壁も巨人も、世界は私のために変われ!   作:an-ryuka

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――訓練兵団。ジラ不在の時。


33.ジャン視点

 

「……聞いたか?」

 

隣のやつが、やけに声を落として言った。

落としたくせに、目が落ち着いてない。こういうのが好きな目だ。

 

「中央でさ。連続殺人事件だってよ」

 

一瞬、口の中が乾いた。

パンを噛んでたのに、粉が喉に貼りつく。飲み込めない。

 

「……は?」

 

聞き返した声が、思ったより低かった。

周りの喧騒が遠くなる。食堂の音が一段だけ薄くなって、耳が勝手にその話を拾う。

 

「何件も。しかも貴族だけだって」

 

貴族だけ。

その言葉が腹の底を冷やした。

 

「恨みか?」

「金目当てじゃねぇの」

「いや、貴族相手なら金より……見せしめだろ」

 

誰かが笑って言う。

 

「貴族なんて、死んでもいいだろ」

 

笑い声が複数。

でも、隣のやつは笑わなかった。

声を落としたまま、変に真面目な顔で続ける。

 

「……憲兵がやけに口止めしてるってさ」

 

憲兵。

貴族案件なら中央憲兵か。

 

誰も言葉にしない。

言い切った瞬間、口にしたやつが危ないから。

そういう空気だけが、食堂の天井に溜まってる。

 

俺は、笑えなかった。

 

――ジラ。

 

その名前が勝手に浮かんで、舌の内側を噛んだ。

鉄の味まではいかない。ただ、痛い。

 

――ジラも貴族だ。

 

「誰から聞いたんだ?」

別のやつが聞く。

 

「教官の知り合いが中央にいるんだと。こっそり話が回ってきたって」

 

「へぇ……本当かよ」

 

疑う声。

でも疑いながら、みんな耳をそばだててる。

 

その時、コニーが何も考えずに言った。

 

「そういや、ジラって今中央に戻ってるんだっけ」

 

時間が止まったみたいに感じた。

止まったのは俺だけだったかもしれない。俺の中だけ。

 

「バカ! コニー!」

 

サシャがコニーの口を塞ぐ。

遅い。遅すぎる。もう刺さった。

 

俺は視線を上げられない。

上げたら、余計に本物になる。

 

その中で、ミカサの声が落ちた。

 

「……ジラは、たぶん大丈夫」

 

淡々とした声。断言。

いつものミカサだ。でも、今日のそれはやけに刺さる。

 

「……なんの根拠があんだよ」

 

俺の声は震えてた。

 

ミカサは俺を見る。

目を逸らさない。刺すでもない。ただ、真っ直ぐ。

 

「言えない」

 

一拍。

 

「でも、大丈夫。……だと思う」

 

断言を落としたくせに、余計に重い。

知ってるけど言えない、って事か?

 

俺の喉が、勝手に鳴った。

 

俺だけ。

俺だけ知らない。

 

 

視線が勝手に動く。

フロックを探してしまう。探したくないのに。

 

――いた。

 

フロックはいつもの顔をしてる。いつも通り、ムカつく顔。

 

俺と目が合った。

 

フロックは、鼻で笑った。

 

なんだよ。

言いたいなら言え。

言わないなら、見るな。

 

俺が睨むと、フロックはゆっくり口を開いた。

唇の端を持ち上げる。

 

「お前……何も知らねぇんだな」

 

その声は笑っていた。でも目は、笑っていなかった。

乾いてる。

胸の中で何かがギシッと鳴った。

 

「……何だよ、それ」

 

自分の声が、思ったより低くて、腹が立つ。

落ち着いてるふりをしてるみたいで、俺が俺じゃない感じがした。

 

フロックは肩をすくめて、わざと周りに聞こえるくらいの大きさで続けた。

 

「いや、何も?」

 

喉の奥がざらっと動いた。唾が上手く飲み込めない。

乾いたまま、言葉だけが詰まる。

 

――こいつ、わざとだ。

 

俺が反応するのを見たいだけ、じゃねぇ。

 

「……フロック。お前、何か知ってんのか?」

 

俺が言うと、フロックは「はっ」と短く笑って、鼻で息を吐いた。

 

「知るかよ」

 

軽い。

軽いのに、わざとらしさがムカつく。

 

俺は椅子を乱暴に引いた。木が床を擦る音がでかく響く。

何人かが一瞬こっちを見たのが分かった。視線がささる。

 

でも、引けねぇ。

 

