壁も巨人も、世界は私のために変われ!   作:an-ryuka

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32.

 

フロックとライナーと別れたその日、私はまたすぐに中央に戻った。

ジャンに会いたかったけど、我慢した。

中央に戻りたくなくなってしまう。

 

 

国の禁書庫は、必要なものも要らないものも、同じ棚に突っ込まれている。

 

分類はある。

形式もある。けれど、意思がない。

整理する気がないという意思だけが、そこにある。

 

後どれだけかかるのか……。

 

 

埃と紙の脂の匂いで、肺が乾く。

指先がざらつく。

ページをめくるたび、誰かの時間が音もなく崩れていく。

 

ケニーはいたり、いなかったり。

勝手に来て、勝手に消える。

 

――監視役のくせに、自由だ。

 

 

「……そんなに自由にしてていいんですか?」

 

私が言うと、背後から雑な声が返る。

 

「さぁな。お役所仕事なんだろ」

 

書庫の話にズラした。多分わざとだ。

 

ソファーの軋む音。

ケニーはまた寝転んでいる。足を組む気配。

 

答える気は無さそうね。

 

私はページの端を押さえた。

どうでもいい文字を飛ばし見ながら、思考を回す。

 

 

――私は、国に監視されている。

 

その考えは、もう仮説じゃなかった。

肌に触れる空気と同じくらい、現実の感触がある。

 

 

――ケニーは監視役だ。

 

もちろん、確定ではない。

でも、確率の棚の中では上位だ。

東洋人。純血。希少。価値。管理対象。

屋敷にいた頃だって、私は「見せ物」として使われた。

見せ回すのは、誇示じゃない。点検だ。

 

 

バレるのは時間の問題だと分かっていた。

役に立つと証明したから見逃されている。

――そう思っていた。

 

それもあるだろう。

でも、違う線もある。

 

 

私は本を棚に戻し、別の棚へ移った。

視線が動く。身体が動く。

動くことで、思考がブレた。

 

 

――紙の山が目に入った。

 

本じゃない。紙束だ。

雑に結ばれて、積み上げられている。

書庫の片隅に、島みたいに固まっている。

 

白い紙。黄ばんだ紙。薄い紙。厚い紙。

同じ名前が、何度も繰り返される。

 

 

――東洋人の名前が二人分。

 

 

一瞬、呼吸が止まった。

 

この一角は、丸ごとその二人のものらしい。

棚の並びからして、ここだけ異質だ。

分類ではなく、隔離。

 

私は、喉の奥で小さく笑った。

勘だ。完全に。

私の本名に、ファミリーネームはない。

ないと思っていたのに。

 

 

「私の親、すごい人だったんですね」

 

言った瞬間、口の端が熱くなる。

笑ってるのに、笑えない。

私は親の名前なんて知らない。誰も教えてくれなかった。

 

なのに。

ここにはある。

二人分。

繰り返し。

残りすぎるほど残っている。

 

 

ケニーは、目線だけ投げた後、興味なさそうに鼻で息を吐いた。

 

「嬢ちゃんの親ぁ? そりゃさぞ頭が良かったんだろうな」

 

……頭がいい。そうだろう。

頭が良くて――残った。

 

残る形が、嫌な形だ。

 

 

私は一番上の紙束を取った。

紐を解く。指に紙の粉が付く。

紙が古い。古いのに、捨てられてない。

 

一枚目から読んだ。

 

年号。配置。移動記録。

どこで何が起きて、どこで誰が消えたか。

会話の断片。憲兵の調書。

その余白に、別の手で書かれた、次の一手。

結果を先に決めて、原因を後から作るための文字。

 

並べれば、どれかが本当か分からなくなる。

そして、誰の手も汚れない。

 

私はケニーへの返事をせず、紙束がなくなるまで読み続けた。

頁をめくる音だけが、ここでの私の呼吸になる。

 

 

ケニーは途中でいなくなり、途中で戻り、またいなくなった。

 

