ジラ訓練兵団から消えて1週間、いや、2週間か?
そのくらい経った。
教官は家の諸用だと言っていた。
周りは貴族だからと納得していた。
……あいつは貴族じゃねぇんだろ。何しに帰ってんだよ。
――飼われてただけ。
――誰にも、言わないでね?
頭にちらつく。
律儀に守る必要なんてない。分かってんのに俺は誰にも、言う気にならない。
「フロック・フォルスター」
「……はい?」
俺は手紙を受け取る。
手紙なんて滅多に来ない。何かあったか?
「珍しいな。誰からだ?」
隣のヤツが覗き込む。
俺は開けようとして、頭に一瞬よぎった。
――読みたいんでしょう?
手に持った手紙が、
あの時ジラが持ってた紙と、同じ、に見えた。
俺は懐に雑に閉まって、誰もいないところでそれを開けた。
日付と時間。それと。
――少しだけ、時間貰えないかしら。
――誰にも言わないでね?
ジラの字で書かれた手紙だった。
◇
深夜。俺はわざわざ男子部屋を抜け出して、指定の場所に居た。
人の気配が無い壁に寄りかかる。
ジラに目線を向ける。
「……さっさと終わらせろよ」
待ってたわけじゃない顔を作ってるが、待ってたのは事実だ。腹立つ。
……でも、来ない方が負けだろ。あれは。
「んー。フロック次第かな」
ジラは笑って言う。
軽い。軽いふりしてるだけだ。こいつが軽いわけがあるか。
こいつは中央に戻っていた。わざわざ俺に会いに戻ってくる訳がない。
しかも、隠れるようにこんな深夜に呼び出して。
ただ。
――ジャンは、知らない。
それにどこか優越が湧く。
「……何の用だ。
俺だって暇じゃないんだが」
声だけはいつもの調子で棘を投げる。
帰る気があるならそもそも来てない。
ここにいる時点で、俺は何か期待してる。
「……うん。手伝ってほしくて」
わざとらしく言い淀む。
嘘くさい。呼び出した時点で、こいつは逃がす気なんかない。
「何を?」
先に詰める。
優しくしたら、こいつはどこまでも踏み込んでくる。
それくらいは分かってる。
ジラが一拍飲み込む。
目が一瞬揺れた。
「――これからの、私の計画の全部。……かな?」
言い切ってから、目を逸らした。
逸らしたのに、引く気はゼロだ。
すぐに視線は戻ってきた。
喉の奥がひりつく。
ああ、そういうやつかよ。
「……はぁ?」
思わず笑いが出る。
汚い笑いだって自分でも分かる。でも止まらない。
「お前、俺を何だと思ってんだよ」
怒鳴らない。
怒鳴ったら負ける気がした。
「全部? 計画、全部だ?」
馬鹿にしてる声のはずなのに、妙に荒れる。
感情が混ざるのが、自分で分かってさらに腹立つ。
「――お前。俺のこと、舐めてるだろ」
便利に使える駒だとでも思われてんのか?
思ってそうだな。貴族様だもんな。
……いや、貴族じゃないんだったか。
ジラが目を上げる。
「……舐めてるっていうか」
苦笑。
嫌な予感がした。
「甘えてる、のが近い……かな」
頭の中が一瞬止まった。
「……は?」
間抜けな声が出る。
指が無意識に壁を掴む。
分かる。
意味は、分かるが、……は?
「……誰が。お前が?」
ジラは笑った。
あっさり笑った。
俺の混乱が、面白いって言う笑いだろ。
バカにしやがって。
「私に直接反論してくれる人って少ないんだ」
反論。
そう言えば聞こえがいい。
俺は反論してるんじゃない。噛みついてるだけだ。
でもこいつは、その噛みつきを欲しがってる。
ジラは続けた。
「馬鹿にして、罵って。それでも隣に居させてくれた」
「私が何しても呆れるだけ。嫌わない」
……おい。
勝手に決めんな。
嫌わない?
俺が嫌うか嫌わないかは、俺が決める。
言い返したいのに、言葉が出ない。
出る前に、心臓が先に動く。
俺は自分の身体が嫌いだ。裏切る。
ジラの声が、少しだけ落ちた。
「……フロックは、私だけの味方でいてくれるって、そう思っちゃってるんだよね。私」
胸の奥が、ぞわついた。
味方。
その言葉は、軽い。
軽いのに、なんで重いんだよ。
俺は、焦って口を開いた。
なんでもいい。流されるな。
「……いやいや。
ジャンはどうした。ミカサはどうした」
言った瞬間、自分でも分かる。
俺は、こいつをジャンの側に戻したいんじゃない。
こいつが俺を使うって状況を回避したいだけだ。
ジラは目を逸らした。
逸らし方が、さっきより本物っぽい。
……そこだけ、少しだけ、――ジラが弱く見えた。
「二人とも、いい人すぎるのよ」
いい人。
だから嫌。
そういう言い方。
「私は、あの人たちといると……」
「私じゃなくなってく気がする」
俺は一歩引きそうになって、踏ん張った。
こいつは今、自分の弱点を話してる。
――罠だ。そうに決まってる。
だって、ジラだぞ?
