私は、気持ちを落ち着かせてから食堂へと向かった。
食堂は遅い組だけがだらだら座って、話題だけが惰性で回っていた。
ジャンは、まだいた。
数人と話している。輪の中心じゃない。
端で、相槌だけが多い。
目が合った瞬間、視線を逸らされた。
……うん。可愛い。
アニはもう食べ終わって立ち上がっていた。背中だけ見えて、そのまま出ていく。
ミカサたちはいない。フロックもいない。
私は少しだけ迷って、ひとりで食べることにした。
トレーを持って、空いている席へ。
椅子が小さく鳴る。その音だけがやけに正直だ。
スープはぬるい。パンは乾いている。いつも通り。
それでも胃に入れれば、頭が少しだけ整う。
食べながらでも、視線は自然とジャンへ向かう。
見ているだけで、どこか気分がいい。
しかも彼は、ときどき耐えられないみたいにこっちを見る。
見て、すぐ逸らす。
逸らして、また見て、逸らす。
そういうところ。
私は顔がにやけないように気をつける。
パンをちぎって食べると、思考が勝手に回る。
アニのお願いごとの期限は、明示されなかった。
いつまでに、と言わないのは、余裕があるからじゃない。
期限が口にできない形だから。
危険度の指標を仮で置く。
……次の休みに、ケニーと話そうかな。
中央。
血筋。
国が守る人間。
その周りの貴族。
血筋……継承条件でもあるのかな。
だとすると、他人には継承できない気もする。
ケニーはどこまで知ってるんだろう。
どこまで知ってるふりをしてるんだろう。
少しずつ。
それぞれの立場で知っていることと知らないこと、仮説が混ざり合っている。
全部を信じるのは愚かで、全部を疑うのはもっと愚かだ。
そこまで考えたところで、口の中のパンがぱさついて、少し咳きそうになった。
スープで流し込む。ぬるい。
不意に、視界の端が影になる。
「……ジラ、おい!」
呼ばれて、反射で肩が跳ねた。
「えっ……あ、ジャン」
目の前にジャンがいた。
さっきまでの輪から抜けてきたらしい。
息がほんの少し早い。急いできたみたいに。
「……何ぼーっとしてんだよ」
責める口調なのに、目が責めてない。
心配の目。
心臓が勝手に跳ねた。
私は一瞬目を逸らして、また合わせた。
落ち着かない。でも、そのままでいいや。
「んー……ジャンのこと考えてたよ?」
軽く言ってみせる。
本当のことを言うより、この反応の方が見たいから。
「……嘘だろ」
真面目な顔で、困ったみたいに眉が寄る。
あぁ。そうなるのね。
私がいじらずにいると、ジャンは勝手に自分で悩む。
可愛いなぁ。
……可愛いけど、危ない。
私の脳が全部ジャンのために動き始めるのがわかる。
「どうしたの?」
私は声を柔らかくする。
ジャンは、座るでも立つでもなく、私の前で止まったまま、言葉を探すみたいに口を開いて閉じる。
「……変なこと、考えてねぇよな?」
ジャンが言った。
ぶっきらぼうに言って、すぐに視線が揺れる。
揺れて、でも逸らさない。
……へぇ。
私はスプーンを置いて、わざと小さく首を傾げた。
まだ顔に出てたかな?
