事には向いてる。
「その拷問って言い方、やめてもらえませんか」
「優しく言ったって、やってることは変わんねぇだろうが」
俺はあくびを噛み殺す。
面倒なのは殺す方じゃねぇ。
その前に口を開かせる方だ。
――最初の時を思い出す
◇
あの日は気分が乗らなかった。
いつも通り必要なとこまでやった。
血も出た。骨も鳴ったが、それでも男は吐かなかった。
俺は面倒が嫌いだ。
上が成果を急かすとなおさら嫌いになる。
嬢ちゃんはそこにちょうどよくいた。
本当にそれだけだった。
「やってみるか?」
ただの好奇心。
物は試しだ、っていう軽いノリ。
それともう一つ。
勘だ。
この嬢ちゃんなら、できるんじゃねぇかっていう。
副官は嫌な顔をしたが止めなかった。
あれは止めても無駄だと知ってる顔だった。
整えられた黒髪が揺れる。
貴族の子どもが迷い込んだみたいにも見えた。
目の前には血が至る所に飛び散っているのに、凄惨さを感じてないかのようだった。
あいつはまず、俺を見た。
「……外で待っていただけますか?
怖がらせると、話せることも話せなくなります」
丁寧な口調。
だが、お願いの形をした指示だ。断らせるつもりがない。
俺は笑って、わざと大げさに肩をすくめた。
「お嬢様の仰せのままに」
副官が息を呑んだのが分かった。
俺は副官を連れて外に出た。扉の前に寄りかかって、耳だけを残した。
この場所は防音なんてなっちゃいない。
中で嬢ちゃんが言う。
「初めまして。ご迷惑ならすぐ帰ります。
でも、少しだけ教えてほしいんです。私は……知らないことが多いから」
弱いことを先に出す。
相手が優越感を持つ形を作る。
分かりやすすぎて笑いそうになる。
対象の警戒を少し緩めた気配。
嬢ちゃんは続けた。
「……右手、怪我してます?
その傷、擦れじゃない。刃物ですね。新しい」
余計なことを言うな、と俺は思った。
外したら嘘の種になる。
――でも、男の息が一段浅くなった。
当たってたんだ。
嬢ちゃんは、当てたあとで優しく言う。
「隠さなくていいです。責めに来たんじゃない。
……怖いんでしょう? 誰かが」
沈黙が長くなる。
長い沈黙は、壁越しでも重さが分かる。
「言える範囲でいいんです。
名前じゃなくていい。場所でもいい。癖でもいい。
私が欲しいのは形です。形があれば、こちらで裏を取れます」
形。
裏取り。
この年齢でそれを口にするのがまず異常だ。
男が喉を鳴らした。
そこからは早かった。
断片。曖昧な地名。時間。合図。
ろくに情報と呼べねぇものから始まったのに、
1時間もしないうちに扉が開いた。
嬢ちゃんが出てきて、俺を見上げた。
表情は柔らかい。
……よく出来ましたってか?拷問だぞ?
「終わりました」
そう言って、嬢ちゃんは笑ったし、
その夜には紙を渡してきた。
汚れのない紙。字も綺麗。
内容は今日の男について。
――何を聞いたか。
――何が矛盾するか。
――次にどこを当たるべきか。
――どこに嘘が混じる可能性があるか。
教えてなんかいないのに、体裁も整えて。
上が欲しがる情報も追加して。勝手に作ってきやがった。
余計な飾りがなくて、読みやすい。
だからなおさら、俺は呆れた。
俺はそのまま上に出した。
手を加えるのも面倒だった。
上は当然みたいに言った。
「次もこれで頼むよ」
◇
副官が紙を指先で揃える。折り目まで整える。真面目なやつだな。
「いきなり手紙を書けって言われた時は、何事かと思いましたよ」
「俺が書いたら汚くて、嬢ちゃん読めないかもしれねぇだろ?」
副官が眉を寄せ、ため息を吐く。
「面倒なだけでしょう。
あのお嬢様も、貴族のふりなんてやめればいいんです」
正論。正論は退屈だ。
だがこいつのいい所でもある。
「やめても俺は構わねぇんだがな」
俺は足を組み直す。椅子が少し鳴る。
「契約しちまったからな。
あいつは貴族の端くれって設定で話を通さなきゃならねぇ」
副官が封筒の裏まで確認して、顔を上げた。
「あのお嬢様のこと……どう思ってるんですか」
不意に来た。
こいつ俺にだいぶ慣れて来やがったな。
俺はしばらく黙って、天井を見た。
染みが地図みたいに広がってる。
この壁の中の縮図みてぇだ。汚れて、広がって、誰も拭かねぇ。
「……使える」
俺がそう言うと、副官が眉を動かした。
「それだけですか?」
「それだけで十分だろ」
副官は納得しない顔をした。
俺は椅子に深く沈む。
「嬢ちゃんは頭がいい。
勉強ができるって意味じゃねぇぞ?」
副官が黙る。続きを待つ。
「人を盤面に押し込むんだよ」
副官の目がわずかに細くなる。
嫌な比喩だと思ったんだろう。
正しい反応だ。
「押し込む相手は選んでそうだがな。
誰でも彼でも弄らねぇ。効率でもねぇ」
「――楽しいか楽しくないかだ」
副官が静かに聞いた。
「信用していいんですか?」
信用。
俺は鼻で笑う。
「信用ってのは、裏切らないって意味じゃねぇ。
裏切る時の顔が読めるかどうかだ」
副官が黙る。
黙ったのは、理解したからだ。
俺は続ける。
「……嬢ちゃん自身が、あれを楽しんでたってのが、
まぁ信用してもいいと思った理由だな」
副官が目を伏せた。
あれを楽しむことが怖いのは、こいつも分かってる。
だが。
「俺の夢にも、ありゃ使える」
多少狂ってねぇと、俺の夢にはついてこれねぇ。
副官が小さく息を吐く。
「……そうですね」
俺は笑った。乾いた笑いだ。
「だろ?」