壁も巨人も、世界は私のために変われ!   作:an-ryuka

18 / 87
――前話の続き


18.ジャン視点

 

――ジラが言う。

 

「――好き」

 

その一言で、全部止まった。

 

風の音が消えた。

食堂のざわめきも、遠い。

俺の鼓動だけが、耳の内側で暴れる。

 

好き?

何が?

俺が?

本気か?

冗談か?

また遊びか?

 

――いや。

今の目は、遊びじゃない。

 

それが怖い。

 

怖くて、腹が立った。

腹が立って、口が開いた。

 

「……ふざけんな」

 

声が低い。

自分でも驚くくらい低かった。

 

ジラが笑わない。

瞬きもしない。

逃げない。

 

俺の中で、もう一段怖さが増えた。

逃げてくれたら、俺は楽だったのに。

 

「……やめろ。そういうの」

 

指がほどけない。力が入らない。

それが怖くて、俺は強く振りほどいた。

 

今度はほどけた。

ほどけた瞬間、指先が冷えていく。

 

「……やめろよ。俺、そういうの……受け止めらんねぇ」

 

受け止められない。

本当は受け止めたい。

でも受け止めたら、俺の人生が変わる。

俺はそれを選ぶほど強くない。

 

だから、こうするしかなかった。

 

「……俺は、遊びに付き合う気ねぇ」

 

言った瞬間、最悪だと思った。

遊びって決めつけたのは、ジラを守るためじゃない。

俺が傷つきたくないからだ。

 

俺は一歩引いた。

風が一段冷たくなった気がした。

 

ジラの顔が読めない。

読めないのが怖い。

怖いから、俺は続けてしまう。

 

「……それに、俺は……」

 

ミカサが――。

 

言いかけて止めた。

もう違う。分かってんだろ。俺。

 

俺は口を荒くする。

 

「……とにかく、やめろ。もう」

 

言い切って、背を向けた。

 

頭を冷やせ。

からかわれてる。分かってる。ジラはそういう奴だろ。

 

歩き出す。

足が重い。

膝が笑いそうになる。

 

背中に視線が刺さる気がした。

振り返りたい。

振り返ったら終わる。

 

俺は振り返らないまま、食堂へ戻った。

 

 

 

俺は入口で一瞬だけ立ち止まって、息を整えた。

整わない。喉が乾いてる。唇も。

 

止めなかったら、キスされてた。そんな距離だった。

 

 

――普通の顔。普通の歩き方。

そう思って歩く。

 

当然みたいに見つかった。

 

「おっ、帰ってきた!」

 

コニーが真っ先に立ち上がって、肩を叩こうとしてくる。

俺は半身で避けた。

 

「……うるせぇ」

 

声が低い。自分で分かる。

低くなるのは、落ち着いてるからじゃない。逆だ。

 

ライナーが眉を寄せる。

何を気づいたのか視線だけは妙に鋭い。

 

「で?どうだった?話せたか?」

 

話せた?話せたって言うのか?

あれは。

俺は元の席に腰を下ろした。

下ろした瞬間、膝が笑ってるのが分かった。腹立つ。

 

「おいおい、顔赤いぞ」

 

コニーが嬉しそうに言う。

嬉しそうに言うな。殺すぞ。

 

「外寒かっただけだ」

 

即答。

言い切ったのに、声が少し掠れた。止めろ。

 

「寒かっただけでその顔になるかよ」

 

「……無理に言わせなくても」

 

遅い。優しい。

優しいのが今は鬱陶しい。

 

俺はパンを掴んで、無理に口に入れた。

噛む。味がしない。

飲み込むのに時間がかかる。喉が狭い。

 

「で? ジラはどうだったんだ?」

 

コニーが畳みかけてくる。

 

「……別に」

 

「別に、って」

 

マルコが言い直すみたいに首を傾げた。

 

「うまくいかなかった、ってこと?」

 

うまくいかなかった。

その言葉が、俺の腹の底を冷やした。

――うまく、いくとか、いかないとか。

 

「……知らねぇよ!」

 

俺は強く言いすぎて、すぐに後悔した。

後悔したのに、引っ込められない。

 

ライナーが肩をすくめる。

 

「……まあ、いいさ。お前が言いたくないならな」

 

言いたくない。

言いたくないんじゃない。言えない。

 

コニーがまた余計なことを言う。

 

「なんだよ。キスでもされたか?」

 

――心臓が跳ねた。

 

跳ねた瞬間、ライナーがコニーの後頭部を小突いた。

 

「黙ってろ、馬鹿」

 

――キスじゃねぇ。

 

「……何もねぇよ」

 

俺は吐き捨てた。

吐き捨てたのに、手の甲が熱い気がした。

ジラの唇の感触が蘇って、頭を振った。

 

ライナーが俺を見逃さない目で見てる。

 

「……ジャン。お前、今夜はもう寝ろ」

 

命令じゃなくて、退避。

それが余計に腹立つ。優しさが腹立つ。

 

