――ありがと。
「……それ。やめろ」
「……え?」
私が反応するより先に、ジャンは続ける。
「フロックには言って、俺には言わねぇ。
……今さらそんな顔すんな」
「……俺、あいつ嫌いなんだよ。お前の隣にいるの、腹立つ」
ジャンはそう言い切った。耳が赤い。
自分で言って自分で恥ずかしくなったように、そのまま視線を横に逃がした。
「……だから」
なのに。
また真っ直ぐに私を見る。
「ちゃんと、俺にも言え。危ねぇこと」
私は目をそらさない。そらせない。
ジャンの瞳が私を映す。
困ったような、でも真剣な表情。
心臓がおかしい。
……だから、私こういうの、苦手なんだって。
「……っ」
声が詰まる。
何を言いたいか、言葉が出てこない。
危ないことを言えって?
絶対に引かれるじゃん。
――嫌われる。
言えるわけが無い。
私の考えてることなんて、人に言えるものの方が少ないんだ。
言えるわけが無い。
手が震えた、気がした。
ジャンは、ほんの僅かに目を見開いた。
言い過ぎたとでも言うように。
私は視線を落とす。
意味もなく手を握ると、ジャンの影が焦るように少し動いた。
「……ちがう」
声が低い。さっきの刺す低さじゃない。落とす低さ。
「責めてるとか、そういうんじゃねぇ」
「危ねぇことは……せめて、言えよ」
命令になりきれない言葉。
――私の思考のほとんど全部、ジャンからしたら危ない枠にならないかな。
そう考えたら少し、心の中では笑ってしまった。
視線を戻す。
雑に笑う。取り繕うのはやめておこう。
「……私の事、知りたいの?」
ジャンは、その一言で固まった。
一拍、口が開いて閉じる。
言い返したいのに、言い返し方が見つからない顔。
「……っ、ちげぇよ」
即答。声が裏返りそうで、ギリギリ耐えた声。
でも否定したくせに、視線は逸らさない。
さっきまで横に逃げてた目が、今は逃げない。
「……知りたいとか、そういうのじゃなくて」
言いながら、ジャンの喉仏が上下する。
「いや……ちょっとは、知りたいけど」
ぼそっと漏れた。
言った瞬間、ジャンの耳がさらに赤くなる。
「……でもそれより」
言い直す。
机の縁を指で掴む。力が入って、木がきしむ。
「お前が、勝手に決めて勝手に突っ込んで……勝手に死ぬのが」
そこで、言葉が一瞬だけ止まる。
その言葉を出した自分に腹が立ったみたいに、唇を噛む。
「……嫌なんだよ」
小さい声。
でも、さっきまでで一番まっすぐな声。
ジャンは息を吐いて、吐いたまま言った。
「お前の頭の中、全部教えろとか言ってねぇ」
「……言えねぇなら、言えねぇでいい。けど」
一歩、近づきかけて、止まる。
近づくのが怖いくせに、離れるのも嫌な動き。
「危ない時は、俺にだけでも合図しろ」
合図、って言い方がジャンらしい。
カッコつけじゃない。現実的で、情けないほど必死。
ジャンは、ちらっと周りを見た。
もう私たち以外には誰もいなかった。
私たちを残して出ていったらしい。時間も遅い。
ジャンは少しだけ声を落とした。
「……俺、お前が何考えてるか分かんねぇのが、怖い」
言ったあと、ジャンは顔をしかめた。
でも撤回しない。
「……笑うなよ」
最後だけ、雑に。
雑に言って、誤魔化して、でも目は逸らさないまま。
――幸せだな。
今、私は恋をしている。
好きな人に、こんなに思いを向けてもらえてる。
もう、全部投げ出してもいいやって気分だ。
――理性が囁く。
これは今だけだ。
……私は、同じものをずっと好きでいられる自信がない。
今のために全て投げ出したとして、後悔するのは私だ。
分かってる。
だから、私は選べない。
持ったまま、進むだけ。
――盤面は私が作る。
1つ壊れたら、次を上手くやればいいだけ。
だから私は動けると、私は知っている。
私はとうに保ててない顔でジャンを見る。
――好き。
でも言ったらまた、逃げちゃうかな。
言いたいな。
触れたいな。
溢れ出そうな言葉を抑えて、なんとか口に出す。
「……今考えてること、……言ってもいい?」
ジャンは、その問いを聞いた瞬間に、息を止めた。
「言うな」
反射みたいに出た強い声。
でも、すぐに眉を寄せた。
「……いや、言うなじゃねぇな」
言い直す。乱暴に。
乱暴に言い直して、でも声の端が少し震えてる。
ジャンは視線を落として、机の縁から手を離した。
代わりに、自分の太ももを握って、力を逃がす。
「……そんなの、聞くなよ」
責めるみたいに言って、責めきれない。
言葉が途中で弱くなる。
「……言うなら、言え」
言った瞬間、ジャンの喉仏が上下した。
覚悟を決めたふり。決めきれてない顔。
それでも、逃げない。
「ただ……」
ジャンは顔を上げる。
目が合う。合ったまま、ほんの一瞬だけ怯えたみたいになる。
「俺、また逃げるかもしれねぇ」
正直すぎて、腹が立った顔をして、でも続けた。
「……逃げたくねぇけど」
拳が小さく震える。
それを隠すみたいに、ジャンは指を組み直す。
私は手が動きそうになって、理性で止めた。
震えるジャンの手に、自分の手を重ねたい。
距離を縮めて、そのままジャンの熱を感じたい。
この前止められた、薄い唇に、触れてみたい。
本人だって逃げたくないって言ってる。
縛りつければいいんだろうか?
どうしたら私の手の内に落ちてくれる?
なんで私はこんなに我慢してるの?
――嫌われたくないから。
残り少ない理性で私は考える。
そして、ゆっくりと、手のひらをジャンへと向ける。
私からは触らない。
「……手、繋ぎたいな。ダメ?」
私は、今の気持ちをそのまま顔に乗せて微笑む。
「繋いでくれたら、一つだけ私の事、答えてあげる。
本当のこと。誰にも言ってないこと」
ジャンは、差し出された私の手を見る。
息を飲む。
「……取引みてぇにすんなよ」
低い声。文句の形。
なのに目は、手から離れない。
「ダメって言ったら、どうすんだよ」
そう言いながら、ジャンは指を伸ばした。
伸ばして、途中で一瞬止まって、結局そのまま掴んだ。掴んでくれた。
温い。
温度が、掌に直で入ってくる。
少し、掴む力が強いのも、好き。
ジャンは掴む力が強すぎたのに気づいて、すぐに少しだけ緩めた。
緩めても、離さない。
「……一つだけ、か」
ジャンの唇が動く。声が掠れる。
息を吸った。
吸って、吐いて、それでも言葉が出るのが遅い。
「……俺を、使ってんじゃねぇよな」
言った瞬間、ジャンの耳が赤くなる。
でも言葉は止まらない。
「……からかってるとかじゃないんだよな」
ジャンは噛む。
「ちゃんと、俺を見て言ってんのか」
それでも、私を見る。
少し、躊躇って、それでも口に出す。
「なんで、――俺なんだよ」
握った手に、また力が込められた。