そして、日が暮れた。

 

 

 

国の書庫を出ると、外気が頬を刺した。

薄暗い道。石畳。遠くの灯。

人の気配は少ない。帰路の静けさだけが残る。

 

ケニーと並んで歩きながら、私は考える。

 

この国では、賢い人は短命だ。

禁書が整理されずに、残されていることが異常だ。

国は知識ではなく、知識の産み手を殺す。

 

……私の親、だと思う人も、短命だったらしい。

 

記載では事故。

使用人が起こした事故。

偶然が重なった事故。

そう。事故。

 

国の琴線に触れたのかもしれない。

紙の束を見る限り、産み出す人達だったのだろう。

 

 

私は泳がされている。

禁書庫で、私が何を見るか。どう動くか。

何に気づくか。誰に近づくか。どこを掘るか。

その全部が、観察される。

 

 

私は今、おそらく。

――親と同じ結末を辿るかどうかの瀬戸際だ。

 

 

そう思うと、心臓が速くなる。

怖いからじゃない。

怖いより先に、興奮が来る。

嫌な癖だ。私の。

 

 

歩きながら、指先を握って開く。

紙の感触がまだ残っている。

そこに、熱が残っている気がする。

昨日の手の熱と、混ざって残っている。

 

国の書庫にあるのは、国が「捨てるには惜しい」毒と、「残してもいい」骨。

 

 

私は、屋敷にあったタイトルの無い書籍を思い出す。

結局あれがいちばん異質だった。

 

あれと同じレベルのものは、国の禁書庫には、無い。

 

 

国にとって本当に危険なもの、捨てられないものは、

色んな貴族の屋敷に少しずつ、あるのかもしれない。

分散。保管。相互監視。

誰か一人が全部持てば、そこが首になる。

だから散らす。

 

 

――手が足りない。力が足りない。

 

 

息を吐く。白くはならない。

でも胸の中だけが白くなる。冷える。

 

 

紙束の島を見た時、ケニーの瞬きが一度だけ遅れていた。

……報告した、かな?

そうね。いっそ。

 

 

私は、歩幅を少しだけ緩めた。

ケニーの隣の距離を、わざと変えた。

 

軽く、雑に、声をかける。

冗談みたいに。

でも、冗談に聞こえる場所を選んで、刺す。

 

 

「ケニー」

 

彼が視線だけ寄こす。

返事はしない。返事を待たせる。

人の言葉を拾う前に、相手の腹を読む癖がある。

 

私は笑って、言った。

 

 

「国をやめて、私につきませんか?」

 

 

声は軽い。

でも言葉は軽くない。

自分で言って、喉の奥が少し熱くなる。

 

ケニーは歩きながら、短く息を吐いた。

笑ったのか、呆れたのか、区別がつかない音。

 

 

「……嬢ちゃん」

 

低い声。

名前じゃない呼び方。いつもの距離を測る呼び方。

 

「それ、本気で言ってんのか?」

 

 

私は肩をすくめる。

真面目な顔はしない。真面目な顔をすると、相手も真面目に返すから。

 

「半分は本気です。半分は――」

 

言いかけて、止めた。

もう半分を言うと、私の方が負ける気がした。

 

 

ケニーは、笑った。

ほんの一瞬だけ、目の奥が鋭くなる笑い。

 

「……面白ぇこと言うな」

 

それだけ言って、彼は前を向いた。

歩幅は変わらない。

 

でも、彼の指先が一度だけ、コートの内側に触れた。

そこに何があるのかは見えない。

見えないけれど、癖で分かる。

 

私は、その動きを見なかったふりをして、また息を吐いた。

 

面白い。

面白いほど、危ない。

 

でも、危ないからこそ――今は、進める。

 

 

「国を見てるだけじゃ、貴方の夢は叶いませんよ?」

 

「情報の擦り合わせましょう。

 貴方の夢と、私の手札」

 

 

私は笑った。

 

「私につけば、

 ――この国の行く末を、お見せします」

 

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