でも、俺は罠だと分かってても、目を離せない。
ジラは、俺に視線を戻して笑った。
鼻で笑うように。
「フロックは、私が世界の敵になったって、
一緒に世界の敵になってくれるかなって」
世界の敵。
言葉がでかい。
でかい言葉は、凡人を酔わせる。俺みたいな、普通のやつに。
効くって分かって言ってんだろ。
ジラは、困ったみたいに笑って、軽く続けた。
首を傾げる。俺を見上げる。
「――ねぇ、なってよ?」
……息が止まった。
冗談だろ?
冗談で言ってるなら、笑って流せる。
でも、こいつの目は冗談じゃない。
本気を冗談みたいな顔で言う。
それが一番たちが悪い。
しばらく、時間が変に伸びた。
伸びたまま、俺の中で何かが固まっていく。
――こいつ、危険だ。
自分から死にに行ってるだろ。
死ぬだろ。……怖くねぇのかよ。
「――お前は、何する気だ」
ジラは俺を見た。
笑った。楽しそうに。
「私のために、世界を変えるの」
「張りぼての世界の枠組みを壊して、本物を見せるだけよ」
ジラは続けて、はっきり言った。
「私は、考え無しの共感者なんていらない」
「自分で考えて」
「それでも、私を選んで」
――何様だ。
鼻で笑う。
笑わないと、飲まれる。
「俺は俺だろ。
今まで通りで、別にいいだろうが」
ジラは口を尖らせた。
不機嫌を隠さない。
隠さないのが、逆に計算に見える。
「味方にならないなら要らないのだけれど」
さらっと言う。
人を切る言葉を、そんな簡単に使うな。
苛立った俺が反応する前に、ジラは続けた。
「……って言っても、これだと平等じゃないか」
「……私は、私だけの味方が欲しいの」
私だけ。
俺は、そこでやっと理解した。
こいつは味方が欲しいんじゃない。
――所有したいんだ。
ジャンに向けてた熱と同じ。
いや、もっと厄介なやつ。
ジラが、また少しだけ首を傾げた。
「フロックは、その見返りに、私に何を求める?」
俺の眉がぴくりと動く。
契約の話にしたいのか。
俺は一歩、前に出た。
言葉はまとまらない。
それでも何も言わなければ流される。
「……要るなら要る。要らねぇなら要らねぇ。
どっちかにしろ」
言葉を強くする。
強くしないと、こいつは境界を踏み越えてくる。
ジラの口角が、ほんの一瞬だけ消えた。
――条件を出されるのが嫌いなんだろ。こいつは。
それでも続ける。
「俺を途中で都合よく変えるな」
「あと、嘘つくな。俺にだけは」
俺にだけは。
それが弱音だってバレたくなくて、俺は睨みを強くした。
俺は、叩きつけるように言葉をぶつける。
――いや、こぼれた。
「俺を見ろ。それが見返りだ」
言った瞬間、腹の底がむず痒くなった。
……なんで俺が、こんなこと言ってんだ。
でも、自分でも驚くくらい、素直な言葉だった。
だから苛つく。さらに睨む。
ジラは一瞬目を見開いて、その後笑った。
でも、いつもの遊びの笑いじゃない。
少しだけ、嬉しそうな笑い。
「最初から見てるよ」
「捨てるつもりなんてない。嘘もついてない」
言い切るのが上手い。
言い切られると、こっちの逃げ道が消える。
――ムカつく。ほんとにムカつく。
ジラは一歩近づいて、軽く言った。
「……欲しいよ。フロック」
「これから、よろしくね?」
その言い方。
まるで、もう決まったみたいに。
俺は反射で舌打ちしそうになって、飲み込んだ。
舌打ちをしたら、こいつは勝った顔をする。
勝った顔をされたら、俺はもっと負ける。
だから、俺は鼻で笑った。
笑って、できるだけ冷たく言った。
「……手綱握った気になるなよ?
俺は――」
「分かってる」
ジラの視線は逸れない。
俺から、これを逸らしたら終わりだ。
逸らした瞬間に、こいつは俺を軽く扱えるって確信するだろ。
それは、嫌だ。
ジラは、影の中で目を細めた。
笑ってる。
ほんとに、楽しそうに。
――ああ、クソ。
俺は今、逃げるべきだ。
逃げた方が生き残る。
目立たず、波に乗り、強い側に付いて――。
でも、こいつは波を壊す側だ。
壊す側に付くのは、馬鹿だ。
馬鹿なのに。
俺は小さく息を吐いて、言った。
「……まず一つ」
「俺に、何をさせる気だ。具体的に言え」
ジラの笑いが、少しだけ深くなる。
「とりあえず、調査兵団は一緒に行こうね」
俺は笑いそうになって、飲み込んだ。
調査兵団。死に場所。
――最悪だ。
その時は確かに、そう思った。