「外、出ようか」
私が言うと、ジャンは一瞬だけ目を泳がせて、頷いた。
食堂のざわつきが遠くに聞こえる。
夜の空気は冷たくて、肺に刺さる。
人気のないところまで歩いて、私は止まる。
ジャンも少し遅れて止まった。
振り返る。
向き合った瞬間、心臓が勝手に鳴り出した。
高い背。思ったより厚い胸板。腕の筋肉が、訓練の疲れを抱えたまま硬そう。
狼狽える顔も、言いたいのに黙る口も。
目を逸らしていた時間分だけ、きっと余計にかっこよく見えてしまっている。
ジャンは今、私を見ている。
それが、どうしようもなく嬉しい。
「それで、どうしたの?」
私はいつもの私を貼り付ける。
貼り付けられる。まだ、できる。
ジャンは息を吸って、吐いて、それでも言葉が出ない。
出ないのに、視線だけは逃げない。
「……っ、だから……」
喉が鳴る。
「俺のこと、避けてんだろ」
「避けてないよ?」
言い切った瞬間、ジャンの眉が跳ねた。
「んなわけねぇだろ!」
声が少し大きい。
怒鳴ってるんじゃない。焦ってる声だ。焦りをごまかすために怒鳴ってる。
「見ねぇし。近づかねぇし。……お前、俺が来ると、空気変えるだろ」
……細かいところを見てる。
妙なところだけ鋭い。
それから、言いにくそうに続ける。
「……フロックと、最近ずっと一緒だろ」
ジャンの視線は分かりやすかった。気にしてくれてるのが嬉しかった。
でも、私は一拍置いて笑いかける。
「気のせいじゃない?」
その言い方が、自分でも雑だと分かった。
雑になった自覚が、もう一段気持ち悪い。
ジャンの頬が強張る。
「……気のせいで、あの日の顔するかよ」
「……あの日?」
「助けた直後の――」
ジャンは言いかけて、
言葉を止めて結局言う。
「……お前、変だった」
変だった、なんて子どもみたいな言葉。
でも、その子どもみたいな言葉が、痛い。
私は微笑む。微笑みを作る。
作っても追いつかない。
「死にかけたからね」
「それだけじゃねぇだろ」
ジャンが一歩、詰める。
詰めて、気づいて、慌てて半歩引く。
近づきたいのに近づけない。自分の動きに自分でビビってる。
「……俺、あん時、」
言葉が詰まる。
詰まったまま、ジャンは視線を落として、拳を握った。
「何かしちまったなら……悪ぃ。けど――」
「けど?」
私が返すと、ジャンは噛みつくみたいに顔を上げた。
「けど、避けるくらいなら言えよ!俺は……」
俺は、で止まる。
止まって、喉仏が上下する。
言いたい言葉で、喉を塞いでる。
……可愛いな。
私の番でも、いいよね。
目を合わせて、口をゆっくりと開く。
「あの時は、助けてくれてありがとう」
ジャンの目が一瞬揺れる。
礼が嬉しいんじゃない。礼で話が終わるのが嫌な顔だ。
「助けて貰った借りを返さなきゃね?」
「……貸し借りとかじゃねぇ」
「それでも、私は助けられたから」
私は一歩近づく。
ジャンの肩が反射で硬くなる。
私は続ける。
「ねぇ、何が欲しい?」
もう一歩。
楽しい。止まらない。止めたくない。
「――ジャン」
名前を呼ぶだけで、ジャンの息は詰まる。
「……やめろ」
小さい声。命令じゃない。懇願だ。
私は距離をそのままに微笑む。
「何を?」
「……その言い方」
ジャンは歯を食いしばって、言葉を絞り出す。
「お前、分かっててやってんだろ」
……ああ。
ジャンは刺さってることを理解してる。理解してるのに、逃げられない。
私は喉の奥が熱い。
「分かってて、やってるよ」
言ってしまった。
言った瞬間、ジャンの手が動いた。
私の肩に手を伸ばす。
でも触れる前に止まった。
制止だ。言い訳。
結局ジャンは手を下ろした。距離も変わらない。
ジャンは苦しそうな顔をする。
「……お前、からかってんだろ」
声が震えている。
そこで止まって、目が迷う。
本当に、こういう所がジャンらしい。
私は笑ってしまった。
笑いは軽くない。薄い笑いだ。
でも多分、私の素の笑い。
手が届く距離。
ジャンの唇薄いな。
――触ったら怒るかな?
……私はどうせミカサの代わりだ。
ジャンがそれに気づく前に、手に入れてしまえば――。
そう思った時には、私の手は既に伸びていた。
「……!?」
触れる直前。
ジャンに手首を掴まれる。
「……止めるんだ?」
私は掴まれたまま、熱にうかされるがまま、ジャンを見つめる。
――もっと触れたい。
これが恋なんでしょ?
もっと知りたい。
私はこれを、知らないから。
ジャンは答えず、掴んだ手首を少しだけ持ち上げた。
持ち上げて、下ろせないみたいに止まる。
「……止めるに決まってんだろ」
声が少しだけ大きくなる。
「お前、分かっててやってるって言ったじゃねぇか」
「……何考えてんだよ。っくそ……」
ジャンの声が詰まる。
私は笑うべきじゃないのに、喉が熱くなる。
「じゃあ、どうすればいいの?」
ジャンの目が揺れる。
揺れて、それでも逸らさない。
「……どうもしねぇ」
吐き捨てたのに、手は離れない。
「どうもしねぇけど――」
ジャンは言いかけて、歯を食いしばる。
言いたいのに言えないのが、顔に出る。
「……俺、どうかしてる」
それだけ言って、ジャンは一瞬だけ視線を落とした。
落として、すぐ戻した。
逃げなかった。
――逃げられなかった。
「……だから、これ以上は」
ジャンの声は、懇願に近い声だった。
私はジャンに掴まれている指を、ゆっくりと外す。
そして空いた場所に、ジャンの指に、自分の指を絡ませていく。
絡まった瞬間、ジャンの肩が跳ねた。
ジャンの指が震える。固まる。
私の指も震えてるのに、後から気づいた。
「……これなら、いい?」
「……っ、よくねぇだろ!」
言いながら、ほどこうとして、ほどけない。
力が全然入ってない。
だからほどかせない。
絡ませた手を、引き寄せる。
そのままジャンの手の甲に、私は唇を寄せる。
チュッ
「……ッ!!」
ジャンの目が見開かれる。
反射のように手が振り払われた。
――すぐに掴まれた。
ジャンの顔が赤い。真っ赤だ。可愛い。
「違うんだ。嫌なわけじゃねぇ。
そうじゃなくて。だぁーー!!クソッ」
私は浮かれている。その自覚があった。
ねぇ。ジャン。
ミカサより私を見てよ。
頭の中を私だけでいっぱいにしてほしい。
他の人なんて入れないで。
――そうだ。逃げられないようにすればいい。囲い込めばいい。私ならできる。
だって逃げられたくない。怖い。
だから、今、決めた。
理性まで狂ってそうだって思考の片隅で思う。
でも、止める気にはならなかった。
手を掴まれたまま、ジャンの手を、また少し引き寄せる。
ジャンの目を見つめる。
喉仏が動いた。ジャンの口が少し開きかける。
――私が先。
手をさらに引き寄せる。
目を見て笑いかける。
記憶に残させる。
この一瞬を。
何度でも思い返して。
私は口を開く。
「――好き」