「変なことって?」
「……分かんねぇよ。お前の考えてることなんて」
頭には思い描いてることがあるのかもしれない。
でも、言葉にできない。
言葉にしたら現実になるから。
ジャンはそういうところで、すごく真面目よね。
私は笑ってしまいそうになるのを飲み込む。
――いっそ、私が殺したっていい。
その考えがバレたのかと思った。そんなわけないのに。
笑ったら、彼は引く。
今は引かせたくない。
「大丈夫よ」
私は、嘘みたいに優しい声で言った。
バレたくないことは、演技で覆い尽くせばいい。
「ぼーっとしてただけ」
「それに……ジャンが来たから、もう戻った」
ジャンの目が一瞬だけ揺れる。
嬉しいのか、怖いのか、どっちか分からない揺れ。
私はテーブルを指で軽く叩く。
「座る?」
ジャンは一拍遅れて、ため息をついた。
「……お前、ほんと……」
文句の形をした降伏。
そして、逃げ道を作るみたいに、視線を横へやってから、隣の椅子へと座る。
私はスプーンを取り直す。
食事を再開するふりをしながら、横目でジャンを見た。
ジャンは口を開いて、閉じた。
喉仏が上下する。
それから、困ったように眉根を寄せて、短く言う。
「……調査兵団、行くのか」
空気が一瞬、止まった気がした。
ああ。
あの時の、これだったのね。
フロックの鼻で笑った顔。
対人格闘で負けたあと、わざとフロックがジャンに、刺すように言った言葉。
――「知ってるか? ジラ、調査兵団行くらしいぞ」
私はスープを見たまま、ゆっくり頷いた。
「そうね。行くわ」
ジャンの顔が少し歪む。
歪むのは、嫉妬でも怒りでもなく――。
心配。
失う想像を勝手にして、勝手に苦しくなるやつ。
「……なんでだよ」
低い声。
責めてないのに、責めてるみたいに聞こえる声。
私は、笑ってしまいそうになって、喉の奥で止めた。
笑ったら、ジャンはもっと真剣になる。
「面白そうだから」
「ふざけんな」
怒鳴る一歩手前。
でも目は怒ってない。目が、怖がってる。
「面白いとか、そういうことじゃ――」
ジャンは言いかけて、飲み込んだ。
死ぬって言葉を、飲み込んだ顔だった。
私はスプーンを置いた。
音が小さく鳴る。
「ジャン」
名前を呼ぶと、ジャンの肩が僅かに跳ねた。
まだこれが効くの、面白い。
でも今は、からかわない。
「私、死ぬかもしれない場所が好きなの」
ジャンの目が見開かれる。
言葉が出ない顔。
出ないまま、唇が少し震える。
私は続ける。淡々と。
「この壁の中は、綺麗でつまらない」
ジャンの眉が寄る。理解できない、というより、理解したくない顔。
「……お前、ほんとに変だ」
「知ってる」
返した瞬間、ジャンが机に手をついた。
私のトレーの横。
距離が縮む。
近い。
近いと、また頭が変になる。
「……じゃあ」
ジャンの声が、少しだけ弱くなる。
「……なんで、俺には言わなかった」
それ、嫉妬かな?
フロックには言って、俺には言わないのかって。
……嬉しいのだけれど、どうしようか。
私は視線を逸らした。ほんの一瞬。
「……ジラ」
ジャンが私の名前を呼ぶ。
さっきより静かな声で。
「俺、……」
そこまで言った後、イラついたように拳を強く握る。
「だーもう。ムカつく!
とりあえず嫌なんだよ!!
分かれよ!!」
私は軽く笑ってしまった。
少しだけ熱が混じる笑い。
「嫌って言われても、変えないよ?」
私は私に言いきかせる。
そうしないと、意志が折れてしまいそうだから。
折れて、安穏に過ごすなんて、私は嫌だ。
「……でも」
言葉が勝手に漏れた。
「でも、ジャンがそういう顔するのは、ちょっと嬉しい」
言った瞬間、ジャンの目が揺れた。
怒るべきか、安心するべきか、分からない揺れ。
「……お前」
ジャンは頭を抱えそうな顔で、でも抱えない。
逃げるくせに、逃げきれない。
「何考えてんだよ……」
私は首を傾げて笑う。
――言わない。言うわけがない。
少しだけ素を出して、微笑む。
なにも変なことはないって。ジャンがそう思えるように。
「……で、どうしたの? 本題はある?」
ジャンは一拍置いて、ようやく言った。
「……心配になっただけだ」
それだけ。
それだけなのに、妙に重い。
私は笑って頷いた。
「そっか。ありがと」