「知ってるなら言えよ」

 

言いながら、自分でも気づく。

俺は情報が欲しいんじゃない。

納得が欲しいんだ。

俺だけが取り残されてないって証明が欲しい。

 

フロックは両手を広げて、芝居がかった顔をした。

 

「だから知らねぇって。必死だな、お前」

 

必死じゃねぇ。

 

俺は一歩で距離を詰めた。

首元を掴む。布越しに骨の感触が伝わる。

 

「お前、何なんだよ」

 

言葉が勝手に溢れる。止めようとしても止まらない。

 

「ジラは、なんでお前にばっかりに言うんだよ。

 ……惚れてんのか?」

 

言った瞬間、心臓がズキッと痛んだ。

言うつもりなんてなかったのに。

 

フロックは眉をひそめて、心底うんざりした顔をした。

そして俺の手を、雑に払い落とす。

 

「それはねぇ」

 

吐き捨てるみたいに。

 

フロックは俺から一歩離れて、わざと周囲を見渡した。

周りの連中の耳が、こっちへ寄っているのが分かる。

 

フロックは、演説でもするみたいに続けた。

 

「俺が知ってるのはな、ジラが貴族の中でも変人で、調査兵団志望で、わざわざ兵士になりに来た奇特なやつだってことくらいだ」

 

周りがざわつく。嫌なざわつきだ。

貴族が調査兵団志望とか、ないだろって。

――ほんとに。なんでなんだよ。

 

フロックは続ける。

 

「で、あとは」

 

俺を見る。

見下すでもなく、見上げるでもなく、妙に真っ直ぐに見てくる。

 

「お前に対しての惚気を、散々聞かされてるくらいだ」

 

そう言って、フロックはめちゃくちゃ嫌そうな顔をした。

心底ウンザリってか?

 

……俺の知らない時間を、あいつは知ってる。

……俺の知らないジラの声を、あいつは聞いた。

 

胸の奥で、火が燻る。

フロックは鼻で笑う。

 

「あいつが誰かに殺されるようなたまか?

 気にするだけ損だろ」

 

しっし、と手を振る。

話は終わり。お前の負け。

 

俺は拳を握った。

殴りたかった。正直、殴った方が楽だった。

 

でも、殴ってなんになる。

 

俺が嫉妬してるって証明か?

俺が取り乱してるって証明だろ。

俺がジラに縋ってるって証明。

 

――そんなもん、渡すかよ。

 

握った拳を、ゆっくりほどく。

爪が掌に食い込んで痛い。

その痛みでギリギリ自分を繋ぎ止める。

 

「……損、か」

 

声が出た。

自分でも驚くくらい、乾いた声だった。

 

フロックが肩越しにちらっと見てくる。

 

俺は続けた。

 

「お前は得してんのかよ」

 

言った瞬間、フロックの表情が一瞬だけ止まった。

ほんの一瞬。

でも、その間に何かが見えた気がした。

 

得してない。

むしろ、こいつも焼けてんのか。

 

フロックはすぐにいつもの顔に戻して、鼻で笑った。

 

「くだらねぇ」

 

それだけ言って、背を向ける。

 

頭の中に、嫌な線が一本走った。

 

 

――殺してるのが、ジラだったら?

 

一瞬だけ。

本当に一瞬だけ、そう思ってしまった。

 

(馬鹿か)

 

ジラが人を殺す姿なんて、想像したくない。

でも、想像したくないって思った瞬間に、想像が形になりかける。

 

――ジラが、いつもの笑みじゃない顔で。

誰にも見せない目で。

 

(やめろ)

 

俺は、自分の思考を殴りたくなった。

そんなこと考えるくらいなら、心配してるって認めた方がマシだ。

 

フロックが、一瞬だけ俺を見て、息を吐くみたいに言った。

 

「……あんな女のどこがいいんだよ」

 

俺は、何も言えなかった。

言えるわけがない。俺の喉が、いちばん苦しかった。

 

――ジラ。

 

俺は、何を知ってる。

俺は、何を守れる。

 

俺は椅子の背に手を置いたまま、動けなかった。

 

食堂の喧騒が戻ってくる。戻ってくるくせに、俺の耳は単語だけを拾い続けてる。

 

マルコが、そっと声をかけてきた。

 

「……食べようか」

 

いつもの、柔らかい声。

押しつけない。責めない。引っ張らない。

 

……頷かないとマルコが困る。

 

「……ああ」

 

やっとそれだけ言って、席に戻った。

 

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