訓練兵団に入ってから、しばらく経った休暇だった。
休暇と言っても、体が軽くなるわけじゃない。筋肉痛は居座るし、擦り傷は痒い。
それでも、みんなの顔は少しだけ緩んでいた。
緩んだ顔は、口も緩む。
そして口が緩むと、地元の話が始まる。
「帰ったら母ちゃんがさ」
「畑の手伝いしろって言われてんだ」
「川の匂いが恋しい」
地元がある人間は明るい。
地元に帰れない人間とは、自然と空気が別れていた。
私は帰る場所がある方へと混ざる。
そういう設定だから。
「ジラってどこ出身だったっけ?」
クリスタが覗き込むように聞く。
顔が近い。距離の取り方が素直だった。
……いい子ちゃんは嫌いじゃない。使いやすいから。
「南の方。リース地区ってとこ」
息を吸うのと同じくらい自然に嘘が出る。
それくらい嘘は私の生活だった。
「あー……あの金持ちが住んでるとこか……」
声が刺さった。
問題はこっちだ。
――ユミル。
ユミルは壁に寄りかかって、笑っているでもなく、機嫌がいいでもなく、ただ面倒臭そうに私を見た。
「なんでそんなやつが、こんな汗だくになってまで訓練してるんだ?」
嘲笑うように言う。平気で見下す。
金持ち全般が気に入らないのか。
それとも、別の何かが気に入らないのか。
「ちょっと、ユミル! そんな喧嘩売るようなこと言わないで!」
クリスタが慌てて止める。
止め方まで優しい。
「怒った顔も可愛いなぁ、クリスタは」
ユミルはさらっと流す。
……これも恋愛なのか?
私に喧嘩を売ってくるのは性格で、本人的にはどうでもいいのかもしれない。
私はユミルを見る。
体格、姿勢、目の動き。衝突を怖がっていない。
じゃあ、正面から行こうかな。
「……ユミル」
「なんだよ」
「私って貴族っぽいかな?」
首を傾げる。
意図して、クリスタの動作を真似る。
どうだろう? 可愛いか?
ユミルの顔が一瞬で崩れた。嫌なものでも見たみたいに。
「あー……私が悪かったよ。
貴族様には見えないから、それ辞めてくれ。虫唾が走る」
即答。しかも本気。
面白い。ここまで露骨に拒否するのは珍しい。
「似てなかった?」
「天と地ほど違う。
もちろんクリスタは天だ。むしろ天使だ!」
「ユミルったら……」
クリスタが困ったように笑う。
困った笑いでも綺麗に見えるのは才能だと思う。
「ごめんねジラ? 気分悪くしてない?」
私は肩をすくめる。
「面白かったからいいよ。二人は帰るの?」
声の調子は軽く。
世間話の一環みたいに。
でも目は逃がさない。
情報は多いほどいい。
帰省は、情報の塊だ。地名、経路、家族構成、財産、恨み、秘密。
帰るという行為は、それ自体が地図を描く。
「私はね。孤児院手伝わなきゃ。農場しかないんだけどね」
「……ユミルってば、教えてくれないの」
クリスタがユミルを見上げる。
見上げる目は信頼している。
しばらく生活すればおおよその人となりは分かる。
「出身なんてどうでもいいだろ? 私はクリスタについてくんだよ」
言い切る。
出身地を言えない人間はいる。言いたくない人間もいる。
でも、どうでもいいと言い切るのは、それだけでいくつかの選択肢が減る。
話題を消す癖だ。消したい理由があるらしい。
「ユミルが来るのは嬉しいけど……」
クリスタが少しだけ困る。
困るというより、申し訳なさが先に立つ顔。
ユミルは気にせずに、クリスタへと寄りかかった。
「ならいいだろ?な?」
私はそんな2人をみて笑う。柔らかく。
「……仲良いね」
それ以上は聞かない。
聞かないことで、相手に私に踏み込まれていないと思わせる。
安心させる。
油断するまで待つだけだ。急を要するものじゃない。
ユミル。
――ユミルの民。
関係ないかもしれないし、あるかもしれない。
そう思う程度には珍しい名前。
加えて出身地不明。
……貴族嫌い、じゃないのかも。
疚しいことがあるから近づきたくない、かもしれない。
私は頭の中で推測を回しながら、適当に会話を合わせた。
クリスタが話す地元の祭り、干し草の匂い、冬の手の荒れ。
ユミルはそれを茶化して、でも結局、隣にいる。
「ジラは、帰るんだろ?」
ユミルがふいに私に聞く。
声は軽い。目は軽くない。
「そうだね。
帰ってくるように言われてるから」
「へぇ。貴族街の子は大変だな」
私は笑う。
それが私だと言うように。
◇
その日、私は帰った。
10年間住んだ屋敷じゃない。
“ジラ”の家。
まぁ、家じゃないけれど。
私の出身地。
私の名前。
私の経歴。
生い立ち。
全て作り物。
それを作ってくれた人の元へと急ぐ。
兵団へと提出した書類上では、私は純東洋人のxxxではない。
貴族街のリース地区出身。少し裕福な家庭育ち。
訓練兵団に志願するだけの変わり者。
ジラヴェラ=ジェネリンド。
本名なんて誰も覚えてない。
身分は買える。
少なくとも私は買った。
名簿も、出生も、関係も。
――対価は頭脳。
自分の使い方を、私は自分で選んだ。
「ただいま戻りました」