「寝れるかよ」

 

言い返しながらも立ち上がる。

椅子が鳴る。やけに大きい音。

 

マルコが慌てて言う。

 

「ジャン、待って。僕ら、からかうつもりじゃ――」

 

「分かってる」

 

分かってない。

でも分かってるって言わないと、俺がガキになる。

 

 

歩き出すと背中で、コニーが小さく言うのが聞こえた。

「え、マジで何あったんだよ……」

 

ライナーの声が続く。

「……ほっとけ。今は追うな」

 

 

俺は食堂を出ようとして、視線が勝手に探す。

 

――ジラ。

 

どこにもいない。

いないのに、目が探す。

 

フロックと目が合う。

俺は瞬間目をそらす。

 

俺は唇の内側を噛んだ。

味がしないはずの口に、鉄の味が広がった。

 

 

 

男子部屋に戻ると、まだ人はまばらだった。

俺は自分の寝台に潜り込んで、カーテンを乱暴に引いた。

 

布が落ちる音で、世界が少しだけ狭くなる。

喧騒が遠のいたはずなのに、心臓だけがまだ外で暴れている。

 

俺は背中を壁に預けて、息を吐いた。

何も軽くならない。

喉が乾いて、舌がざらつく。

 

制服のまま寝転ぶ。脱ぐ気にもならない。

 

手が、勝手に視界に入った。

 

右手の甲。

さっき、そこに――

 

「……」

 

思い出そうとした瞬間、胸の奥が嫌な音を立てた。

熱い。腹が立つ。焦る。全部いっぺんに来る。

 

ジャンは歯を食いしばって、手を握りしめた。

 

(違う。何もねぇ。あれは、ただ――)

 

ただ、なんだ。

言い訳が形にならないまま、指先がほどける。

 

手の甲が、妙に白い。

そこだけ、空気の温度が違う気がする。馬鹿みたいに。

 

「クソ……」

 

吐き捨てて、顔を背ける。

 

背けたのに、手が動いた。

 

自分の意志じゃないみたいに、手の甲が口元へ上がってくる。

その動きに気づいて、俺は一瞬止めた。

 

止めたくせに、止めきれない。

 

唇が触れる直前で、ためらう。

触れたら終わる。

触れたら、認めることになる。

 

「……は?」

 

自分にキレるみたいな声が漏れた。

何やってんだ、俺。誰だよ、今の俺。

 

でも、もう遅い。

 

唇が、手の甲にかすった。

 

ほんの一瞬。

キスって言うほどでもない。ただの接触。

触れただけなのに、頭の中がじわっと騒がしくなる。

 

ジャンは勢いよく手を引っ込めた。

 

「……っ、何してんだ、俺」

 

低い声で吐き出す。怒鳴るほどじゃない。怒鳴ったら誰かに聞かれる。

聞かれたくない。絶対に。

 

手を見つめる。

手の甲が変わったわけじゃない。何もついてない。跡もない。

 

なのに、そこにある。

 

思い出す。

 

指が絡まった感触。

近い息。

自分の手が掴まれたまま、ほどけなくなった瞬間。

手の甲に落ちた、軽い音。

 

チュッ。

 

「……っ」

 

喉の奥が詰まる。

ジャンは乱暴に髪を掻いた。爪が頭皮に引っかかる。

 

(遊びだ。あいつの。俺は……)

 

俺は、何だ。

 

ジラは、近い。

触れた。触れられた。熱がある。

 

ずるい。怖い。

 

ジャンは立ち上がって、部屋を二歩だけ歩いて、また戻る。

自分の足音がうるさい。

 

「寝ろ。寝ろ。寝ろ」

 

言い聞かせるみたいに呟く。

ベッドに倒れ込む。顔を枕に押しつける。

 

――なのに。

 

口の端が、勝手に手の甲の感覚を探す。

 

ジャンは顔を上げて、しばらく天井を睨んだ。

睨んでも、消えない。

 

「……クソ」

 

もう一回だけ。

確認するだけ。

そう言い訳を作って、手を持ち上げる。

 

今度は、さっきより迷わない。

迷わないのが、もっと最悪だ。

 

手の甲を口に当てて、今度は少しだけ長く触れた。

 

温度が、戻る。

戻った気がする。

その錯覚が、気持ち悪いくらい安心を連れてくる。

 

すぐ離す。

離した瞬間、胃が縮む。

 

「……俺、どうかしてる」

 

声が震えた。

情けない。情けなくて、腹が立つ。

 

ジャンは手を握りしめて、布団の中に押し込んだ。

手を隠すみたいに、胸の下へ。逃げ場を作るみたいに。

 

目を閉じる。

 

閉じても、あいつの声が残ってる。

 

――好き。

 

「……言うなよ、あんなの」

 

誰もいないのに、誰かに文句を言うみたいに呟いて、

ジャンはようやく、浅い息をひとつ吐いた。

 

カーテンは閉まってる。

その外から、ざわめきが戻ってきた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。